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2025年10月5日日曜日

Y君は順序指導の被害者か?

 「支援教室でかけ算をできるようになっていたYちゃんが、小学校でかけ算順序固定強制指導を受けたせいでかけ算の問題を解けなくなってしまった。」(黒元氏 Twitter 2025/10/04 10:49AM)


黒元(genkuroki)氏が誤用する論文は

宮田佳緒里・蛯名正司・工藤与志文「かけ算の意味理解を促すための問題状況の図示の試み――学習支援教室に参加する児童への教授活動を事例として――」『教育ネットワークセンター年報』(東北大学大学院教育学研究科)11(2011年)pp.53-60

この論文は、2011年に発表され、黒元氏が翌年に取り上げて以来、順序指導がかけ算の理解を阻害することを示す論文として、自由派のあいだで、引き合いに出されてきた。だが、この論文に出てくるY君の学習支援は、本当に、順序指導の弊害を示しているのか。

「掛算の文章題を解けるようになっていた小2のYさんが自信を無くしていたのは、学校で「かけられる数とかける数」の順序を指導されたことが原因【らしい】。まさに掛算の順序強制の被害者。」(黒元氏 Twitter 2014/10/16 11:18AM)

「11月中旬には掛算に関する文章題も絵の問題もY君は解けていた。しかし12月になると意気消沈してしまう。その原因はどうも学校での掛順こだわり教育【らしい】。」(黒元氏 Twitter 2014/12/18 11:59PM)

2014年の段階では、正直に「原因は……【らしい】」「どうも……原因【らしい】」と言われていたが、「らしい」がのちに消滅して、断言に豹変していく(不都合な)事実に注意しよう。

「例のYちゃんは、支援教室ではかけ算の問題を解けるようになっていたのに、小学校でのかけ算順序固定強制指導のせいでかけ算の問題を解けなくなってしまった。」(Twitter 2023/12/18 01:13PM)

「支援教室のお陰でかけ算の問題を解けるようになっていたYちゃんが、小学校でのかけ算順序固定強制指導のせいで自信を無くして問題を解けなくなった件」(Twitter 2024/11/25 08:32PM)

論文は、仙台市内の小学校児童Y君が、市内の私立大で受けた学習支援に関する報告である。「支援」という言葉は使われているが、別に、Y君に学習障害や発達障害があるというわけではないようだ。

Y君が教室に通ったのは、2010年10月~2011年1月までの5回。

1回目(10月初旬)計算問題 正答
2回目(10月初旬)文章題 解けず
3回目(11月中旬)文章題・絵問題 できた
4回目(12月初旬)Y君「わからない」
5回目(1月初旬)発問I~IV 絵問題・文章題ほぼできた

Y君は、文章題を絵で表すことに抵抗があるY君の特性に合わせて作られたこの5回の支援プランによって、最終的には、〈かけ算の順序〉も含めて、かけ算の問題を解けるようになった。

著者によれば、5回目の発問IからIVにかけて、Y君は、式の順序とかけ算の意味との対応付けを確固とすることができた。学習支援は成功したのである。ただ、Yのその後は、続編となる論文で扱われている。続編では、今度は小3で学ぶわり算がテーマである。

宮田佳緒里・蛯名正司「わり算の式の意味理解を促す図示の試み――学習支援教室に参加する小学生への教授活動を事例として――」『教育ネットワークセンター年報』12(2012年)pp.37-45

小学校の担任は、Y君の保護者によると、順序指導を徹底させる教師である。かけ算の単元は、年度の後半の初め(10月)から始まる。これに対して、学習支援教室では、順序を意識した支援は、5回目(1月)まではなかったと推測される。

Y君は、第1回目の計算問題は全問正解であったが、2回目の文章題がまったく解けなかった。計算はできるが、文章題ができない、というのは、よく見られる傾向である。式を与えられれば、計算できるが、文章題が描く状況から、その状況を解決する式を立てられない。

Y君が、学校でかけ算の学習が始まる10月初旬においてすでに、かけ算の計算問題を全問正解できたのは、九九を家ですでに学んでいたから、と考えられる。3回目(11月)では、Y君は文章題と絵問題を解けた。喜んで解いたと言う。

ところが、4回目(12月)になると、Y君が「わからない」と言って、問題を解けなくなった。保護者によると、「Yはかけられる数とかける数がわかっていないらしい」から、ということであった。

そこで、スタッフが、4回目までにY君が取り組んだ問題について、Y君が書いた式を支援スタッフが見直すと、問題文の登場順で式を立てていたことがわかる。これは、そのときまで、支援は、どちらかかけられる数かを意識せずに、行われていたことを意味する。

3回目は、Y君は問題を解けたが、ここではまだ、スタッフは、順序が逆でも「できた」、と判断していたと思われる。かけ算の意味の理解としては、Y君はまだ、不十分なレベルにいたのである。

ところが、4回目では、3回目では解けていたのに、Y君は急に「わからない」と言い始める。なぜそうなったのか。

保護者の「見立て」では、「「かけられる数とかける数」について、よく分かっていないらしい」から、というもの。支援スタッフも、4回目のこの後退は、式の順序とかけ算の意味の対応付けの段階で、一度つまずいたのだ、と考えた。

つまり、Y君は、かけ算の意味の理解に必要なものとして学校で求められていた、かけられる数とかける数(1つ分の数といくつ分)の理解が、まだ不十分であったである。

ところが、黒元氏は、10月からかけ算の学習が始まり、Y君が順序指導徹底派の教師から、順序指導を受けたせいだ、と考えたのである。Y君の理解の後退は、学校での順序指導が原因だと黒元氏は言う。ものはとりようである。

では、2回目の後退(Y君は文章題が解けなかった)はどうなるのか。同じ順序指導のせいではないのか。2回目では解けなかった文章題が、3回目で解けるようになったのは、順序指導のせいではないのか。

順序を意識した支援が行われた5回目には、Y君はふたたび問題が、順序を含めて、解けるようになった(これは順序指導のせいではないのか)。2回目と4回目にできなかったのは、一時的なものであった。

それは、新しいものを学び始めたときに、途上で起こりがちな理解の一時後退なのであろう。学習と理解は、いつでも、漸進的・直線的に進むわけではない。行きつ【戻】つりがあり、2回目と4回目はちょうど【戻】った時期だったのであろう。

5回目では、教師からの徹底した順序指導に加えて、順序を意識した学習支援もあり、Y君は、式の順序を含めて、かけ算の文章題や絵問題が解けるようになった。論文は、順序指導が最終的には成功したことを示しているのである。

この論文が扱う事例は、順序指導を受けると、児童が混乱して、かけ算が理解できなくなった例ではない。そこでは、Y君が、順序指導のもとで、小学校と支援教室で、小2で学ぶかけ算を理解するにいたるまでの経過が記述されている。

Y君は、たしかに、かけ算にとって基本的な、かけられる数とかける数の理解で、短期間つまづきはしたが、最終的には、かけ算の文章題を解けるようになったのである。Y君は、順序指導の被害者ではなく、受益者だったのである。

「かけ算順序固定強制指導を受けたせいでかけ算の問題を解けなくなってしまった」という黒元氏の表現は、つまづいて、その後もずっと解けていないかのような印象を与え、5回目にはY君が問題を解けるようになった事実から注意をそらそうとする、不適切で不当な表現である。

もとの論文を読まずに、【らしい】が脱落した黒元氏のポストだけを読んで悪影響を受けたチルドレンたちが、順序指導がかけ算の理解を阻む証拠として、黒元氏の赤字入りのこの論文文面をさかんに引用することで、デマと論文の誤用がますます拡散することになった。

自由派のデマに騙されないように注意しよう。


(2025/10/04のtwitterに基づく)

2022年5月9日月曜日

4×3はまだ12ではない ――等号の関係的意味の理解


 Ⅰ 文字式による式と値の同時化

文字式は、求め方とともに求めた結果を、計算のプログラムとともに計算の結果を、表す。たとえば、54円の消しゴムをx個買って、レジで1000円札を出したときのおつりを求める式は、1000-54xで、求められた結果であるお釣りそのものも、(1000-54x) 円である。これは、数だけの式と違うところである。

文字を含まない数だけの式では、単一の数になるまで、括弧や演算子の優先順位に従って、部分式の計算を積み重ねて演算を実行していく、つまり、計算という作業を行う必要がある。

その計算には、たいていは、一定の時間と労力が必要であり、等号のあとに出てくる答えは、そのような時間と労力をかけた作業のあとにはじめて、その結果として出てくるものである。作業前の式には、まだ、結果は現れていない。

このように、数だけの式では、等号の左右で、時間と労力の差があり、不均衡である。等号の前後は非対称で、左辺と右辺は同時ではない。3×4=12という式の左辺の3×4は式、つまり、計算のプログラムであり、そのプログラムを実行した結果、つまり計算結果、が右辺の12である。左辺3×4はまだ答え12ではない。

等号は小学校算数の1年のときから使われている。最初のたし算の学習では、1+2=3という式は、「1たす2【は】3」と読ませている。ここでは、等号=は日本語の「は」に相当する。「は」は「の答えは」ということである。こう読ませることで、等号を、そのあとに計算結果を書くための記号と理解させているのである。このように、小1では、等号は、足し算や引き算の計算結果をその直後に書くための記号として、つまり、答えを導くための記号として、導入される。


Ⅱ 算数における等号の関係的意味の学習

計算結果を導くという等号の機能は、等号の操作的(operational)な意味と呼ばれるが、計算しかしないかぎりでは、等号の操作的意味だけで十分である。操作的意味に対するのは、等号の関係的(relational)意味である。これは等式の両辺は等しいということである。

小学校算数では、画像のように、この関係的な意味も、教えられている。小学生はすでに小3において、等号が操作的な意味とともに、関係的な意味をもつことを、学んでいるのである。


a)電卓式

「3人乗っていたバスに、最初の停留所で4人、次の停留所で5人乗った。今は何人?」という問題は、小1の問題なので、まだ関係的な意味は学んでいないから当然だか、次のような式を書いてしまう児童がいる。

3+4=7+5=12

ここでは、最初の等号の左辺は3+4=7であるが、右辺は7+5=12で、左右が等しくない。等号の関係的意味が無視されている。

このような式を、私は電卓式と呼んでいる。というのも、関数電卓ではない普通の電卓は、このような仕方で、3つ以上の数のたし算をするからである。すなわち、電卓では2つ以下の数の計算しかできず、最初の2つの数のたし算をするとその答えが出て、その答えに、3つ目の数を足す。

等号の意味が操作的意味に尽きるならこれでもよいが、1年生の教科書において、すでに、電卓式は「おかしいね」と、注意が与えられている。等号の左右は等しくなければならないのである。だが、まだ、小1は、関係的な意味を正式に教えられていない。ここでは、3+4=7, 7+5=12のように分けて書くか、3+4+5のような、最初から3つの数字を含む式を立てて、2つずつ計算するか、するように指導される。


b)不等号の学習

関係的意味の理解には、不等号の学習が役立つであろう。等号の意味を不等号の意味との対比において学ぶことで、等号の関係的意味が際立つ。2つの大きな数、2つの小数、2つの分数、分数と小数などのあいだの空欄□に、等号ないし不等号を記入させて、大小や等しさを判断させる設問は、学年を通して、くりかえし現れる。

これは大きな数どうし。


これは分数と分数、分数と小数のあいだの比較。

ここで比較されるのが単一の数どうしで、かつ、不等号ではなく等号が選ばれるとき、等式になるが、左辺は式になっていない。左辺が式で右辺にその計算結果としての単一の数が来るという、等号の操作的な意味はここで破綻している。

片方ないし両方が式になっていることもある。下の画像は同じタイプの設問で、比較される対象が、両方とも式になっている。


c)式と式のあいだの等号

上の画像は小6教科書の練習問題であるが、実は、小2の教科書には、7×8=8×7という、式どうしを等号で結んだ等式が載っている。これは、右辺の左辺の式の計算結果を書くという、操作的な意味で理解された等号とは、用法が明らかに違っている。


小2の児童が、等号の関係的意味をまだよく理解しておらず、もっぱら操作的に理解していることを考慮するなら、

7×8 =56
8×7 =56

と書いて、答えが同じになることを示すほうが、7×8=8×7と書くよりも、小2にはわかりやすいであろう。そのように2つに分けた書き方のほうが、「かけ算では、かけられる数とかける数を入れ替えて計算しても、答えは同じ」と定式化される交換法則を、素直に表現している。

しかし、4年生の教科書になると、答えが等しい式どうしは、等号で結ぶことができる、と書かれている。A×B=C, D×E=Cならば、A×B=D×Eなのである。A×B=D×Eのような等式で使われる等号は、もはや、等号の操作的意味を超えている。ここでは、同じものの異なる2つの表現が左右に配置されている。

d)結合的意味

さて、学年が上がると、計算式で使う=は1回では済まず、=を重ねて、式を言い換えながら連ねることになる。一度に全部を計算するのではなく、最終的に単一の数になるまで、部分式の計算を積み上げていくのである。小5小6になると、分数の四則演算などで、途中式で通分約分、仮分数・帯分数の言い換えなどをする必要から、そのように=を重ねて続けるのが、普通になる。

21.3+51.5÷(24.3-3.7)÷5/31
=21.3+51.5÷20.6÷5/31
=21.3+2.5÷5/31
=21.3+2.5×31/5
=21.3+2.5÷5×31
=21.3+0.5×31
=21.3+15.5
=36.8

こうなると、等号は、右辺に答えが出てくるものというよりは、式と式を結ぶという意味をもつようになる。これを等号の結合的(connective)意味と呼ぼう。最終的には、等号のあとに答えが出てくるので、これは、操作的な意味で理解された等号が、言わば、引き延ばされている、と見ることもできる。

単に2つの式を結びつけているのではなく、あくまで、2つの式の値(計算結果)が等しいことを根拠に、結んでいくのである。関係的意味が堅持されている限りでは、式を大きさを保持しながら変形していく過程である。最初の式と次の式は、値が等しく等号で結ばれているが、形が違う2つの式である。このことは、等号の関係的な意味の理解に児童を近づかせるものである。ところが、その根拠となる関係的意味が脱落して、単に、式と式をつなげるのが役割を果たすものだと、浅薄に理解さてしまっている場合も多い。

21.3+51.5÷(24.3-3.7)÷5/31 = 21.3+51.5÷20.6÷5/31


e)左辺に計算結果

操作的な意味では、計算結果は右辺に来るが、算数では、そうとは限らない。高学年になると、〈平行四辺形の面積=底辺×高さ〉の公式のように、左辺にくる場合が出てくる。小6では、y=(決まった数)×xという、比例の式も現れる。計算結果、つまり、単一の数字となるものが、左辺に来ることも、普通になることで、操作的な意味で理解された等号の、左右のアンバランスが是正される。

計算の工夫ということで、25×32の32を4×8に因数分解することが教えられているが、これも、等号の関係的意味の理解に有益である。

25×32 =25×(4×8) =(25×4)×8 =100×8 =800

25に、そのうちの因数4をまず掛けて、100を作り、計算を簡単にするのである。単一の数32を、ここではあえて、等号のあとで4×8という式に変換している。単一の数字になるように短くすることだけが、計算なのではないのである。5=3+2, 1+4=3+2, 3×4=6×2のような言い換え練習をするのも、関係的意味の理解に役立つであろう。


f)あまり

算数の学習で、等号の関係的な意味に違反している唯一の例は、あまりがある割り算での等号の使用である。ここでは等号は、明らかに、等号の左辺と右辺が等しい、という関係的な意味を否定している。たとえば、

11÷3=3 あまり2

のような使い方である。11÷3 (=3.666...)と3とは等しくない。


Ⅲ 電卓式と中学数学

このような例外はあるが、算数では、原則、等号の関係的意味は、直接間接、くりかえし教えられている。だから、算数で、関係的な意味が教えられていない、と言うのは、事実に反する。しかし、小学生にとって、四則演算の計算をすることが学習のメインなので、関係的意味は、なかなか理解されず、小学生の意識のなかでは、依然として、操作的意味が幅をきかせている。

そのため、小1だけでなく、高学年の児童も、しばしば、すでに述べたような電卓式を書いてしまうことがある。たとえば、320円のファイルを2つ、消しゴム70円のものを1つ買ったときの代金は?という文章題で、式が、

320×2 =640+70 =710 710円

となってしまう(注1)。操作的な意味では、このような等号の用法は、不自然ではないが、小学校では直されるであろう。等号の関係的な用法を守ることは、小学校でも、原則いつでも、求められている。

中学に入学して、生徒たちは、1)文字式を習い、式が同時にその値を表すことを学び、式とその値が同時的であること、等式の左辺と右辺の同時性を、理解するようになる。左辺が式で、等号の後(右辺)がその結果ではなのでは、もはやない。左辺も右辺も、式でかつ値なのである。2つの式が等しいとは、その値どうしが等しい、ということである。この同時化は、等号の操作的な意味を排除する働きをするであろう。

中学生は、次に、この同時性の理解に基づいて、2)天秤の比喩を用いて等式の性質とその適用(方程式)を学ぶ。両辺は等しく、同じ量のものに、同じ数で割るなどの同じ演算操作を施しても、その結果は等しく、等号が成り立つ、というわけである。右辺と左辺は、鏡像関係のようなもので、いわば、同じものが異なる角度から見えているだけなので、同じ操作をしても、同じことがつねに同時に起きる。だから、1)の同時性の理解が不十分だと、等式の性質は活用できないであろう。


こうして、ようやく等号の関係的な意味が、等号の意味のなかで、中心的な役割を果たすようになるのである。


Ⅳ 等号の関係的意味の理解の困難さ

このように見てくると、「等号の左右が等しい」という、大人にはとても単純なことに見えるが、それを習得するまでにはとても時間がかかる、ということが、わかってくる。

初等数学ではまず算術(計算)を習い、代数(文字式)は中等教育になってから、というのは、外国も同様であろう。小学生に、等号を操作的な意味で理解する傾向が見られるのは、日本だけではない。英語圏の調査では、等号の中心的な意味を問われて操作的(operational)な意味を答える生徒の割合は、小6相当でGrade 6で58%、中2のGrade 8でも、45%もいる。


ところが、高校・大学の数学教師や中高生を教える塾の数学講師のなかは、「中学生が、等しくもないのに等号を用いる生徒がいるのは、小学校の算数で、等号の真正な意味である関係的な意味が、教えられていないからだ」、「馬鹿な小学校の教師が、等号の意味が間違って教えている」と、短絡的に考えて、算数教育を批判する人がいる。

だが、上で見てきたように、関係的な意味は、算数でも、くりかえし教えられているので、「両辺が等しいという等号の意味が教えられていない」と言うならば、それは事実に反する。等号の関係的は、聡明な教師が一度が児童たちに言い渡せば、その後は問題なしに等号を使えるようになる、というものではない。習得するのに時間がかかるものなのである。

等号の操作的な意味は、数学では意味がなくても、計算操作的・算術的には意味があり、別に間違っているわけではない。だから、操作的な意味で使われていても、嘘が教えられている、とは言えない。あまりがある割り算の例を除けば、等号の操作的な意味は関係的な意味と両立可能である。関係的な意味を損なわないという条件で、操作的な意味や結合的な意味は、同時に教えられてよい。


Ⅴ 等式の性質と等号の意味

中学に入学して、文字式を学んだとたんに、生徒の等号理解は完成するのではない。等しいものではないのに等号で結んでしまう生徒・学生がいると指摘されるとき、2つの場合が考えられる。1つは、すでに述べた、電卓式を書いてしまっている場合、もう1つは、等号の性質を使った等式の言い換えで、等式どうしを等号で結んでしまうもの。

「等しくないものに=を使う人がいて…何かの演算をしたら=を書く程度の認識しか持っていない……」(joseph_henri氏 2020/01/05 21:06)「鈍い高校生ですと、両辺を同じ文字で割ったのに、=の印を付けてつなげてしまいます。」(21:16)

1) A =A' =A'' =A''' 算術的・数学的
2) A=B ⇔ A'=B' ⇔ A''=B'' 論理的

小学校までは、1)のように、大きさ(値)を維持しながら、式を短くしていく(計算する)ことしか知らなかったのに、中学に入ると、1)に加えて、2)等式の性質を使って等式を次々と言い換えていくことを学ぶ。

1)には、数だけの計算以外に、中学以降の数学で学ぶ、式の計算や因数分解・展開も含む。ここでは、値(数量的な大きさ)を維持しながら、式を変形する。変形のうち、式を短くするものは「計算」と呼ばれる。

a)4.7+6×(7.4-3.8) =4.7+6×3.6 =4.7+21.6 =26.3

b)4ab²-3a+ab²-5ab+2a+2ab² =(4ab²+ab²+2ab²)-(3a-2a)-5ab =7ab²-a-5ab =7ab²-5ab-a

c)x²+2x-15 =(x+5)(x-3)

2)は、下記のように、等式の性質を使って、方程式を解くときに現れる。ここでは、等式が上下に並んでいて、上下の等式は ⇔ 記号で結ばれている。小学校では、□×3=15 □=15÷3くらいはやるが、等式の性質を駆使しているとまでは、とても言えない。

5x-4 = 2x+5 (両辺から2xを引く)
⇔ 5x-2x-4 = 2x-2x+5
⇔ 3x-4+4 = 0+5+4 (両辺に4を足す)
⇔ 3x = 9 (両辺を3で割る)
⇔ x = 3

ここでは、上下の等式どうしの関係は、「真理値が等しい」という意味での等値関係である。このことは、⇔ という記号で表現されている。それは、値(大きさ)が等しいという算術的な関係ではなく、論理的な関係である。3xとx、9と3は等しくないので、数の値は上下の等式で等しくない。3x = 9ならばx = 3であり、かつ、x = 3ならば3x = 9である、という双条件的な関係が、上下の等式のあいだにはある。等値は双条件とも呼ばれる。

4×3とか2x-1といった式は、命題ではないが、2×4=8や3x-2=5といった等式は、命題である。それは、左辺と右辺が大きさにおいて等しいと主張する命題である。ところで、命題は真理値(真、偽)をもつ。命題「2は素数である」は真だが、命題"3+4=8"は偽である。2つの命題の真理値がいつも一致するとき、その2つは等値(同値)と言う。たとえば、P⊃Qという条件命題とその対偶~Q⊃~P、ab=acとb=c(a≠0)は等値である。5x-4 = 2x+5 という等式と 3x=9という等式は、等値である。

だから、ここで、⇔記号の代わりに、等号を用いることはできない。ところが、等号を、単に式と式を結びつけるものといった浅薄な理解をしていると、つまり、等号に結合的意味しか認めていないと、次のように、等式どうしを等号を用いて結んでしまう、という失敗をしてしまう。これだと、等式の関係的意味が損なわれる。

3)誤り A=B = A'=B' = A''=B'' 

A=Bの両辺から2を引いてA'=B'となったなら、AとA'は等しくないので、これは誤りである。この等値という論理的関係は小学校ではなく、中学・高校で学ぶものなので、もし、ここでこのような等号の誤った使い方をする生徒が多数いるならば、その責任は小学校の教師ではなく、中学・高校の数学教師に帰すべきものである。

このように、中学に入学して等式の左右同時性を学び、等号をその関係的な意味で理解できるようになっても、等号の用法を誤らないとは限らない。論理的な言い換えなのに、それを等号で表してしまったり、逆に、1)のタイプの計算なのに、等式の性質を誤って適用し、0.1a+0.3=a+3などとしてしまうケースが出てくる。この論理的な関係という、等号の使用に関わる新しいことを学ぶことによって、等号が使える範囲が、一度、揺らいでしまうのである。しかし、算術的関係と論理的な関係の区別がつくようになることで、等号が論理的等値には使えないことが、わかってくる(等号を論理的等値に使う例は、あるといえばあるのだが)。生徒の等号理解は、中学で数学を学び始めた以降も、試され続ける。


Ⅵ かけ算の順序と等号の意味

最後に、等号の意味と〈かけ算の順序〉との関係について述べる。

〈かけ算の順序〉をめぐる論争で自由派の多くは、「4個入りの袋が3つのときキャンディーは全部で何個?」という文章題の式として、3×4と4×3は、計算結果が同じ12であるという理由で、意味も含めて、まったく同じもので、両者のあいだに区別はない、と主張する。それにもかかわらず、小学校算数のテストでは、そのような文章題の式としては、一方が正しいとされ、他方がバツにされる。

定数氏のように、式は2×6でも、13-1でも、24÷2でも、√144でも、よいという急進的な主張をする、要注意人物もいる。急進的なものも含めて、このような主張をする人たちは、式をその値に還元してしまっている。彼らは、「小学生ではまだ、等式の左右同時化・対称化が完成していない」という基本的なことを、理解していないのである。算数教育は、子どもの発達段階・学習段階を考慮して行われなければならない。

算数では、同時化は完成しておらず、4×3はまだ、その答え12ではない。4×3は式で左辺にあり、12は右辺にその答えとして出てくるもの。では、4×3は何を意味するかと言えば、4個のものからなるまとまりが3つあることを意味する。というのも、算数では、かけ算は〈1つ分×いくつ分〉で教えられているから。3×4は、3個のものが4つのことなので、キャンディーの文章題の文章が表すグループの分け方と違っており、つまり、意味が違っており、その文章題の式としては不適なのである。


以上の考察からわかるように、大人には自明であるように見える等号の適正な使用は、小1からかなり中学・高校にいたるまで、くりかえし訓練を積んではじめて、獲得されるものなのである。


注1

「算式で=の記号を使いまくる小学生の存在がずっと疑問だった」(matho2019)
「計算式で=の記号を使いまくる」というのは、どんな使い方ですか?」(flute23432)
「最近見かけたのは速さの変換(時速→分速など)の計算過程ですね。
例えば時速30kmを分速に直すとき
……
30×1000=30000÷60=500
のように書く場合です。」(matho2019)


(flute23432 2022/05/05 11:55AM, 2018/10/14 10:51AMなどに基づく)





2022年3月24日木曜日

トランプ配りと〈かけ算の順序〉論争

 A)トランプ配り

「1972年1月26日の朝日新聞の記事」(メタメタの日 2009/01/23)https://ameblo.jp/metameta7/entry-10196970407.html


〈かけ算の順序〉論争でしばしば言及される、朝日新聞のこの記事によると、1971年に大阪の小学校で、かけ算の式が逆でバツになった答案を子どもが持ち帰った保護者のKさんが、学校や教育委員会、文部省に抗議した。

この記事は数学者などにも取り上げられ、さらに議論を呼んだ。

式がバツになった設問は、かけ算の文章題で、「6人のこどもに、1人4個ずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか」というものだった。

Kさんが根拠としたのは、トランプ配りである。トランプ配り(カード配り)とは、トランプをポーカーなどの参加者に配るときの配り方。トランプは1人1枚ずつを、参加者全員に順に配りながら、54枚全部がなくなるまで、何巡もする。6人なら9巡である。

①通常の理解では、配った結果に注目する。子どもが6人いて各人の前に、配られた4個のみかんが置かれている。みかん4個の山が6つある。1人分のみんかの数4個の4が1つ分の数で、人数6がいくつ分なので、式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書くとき、式は4×6だ。

逆に、②4人に1人6個ずつだったら6×4となる。しかし、③トランプ配りをして、配る過程に注目すると、全員に1人1個ずつ配る1巡(1周)で、6人分6個配れる。これを4回繰り返すと(4巡すると)、最終的には、1人4個ずつ受け取ることになる。

ここでは、1巡で配る個数6(1人1個ずつで6人分の6個)を1まとまりとして見ることかが可能で、これが1つ分の数に、4巡(周、回)の4がいくつ分となる。日本の算数では、かけ算の式は〈1つ分×いくつ分〉の順に書く習慣なので、式は6×4である。

①②③の3つとも、かけ算の式は〈1つ分×いくつ分〉の順に書かれている。③は式自体は②と同じだが、状況は①と一致する。状況は同じなのに、トランプ配りをすると、一つ分の数といくつ分が入れ変わる。

一つ分の数4といくつ分6が、一つ分の数6といくつ分4となる。1つ分の数であった4がいくつ分に、いくつ分であった6が1つ分の数になる。①と③では状況は同じで、配るミカンの総数も同じ24個である。

ここから、のように言える。

4(1つ分)×6(いくつ分)=6(1つ分)×4(いくつ分)

👧👦👧👦👧👦

🍊🍊🍊🍊🍊🍊 1巡目
🍊🍊🍊🍊🍊🍊 2巡目
🍊🍊🍊🍊🍊🍊 3巡目
🍊🍊🍊🍊🍊🍊 4巡目

これが交換法則である。かけ算の交換法則は、算数の教科書では、アレイ図などで示されている。アレイ図でも、グループを縦1列ごとに作るか横一列に作るかで、1つ分の数といくつ分の数が入れ替わることが、示せる。


トランプ配りによる解釈は、可能と言えば可能だし、間違っているわけではない。児童がもしこのような解釈をして、〈1つ分×いくつ分〉の順に書くという「約束ごと」に従えば、式は6×4である。

ここまで見るかぎり、6×4でバツにされる理由はない、と言えそうだ。


B)非現実性

だが実は、トランプ配りによる解釈は、現実性に関して大きな問題がある。児童はそもそも、そのように解釈しないのである。トランプ配りの解釈は、むしろ、自由派が順序派を批判しようとしてひねくりだし、持ち出すものである。

新聞記事の小学校は、Kさんの抗議を受けて、逆に書いた児童に聞き取り調査をしたところ、トランプ配りで考えた児童は1人もおらず、どの児童も、問題文に数が現れる順に式を書いただけだった、ということがわかった、という。文章題は「6人のこどもに、1人4個ずつみかんを…」となっていて、たしかに、問題文中で1人分の数よりも、人数が先に登場する。

児童がトランプ配りによる解釈に基づいて立式することは、まずない。1人に配る個数が4個とわかっているのに、1個ずつ配るというのは、かなり効率が悪い配り方であり、大人でもしないであろう。最初から、各人に4個まとめて配るであろう。

トランプをトランプ配りするのには、特殊な事情がある。ポーカーなどはいいカードを集めるので、前のゲームの影響が残ると不公平になる。不公平が起こらないように、ゲーム前に十分にシャッフルし、また、配るときも、トランプ配りをする。

キャンディーが多数あって、全部の個数は不明、人数だけ決まっているときに、平等にキャンディーを配る方法としては、トランプ配りは1つの方法となる。しかし、かけ算の問題では、1人に配る個数が最初からわかっている。

小学生くらいの子どもは、現前する具体物に基づいて思考する。子どもの各人に4個のみかんの場合は、子どももみかんも具体的なものだが、それに比べると、一巡で6個の「巡」は事物ではなく、動作の単位なので、より抽象的である。だから、小学生は、配られた結果としてできる、各人の前にできたみかんの山を、考える。

トランプ配りによる解釈は、1個、2個……のように数えることができる分離量では、比較的容易だが、連続量だと、ぐっと難しくなる。クラスの38名全員に、1人に20cmのリボンを配るとき、全部で何mのリボンが必要? リボンは運動会の遊戯で、腕に付ける。

リボンを1cmごとに細かく切って、1巡目で1人に1cmのリボンを渡し、38人全員が受け取ったら、2巡目で1人に1cmのリボンを渡し……ということを20回繰り返せば、1人に全部で20cm分のリボンの【破片】が集まる。

1巡ごとに、38人分の38cm必要で、この細かな38cmの配布を、20回繰り返す必要がある。このとき、38が1つ分の大きさ、20がいくつ分となる。しかし、そのように細かく刻まれたのでは、運動会では使用できないであろう。

1個54円の消しゴムを38個購入するとき、1円ずつの分割払をすれば、1回につき38個分の38円を払い、それを54回繰り返せば、完済できるはずだ。しかし、1円ずつの分割払いは、小学校の近くの小さな文具店ではもちろん、大手の文具専門店でも、取り扱いがないであろう。

だから、大人にさえ、トランプ配りの解釈は、思い浮かばない。ましてや子どもは思いつかない。もし児童にトランプ配りの解釈をさせたいなら、そのための十分な誘導が必要である。まず、文章題を次のように、トランプ配りで配ったことがわかるように、改める。

「6人の子どもに、1人1個ずつみかんを配り、全員が1個受け取ったら、同じことを最初の子どもに戻って繰り返す。4回繰り返すとき、みかんは全部で何個必要?」

また、挿絵としては、トランプ配りをした過程がわかるようにコマ絵を描いて、「巡」というまとまりを、線で囲って示すなどする。そうすれば、さすがに児童にも、巡ごとのまとまりがわかる。そのとき、かけ算の式は6×4であり、4×6ではない。


(参考)

自由派が、ふだんからトランプ配りでお菓子などを親から受け取る習慣の子どもが、トランプ配りで考えて逆順式を書いた実例として挙げるのが、読売発言小町のこの例。

2011年12月10日 小2の母「小学2年生、掛け算の文章題で悩んでいます。」

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467390.htm?o=0&p=1

ところが、この例は、実はトランプ配りによるものではないことが、次のブログで、明らかにされた。同時に明らかにされたのは、小2の母に対する自由派定数氏の激しく生々しい裏工作であった。

「小町小2の母の娘は、本当に、トランプ配りで考える2年生の例か?」http://makitae.cocolog-nifty.com/tsurezure/2015/12/2-a5c3.html


(Twitter @flute23432 2022/02/19 06:08PM, 06:19PM などに基づく)

式は場面を表すのか?

 「最大の問題は、あなた自身が、式が場面状況を表す、という前提を疑っていないことです。これこそが最大の過ちです。式が表しているのは場面ではなく、数です。」(Twitter 定数氏 2022/02/20 10:31PM)


式は一般には、数字ないし文字と演算子から構成され、計算の手順ないしはプログラムや、その結果を表していて、状況は表さない。ab-cはaとbの積からcを引くことと同時に、その結果を表す。定数氏は、式が表すのは数だと言っているが、それは十分ではない。

式が状況に関係づけられることはあるが、一般には、その関係づけは、演算や式にとって偶然的だと見なされている。だから、合併/増加、求残/求差、等分除/包含除などの、演算が適用される状況の分類は、数学の外部の話だと思う人が多い。

しかし、初等数学教育では、式を状況に強力に関係づける教育的な必然性がある。というのも、児童が四則演算を習い始めるとき、児童がすでに獲得しているのは、もっぱら、生活や物語(お話し)を通して児童に馴染みの具体物の変化と操作、配置などだから、である。

四則演算を習い始める児童も、少なくとも、数を数えたり簡単な足し算をしたりくらいのことはできるであろうが、数学的な基礎はないに等しい。中学でf(x)=3x-2のような関数の式を理解できるのは、小学校卒業までに四則演算や、空欄□を含む式をすでに学習しているからこそ。

ある未知の事柄を理解するには、未知を既知に組み込み関係づけなければならない。関係づけられないと理解できない。だから、式を理解できるようになるには、それを、低学年児童に馴染みの具体物に関係づけないといけない。そして、その具体物の世界は、明晰で単純な数学的イデアの世界と対照的に、雑多で鈍重で不純な世界なのである。

ひき算を習うときは、ひき算が適用できる状況のうち、1年生にも馴染みの、お菓子を食べる、公園で遊ぶ、といった物語に対応させる。お菓子を6個もらって、そのうち4個食べたので残りは2個だとか、公園で7人遊んでいて3人帰ったので、今は4人遊んでいるとか。

これは、算数学で求残と呼ばれる状況である。ひき算が適用できる日常的な状況のもう1つのタイプは求差である。「兄が7枚、弟が5枚カードをもっているとき、違いは何枚?」といった文章題で表されるような状況タイプである。差は静態的な状態で、変化や動作の物語にできないので、小1にはより難しい。

求残と求差は、ひき算が適用できる状況や文章題の分類で、一般にはこれは、ひき算そのものの分類とは見なされない。数学的には、ひき算そのものには求差も求残もないと言えよう。

だが、このような具体的状況から、状況に基づいて、状況のなかでひき算という演算を理解し始めている児童にとって、演算は状況からまだ十分に独立していないのである。児童にとって、式は、状況のなかにまだ半分以上埋もれていて、十分に独立していない。

児童の抽象的思考は未発達で、児童は具体物に即して考える(具体的操作期)。だから、四則演算を習ったばかりの児童は、大人が理解しているようには、演算やその式を理解していない。児童にとって、状況から式を立てた途端に、状況が式から失われることはない。文章題から式を立てた途端に、式が文章題から切り離されるわけではない。

だから、この学年の児童にとって、そしてまた、「そのような児童に演算の基礎を教えるにはどうしたらよいのか」を考える算数学においては、求残と求差はひき算そのものの分類だと言ってよいのである。ひき算には求差と求残がある、と言ってよいのである。

定数氏に限られないが、自由派の多くは、このような教育的状況の固有性がまったく理解できていない。この意味で、定数氏らは、初等数学教育を論ずる資質を疑われても、やむをえないであろう。

なお、求差と求残のようなものは、演算が適用される日常的状況の分類であり、「求差と求残という、互いに異質な2つの実体がある」といった形而上学的な主張がなされているわけではない。それはおおよその区別、暫定的な分類、であってもよいのである。

だから、どちらに分類してよいかわからない状況とか、観点によってどちらにも分類できる状況があってもおかしくはない。たし算が適用できる状況タイプのうち、小1が学ぶのは、合併と増加である。合併と増加はひき算の求残と求差に比べて、とても近い関係にあり、境界も明瞭ではない。両者の区別の基準の1つが時間である。合併は同時的だが、増加は時間差がある。しかし、合併でも、厳密な同時性ということは考えられない。小1が満足できる程度の精度の、おおよその同時性であればよいのである。

こうした曖昧さや不明瞭さは、分類そのものが無効だとかナンセンスだということを意味しない。男性と女性のどちらにも分類しにくい中間的な性があるからと言って、男性/女性の概念的な区別が無意味になることはない。ある人の右はその人に向かい合う人にとっては左にある。だからと言って、左/右の区別がナンセンスになるわけではない。これと同様である。

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「式に意味などない、式が表しているのは数であり場面ではない、とすれば一切がすっきりするのに、なぜそういないのか、理解に苦しみます。」(Twitter 定数氏 2022/02/20 10:41PM)

児童は、日常的な状況のなかの具体物の変化や配置などに基づいてしか、演算や式のような抽象的なものを理解できないのに、なぜそれを否定してしまうのか、理解に苦しみます。


(Twitter @flute23432 2022/02/21 00:10PM などに基づく)

求められたかたちで解答すること

算数・数学では、等号=でつなげて大きさ(値)を維持しながら、式などを一定のかたちにすることが求められることが、よくある。計算というのは、演算子と数、括弧などから構成された式を、単一の数に変形することである。因数分解も、単一の数を複数の因数に分解すること、単一の多項式を複数の多項式の積の形に変形することである。


a)分数の計算問題で、答えを=21/30と書くとバツになる。そのバツは、しかし、21/30=7/10であることの否定を意味しない。それ以上約分できないかたち(既約分数)が求められているのに、それができていないからバツになった。

算数・数学では、もっとも簡単なかたちにすることがしばしば求められる。計算というのは、大きさ(式の値)を維持しつつ、もっとも簡単なかたち(通常は、単一の数値)に変形することを意味する。4×3という計算問題の答えとして、3×4とか6×2、13-1とか2×4+5-1は不適切である。

98/14のように、分子が分母の倍数のときは、整数のかたち(7)にしなければならない。まだ約分できるかどうかの判断は、2つの整数のあいだに共通素因数があるかどうか(互いに素でないかどうか)を判断することでもあり、その判断力の訓練は、数学ののちの学習にも役に立つ。


b)算数では、3.9+5.1の筆算で、答えの9.0の0を斜線を引いていないと減点されるが、これは、小数点以下にゼロしかない場合ゼロを消すように言われていたのに、それができていないから。そのような採点を見て、算数では9.0≠9なのかと疑念を呈した人がいたが、採点した教員は、もちろん、9.0と9が等しくないと考えている、というわけではない。


小数9.0のように、整数で言い換えられる数を、整数の形にするのは、98/14をそのままにせずに整数7にすると同じ理由から。小数の足し算は小数を学び出すと、すぐに出てくる。小数学びはじめの児童に、筆算の結果出てきた9.0が、既習の整数9と等しいことを意識させるため、筆算であえて斜線を入れさせているのである。

なお、小数のたし算筆算は小3で学ぶが、有効数字は中1。また、算数・数学に出てくる数は、通常、測定値ではなく、誤差がない厳密値なので、有効数字の考えはここに適用できない。


c)学校算数では、かけ算の文章題では、かけ算の式を教科書や授業でそうしていたように、〈1つ分×いくつ分〉の順に書かないと、しばしば、バツになる。


たとえば、「3つの袋のどれにも4個入っているとき、キャンディは全部で何個?」という文章題では、各袋のなかの個数が一つ分の数なので、文章中に数が出てくる順とは逆に、式としては、4×3=12と書くことが求められる。

これは、どれが1つ分で、どれがいくつ分かを児童に理解させるため、である。というのも、児童は、文章の解析力がまだ不十分で、「今はかけ算を学習中だから」という理由で、数の意味も考えずに、文章中の2つの数字を拾い出して、掛けて答えを求めようとするから。

そのようなやり方だと、学習中の単元の情報がないときは、与えられた文章題を何算で解くのかが、わからない。掛けたり割ったりして、ありそうな答えが出る演算を選ぶことになる。そのような皮相なやり方だと、掛けるときも割るときもある、高学年で学ぶ割合の文章題で、立ち往生してしまう。文章が表す事態に見いだせる数的関係や数の意味から、使う演算を割り出せるようになるべきであろう。

バツで採点した教師は、けっして、4×3≠3×4だと言おうとしたのではない。つまり、かけ算の交換法則を否定しているのではない。〈1つ分×いくつ分〉の順に書くようにと言われていたのに、それができていないから、バツにしたのである。3と4のかけ算の式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書くように、求めているだけなのである。

もし3×4が〈1つ分×いくつ分〉の順に書かれていたのだとすると、3×4は3個のものから成るまとまりが4つある、という意味になるが、しかし、文章題では、4個入りの袋が3つなので、意味が違ってしまうから。

定数氏らは、順序指導は1+1=7だと教えるのと同じで、嘘を教えることだ、と主張して、この指導法を激しく非難している。これは、その採点が4×3=3×4という交換法則を否定している、と勘違いしているためである。

これは、既約分数になっていないからバツにしているのに、21/30=7/10を否定しているのと誤解しているのと、同じ状況である。小数の筆算で、答えとして出てきた.0のゼロは、斜線を引く、という指示に反しているからバツにしているのに、9.0≠9だと言っている、と誤解するのと、同じ状況である。

特定の形で答えを出すことを求められる範囲や時期は、広く長いことも、そうでないこともある。分数の答えを既約分数のかたちにすることを求められるのは、中学くらいまでであろうか。大学入試だと、問題冊子に「既約分数で表すこと」とわざわざ書いてあることを考えると、高校では既約分数にすることが求められ【ない】こともあると見られる。

小数の筆算の結果で、小数点以下にゼロしかないときは、そのゼロに斜線\を引くというルールが通用するのは、小学校の中学年までであろう。このルールは有効数字の考えと相いれないので、遅くとも、中1で有効数字を習うときまでには、廃止されていないといけない。

文章題などで〈かけ算の順序〉を守るように求められるのは、小学校であり、中学以降はない。小学校であっても、高学年では、教師の判断で、求められないことがある。〈かけ算の順序〉は教え方なので、教える対象によって、教え方を変えるのは普通である。自由派の教師に当たれば、低学年・中学年でも順序通りは求められないであろう。


(Twitter @flute23432 2022/03/06 04:45PM などに基づく)

2022年3月23日水曜日

疑似〈かけ算の順序〉問題

 〈かけ算の順序〉の問題は、それと似た別の問題と誤解され、混同されることが、ときどきあって、その代表的なものが、次の3つ。

1)文章題の問題文に現れる順にかけ算の式を書くように指導する教え方

2)加減に対して乗除を優先するなどの、計算の優先順位の問題

3)3つ以上の因数からなるかけ算の式において、どの乗号から実行するかの順序


1)日本の学校算数教育では、小1から小2にかけて、児童は、文章に現れる順に式を立てるように、指導される。ひき算の文章題も、ほとんどが、文章のなかで、引かれる数が先に現れる。

はじめて数学的な演算を習う児童が、容易に式を立てられるように、文章が式の順になっているのである。児童は理解が挿絵にも依存している度合いが高いので、挿絵も、式の左右に対応するように描かれている。これは、あくまで、初学者向けの教育的配慮である。

だが、一般的にいえば、文章題には、立てる式の順に数が出てくるはずもないから、いつまでも「現れる順に式を立てればよい」という、小1向けの配慮を続けるわけにはいかない。

そこで、小2の後半くらいから、文章中に現れる順では式を立てられないケースがぼちぼちと出てくる。その代表が〈かけ算の順序〉である。今度は、文に現れる順ではなく、〈1つ分×いくつ分〉の順に、つまり、意味の順に、書くように指導される。

この指導に従うには、数の意味(どちらが1つ分の数?)や文章が表す数的構造(かけ算なら同数グループ構造)を把握できていないといけない。児童は文章解析力がないので、これは大きな挑戦となる。

〈かけ算の順序〉論争において、保護者などによってアップされ議論の対象となるのは、バツになった採点済み答案である。これを見れば、1)「〈かけ算の順序〉とは文章に現れる順序だ」が誤解であることは明白。

その答案の文章題の多くは、文章中に現れる順序でいくつ分の数が先に現れる、逆順文章題である。現れる順に書いた式はバツとなる。もし、1)〈かけ算の順序〉指導が、文章中に現れる順に式を書くことを求める指導のことであれば、マルになるはず。


2)〈かけ算の順序〉は、異なる種類の演算子が混じる式で、どこから(どの演算子から)計算するのか、という計算順序のことだと、誤認されることもある。

小4で習うように、乗除加減の演算が混在する式では、原則は、左(前)から順に計算していくが、右(後)のほうを最初に計算させたいときは、丸括弧内に入れる。括弧が重なっているときは、より内側の括弧内が優先的に計算される。

ただし、括弧が3重4重になるとわかりずらいので、加減と乗除のあいだに、乗除優先の優先順位を設けてある。このルールで括弧を少なくできる。3+(4×5)→3+4×5。

〈かけ算の順序〉は、乗号とその前後の数について、一つ分の数(被乗数)を乗号の前に書くのか後に書くのか、という問題である。4×3のように、演算子が1つしかない単純な式では、〈かけ算の順序〉問題は生じるが、2)の計算順位の問題は生じない。

また、計算問題では、計算順序の問題は生ずるが、〈かけ算の順序〉問題は生じない。〈かけ算の順序〉は意味の順だか、計算問題では意味は重要でないから。〈かけ算の順序〉は、文章題のように意味が重要なところで、問題となる。

だから、〈かけ算の順序〉の話は、2)同じ式のなかの異なる演算どうしのあいだの順序の話とは別である。


3)5×2×3のように、因数が3つ以上の、かけ算だけの式でも、どこから計算するか、どの乗号から遂行するのか、という問題が、起きうる。2)は、異なる種類の演算子のあいだでの計算順序だが、3)は、同じかけ算どうしの順序である。

ただし、2)と違い、かけ算だけの式はどこから計算しても同じ、つまり、結合法則が成り立つので、結果が異なるおそれはない。

(5×2)×3=5×(2×3)

4×3のような、乗号1つの単純な式では、2)と同様に、〈かけ算の順序〉問題は起きうるが、3)どの乗号から実行するのか、という問題は、存在しない。どの乗号から実行するのかが問題となり得るためには、式に乗号が複数なければならない。〈かけ算の順序〉は結合法則よりは、交換法則に関わる。

計算問題では、2)と同様に、意味は重要ではないので、〈かけ算の順序〉問題は起きない。でも、3)計算順位の問題は、起きうる。ただし、2)と違い、結果に影響を与えないので、問題は深刻ではない。

では、5×2×3のように、因数が3つ以上あるとき、〈かけ算の順序〉問題は生じないかというと、そういうことではない。5個入りキャンディーの袋が2つ入った箱が3つある。まず、各箱のキャンディーの数を求める式は、5(1つ分)×2=10。

各箱に10個入っていて、その箱が3つあるので、キャンディーの総数を求める式は、10×3。この2つの式をまとめれば、(5×2)×3である。5×2では5が1つ分、(5×2)×3では、()内が1つ分である。

こうも考えることが可能。袋の総数を求める式は、各箱に2袋、箱の数が3つなので、2×3=6である。各袋に5つ入っていて、その袋の総数は6なので、5(1つ分)×6=30。この2つの式を1つにすると、5×(2×3)。この式では、5が1つ分の数で、(2×3)がいくつ分である。


(Twitter @flute23432 2022/03/19 00:44PM, 01:00PM などに基づく)

2022年2月14日月曜日

船長症候群と〈かけ算の順序〉

 A)事象

1)船長症候群――解答不可能な文章題に解答してしまう児童たち

「船にヒツジが26匹、ヤギが10匹積まれています。船長は何歳?」

と尋ねられると、低学年の児童は、かなりの子が、36歳だと答えてしまう。船に積まれているヒツジとヤギの数が与えられても、そこから船長の年齢はわからないはずなのに、児童は、ヒツジとヤギの数を足して、船長の年齢を、答えてしまう。大人は、子どもたちが、解答できない問題に平然と答えてしまうことにショックを受ける。この年齢の子どもたちに見られるこの傾向は、船長症候群(Kapitänssyndrom)と呼ばれる。

この「船長の年齢」の問題(Kapitänsaufgabe)の原型は、『ボヴァリー夫人』で知られるフランスの小説家G・フロベール(Gustave Flaubert)が、1841年に、つまり、19歳のとき、3歳年下の妹カロリーヌ(Caroline)に宛てた手紙に見られる(注1)。「お前は幾何学と三角法を勉強しているので、問題を出してやろう」と言って、フロベールは、ボストンから木綿を積んでルアーブルに向かう船の、船員・乗客の数やら船の重さや風の向きなど、さまざまな情報を条件として並べ立てたあと、最後に「船長の年齢は?」と尋ねている。妹がどう反応したかは知らないが、冗談だと思って気にも留めなかったのではないか。

1980年代初頭に、グルノーブルの数学教育研究所が、この船長の問題を「船にヒツジが26匹、ヤギが10匹積まれています。船長は何歳でしょう?」と短くして、小2と小3の子どもに出したところ、97人中76人が、ヒツジの数とヤギの数を足して、36歳だと答えたという。

今度は、ドルトムント工科大学の研究者が1990年代に、「27歳の羊飼いが、25匹のヒツジと10匹のヤギを飼っています。羊飼いは何歳?」という、さらにみがきをかけた意地悪問題を子どもたちにぶつけたところ、正解は27歳であることは明白なのに、子どもたちは27+25+10と問題文中の3つの数を足して62歳だとか、あるいは、27+25-10と計算して、42歳と答えた、という(注2)。

ところで、日本の2021年度の全国学力テストで、全国の小6児童の20.0%が、辺の長さが3cmと4cmと5cmと与えられた直角三角形の面積を求める問題を、3×4×5ないしは3×4×5÷2という式を立てて解こうとした。解けない文章題ではなく、解ける求積問題だが、5cmという、答えを求めるのに必要がないダミーの情報を算入してしまっている。三角形の面積がなぜ〈底辺×高さ÷2〉で求められるかということの理解がまるで欠けているというだけではない。公式に従って立式しようとしていたなら、3つの数を掛け合わせていることに疑問をもつはずで、公式でさえ満足に覚えていないのではないか、と思わせる誤解答である。

答えを求めるのに必要がない数も含めた、与えられた数をすべて使おうとする点で、船長の年齢の問題と共通性する。そう式を書いた児童は、足せるのかどうか、なぜ足すのか、という基本的なことがわからないまま、文章題に含まれる数字を、足している。


2)それが式となるような文章題の作問

算数では、その式が式になるお話し、ないしは問題(文章題)を作るように、求められることがある。文章題から式を立てるのではなく、式から文章題を作るのである。ひき算の式が与えられているときは、ひき算の演算構造を含んだ文章題を作らなければならない。これは低学年児童にはかなり難しい課題である。だから、作問の材料として絵が描かれていたり、穴埋めになっていたりすることも多い。



佐伯(他)『すぐれた授業とは何か』(1989年)によると、横浜市内の3~6年生に、式が4×8=32となるような文章題を作る課題を出したところ、意味のある文章題が作れたのは、3年で44%、6年で48%だった(注3)。6年でも、半分くらいしか作れないのである。

そこで今度は、佐伯らは、児童がその際に作った、解くことができないはずのナンセンスな問題を別のクラス(5年)でやらせてみた。

問X「4個のボールと8個のボールがあります。これをかけると何個になりますか」
問Z「4個入りのガムを8個買いました。全部で何円でしょう」

問Xについて、解けないと答えた人はゼロ、97%は「4×8=32 32個」と【平然と】答えた。どんな場合にかけ算が使えるのか、ということを、ほとんどの児童がわかっていない、ということである。問Zについては、解けないと指摘したのは16%、78%は4×8で答えを出している。船長の年齢の問題と同様に、解けない問題を【平然と】解いてしまっている。

イギリスでも同様の調査が行われた。9~11歳の子どもたちが、9×3と一致するストーリーを作るように言われて作ったストーリーは、そのほとんどがかけ算の文章題として通用するものではなかったが(注4)、それの例を見ると、さらにハチャメチャである。

「A 9君と3君が店の中に立っていて、もし、9君が「乗号があれば私たちは楽しいだろう」と言いました。3君は「そうだね」と言い、乗号をあいだに入れて、歩いた。」
「D その男の子はペンを9本もっています。先生が彼に、9×3は何になるかを尋ねました。彼は27になると答え、教師は「正解です」と答えた。」
「E 学校に1人の男の子がいました。彼はいくつかの計算問題を宿題として課されましたが、彼が5の答えを得られたとき、彼はその計算問題ができませんでした。計算問題は9×3だったのです。」

ここからわかることは、子どもたちは、かけ算の文章題には、同数グループ(equal groups)のような、かけ算が適用できる固有な数的構造をまるで読み取れていない、ということである。かけ算の文章題を作るには、そのような数的構造を用意してやらないといけない、ということをまったく理解していない。


3)ありそうな答えになる演算

児童たちは、文章題の文章から、数的構造を抽出して、その構造に適用できる演算をつかって計算しているのではない。ひき算の単元を学習中ならひき算を適用し、かけ算の単元を学習中なら、かけ算を適用する。学習中の単元の手がかりがないときは、児童は、足したり引いたりして、ありそうな数になる演算を選ぶ。「船にヒツジが26匹、ヤギが10匹積まれています。船長は何歳?」という船長の年齢の問題なら、26-10=16歳(ひき算)は若すぎ、26×10=210歳(かけ算)は人間ではない、26÷10(わり算)は割り切れない。26+10=36歳(足し算)はありそうだ。だから、足し算するのが正解だ、というわけである。

吉田甫によると、割合を公式で教える授業を4週間かけて行い、児童に割合の文章題(割合3用法)がどう問題を解くかを見たところ、授業で教わったように公式を当てはめて解いたのは、7%にすぎなかった(注5)。

著者が提案する「前もって答えを見積もる」方略は、授業では教えなかったが、それを使った者も7%いた。しかし、ここで注目したいのは、掛けたり割ったりして、ありそうな数値になったのを選ぶ、割ったら割り切れた(整除できた)のでわり算を選ぶ、とした者が、合わせて51%もいたこと。

授業は熱心に行われたというが、「与えられているのが比較量と割合だから、求められるべきは基準量だ」という理由で、基準量を求める公式〈基準量=比較量÷割合〉に従い、比較量を割合で割って答えを求めた児童はほとんどいかなった。a:b=c:1のような比の関係を表す数直線図などを描いて、そこから適切な演算を導出したりした児童も、ほとんどいなかった。多くの児童は、公式を使うより以前のレベルに留まっている。

アメリカの教育学者が、船長の年齢の問題を小5のわが子に出してみたところ、迷わず36と答えた、という。その子は、「こういう問題のときは、数字を足すか引くか掛けるんだよ。この問題の場合、足すと一番うまくいく」と解説して見せた、という(注6)。何算で解くのかの手がかりが文脈に与えられていないとき、文章題の演算構造を読み取ることができずに、掛けたり引いたりして、ありそうな答えが出る演算を選ぶ児童が少なくない。この点は、日本もアメリカも同じようである。


B)考察

与えられたかけ算の式が立式となる問題を作ることを求められて、児童たちの多くが、そもそもかけ算でも、また、他の演算でも解けないような文章題を作り、さらには、そのように作られた、解けない問題を平然と解いたりしてしまう。

このように児童たちが多数いるのは、教え方が悪いせいであろうか。算数で使われる文章題がステレオタイプ化し、日常生活への関連性が失われているためであろうか。この問題について『シュピーゲル』に記事を書いた記者は、教師教育を充実すれば事態は改善する、と考えていた(注7)。たしかに、日常生活でその演算をどう活用できるかという点を重視して算数を教え、文章題の演算構造や数の意味に注意するようにしむける教え方をすれば、この点は改善するであろう。

文章題は、多くの設問形式のうちの1つにすぎないものではなく、数学と現実を橋渡しするもの。買い物の文章題は実際に買い物のための予行演習である。四則演算の学習に際して、演算を単なる計算としてしか教えず、文章題を章末に行う応用問題としてしか考えていなかったり、文字でふやかされた計算問題としてしか見なさなかったりすれば、たしかに、児童たちは文章題ができなくなり、文章題を読み解く訓練がおろそかになって、船長症候群は顕著になるであろう。

しかし、船長症候群は単なる教え方の問題ではないと思われる。それは、とくに低学年の児童に、普遍的に見られる傾向でもあるのだ。M・シュネーベルガーによると、解けない問題を「解い」てしまうこの傾向は、フランスだけでなく、他の国々の同年齢の子どもたちにも見られることが、研究者たちによって確認されている、という(注8)。

国によって教え方はさまさまであるが、多くの国で、同じことが確認されているということは、この現象は教え方に依存しない部分、児童の思考の発達による部分がある、ということであろう。数の意味や文章に表された数的関係に対するこのような無理解と無頓着さは、学年が上がって子どもたちが大きくなり思考を深め、意味や構造を理解する力を獲得し、また、世の中のことが少しずつ分かってくると、克服されるのではないか。ヒツジとヤギの数を足しても、船長の年齢にはならない、ということが、わかってくるのではないか。

そのレベルに達する前の、小2小3くらいの年齢の子どもたちは、文章を解析し意味・構造を把握する力がおそろしくなく、足し算の単元を学習中だという皮相な理由で、文章中に現れる2つの数を、その数の意味合いを把握しないまま、足して答えを出そうとする。かけ算の単元なら、文章中の2つの数を取り出して、両者を暗記した九九を使って掛け合わせて、答えを出している。単元の情報がないと、掛けたり引いたりして、ありそうな答えになる演算を選ぶ。

かけ算が適用できる数的関係(演算構造)のうち、かけ算の導入に使われるのは、同数グループである。もちろん、かけ算が適用できる数的関係は、同数グループに限られない。たとえば、「男の子4人と女の子3人の、考えられるペアは全部で何通り?」のような、別の数的構造をもつ文章題にも、かけ算は適用できる。しかし、これは低学年生には難しすぎる。同数グループは、かけ算の導入にふさわしい。小学校算数では、同数グループでかけ算を導入し、そしてそれを、基準量の倍(整数倍とは限らない)へと発展させる。

かけ算は、算数では、1つ分の数といくつ分から、全部の数を求める演算として習う。1つ分とは、同数グループがあったときの、各グループの構成員数のことで、いくつ分とはグループの数のことである。かけ算の式は、〈1つ分×いくつ分=全部の数〉である。理想的には、「1)同じ数ずつのグループがいくつかあって、かつ、2)全部の数が問われているので、かけ算が使えるのだ」と理解したうえで、かけ算を選ぶべきである。その文章題がかけ算が適用できることを理解したうえで、かけ算の式を立て、その式で示された計算を遂行すべきである。

啓林館の算数教科書は、児童が文章題から演算構造を読み取れるようになるように、とくに力を入れているようで、「どんな計算になるのかな」のような単元が随所に見られる。単に特徴的な言語的表現に注目させるのではなく、それによって意味されている構造に注意を向けさせている。「違い」というひき算言葉があるからひき算を使うのではなく、「違いを求めるから」ひき算を用いるのである。

足し算(増加)「はるなさんたちは、6にんであそんでいました。そこへともだちが7にんきました。みんなでなんにんになりましたか。……6+7になるわけは、はじめに6にんいて、あとから7にんやってきて、ふえるからです。」(1 p.116 2016年度)
かけ算(同数グループ)「1はこ6こ入りのあめが4はこあります。あめはぜんぶで何こありますか。…6×4のしきになるわけは、1つ分の数は6で、その4つ分だからです。」(2下 p.80)
かけ算(基準量の倍)「かるたあそびをしています。たいきさんは5まいとりました。みさきさんはたいきさんの3倍とりました。みさきさんは何まいとりましたか。……4×3になるわけは、4まいの3ばいだからです。」(2下 p.81)

すでに述べたように、児童は文章題を、数の意味や演算構造を理解しないまま、文章中の2つの数を取り出して、今はかけ算を学習中なので掛けるのだろうと思って、ともかくも掛けて、答えを出そうとする傾向がある。かけ算の文章題の場合は、それでも答えは出てしまう。順序を問わなければ式も正しい、ということになる。わり算の文章題なら、割られる数と割る数を逆に書いてしまい、答えが違ってしまうおそれがあるが、かけ算の文章題の場合は、それさえない。

そこで、小学校の教師は、かけ算の文章題の式を、授業のときから、〈1つ分の数×いくつ分〉の順に書くように、児童に言っておくである。かけ算の式は、〈1つ分×いくつ分=全部の数〉という言葉の式に合わせて書くように、普段から、指導しておく。同数グループ構造を読み取れていない児童は、一つ分の数といくつ分がそれぞれ何なのかきかれても、答えられないはずで、当然、〈1つ分×いくつ分〉の順に書くという指示に従うことができない。どちらの数が1つ分で、他のどちらがいくつ分なのかを把握できない児童は、その指示に従って式を立てられない。指示された順序で書くためには、同数グループ構造の1つ分の数といくつ分とを識別できるようにならなければならない。



注1 Gustave Flaubert, Copprespondance, première Série (1830-1950), Paris, Charpentier, 1887; p. 36.

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6533968v/f97.image.r=Flaubert%20correspondance

注2 Holger Dambeck, "Schulmathematik absurd: 26 Schafe + 10 Ziegen = 36 Jahre", in: Spiegel, 17.01.2012, 11.09 Uhr
http://spiegel.de/schulspiegel/wissen/schulmathematik-absurd-26-schafe-10-ziegen-36-jahre-a-806981.html

"Kapitänsaufgaben" (Universität Regensburg, Didaktik der Mathematik, Wintersemester 2014/15, 51753 Sachbezogene Mathematik (FGSem) Monika Pfaller Lisa Hacker, Marcella Specht, Anna-Lena Brückner 27.11.2014)

注3 佐伯胖・大村彰道・藤岡信勝・汐見稔幸著『すぐれた授業とは何か』(東京大学出版会 1989年)pp.52-53。この文献はツイッターで、モナ氏から紹介があった。

注4 Dereck Haylock & Anne Cockburn, Understanding Mathematics in the Lower Primary Years: A Guide for Teachers of Children 3-8, 2nd ed., London, Paul Chapman, 2003; pp. 65-66.

「C こどもたちが9人で、1つの作文を書いています。そこに、3人の子どもが加わりました。全部で、子どもたちは27人になりました。」

これは足し算の文章題になってしまっている例である。ツイッターでの事例だが、やはり足し算で作ってしまっている例があった。学習塾で教えるita_math氏が、子どもたちに、4×5=20の式になるような問題を作るように言うと、「まりちゃんはおはじきを4こもっています。えりちゃんは5こもっています。ぜんぶでなんこですか。」のような問題を作ってしまったという(Twitter, @ita_math, 2018/08/28 10:26PM)。

注5 吉田甫『学力低下をどう個服するか――子どもの目線から考える』(新曜社 2003年) pp.121-122

注6 森田真生「読み、書き、数学」(プロムナード)『日本経済新聞(電子版)』2017/11/9 14:00

Lieven Verschaffel, Brian Greer, & Drik De Corte, Making Sense of Word Problems, (Contexts of Learing), Lisse, Swets & Zeitlinger, 2000.

注7 H. Dambeck, "Schulmathematik absurd", in: Spiegel, 17.01.2012 11.09

注8 Martin Schneeberger, Verstehen und Lösen von mathematischen Textaufgaben im Dialog, Münster, Waxmann, 2009; S. 132.


(Twitter flute23432 2016/06/27 09:26PM, 2016/06/28 09:30AM, 2016/06/29 11:51PM, 2017/11/12 01:02AM, 2022/01/04 09:48PMなどに基づく。)

2021年2月14日日曜日

〈かけ算の順序〉は、割り算や割合の学習にどう有益なのか?

〈かけ算の順序〉をめぐる論争で、順序指導の意義を問われた小学校の教師が、かけ算の順序を守らないとわり算で躓く、割られる数と割る数を逆に書いてしまう、といった答え方をすることがある。実際、小学校算数の学習課程において、かけ算の学習とわり算の学習とは、どう関係するのであろうか。〈かけ算の順序〉はわり算や割合の理解に有益なのか?

小学生は2年で、同数グループが複数あるとき、各グループの構成員数(一つ分)とグループの数(いくつ分)から、全部の数を求める演算として、かけ算を習う。「3つの袋のどれにも4個入っているとき、キャンディは全部で何個?」という文章題では、1つ分は各袋に入るキャンディの個数4であり、いくつ分は袋の数3で、求めるべき全部の個数は12である。


この定義では、1つ分といくつ分とでは意味・機能が違う。どちらもものの個数であるが、一方はキャンディの個数、他方は袋の個数で、しかも、キャンディと袋はまったく別のものではなく、袋にはキャンディが入っている。だから、両者をそれぞれ正しく把握できているかが、学習のポイントの1つとなる。そこで、両者の意味の違いがいつも児童に明瞭になるように、〈1つ分×いくつ分〉で順序を固定して、かけ算の式を書く。キャンディの例では、4×3である。

4(1つ分)×3(いくつ分)=12(全部の数)

これが、かけ算の順序だ。

順序はかけ算の性質として主張されているものではなく、教育上のルールとして設定されたもの。ナイフとフォークは機能が別なので、トレーの別の仕切りに入れて収納するのと同じで、整理の仕方を示している。

教科書や板書で、その順に書くだけでない。日本の学校算数では、児童が文章題で立てる式にも、その順に書くことが求められる(立式【後】の計算には、求められない)。

式の書式と順序の固定は、あきらかに初学者向けのものであり、次のような空欄がある式を埋めて式を完成させる、ということと同じ。塗り絵に似ているが、こんなものでも、1つ分といくつ分が把握できていない児童は、正しく式を完成させることができない。

□(1つ分)×□(いくつ分)=□(全部の数)

このような、順序を固定したかけ算の学習が、割り算や割合の学習に役に立つとすれば、2つの点においである。


第1に、これは間接的な効果であるが、文章題の文章に出てくる数の意味に、意識的になることである。

というのも、低学年児童は、〈船長の年齢〉の問題に見られるように、文章の解析力が不十分で、意味もわからないまま、文章中の数字を引いたり掛けたりしようとするからである。〈船長の年齢〉の問題というのは、「船にヒツジが26匹、ヤギが10匹積まれています。船長は何歳でしょう?」と低学年の児童に訊くと、かなりの子が、36歳だと答えてしまう現象である。

わり算では、かけ算と違い、〈わられる数〉と〈わる数〉を取り違えると、答えが違ってきてしまうので、数字の意味を正しく把握することは、かけ算以上に重要である。ただし、整数しか使わない文章題では、より大きな数を除算記号の前に配置すればよいので、問題は小さい。

高学年で学ぶ割合の問題は、掛けることも割ることもあり、使われている数も小数や分数である。大きい方の数を小さい数で割る、掛ければ大きく割れば小さくなる、といったことは、もはやヒントにならない。どれが基準量で、どれが比較量なのかなど、文章題の文章をよく読んで、数の意味や数と数との関係をしっかり把握することが、一層重要となる。

かけ算の順序を守れば、割合の問題が簡単に解けるようになる、というほど事態は単純なはずはないが、少なくとも、それはそのための準備体操となる。


第2に、学校算数では、割り算がかけ算と緊密な関係に置かれている。割り算は、かけ算との関係では、全部の数と1つ分、またはいくつ分、とがわかっているきに、わかっていないもう1つの数を求める演算だから。

全部の数といくつ分がわかっているとき、1つ分を求める割り算は等分除、全部の数と1つ分がわかっているときに、いくつ分を求める割り算は包含除と呼ばれる。12個のリンゴを3人で分けたとき1人分のリンゴ個数を求めるのが等分除。これは、かけ算の式では、乗号の前の空欄(1つ分)に入れる数を求める割り算である。

□(1つ分)×3(いくつ分)=12(全部の数)

これに対して、12個のリンゴを3個ずつ分けるのとき何人に分けられるかが包含除。これは、かけ算の式では、乗号の後の数(いくつ分)を求める割り算である。

3(1つ分)×□(いくつ分)=12(全部の数)

ここでは、かけ算学習における順序と、等分除的状況と包含除的状況による割り算の導入とが、緊密に対応させられている。教科書におけるわり算の説明は、かけ算の説明に合わされ、順序を含んだかけ算の説明を活用している。

かけ算とわり算の導入がこのような形でなされているかぎりでは、〈かけ算の順序〉がわからないと、割り算がわからない、ということが起きるであろう。正確に言えば、割り算そのものではなく、順序指導を前提とした割り算の授業がわからなくなる。


かけ算を学習する段階から、順序を排除することは、可能と言えば可能であろう。アレイ図(グループを作らないアレイ図)を使えばよいのである。

まず、かけ算を、長方形状のアレイ図(rectangular array)で、縦の個数と横の個数から、コマの総数を求める演算として導入する。縦と横の違いが依然としてあるのではないかと言われるかもしれないが、長方形と同じで、アレイ図も90度回転すれば、縦と横は入れ替わるので、縦と横の違いは重要ではない。

そして、割り算は、アレイ図のコマ総数と、縦ないし横の個数がわかっているときに、わかっていないもう1つの辺の個数を求める演算である。このような説明の仕方では、同数グループという数的関係を使わないので、1つ分もいくつぶんも出てこないし、1つ分を求める等分除も、いくつ分を求める包含除も現れない。

両者は、コマの総個数を構成する2つの因数として対等であり、したがって、乗号の前後は対称的なものになる。かけ算はいまや〈1つ分×いくつ分〉ではなく、〈因数×因数〉の掛け算である。


ただ、このようにしか学ばなかった児童は、碁盤目だとか下駄箱だとか、アレイ状に配列されているものであれば、かけ算やわり算が適用できることがわかるが、他の配列のときに、何算で問題が解けるのかがわからない。アレイ図だけによる導入は、狭すぎるのである。

小学生が馴染みの状況で、かけ算やわり算が適用できる場面としては、たとえば、水が260mL入りボトルが7本のとき、水が全部で何Lかを求めるとか(かけ算)、水が1.82Lを容量260mLのボトルに分けて入れるときに必要なボトルの本数を求めるとか(包含除)、が考えられる。これらには、アレイ状の配列はないので、260mLを1mLごとに分割するなどして、複数の同量物の配置をアレイ的配列へと変換できなければ、かけ算やわり算が使えないことになる。

(Twitter flute23432 2021/01/10 11:09PM に基づく。)

かけ算の2つの交換法則とわり算

Ⅰ.わり算との対比において

わり算の式は

割られる数÷割る数=答え(商)

のように、通常、割られる数(被除数)を除算記号÷の前に、割る数(除数)を後に置く。

しかし、演算記号との関係で被除数と除数をどの位置に書くか、という問題は、規約・取り決めの問題であって、そこに数学的な必然性があるわけではない。ポーランド記号法のように、演算記号を数字の前に置くスタイルもある。

19世紀のドイツの計算学者ディースターベーク(F.Q.W. Diesterweg)は、ドイツを含めた今日の標準の割り算の順序とは逆の、〈除数:被除数=商〉というスタイルを提案している。今日のドイツであったら6:2と書くところを、左右逆に、2:6と書いているのである(画像参照 注1)。


2:6は2in6と読ませている。inという前置詞を用いていることに注目すると、この割り算は、6のなかに2がいくつあるか(包含除)、を意味する。それは、6÷2を意味している。ちなみに、除算記号は、ドイツでは、今日でも、コロン:を用いる。

ところで、わり算は、かけ算と違い、不可換で、被除数と除数を交換したら、商が違ってきてしまう。6÷2と2÷6では、商が違う。

6(被除数)÷2(除数)=3
 ↓
2(被除数)÷6(除数)=1/3

ここで、注意しなければならないのは、被除数と乗数の位置は変わっていない、ということである。もし、数字だけでなく、被除数と乗数の位置を交換して、つまり、単位もろとも交換して、ディースターベックのスタイルに従ったとすると、

6(被除数)÷2(除数)=3
 ↓
2(除数)÷6(被除数)=3

と、今度は、商に変化は起こらない。スタイル・書式が変更されただけで、計算は同じである。これでは、割り算の非可換性を示したことにならない。

だから、「割り算では被除数と除数を交換すると計算結果に影響が受ける」と言うとき、被除数と除数の位置を交換する、ということではなく、被除数前・除数後の順序は変えずに、数字だけを交換することを意味する。

割り算は、このように非可換だが、これに対して、かけ算は可換なので、小2ですでに学ぶように、被乗数(かけられる数)と乗数(掛ける数)を交換しても答えは同じである。

交換法則

だが、この場合も割り算と似て、交換は、被乗数と乗数の位置を交換する、ということではなく、〈被乗数×乗数〉の位置を保持しながら、数字だけを交換することを意味する。ただし、割り算と違う点は、掛け算は可換なので、どちらの交換法則でも、答え(積)は同じということである。

つまり、交換法則とは、

3(被乗数)×4(乗数)=12
4(被乗数)×3(乗数)=12
(解釈的交換法則)

ということであり、

3(被乗数)×4(乗数)=12
4(乗数)×3(被乗数)=12
(位置的交換法則)

のことではない。

私は前者を解釈的交換法則、後者を位置的交換法則と呼んでいる。後者の位置的交換法則では、3個からなるまとまりを4つ(3+3+3+3)、という意味は変わらず、ただ、被乗数を乗号の前に置く日本の算数教育で採用されているスタイルを、アメリカやブラジルなどで見られる、後におくスタイルに変えただけである。

「被乗数(かけられる数)と乗数(掛ける数)を交換して計算しても」という、算数教科書の交換法則の表現は、誤解されやすく、交換法則を位置的に理解している者も多い。〈かけ算の順序〉について著書がある高橋誠氏も、かつてはそうであったという。しかし、よく読んでみると、通常、交換法則として提示されているのは、前者である。

高橋誠氏は、世の中では〈数量×単価〉の順も使われているのだから、交換法則として、解釈的交換法則に加えて、位置的交換法則も教科書に一緒に言及されるべきだと主張している。だが、この交換法則は、スタイル、書式の変更にすぎず、交換法則として取り上げるだけの価値はないように思われる。

もし、取り上げるとしても、文化コラムのように、補足的にということにとどまるであろう。同じ筆算でも国によって数字を書く位置が違うことを紹介したコラムがあるが、あれに類するものとして。


Ⅱ.教科書等における交換法則

その高橋氏は、ツイッターで、教科書等で説明されている交換法則を位置的に理解する台風氏に対して、それはあくまで解釈的である、と反論している。台風氏によると、交換法則が解釈的であれば、つねに同時に位置的でもある、という。

「教科書の交換法則は、【甲】(かけられる数3×かける数4)=(かけられる数4×かける数3)なのです。【乙】(かけられる数3×かける数4)=(かける数4×かけられる数3)ではないのです。」(Twitter 高橋誠氏 2021/01/10 10:49PM)

「4行3列のアレイで【甲】が成り立つと
・長辺4は(かけられる数)かつ(かける数)
・短辺3は(かける数)かつ(かけられる数)
なので

(かけられる数4×かける数3)=(かける数4×かけられる数3)

より【乙】が成り立ちます。」(Twitter 台風氏 2021/01/11 09:46AM)

「それは教科書の読み間違いで、交換法則に対する誤解です。教科書は必ず「被乗数×乗数」の順です。と言いいつつ私自身40年以上、小学校で教わった交換法則を誤解していた口です。それで実生活には何の支障もない。なのに、算数教育は、明治時代に西洋から数学を教わったことに律義に従っている。」(Twitter 高橋誠氏 2021/01/11 03:58PM)

「『かけられる数とかける数を入れかえても、答えは同じ』
の記述から

(かけられる数3×かける数4)=(かける数4×かけられる数3)

と解釈するのは読み間違いだというのが理解できません。
普通に掛け算の交換法則の説明になっていますよ?」(Twitter 台風氏 2021/01/11 09:31PM)

「上の式は、
(かけられる数3×かける数4)
下の式は、
(かけられる数4×かける数3)

3と4を入れかえるが、かけられる数とかける数の順はそのまま。

上の式は、3+3+3+3
下の式は、4+4+4

交換法則は、3+3+3+3を3×4と書いても4×3と書いても良いということではない、のです。」(Twitter 高橋誠氏 2021/01/11 09:48PM)

この点は、高橋氏が正しいことは、上に書いた、割り算の非可換性との対比からも、わかる。教科書に立ち返ることによって、以下、このことを確認してみよう。算術や算数教科書に載っているかけ算の交換法則は、被乗数と乗数の位置を交換する位置的な交換法則ではなく、被乗数か乗数かの意味と単位を置き去りにして、数だけ入れ替える解釈的交換法則である。

小2の算数教科書は、交換法則を、九九表が完成したあとに正式に説明しているが、それに先立ち、九九の学習の途中から、その伏線を張っている。東京書籍算数教科書では四の段のところに、「4×3と答えが同じになる3の段の九九を見つけましょう」という設問がある。1つ前の三の段をふり返ると、答えが同じ12の九九が見つかる。それが3×4である。



3×4は、4×3の数字を逆にして作ったものというより、三の段に戻って発見するものである。学校で学ぶ九九では、いつも、nの段はnが1つ分(被乗数)である。三の段は3連プリンが1パックで3×1,2パックで3×2、3つで3×3、4つで3×4=12……、四の段は4個差しの串団子が1本で4×1=4本、2本で4×2=8本、3本で4×3=12本、というように。

3×4では3が1つ分、4×3では4が1つ分なのである。この2つの九九の句が比較されているのである。両者は、〈被乗数×乗数〉という順序を維持しながら、3と4の数値だけを交換しているのである。これは、解釈的な交換法則にほかならない。

4(被乗数)×3(乗数)【四の段】
=3(被乗数)×4(乗数)【三の段】

二の段から始まる九九のすべての段が終わると、今度は、完成した九九表にいくつかの規則性を探す。その規則性の1つが交換法則である。答え(積)が同じ句に注目して九九表を見ると、左上から右下に下る対角線を対称軸とした、対称性が見られることがわかる。これは、たとえば、九九表の7×8と8×7の答えが同じであることを意味する。乗号の前後の数が入れ替わった関係の句は、すべて、答えが同じなのである。

そして、九九では、すべて乗号の前の数が被乗数である。九九はどの句も、〈1つ分×いくつ分〉〈被乗数×乗数〉の順なので、そのあいだに見いだせる、答えの等しさを等号で表せば、次のようになる(x,yは9までの自然数)。

x(被乗数)×y(乗数)【xの段】
=y(被乗数)×x(乗数)【yの段】

この規則性は解釈的交換法則にほからない。

交換法則は、アレイ図で説明されていることもあるが、この説明でも、交換法則は解釈的である。東京書籍教科書の問4の脇に描かれているアレイ図では、◯4個から成る縦の列を、線で囲っているのは、1つ分が4個ということ。それが3列分あるので、式は〈1つ分×いくつ分〉、〈被乗数×乗数〉の図式に従えば、四の段の4×3である。


次に、3個から成る横列を線で囲む。そうすると、構成員数が3のグループが4つできる。1つ分は3個なので、3×4は三の段の九九である3(1つ分)×4を表している。ここでも、1つ分(被乗数)は乗号の前である。

今度の画像は、教育出版の教科書の、交換法則を説明した箇所である。縦2個横6個のアレイ図で、交換法則が説明されている。式2×6のアレイ図では、縦1列の2個の◯が線で囲まれている。これが1つ分である。6×2の式では、同じアレイ図が、横1列を構成する6個の◯が線で囲まれている。6が1つ分なのである。アレイ図でも、乗号の前後の数が入れ替わった関係にある、答えが等しい2つの式において、乗号の前が1つ分なのである。つまり、この交換法則は解釈的である。

アレイ図は、どのようにグループ(まとまり)を見るか、ということついて、このように2つの解釈が可能である。算数は、この2つの解釈の共存にとどまり、同じ2(または6)が、1つ分にもいくつ分にもなる、という理由で、1つ分/いくつ分、被乗数/乗数の区別そのものを無意味として解消してしまうところまでは、つまり、〈因数×因数〉のかけ算にまでは、進まない。


注1
Adolph Diesterweg & Johann P. Heuser, Praktisches Rechenbuch für Elementar- und höhere Bürger-Schulen. 1. Übungsbuch, Elberfeld, Büchler, 12. Auflage, 1839; S. 26


(Twitter flute23432 2021/01/12 10:52AM, 11:24PMに基づく。)

2020年8月26日水曜日

フランスの掛け順論争

ここでは、J・ボロン「3かける2と2かける3は同じなのか ― 誤解の歴史」(1994年)の論文を、批評を加えつつ、紹介することとしたい。

Jeanne Bolon, "Deux fois trois et trois fois deux sont-tils égaux?", in: Grand N (Institut de recherche sur l'enseignement des mathématiques de Grenoble), 54, 1994, 21-25.

この論文で、ボロンは日本には言及していないが、日本で行われているのと内容的にかなり重複する掛け順論争が、フランスでも起きていることを示している。たしかに、量の理論とか助数詞とか、「逆順で式バツ」だとかいった、日本固有の問題もある。だが、それは論争が、元をたどれば、かけ算というものの固有な性格に行き着くのではないか、ということを示唆する。


1.3×2と2×3のどちらなのか

ボロンは、教師たちの集まりなどで、「3かける2と2かける3は同じなのか」という議論をふっかける。「3かける2」は、2個のものの束が3つ(2が3回)、「2かける3」は3個のものの束が2つ(3が2回)だから、違うという意見が出る。

ボロンはそれに一応は同意する。だが、乗数と被乗数が逆で、2×3 (deux fois trois)は、3×2と書き、"trois multiplié par deux"と読ませている教師もいる。フランスでは、地域や教師によって、乗数と被乗数が逆に固定されている。

日本の算数教育では、基になる数量(一つ分)を先に倍数(いくつ分)を後に書く、という点で一貫しているが、フランスでは、かなりバラツキがある。外国の初等数学教育は、日本とかけ算の順序が逆だとは、単純に言えないのである。

2×3と3×2は、数として同じなので、区別するのは無意味だ、という反対意見が出る。数やその性質に関心をもつ数学者はそう主張する。どちらを信じたらよいのか。これを決める権威は誰か。

小学校では、式に単位を付けて、6F×3=18Fと書かせるという(Fはフラン)。物理学者は6F/kg×3kg = 18Fと書くであろう。この場合は順序は重要ではない。しかし、小学生は高学年まではまだ、分数を計算できない。

日本では、現在では、式に単位を付けない。付けるべきだという論者は多いが、問題点はフランスと同じで、単位の分数表記が、小学生には難しい。約分が既習でも、数ではなく単位の約分を理解させるには、中学で単項式のわり算を学んである必要があるのではないか。。

中学生になると、代数学の初歩を学ぶ。2xはxが2つ(2回)ということなので、回foisが前に来る。ボロンは、左に書くか右に書くかは慣習の問題にすぎないので、小中接続を考えて、回(乗数)を左に書くことを提案する。

すると、なぜ中学校のためにそんなことをしなくてはいけないのか、という声が挙がる。フランスにも、小中対立があるようだ。これに対して、ボロンは、小学校でも、数字の原理では、2034 = 2×1000 + 3×10 + 4×1と、回を前に表記しているではないか、と言う。

2千のことは、フランス語で"deux mille"と、2(deux)を最初に言う。黒元氏もどこかで言っていたように、乗数と被乗数の順序は、日本語とかフランス語とかいった言語に拠るというよりは、それをどう読む習慣があるか、ということに依存する。

ボロンは、代数学では2xはxが2つ(2回)となるので、乗数が左に来るという。そうも言えるが、中学では、内容的な区別よりも、「積では、数字を先に、文字は後でアルファベット順とする」という形式的な順序が支配的になる、とも言える。

私の理解では、代数学では、具体的な量を表す数字の代わりに、記号(文字)が使われ、式の言い換えが中心に来ることで、記号が何を表しているか、ということが副次的な問題になり、意味や現実とのつながりが希薄になる。

つまり、中等数学教育で数学の抽象性が一段と高まり、数学が現実から一層遊離する。すると、かけ算の因数が基準量なのか倍数なのかということが、基本的に、不明になるとともに重要性を失って、小学校で学んだかけ算の順序が効力を失う。


2.3×2と2×3は同じなのか

次にボロンが議論するのは、順序をどちらにするかではなく、3×2と2×3は同じかどうかである。数(nombre)としては同じだが、物語(histoire)としては異なる、とボロンは言う。数と物語の違いは、ベリー(Brett Berry)では、equalとequivalentの違いである(注1)。結果と過程の違い、数量的同一性と意味の相違との違い、と言ってもよい。

histoireは歴史だが、物語の意味もある。histoireはhistoryとstoryの2つの意味がある。物語と言えば、日本の算数では、お話し作りがとても重視される。

文章題からそれに対応する式を立てる練習とともに、式から文章題というお話しを作ることを、日本の児童はやらされる。ツイッターの「#掛算」タグでは、4×3が場面を表わすのか数を表すのか、ということが論争となった。

3×2と2×3の同一性を主張する者は、計算の結果を重視する。これに対して、非同一性を主張する者は、状況と式との不一致を主張する。かりに式としては同一だとしても、具体的な状況としては違っている。状況と式との不一致というのは、たぶん、状況が具体的で式が抽象的ということであろう。

ボロン自身は、式を立てる(方程式を立てる mise in équotion)、または、モデル化する(modélisation)という表現で、この2つの立場を仲介しようとする。

立式するとき状況は区別されるが、しかし、一度立ててしまえば、計算は数に中心に行われる。その結果は状況に応じて異なって解釈される。立式→数の計算→解釈。

日本の算数教育では、一つ分といくつ分の違いを意識して立式するが、立式後の計算は数の単なる処理と見なされ、答えでは単位・助数詞を付けて、ふたたび量として扱う。ボロンのこの考えは、これに近いように見える。

だが、同一性と非同一性を行き来すればよいという、このような、はぐらかすような提案では、ボロン自身認めるように、教育上の問題の解決にはならない。小学校では、児童は、立式と計算と結果の解釈を区別せずに、各ステップで、同時に行う。

小学校では、同じものの集まりがいくつも繰り返されているという状況は、子どもにとって意味があり、かけ算は同数累加で導入しやすい。同数物の反復が、かけ算のための最初の準拠状況なのである。

デカルト積や代数学的表現に結びついた、別の準拠状況もある。人形に着せる2つのチョッキと3つのスカートのコンビネーションがいくつあるかを考えるときのかけ算は、3×2と2×3のどちらが特権的ということはない。

3行4列の碁盤目の数を求めるとき、乗数(回 fois)といった概念は、意味がない。碁盤を回転させれば、行と列は容易に入れ替わる。

また、1m当たり3フランスの紐7,25mの価格を求めるときのように、乗数に小数を導入したとたんに、回数(fois)という表現は奇妙なものになってしまう。何回という表現は、教育上の障害となりかねない。

日本の初等数学教育は、かけ算を足し算から独立した演算、単なる同数累加以上の演算として扱うことで、この問題を解決した。つまり、乗数に単なる倍数ではなく、量的な意味(いくつ分)を加えることで、解決した。

ボロンによると、統計学者はかけ算の別の意味を用いる。Z村の住民5万人の3人に2人が朝カフェで過ごし、そのうちの4人に3人がカフェRを利用するという。カフェRを毎朝使う住民は何人?という問題では、樹形図が役立つ。

このように、ボロンによれば、かけ算は多様な状況に適用されるので、小学校で学ぶかけ算が他の状況にも拡張できる、と信じるのは幻想である。このことは賛成である。しかし、このことは、裏返せば、他のタイプのかけ算の基準を安易に、小学校で学ぶかけ算にこっそりと持ちこむべきではない、ということでもある。

かけ算の意味には、一つ分×いくつ分だけでなく、基準量×倍数、因数×因数もある。中学になると、因数分解や素因数分解で、乗号(×)の前後が対称的な直積タイプのかけ算を学ぶ。

takehikom氏訳のヴェルニョー(Vergnaud)からの次の引用を読んでいたので、私は、フランスでは、小学生のころから直積でかけ算を学ぶと思っていたが、違うのであろうか。「非常によく使われてきた」だけなのであろう。

「デカルト積は,(積の考え方として)非常にいいので,フランスではとにかく,小学校の第2~3学年でかけ算を導入する際に非常によく使われてきた.しかしこの方法で導入すると,多くの児童が,かけ算の理解に失敗している.」

ボロンによれば、フランスでは、かけ算の導入は、乗号(×)の前後が非対称的なかけ算によって行われる。だが、ボロンは、かけ算のすべての性質を一度に教えることは不可能だし無駄である、と言う。まず、3×2と2×3が異なる段階(小学)があり、相違が意味を失う段階(中学以降)がそれに続くのである。

一貫性のなかで両者を結びつける教育が必要だというのが、ボロンの結論であるが、では「一貫性のなかで両者を結びつける教育」とはどんなものであるべきかについては、具体的な提案はない。

かけ算の異なる意味を、同じ子どもが異なる段階で学ぶのであるから、それらの違いを尊重しつつ、同時に、小中高の接続がうまくいくような、概念や教え方を考えるべきなのである。これについては、賛成である。

定数氏ら自由派は、中学以降で学ぶかけ算の意味を絶対唯一のものと見なし、それによって、小学校で学ぶかけ算の意味を蹂躙しようとしている。これでは、かけ算の導入教育も小中接続も、うまくいかない。ボロンもこのような暴力的なやり方には反対するであろう。


注1

"Why Was 5 x 3 = 5 + 5 + 5 Marked Wrong?"

https://medium.com/i-math/why-5-x-3-5-5-5-was-marked-wrong-b34607a5b74c

(flute23432 2018/08/02 03:17PM, 08/05 03:01AMのツイートに基づく。)









2020年6月19日金曜日

戦後教科書におけるかけ算の定義

1.1950年代


1950年代、日本では、かけ算は、同数累加(repeated addition)の簡略算として定義されていた。この定義は国際的でかつ伝統的なもので、ユークリッドの原論にも見られるものである(注1)。

つまり、5+5+5+5+5+5+5と同じ数を5つ足すことを、繰り返される対象となった数(被乗数)と繰り返しの回数(乗数)の2つの数を用いて、簡潔に5×7と表記したのが、かけ算である。

つまり、この定義だと、かけ算はたし算(当時は寄せ算と言った)の特殊な場合にすぎない。この定義では、乗数が小数になったときに困難が生ずる。5を7回足す(寄せる)ことはできるが、7.5回足すことはできない。

また、この定義だと、乗法は加法のと特殊な場合のための特殊な表記法ということにすぎない、ということになってしまい、乗法に四則演算の1つとしての独立性を与えることができないうらみがある。

この定義はたし算を基礎としているので、たし算既習の小学生には、理解可能なはずであるが、定義自体は、式の表記上システムの話なので、小学生には、納得して理解してもらうことは難しかったかもしれない。というのも、小学生は、抽象的思考が未発達で、具体的な事物や動作からこそ物事を理解できるからである。

だが、この定義では、5+5+5+5+5+5+5という式の各項(5)の下に、5つのリンゴが載った皿を7つ描くことで、複数の同数グループの具体物に対応させ例示することが容易である。対応させることで、一つ分×いくつ分による現在の定義との違いはあまりなくなる。


小学生にとって形式的で理解しにくいという、この定義の問題点は、十分に例示すれば、解消可能である。


2.1960年代~1970年代



生活単元時代(1950年代)は同数累加で定義されていたかけ算は,次の系統学習時代(1960年代)に,倍で定義されるようになった。

この定義は、戦前の緑表紙教科書におけるかけ算の定義を踏襲するものである。系統学習の教科書は,実際、緑表紙教科書を手本としていたのだから、当然である。かけ算に入る前に,テープや図形を使って,倍を定義しておく手法も,緑表紙由来である。



続く現代化時代も,かけ算の定義については変化はなく,倍による定義であった。SMSGの教科書のように,アレイ図と直積で定義するような極端に走ることはなかった。

倍がどういうことかは,学校図書では,緑表紙と同様に,かけ算の章の少し前のところで,説明されている。テープを半分に切って,切る前の基の長さは,半分のテープの2つ分であり,これは2倍とも言うとある。つまり,倍は「いくつ分」から説明されている。



東京書籍は,かけ算の最初の章で,「2この3つぶんを,2この3ばいといいます」(2下 1970 p.63)と書かれていて,やはり,倍がいくつ分から説明されている。

しかし,いくつ分と倍は完全に同じではないであろう。上記オレンジ色の画像に「うまは、かめの何倍ですか」とはあるが、ウマの数とカメの数という2つの量の大きさの関係を、カメの数を基準として、問うている。ここでは、倍は比である。かめの数2の3倍が,うまの数6なのである。

かけ算はもはや,たし算の特殊な場合の簡略表記ではない。あくまで、2つの量の大きさの関係なのである。しかも,それは単なる静態的な関係(比)ではなく、「倍加する」という運動,働きでもある。かめは2匹であり、うまの数6匹は、それを3倍に「引き伸ばした」大きさなのである。

注意すべきは,ここでは、カメはウマの一部(単位)ではない、ということである。これは,〈1つ分×いくつ分〉による定義と違う点である。1つ分は基本的に全部の量の物理的な一部である。また,いくつ分が量であるのに対して,倍が量ではなく関係・働きである点でも,違っている。

被乗数×乗数にしても,一つ分×いくつ分にしても,乗号の前後は非対称的であるが,基準量×倍は,この非対称性が際立っている。倍を表す数は,事物が直接表す量ではなく,量と量との関係であり,その点でより抽象的である。

この時代には、かけ算の式の〈言葉の式〉(公式)は,東京書籍では,とくに,これに対応する公式はないようだが,学校図書では,

もとの数×かける数=答え

となっている。さらに,倍という概念をここに含ませれば,

もとの数(量)×何倍=全部の数(量)

となるであろう。


「かけられる数」(被乗数)と「かける数」(乗数)は,同数累加でかけ算が定義されていた時代の概念である。東京書籍では,それらは定義されていないが,言葉としては九九表に使われている。学校図書では,九九表の「かけられる数」のところが「もとの数」になっている。

かけ算が倍で定義される時代になって,同数累加が否定されたかというと,そうではなく,「4×3のこたえはつぎのけいさんでだすことができます。4+4+4=12」(東京書籍 p.65)と,書かれている。

つまり,同数累加は,もはや掛け算の定義ではないが,かけ算をたし算でも表せるという付随的な指摘のなかで生きている。これは,現在の教科書もそうなっている。また,学校図書では「3+3+3+3は3の□倍です。」といった問題があり,倍は被乗数・乗数の乗数に対応するものであることがわかる。

このように,かけ算は倍をメインに定義されているが,同数累加や〈1つ分×いくつ分〉が消滅したわけではなく,周縁に退いただけである。倍の時代に,倍がいくつ分から説明されていることを考えれば,根底的には,かけ算は本源的には「いくつ分」なのであろう。


3.1980年代~2020年代



現代化の時代が終わると、かけ算の定義は、〈基準量×倍〉から、〈1つ分×いくつ分〉へと変わった。

倍による定義は、小学校の低学年生には少々、高度であった。というのも、倍は量と量の関係を表す数(比)だから。

現代化時代に、日本の算数教育は、現代数学の概念を取り入れていたずらに形式化・高度化に走り、大量の数学嫌いを作ってしまった。このことに対する反省から、日本の算数教育は、基礎と具体性へと帰ることになった。

その際、教科書が取り入れたのが、数教協の〈一あたり量×いくつ分〉というかけ算定義であった。同数累加の簡略算という定義では、乗数が小数や分数のかけ算ががうまく説明できなかった。そのため、数教協は乗数を量化したのである。

数教協の概念は、一般には、かけわり図や組立単位など、小学生には難しいものばかりであるが、教科書に取り入れられた次のかけ算図式は、低学年でも十分に理解しやすいものてあった。

①〈1つ分の数×いくつ分=全部の数〉
②〈1つ分の大きさ×いくつ分=全部の大きさ〉

①は②の分離量バージョンである。これは、英語圏では、同数グループによる定義と、親和性が高い。英語圏では、かけ算は、3×4というかけ算の式は、しばしば、3 groups of 4という自然言語表現に基づいて学ばれる。

〈1つ分×いくつ分〉によって、乗数は、7を4回足すというときの回数ではなく、具体的な量となった。だから、ピザ1枚900gで、2枚半(2.5)では何gのようなことが考えられるようになった。乗数はここでは、倍のような関係でもなく、分量を表している。

倍による定義では、比較される2つの量は、種類は同じくするかも知れないが、別の物体であった。〈1つ分×いくつ分〉では、一つ分はいくつ分の一部をなしている。ピザ1枚は2枚半の一部を構成している。乗数は具体的な量なので、絵に描くことができる具体性をもつ。

このように、1980年代に、日本の算数教育では、かけ算は〈1つ分×いくつ分=全部の数〉で定義されるようになった。だが、他の時代もそうであったが、メインの定義が替わっただけで、他の定義が消滅したわではなく、ただ周縁化しただけである。

事実、定義の少しあとでは「3×3は3+3+3で求められます」と言われている。同数累加による定義は、定義の一部ではなくなったが、このように、かけ算の言い換え表現として生き残っている。



また、「2の8つ分は2の8倍とも言う」と言われており、倍による定義も生きている。倍の時代に、倍はいくつ分で導入され、いくつ分の時代に、いくつ分は倍で言い換えられる。

だが、このようにほぼ同時に導入される〈基準量×倍〉は、高学年になると、〈基準量×割合〉へと発展して行くものであるが、〈1つ分×いくつ分〉から〈基準量×倍〉へ、〈基準量×割合〉への移行には、小学校の先生方も苦労しているようである。



注1
第7巻「定義16 数に数を掛けるといわれるのは、後者の中にある単位の数と同じ回数だけ前者、すなわち【掛けられる数】が加え合わされてなんらかの数が生ずるときである。」(『ギリシアの科学』 p.331)

(Twitterに2020/02/21, 03/01, 05/30に投稿された、flute23432のツイートに基づく。)



2020年6月13日土曜日

かけ算の順序についてのQ&A

Q00 〈かけ算の順序〉とは何ですか?



Q32 〈かけ算の順序〉のようなトンデモ指導が、今日の日本の経済・科学技術の停滞と凋落をもたらしたのでは?



Q35 日本と外国でかけ算の順序が逆なのは、言語の違いによるものでは?


Q00 〈かけ算の順序〉指導とは何ですか?

A00 〈かけ算の順序〉指導とは、小学校算数において採用されている、かけ算をその式の順序を〈1つ分×いくつ分〉の順に固定して教える指導法です。それはかけ算の性質というよりは教え方です。日本や台湾の学校算数では、〈1つ分×いくつ分〉の順が、外国の多くでは〈いくつ分×1つ分〉の順が、慣習的に、標準の順序となっています。

この指導法では、文章題において児童にその順に式を書かせ、逆だとバツや減点にします。採点済みの答案を児童が持ち帰った保護者がその採点に疑問をいだいて、写真に撮ってSNSにアップすることで、顕在化します。これを見た人が、日本の小学校ではかけ算の可換性が否定されていると勘違いして、この採点に激しい反発を見せるので、よく知られています。

〈かけ算の順序〉指導は、ときたま、類似する他のものと誤認され、混同されます。その3つとは、1)文章題の問題文に現れる順にかけ算の式を書くように指導する教え方、2)加減に対して乗除を優先するなどの、計算の優先順位の問題、3)3つ以上の因数からなるかけ算の式において、どの乗号から実行するかの順序、です。


Q01 掛け算の順序を教えることは、学習指導要領で定められているのですか? 要領に書いてあるなら、それは教員ではなく文科省の責任です。逆に、書いていないなら、順序指導を行うのは、違法行為ではないでしょうか。

A01:学習指導要領には、書かれていません。学習指導要領(2019)において、2年のかけ算の学習について書かれているのは、次のことだけです。

(ア) 乗法の意味について理解し,それが用いられる場合について知る
こと。
(イ) 乗法が用いられる場面を式に表したり,式を読み取ったりするこ
と。
(ウ) 乗法に関して成り立つ簡単な性質について理解すること。
(エ) 乗法九九について知り,1位数と1位数との乗法の計算が確実に
できること。
(オ) 簡単な場合について,2位数と1位数との乗法の計算の仕方を知
ること。

学習指導要領は、文科省のサイトにあるPDF版を実際に読んでみるとわかりますが、どの学年でどんなことを学習するのかということの概要しか書かれていません。それはいわば骨格だけなので、それをどう肉付けするか、どう具体化するかは、学校や教科書会社、教師に委ねられています。

教室で算数の時間に行われていることで、要領に書いていないことはたくさんあります。たとえば、九九表とか、九九を覚えること、九九の学習を「五の段、二の段、三の段~九の段、一の段」の順に学習すること、などです。

順序指導もこの具体化のレベルに属しているので、順序指導をすべきかどうか、してよいかどうか、について、指導要領本体から引き出すことできません。指導要領は骨格にすぎないので、そこに順序指導について書いていなくても、順序指導が禁止されている、順序指導をしたら法令違反だ、ということにはなりません。

学習指導要領とは別に、その解説を文科省は出しています。2020年度施行の要領の解説には、「ここで述べた被乗数と乗数の順序は、「1つ分の大きさの幾つ分かに当たる大きさを求める」という日常生活などの問題の場面を式で表現する場合に大切にすべきことである。」(2019 p.115)と書かれています。順序は大切なのです。

だが、その直後には「一方、乗法の計算の結果を求める場合には、交換法則を必要に応じて活用し、被乗数と乗数を逆にして計算してもよい。」と書かれています。これは、文章題の立式(最初に立てる式)では順序に従い、その後の計算では、とくに順序に従わなくてもよい、ということです。

文科省初等中等教育局教育課は,「掛け算の意味を理解させるように定めているが,順序については国が定めるものではない」(中日新聞 2012/11/05 p.6)としています。文科省は,〈掛け算の順序〉論争に対しては,中立的な立場のようです。


Q02 レゴの解説書には、使うブロックの数が、タイプ別に3×などと表記されていました。外国ではかけ算の式は、日本の算数とは逆になっていることが多く見られます。これは、〈被乗数×乗数〉の順に式を書かないとバツにする採点は間違っている、ということではないでしょうか。

A02 外国の多くの国で、かけ算の標準的な書式が日本の算数とは逆である、というのはご指摘の通りです。九九の3の段が、1×3, 2×3, 3×3, ...9×3と並んでいたりします。1人100m4人全員で400mを走る400メートルリレーは、英語では、"4x100 Metres Relay"で、この英語表現を日本語にそのまま移植した「4×100mリレー」という直訳的な日本語表現を、テレビ報道ではよく見かけます。日本国内でも、学校教育の外では、レシートなどが数量×単価の順になっている、といようなことがあります。

〈かけ算の順序〉指導は、〈被乗数×乗数〉の順序がかけ算の性質だと主張するものではありません。ただ、日本の算数教育において、〈被乗数×乗数〉の順に書く習慣がある、ということです。それは一種の慣習的な書式です。会社によって、業界によって、伝票の書式が違うことは、普通にあります。

〈かけ算の順序〉指導は、また、教え方でもあります。〈1つ分×いくつ分〉の順に固定してかけ算を教える手法です。一つ分といくつ分とでは意味が違うので、それが理解し意識できるように、順序を固定して教えるです。教え方は国によって違っても、おかしくありません。一方が正しく、他方が間違いだということではありません。

かけ算の式を順序が逆であることを理由にバツにする採点は、日本の算数の〈かけ算の順序〉が普遍的である、世界中で通用する、と言おうとするものではありません。ただ、日本で標準となっている順序に書いたときに式がどうなるかを問われているのに、その指定の順序で書いていないので、バツになった、ということです。



Q03 かけ算文章題の式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書く、小数筆算で小数以下のゼロを抹消するなど、教師が勝手に考えた、問題文に書かれていない俺様ルールを、児童に忖度させるべきではないのでは?

A03 児童はテストを受ける前に、授業中の板書やノートで、そして、宿題のドリルで、同様のタイプの文章題を解いていて、もしかけ算の順序が違っていれば直されていました。授業に参加していて、よく聞いていた児童にとっては、かけ算の式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書く、というのは、既知の事項です。だから、児童にとっては、教師がどんな独自ルールを設定しているのかを、テストになって推測する必要は、ないのです。

それでも、逆順に式を書いてバツにされるのは、文章題文章中に現れる順序でいくつ分の数が最初に出てくるのに誘導されてしまうからです。とくに低学年の児童は文章を解析する能力が不十分で、文章中の数の出現順序に、誘導されやすいのです。実際、ネットにアップされるほとんどのバツ採点答案が、文章中の順序でいくつ分が先に出てくる逆順文章題です。

保護者は授業に出ていませんし、授業でそのように指導されていることが、わかりません。疑問に思って、答案を写真にとり、ネットにアップすると、保護者以上に授業の文脈を知らないネットユーザーの誤解に晒されます。そのようなテストは、授業の一環として行われたものであることを認識する必要があります。

〈かけ算の順序〉は戦前から行われているかけ算指導法で、小数点以下のゼロを抹消させるのも、遅くとも1970年代から行われていて、その担任教師がたまたま思いついたり密かに考えて作ったりしたものではありません。〈かけ算の順序〉もゼロ抹消も、【俺様】ルールではありません。


Q04 長方形の面積は〈縦×横〉で求めますが、長方形は90度回転すれば、あるい、横から見れば、縦と横は入れ替ります。直方体の体積を求める〈縦×横×高さ〉も同様です。順序を固定することはもともとできないのでは?

A04 平面図形や立体図形を自由に回転させることができる能力というのは、訓練によってはじめて身につきます。小2の児童にとって、縦4cm横8cmの横長長方形と、縦8cm横4cmの縦長長方形は、別の図形と認識されます。小6も、180度回転である点対称に手こずっています。面積や体積を求めるときも、小学生は、設問に描かれた平面図形・立体図形を、回転させません。

〈横×高さ〉でバツになることがあるのは、教科書にあるような〈縦×横〉という公式に従って書いていないためです。〈横×高さ〉なのか〈縦×横〉なのかは、慣習的に決まっていることです。同じことは、〈底辺×高さ÷2〉や、〈基準量×割合〉の公式でも言えます。

式の最初の形を公式に従って書かないとバツになることは、学校算数では、よくあります。学校では、さまざまなものが、公式を使って(なぜその公式なのかという理由も含めて)教えられています。

公式通りの立式が求められるのは、単に計算結果を尋ねているからではないからです。縦5m、横11mなどの数値が入った長方形が描かれていて、その面積を求める問題は、1)計算が正しいかどうかだけではなく、2)授業で、それが導かれた理由も含めて学んだ公式が頭に入っているかどうか、3)単位が正しいかどうか(55cm^2とか56mとかなっていなかどうか)、などが同時に問われているからです。

長方形の場合は、どれが縦でどれが横であるかわかっていることをチェックする価値はあまりありませんが、立体の場合は、見取り図を読み取る能力が試されています。三角形の求積公式における〈底辺×高さ〉であったら、4)その図形のどこの部分が底辺で、どの部分が高さであるのか(高さを辺の長さと勘違いしていないかどうか)がチェックされます。

〈基準量×割合=比較量〉という公式における比較量と基準量についても、同様で、これを正しく使うには、文章題に与えられているのが、基準量なのか比較量なのかわかっていないといけません。この意味でも、公式通りの立式が求められます。いったん立式したあとの計算では、必要に応じて、交換法則などを用いて順序を変えるなど、計算を楽にする工夫はしても、問題はありません。

かけ算の文章題で、式が逆だとバツになるのは、〈1つ分×いくつ分=全部の数〉という公式(ことばの式)に従って立式できていないからです。順序問題は公式の問題とつながっています。



Q05 どれが1つ分でどれがいくつ分かは一意に決められないのでは?「3日間連続のイベントに、4人のアルバイトを雇って、毎晩帰りのタクシー券1人1枚渡すとき、タクシー券は全部で何枚必要?」(注1)という文章題の正しい式は、4×3ですか、それとも、3×4ですか。

A05 1つ分の数といくつ分が決めるのが難しいかけ算文章題は、存在します。そのイベントの文章題はまさに、その例です。それは、日を基準とすれば1日あたり4人分4枚が3日間分なので4×3ですが、人を基準とすれば、1人あたり3日間分3枚で、それが4人分必要なので、3×4です。どちらの解釈も同じ程度に可能です。というより、その文章題は、そのように、1つ分がどちらでも解釈できるように、意図的に作られていると思います。この場合は、順序を理由にマルバツをつけることはできません。

「イチゴ味、ミカン味、メロン味、パイナップル味の4味をそれぞれ一個ずつ詰めたキャンディの袋が3つあります。キャンディは全部で何個?」という文章題でも、同様です。味を単位とすれば3×4ですし、袋を単位とすれば、4×3です。

順序は手段にすぎません。このようなときは、順序で1つ分といくつ分の理解を問えないので、順序を問わなければよいのです。逆に、もし順序を問いたいなら、このような、一つ分について解釈が拮抗する曖昧な文章題は出さなければよいのです。
 
教え方(手段)にすぎない順序を、かけ算の性質であるかのように実体化してしまうならば、それは、自由派であろうと順序派であろうと、間違っています。


Q06 〈かけ算の順序〉のような無意味なルールに従わされる今の子どもたちは、とてもかわいそうではないでしょうか。いつのまに、日本の算数教育はトンデモ化してしまったのでしょうか。誰の陰謀でしょうか。

A06 〈かけ算の順序〉指導のことをはじめて知ると、ほとんどの人は、自分が小学生のとき順序固定で教わったことはすっかり忘れていますので、最近の現象だと思いがちです。そのために、「いつのまに算数教育は悪くなってしまったのか」「今の子は可哀想だ」などという言葉が聞かれます。

しかし、たとえば、1930年に東京市が実施した学力テストの報告書に書かれている採点基準によると、かけ算の文章題の逆順式は、全部バツでした(注2)。順序指導を受ける子どもたちがかわいそうだとは思いませんが、もし、かわいそうだとすれば、今生きているほとんどの日本人が、かわいそうだということになります。


一般的に言えば、昔から行われている、というだけでは、正しいとは言えません。ただ、実際に使われて長年試されている、そうした実地使用に耐えてきている、という強みはあると思います。自由派は批判しているだけで、対抗理論を打ち出すことはほとんどありませんが、かりにあっても、実際の指導経験に裏打ちされていないので、机上の空論となるでしょう。

順序指導を批判する自由派も含めて、多くの日本人は、順序指導を受けて、数学を学んできました。順序指導はかけ算の指導法の1つなので、それがないとかけ算が理解できなくなるというものではありません。しかし、自由派も、自身の高等数学的なかけ算理解を獲得する過程の初期の段階で、おそらく、習得したものなのです。ただ、だいぶ前に乗り越えてしまい、そして、忘れてしまっているだけです。恩知らずです。


Q07 「3つの袋があり、どの袋にも4つ詰めるとき、キャンディは全部で何個必要?」という文章題で、1つ目の袋にまず1個、2つ目の袋に1個、最後の袋にも1個入れます。これを1周目とすれば、2周目では、2つ目のキャンディをすべての袋に詰めます。4周することで、最後には、どの袋にも4個詰められます。1周に3個ずつのグループを4つ作れるので、〈1つ分×いくつ分〉の順に書けば、式は3×4になり、これもマルになるのでは?

A07 これは、いわゆるトランプ配り(カード配り)ですね。トランプ配りをすれば、そのような解釈も間違いなく可能になります。こう解釈することで、いくつ分と思われた袋の数3は一つ分に、一つ分と思われた各袋のなかのキャンディの数4は、いくつ分になります。つまり、一つ分といくつ分が逆転します。

そのような解釈が間違っているとは思いませんが、しかし、非現実的です。というのも、小学生は事物に即して物を考えるので、問題文中にトランプ配りの様子を叙述するなどの誘導がないと、そのような解釈をしないからです。その解釈は、〈かけ算の順序〉論争の自由派が順序派をやり込めるために出してくるもので、大人でも、論争に参加していない限り、思いつきません。もちろん、説明されれば理解はできますが。

トランプ配りのようなことは、1個2個と数えられる量(分離量)では比較的容易ですが、連続量になると、とたんに、難しくなります。むずかしても、可能と言えば可能です。たとえば、47円の消しゴム4個を買うときに、47回の分割払にして、1回につき4円ずつを支払うならば、式は4円×47回になります。しかし、そのような曲芸的な解釈を小学生が思いつく可能性を考える必要はありません。

同数グループがあったとき、各グループの構成員数が一つ分で、その文章題では、各袋のなかのキャンディの個数4です。小学生がするドリルや確認テストのなかの文章題では、文章のなかでそのように「4個ずつ」などと一つ分として与えられているものを、ちゃんと一つ分として把握できているかどうか、が試されています。いくつ分についても同様です。

小学生はどうしても、数の意味を理解せずに、文章に現れる数をともかくも、習いたての九九で掛けて答えを出そうとします。そうではなく、〈1つ分×いくつ分〉というかけ算の構造の理解が重要なのです。


Q08 かけ算には順序はない、つまり、交換法則が成り立つので、順序を理由に式をバツにするのは、交換法則を否定している点で、数学的に誤っているのでは? 数学的に正しい式を不正解とするものではないでしょうか。

A08 「3つ袋があり、各袋に4つずつ詰めるとき、キャンディは全部で何個?」という文章題で、逆順式3×4がバツになるのは、「〈1つ分×いくつ分〉の順に式を書きましょう」という指示に従っていないからです。そのバツは、けっして、交換法則を否定するものではありません。

それは、「3と4の公倍数を【小さいほうから3つ】書きなさい」という設問で、【小さいほうから3つ】という解答書式上の指示に従わずに24から4つ書けば、バツになるのと同じです。そのような設問を作ったからと言って、そしてまた、そのような採点をしたからと言って、3と4の公倍数が3つしかないと主張していることにはなりません。【小さいほうから3つ】は、公倍数の性質ではなく、解答書式上の指示にすぎないからです。

かけ算の文章題の場合も同じです。書かれていませんが、そこには、【かけ算の式は〈1つ分×いくつ分〉の順に書きましょう】という、解答書式上の指示があるのです。【答え欄の答えには単位・助数詞を付けましょう】というのも、書かれざる指示です。しかし、この順序の固定は、かけ算の性質ではありません。それは数学的なものではなく、教育的なものです。数学的なものではないので、「数学的に誤り」であることも、「数学的に正しい」ことも、ありえません。


Q09 式逆でバツを付けられた児童は、数学が嫌いになってしまうのではないでしょうか? その数学的才能の芽を潰されてしまうのではないでしょうか。

A09 かけ算の式の順序が逆でバツになった小学生が、数学が嫌いになるという証拠はありません。そのように言ってツイッターなどで騒いでいるのは大人であり、子どもではありません。大人は、〈因数×因数〉タイプの対称的なかけ算の概念をすでに獲得していますから、そのかけ算の可換性を、子どもにいわば「感情移入」してしまい、もし自分だったら、数学が嫌いになるであろうと、無意識に推測しているだけです。しかし、子どもはまだ、〈因数×因数〉タイプのかけ算の概念やそのかけ算の固有な可換性の感覚、つまり、「順序はどうでもいい」という感覚を獲得していないので、実際に、それが原因で数学が嫌いになることはありません。

以前に、ツイッターで山田さんという人が、数学が嫌いないし苦手になった理由を応募しました。その理由のなかには、三角関数だとか、負の数だとか、ベクトル・複素数だとか、文字式だとか、サイン・コサイン・タンジェントだとか、微積分だとか、因数分解だとか、証明の意味だとか、公式の丸暗記だとか、2次関数だとか、文章題だとか、2次関数の場合分けだとか、2次関数だとか……

他には、3次方程式、集合と論理、行列、相加相乗平均、1次方程式、2次関数、虚数、n進法、確率と場合の数、展開・因数分解と絶対値、座標、連立方程式、立体、図形、数列、合同・相似、極限、平方根、動く点P……

小学校の学習事項もありました。割合、暗算、引き算、繰り下がりの引き算、数字、割り算の余り、計算ドリル、3桁の割り算の筆算、九九の暗唱、小数の掛け算・割り算、速さ、百マス計算、分数やその乗算・除算……

回答者の1人青茶氏は、掛け算の順序と動く点P、反比例を挙げています。(2018/05/24 23:07)。掛け算の順序を理由として挙げたのは、この人くらいです。しかし、アンケートが示すように、数学のありとあらゆる事項が、数学嫌いと苦手の原因となりえます。かけ算の順序はその1つにすぎません。もし、数学が嫌いになるから無くせというのなら、算数と数学の全体を無くさなければなりません。


Q10 かけ算の順序が、一つ分×いくつ分というかけ算の仕組みを理解させる手段だとしたら、4個/袋×3袋=12個のように、式に単位・助数詞を付けさせれば、4と3のどちらを単位あたり量、他のどちらをいくつ分と見なしているのかがわかるので、順序は不要になるのではないでしょうか。
4個/袋×3袋=3袋×4個/袋=12個

A10 単位・助数詞を付けさせれば、一つ分といくつ分を区別させることはでき、順序は不要になるのは確かです。しかし、順序でも、同じことは可能です。個/袋のような一あたり量は、乗号の前に置くと、定めておけばよいのです。

小学生に単位・助数詞を付けさせることには、問題があります。まず、個/袋のような組立単位が使えるようになるには、分数の約分の知識が必要です。しかも、(数ではなく)単位・助数詞の約分をするためには、

2xy^2/xy = 2y

のように、単項式の割り算も学習していなければなりません。でも、分数の約分は5年で、単項式の割り算は中学数学で学ぶというのに、かけ算はすでに小2から学習しています。組立単位の使用は、小学生には高度すぎます。

個/袋×袋=(個×袋)/袋
=(個×【袋】)/【袋】
=(個×1)/1
=個

昔の算術書や教科書で採用されていた単位・助数詞の付け方があります。それは、単位を被乗数と答えに付けて、乗数にはつけないやり方です。

4個×3=12個

このやり方では、なぜ、「個」は書くのに、「袋」はかかないのか、ということが児童にはわからないと思います。しかし、次のような指導法はあります。「何個?ときいているでしょう、だから答えは12個、単位のサンドイッチの規則で、乗号の前が個。個と付いているのは4だから、4を前に置く」。

でも、単位・助数詞をつけていたこの時代にも、かけ算の順序は固定されていました。式に単位をつけることと、かけ算の式の順序を固定することは、仲良く同居できるのです。だから、単位・助数詞を書いても、〈かけ算の順序〉指導はなくなりません。算数教育の歴史がそれを示しています。


Q11 もしかけ算の式が〈被乗数×乗数〉(〈かけられる数×かける数〉)となるのだったら、5×2×3のように3つの因数があるかけ算はどうなるのでしょうか。どれが被乗数で、どれが乗数なのでしょうか。

A11 これは、わり算と同様に考えます。24÷4÷3は、(24÷4)÷3のことです。( )内を先に計算するので、まずは、24÷4の商6を求め、次に、今度はその6を3で割ります。同様にして、5×2×3は、さしあたり、(5×2)×3のことですので、まずは( )内の5×2を、5を被乗数で、2を乗数として計算します。次に、その積10を被乗数とし、3を乗数とするかけ算を行って、=30という答えを出します。

わり算と違い、かけ算には結合法則が成り立つので、

(5×2)×3=5×(2×3)

です。右辺5×(2×3)では、今度はまず、2を被乗数、3を乗数としてかけ算を計算し、次に、5を被乗数、(2×3)の積6を乗数とするかけ算を行います。

このように、因数が3つ以上あるかけ算でも、〈被乗数×乗数〉を多段的に(入れ子式に)適用することができます。わり算において、24÷4÷3のように、被演算子を3つ以上に増やしても、〈被除数÷除数〉の枠組みに何ら支障が生じないように、〈被乗数×乗数〉の枠組みに困難は起きません。


Q12 「かけ算に順序がある」だけでなく、「倍数にはゼロは含まない」「正方形は長方形ではない」といったような、数学的な誤り、つまり、嘘でたらめ、が教えられている日本の算数教育は、トンデモではないでしょうか。

A12 倍数にゼロを含めるのか含めないかは、定義の問題にすぎず、どちらの定義が間違っているということはありません。算数での定義は、自然数の範囲で考えられてきた倍数の伝統を継承するものです。高校になると、倍数はゼロと負の数へと拡張されます。

また、算数では、「正方形は長方形である」とも「ない」とも教えられていません。図形の包摂関係は、以前に小学校で教えられましたが、理解できない児童が多数いて、その反省から、教えられなくなりました。児童は、教えられてないとき、自然言語の用法やイメージに基づいて、正方形と長方形の関係を理解しています。

「かけ算に順序がある」という表現は、「順序」という言葉が何を意味するのか曖昧です。算数で、〈因数×因数〉の抽象的な掛け算は小学生には難しいので、〈1つ分×いくつ分〉や〈基準量×倍(割合)〉で定義される非対称なかけ算が教えられていることは確かです。この非対称性を「順序」と呼ぶなら、小学校で学ぶかけ算に順序はあります。

この定義では、〈1つ分×いくつ分〉、〈いくつ分×1つ分〉という2つの順序が考えられます。しかし、日本の算数で〈1つ分×いくつ分〉と書かれている式は、アメリカやドイツ、ブラジルなどの算数教育では、〈いくつ分×1つ分〉の順に書かれている、という意味では、順序はありません。

〈かけ算の順序〉指導は、教える内容というよりは、教え方です。教え方は適切かどうかは問えますが、嘘か真実か、ということはありません。それは、「かけ算の式は〈1つ分×いくつ分〉の順に書きましょう」という解答書式上の指示です。指示そのものについて、真偽を問うことはできません。「窓を開けて下さい」という指示について、窓が閉まっている事実を根拠に、その指示は嘘だと言うことはできません。

「日本の算数教育は、すべてがトンデモ化していて、信頼性がまったくない」と言って、大げさに騒ぎ立てる人は、なぜ、それが、たとえば、日本人の数学的能力の国際的な低さなどとして顕在化しないのか、考えてみるべきです。なぜ、PISAの成人数学力の調査で日本が1位なのか、なぜPISAやTIMSSの国際的な数学テストで、日本の小中高生が最上位の成績を収めているのか、について、釈明が求められると思います。



Q13 〈かけ算の順序〉によれば、電力を求める式〈電流×電圧〉と〈電圧×電流〉、運動量を求める式〈質量×速度〉と〈速度×質量〉、積分"f(x) dx"と"dx f(x)"、「A, B, C, D から2つ取って並べる方法は何通り?」の問題を解くかけ算"4×3"と"3×4"、のどちらが正しいのでしょうか?

A13 〈かけ算の順序〉は、日本の学校算数で行われているかけ算の指導法なので、第1に、小学校で扱わないような事柄については、かけ算を使う場合でも、小学校で習う順序は、関係がありません。第2に、〈かけ算の順序〉は、小学校で習うかけ算、つまり、〈1つ分×いくつ分〉とか〈基準量×倍(割合)〉とかいった非対称なかけ算の指導法なので、〈因数×因数〉タイプの対称的なかけ算には、適用できません。

小6の教科書には「場合の数」の単元があります。場合の数を求めるときに使うかけ算は、元来は〈因数×因数〉タイプのものだと思いますが、小学校では、樹形図や多角形などを使って、漏らさず重複せずにすべてを列挙することが目指されていて、かけ算の式は見つかりません。
 
質量×速度(mv)は、次元数×次元数のかけ算であり、このかけ算は対称的な〈因数×因数〉タイプに分類できます。この対称的なかけ算は、算数では、基本的には、扱われません。mvは、慣習的にvmではなくmvと書くことが多い、ということはあるかもしれませんが、それは算数での〈かけ算の順序〉とは関係がありません。

〈1つ分×いくつ分〉は、伝統的には、〈被乗数×乗数〉でした。古い算術では、被乗数(かけられる数)は名数または無名数、乗数(かける数)はつねに、無名数でなければならない、とされていました。というのも、7kgの重りが4つあるとき、4つは4mでも4kgでもない。ただの4だからという理由からです。

被乗数が名数の場合
7kg+7kg+7kg+7kg =7kg×4 =28kg

名数は、単位・助数詞が付くような数、無名数はつかない数です。無名数に何かつくとしても、「倍」とか「回」とかで、単位ではありません。7kg×4mのように、乗数が次元をもったかけ算は、算術のなかでは、不合理とされたのです。

算数で、〈被乗数×乗数〉タイプに属さないかけ算は、長方形の面積を求めるときの縦×横と、道のりを求める時の〈速さ×時間〉くらいです。それぞれ、〈被乗数×乗数〉に還元されています。

縦×横については、長さと長さという2つの次元から、面積という新しい次元を作り出しているのではなく、あくまで、1cm^2の単位正方形がいくつから構成されているか、ということから考えられています。


速さについては、道のりと時間という2つの次元を組み合わせて創られた新しい次元ではなく、ある条件のもとにある道のりとして、理解されています。それは、定速で移動するものについて、単位時間あたりに走る道のりを表しています。このように理解されたとき、秒速7m×4秒のかけ算は、リンゴが7個載る皿が4枚ある、というのと同じ構造をしています。ですから、

7m+7m+7m+7m =7m×4 =28m

です。つまり、〈被乗数×乗数〉と同じ図式で考えられています。



Q14 中学受験でも〈かけ算の順序〉を守ったほうがよいのでしょうか?

A14 中学受験の答案というのは、本人や保護者に返却されないので、保護者がネットにアップするということもありません。だから、全体で何点であったかは知ることはできても、個々の問題がどのように採点されたのか、は本人・保護者・ネットユーザーたちには、わかっていません。

しかし、順序は気にしないでいいでしょう。というのも、第1に、〈かけ算の順序〉というのは、小学校算数におけるかけ算指導法なので、中学の教師が採点するテストにおいて、そのような採点基準が採用されているとは考えられないからです。

式の順序が逆でバツになっている採点答案の写真がネットにアップされているのをみると、そのほとんどか、授業で実施されている単元テスト(カラーテスト)やドリル、プリントなどです。これらのテストは、授業でやったことができているかどうかをチェックする確認テストであり、授業者と採点者が同じで、その採点は、授業に依存する度合いが高く、テスト前の授業中に書いた板書やノート、宿題のドリルやプリントなどと、採点基準が同じです。授業中にかけ算の式の順序を直されていたなら、テストでもバツにされて、やり直しです。

第2に、適性型の試験以外では、試験の解答用紙には、多くの設問で、答えだけ書けばよいからで、式を書く式欄がないからです。



Q15 〈かけ算の順序〉指導は、かけ算の交換法則を中学で習ったらもう不要ですよね? 順序指導は法則を学ぶまでの一時的なものですよね?

A15 たしかに、「交換法則」という用語は、中学ではじめて学びますが、かけ算を習い始める小2のうちに、九九表に発見できる規則性として、かけ算の交換法則は実質的に学習します。「被乗数と乗数を交換しても答えは同じ」なのです。3年ではその法則の妥当範囲が整数全体に、小4で小数に、小6で分数に(そして中1で負の数も含めた有理数全体に)拡張されます。

では、〈かけ算の順序〉指導は、かけ算を学び始めて、数ヶ月も経たないうちに終わるのかというと、そうではなく、中学年・高学年でも見られます。というのも、交換法則というのは、乗号の前後の数の交換が結果に影響しない、と言っているだけで、いつでも自由に交換できる、という意味ではないからです。

結果が同じなら、自由に言い換えてもよいと思われるかもしれません。たしかに、算数でも、計算では、結果が重要なので、そうです。しかし、文章題のように意味が重要なところでは、意味が合うものを適切なものとします。

というのも、算数では、かけ算を〈1つ分×いくつ分〉という非対称で固定した図式を用いて教えますので、3×4は3個のものから成るまとまりが4つ、4×3は4個の3つを意味します。たとえば、「3つのふくろのどれにも4個入っているとき、キャンディーは全部で何個?」という文章題の式は、4×3であり、3×4は意味が違います。

〈1つ分×いくつ分〉は、小学校で学ぶかけ算の基本型で、これは、中学年や高学年で、〈単価×数量〉や〈容器容量×容器数〉、〈基準量×割合〉、〈速さ×時間〉などへと展開・発展していくものです。これらはすべて〈1つ分×いくつ分〉と同型なので、その同型性を容易に見抜けるように、順序を固定するのです。



Q16 「かけ算の順序を固定するのは、文章中の数を意味も考えずに掛けて答えを出そうとする児童がいるから」というのであれば、文章題にダミーの数や他の演算に必要な数を入れておけばよいのでは?

A16 ダミーの数字を入れた文章題、かけ算以外の演算が同時に必要になるような文章題は、教科書にも載っています。そのような設問は、もちろん、より難しい応用的な問題なので、最初から出すわけにはいかず、その段階になるまでは、数字が2つしか出てこない単純なかけ算文章題を解くことになります。どんな学習も、最初は、単純なものから始めます。単純で簡単なかけ算文章題は、避けることが困難です。

ダミーの数字を入れたり、他の演算(足し算、ひき算)が同時に必要になるようにしたりすれば、児童は、かけ算に必要な2つの数字と、必要ではない、あるいは、他の演算に使う3つ目の数とを判別しなければなりません。ですから、このような文章題は、児童が数の意味に無頓着になってしまうことに対する牽制となることは確かです。

しかし、この方法では、肝心かなめの、1つ分といくつ分の識別ができているかどうかがわかりません。


Q17 長方形が斜めに傾いて描かれているとき、その面積を求める式は、どうなるのでしょうか?

A17 算数では、公式に従った立式がしばしば求められます。比較量を求める割合文章題なら、式は「基準量×割合(小数に直された百分率)」です。順序派の教員でも、長方形の面積では順序を問わない人も多いのですが、しかし、「縦×横」の順に式を書くことが求められることも、めずらしくありません。

もし、画像のように、描かれている長方形が斜めに傾いている場合は、どちらが縦で、どちらが横なのわかりません。傾きをどちらに倒して、どちらの辺を縦に、他のどちらを横にするかは、児童にまかされています。順序で公式通りの立式かどうかは判断できず、順序は採点の基準にはなりません。傾けて描かれているのは、明らかに、順序は問いませんよ、という意思表示なのです。



同様のことは、直方体の体積を求める場合も同様です。直方体の見取り図では、高さについては曖昧さはなくても、描き方によっては、どちらが縦(奥行き)で、どちらが横(幅)かがわからないことがあります。その場合は、縦×横×高さの縦と横については、順序は問われるべきではありません。

見取り図で、直方体が頂点の1つを支点にして立っているように描かれているとき、あるいは、直方体が不規則に回転している動画で示されているとき、縦とか横とかいった概念自体が使えません。

順序は、高さだとか底辺だとか基準量だとかいった、公式を構成する概念がわかっているかどうかを確認するための手段にすぎません。順序が手段として使えないときは、使わなければよいのです。


Q18 「かけられる数」「かける数」とは何でしょうか? 何かの宗教に由来するいかがわしい概念ということはないでしょうか? それらは「1つ分の数」「いくつ分」とどう違うのでしょうか?

A18 教科書では、「かけられる数」「かける数」は、次のように、簡単にしか説明されておらず、乗号の前がかけられる数、後がかける数、ということくらいしか読み取れません。


かけ算は、伝統的には、同数累加の簡略算と定義されてきました。4+4+4+4+4のように、同じ4を繰り返し足すとき、繰り返される数4と繰り返しの回数5を使って、4×5と短く表現するのか、かけ算なのです。このとき、繰り返しの対象となる数4を被乗数、繰り返しの回数5を乗数と言います。「被乗数」と「乗数」は、英語では、それぞれ、"multiplicand", "multiplier"で、小学生向けの大和言葉表現では、それぞれ、「かけられる数」「かける数」となります。

日本の算数では、1980年代以来、かけ算の定義に、「1つ分[の数]」「いくつ分」が使われてきました。「かけられる数」「かける数」は、元来、かけ算は同数累加の定義の構成要素です。この定義ですと、かけ算は独自な演算というよりは、足し算の式表現の1つの特殊な場合にすぎません。つまり、それは数式の表現の仕方の問題にすぎません。

これに対して、1つ分といくつ分は、同数累加の、事物における対応物です。4×3 =4+4+4は、それに対応する事物で言えば、4個入りのキャンディの袋が3つある、ということです。つまり、式における同数累加は、事物における同数グループに対応しています。小学生は演算のような抽象的なものを、具体的な事物に基づいてこそ理解するので、〈1つ分×いくつ分〉のように事物に焦点をあてた定義のほうが、〈被乗数×乗数〉よりも、学習上はよいと言えます。


「1つ分」「いくつ分」の導入で、「かけられる数」「かける数」の用語が教科書で使われなくなったわけではなく、たとえば、九九表は左縁縦に上から段数1,2,3と並んでいますが、これが「かけられる数」となっていて、上縁横に、「かける数」が並んでいます。交換法則も、「かけられる数とかける数を交換しても答えは同じ」と、この用語を使って定式化されています。東京書籍では、4年の教科書にも5年の教科書にも、中1の数学教科書にも、使われています。


Q19 文章題では、式欄の式に、問題文(文章題文章)に出てくる数字しか使っていけない、などというようなルールがあるのでしょうか?

A19 一般的に言えば、そのようなルールはありませんし、式を書かなければならならい理由さえありません。しかし、児童・生徒が先生について学んでいる学校では、事情が違います。

小学校では、ドリルは、授業で学んだことを確実にするためのもの、単元テストはそれが習得できているかどうかをチェックするためのものです。小学生は、学校で、四則演算について、筆算などの計算アルゴリズムだけでなく、問題文からどのように式を立てるのか、つまり、式の立て方も学びます。計算問題では計算の正確さや速さしか問われませんが、文章題は総合的で、計算の正しさだけでなく、立式も問われます。だから、答え欄だけでなく、式欄も用意されているのです。

式が書いてあれば、教師は、その児童が、文章題文章からどのように立てたのか、ということが、ある程度、推測がつきます。間違っていたとき、その原因が、文章の不完全な読解なのか、立式の間違いなのか(割り算なのにかけ算を使っている)、計算ミスなのか、がわかります。原因を診断できれば、それを「治療」に生かせます。このことのために、問題文にある数字しか使えないというルールがあるのです。

問題文にある数字しか式に使えない、というのは、あくまで、原則で、「2ダースの鉛筆は本数では何本?」、「太郎と花子と次郎のおのおのに4個みかんを配るとき、みかんは全部で何個必要?」といった場合に、それぞれ1ダース12本の12、太郎と花子と次郎のあわせて3人の3は、問題文に直接でてきませんが、1ダースは12本といった知識を使って、文章から引き出さなければなりません。


Q20 小学校で〈かけ算の順序〉が教えられているのは、大学で、行列積やベクトルの外積、直積集合などの非可換なかけ算を学ぶのを見越してのものなのでしょうか?

A20 違います。行列のかけ算やベクトルの外積、直積は非可換で、掛ける順序を替えると、結果が違ってきます。この意味での順序、結果に影響する順序(順序A)は、算数で習うかけ算にはありません。順序派の教師も、被乗数と乗数を交換しても答えは同じだと、教えています。

では、〈かけ算の順序〉とは何かと言えば、結果ではなく意味に影響する順序(順序B)です。かけ算を〈因数×因数〉で考えているかぎり、この意味での順序も、かけ算にはありません。しかし、〈因数×因数〉は小学生には抽象的すぎるので、算数では、かけ算は〈1つ分×いくつ分〉で導入します。

かけ算の式を〈1つ分×いくつ分〉の順序で書くことにしたとき、3×4と4×3は、計算結果は同じ12ですが、3×4は3個のもののまとまりが4つあることを、4×3は4個が3つあることを意味します。順序が違うと、結果は同じですが、意味が違ってくるのです。

かりに、算数での〈かけ算の順序〉と、行列のかけ算などの順序と同じことだとしても、どうして小学校なのでしょうか。大学で学ぶことの準備は、大学の1つ手前の高校になってすればよくて、3つも手前の小学校で学ばなければならない理由があるのでしょうか。



Q21 順序派には、〈かけ算の順序〉指導を、日本語の語順で正当化する人も、大学で行列積など非可換なかけ算を学ぶからと言う人も、子どもの発達段階を根拠に挙げる人もいる。また、かけ算の式の順序を間違えると、「キャンディーの個数を求めているのに、答えが12人になっちゃうよ」と言う人と「3本耳のウサギが2匹になっちゃうよ」と指摘する人もいます。
このように、互いに矛盾すると思われる意見が順序派には多く、この混乱は、順序派が間違っていることの証(あかし)ではないでしょうか? こうして意見の違いを指摘することで、順序派を駆逐できるのではないでしょうか?

A21 自由派にも、1つ分/いくつ分、かけられる数/かける数、の区別を認めたうえで、〈1つ分×いくつ分〉と〈いくつ分×1つ分〉の両方の順序をともに認めるべきだ、という意見の人も、それらの区別自体を求めない人もいます。順序固定を導入時にのみ便法として認める自由派と、最初から「順序はどうでもよい」と教えるべきだ、とする自由派もいます。順序指導は教師に負担が余計にかかるからやめるべきだと主張する人と、手抜きしてかけ算を教える方法だからやめるべきだと主張する人がいます。

このように、自由派内にも、意見の違いがあります。

自由派のあいだに意見の相違があると、意見の多様性を尊重する寛容で合理的な態度ということになり、順序派に意見の相違があると、順序派の主張が矛盾している、ないしは恣意的である証拠、順序派の混乱した思考の帰結、という話になってしまう。これは、ダブルスタンダードというものです。

その時点での1人の人の意見の内部で矛盾や非一貫性、齟齬があれば、その主張は破綻している、と言えるかもしれません。しかし、人によって意見が違うこと、主張内容が違うことは、もちろん、論争や調停を引き起こすことはあるにしても、それ自体は、矛盾でも欠点でもありません。




Q22 かけ算の式を逆に書いた児童は、ただ、〈いくつ分×1つ分〉の順に書いただけで、数の意味は理解しているのでは? 3つの袋のどれにも4個ずつ(3×4)でも、4個入りの袋が3つ(4×3)でも、意味は同じなので、意味が違うという理由でバツにするのは不当では?

A22 テストの設問には、解答書式上の指示、がしばしば伴います。「【小数点第1位までの概数で】答えなさい」「3と4の公倍数を【小さいほうから3つ】書きなさい」など。このような指示は、問題文に書かれているとはかぎりません。【答え欄の答えには単位をつけること】【分数の計算結果は既約分数で】は、書かれていませんが、守らないとバツになります。

【かけ算の式は〈1つ分×いくつ分〉の順に書きましょう】も、そのような書かれざる解答書式上の指示の1つです。順序派の教師は、テストに先立ち、普段から、その順に書かせています。「3つの袋のどれにも4個入っているとき、キャンディは全部で何個?」という文章題の式は、各袋に封入されたキャンディーの個数4が1つ分の数なので、4×3です。

3×4と逆に書いた児童がいたとき、a)もし、それが〈いくつ分×1つ分〉の順に書かれているのなら(ご質問者が念頭においているのは、これ)、意味は正しくとらえられていますが、【順序の指示】に従えていないことになります。b)もし、3×4が〈1つ分×いくつ分〉の順に書かれているのだとすれば、それは3個入りの袋が4つということになり、与えられた文章題とは意味が違っています。

実際には、多くの児童は、a)でもb)でもなく、c)文章題の文章に出てくる数の意味を、そもそも、把握しないまま、式を書いています。数の意味や演算固有の構造に無頓着になっていて、その結果、たいていは、文章題文章に数が登場する順に式を書いています。その順に書くようにと指導されていたことも、忘れているか、あるいは、覚えていても、数の意味を把握できていないので、指示に従うことができないのです。


Q23 式からは児童が何を考えているかはわからないのでは? ましてや式の順序を理由に、題意やかけ算を理解していない、などと判断することは、危険では?

A23 一般に、式だけからは、児童がどう考えて答えに達したかは、完全にはわかりませんが、式が書かれていれば、それは、児童がどう解こうとしたかを推測するための手がかりにはなります。たとえば、式を正しく立てられていないのか(たとえば、割られる数と割る数が逆)、それとも、式は正しく立てられているのに、計算ミスで答えが正しくでていないのかかが、わかります。

かけ算の式を順序で判断するためには、テストに先立って、授業のときから、教師がかけ算の式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書くように指導しておくことが必要です。そのような事前の指導そのものを認めない自由派が、かけ算の式の順序から、児童が理解できているかどうかを判断できない、と考えるのは当然です。




Q24 順序を逆に書いた児童は本当に、「3本耳のウサギが2匹いる」と考えていたのでしょうか。教師は、本当に、「児童がそう考えていた」と信じているのでしょうか?

A24 「ウサギが3匹(羽)います。1匹のウサギの耳は2本です。耳は全部で何本?」という文章題で、3×2と逆に式を書いた児童は、文章に出てくる数の意味に無頓着であったか、〈1つ分×いくつ分〉の順に書くという指示を忘れていたか、です。「3本耳のウサギが2匹いる」と考えていたから、式をそう書いたのではありません。

教師は、「それだと、3本耳のウサギが2匹いることになっちゃうよ」と、間違いを指摘することはありますが、これは背理法を使った指摘です。もし、(実際には違うが)あなたが書いた3×2というその式が〈1つ分×いくつ分〉の順に書かれていたとすると、そういう意味になってしまうが、それは題意とも生物学的な事実とも違うよね、という指摘です。



Q25 交換法則を小2で学習したあとも、〈かけ算の順序〉指導がなされているのは、なぜ?


A25 その疑問は、かけ算の順序はかけ算の交換法則(可換性)と矛盾すると考えていなければ、出てきません。かけ算の順序と可換性とは、両立可能です。

さて、数学で使う文字式では、積は4abのように、数字前・文字後の順に書きます。それを習う中1の期末試験で、b4aと書けばバツになるでしょう。しかし、ルールに反してb4aと書いても、その式の値は、4abと等しいことには変わりません。掛ける順序を変えても、計算結果(値、答え)は同じなのです。

算数における順序指導も、式を〈1つ分×いくつ分〉の順に固定して教えるものです。しかし、この順序固定は表現上・表記上のものにすぎず、文字式の場合と同様に、「掛ける順序を変えても答えは同じ」という、かけ算の原理的な性質を否定しません。

矛盾が起こるとしたら、それは、「答えが同じなら順序はいつでも自由に変えられる」と考えるときです。しかし、交換法則の核の意味は、①「乗号の前後の数の交換は計算結果に影響しない」ことにあり、②「いつでも自由に交換できる」というのは、一定の条件のもとで引き出せるその派生的な意味にすぎません。

高学年になっても、文章題の数の意味を把握できず、割合の文章題で、掛けたらよいのか割ったらよいのか、割るとしても、どちらかをどちらで割るのかが分からない児童がたくさんいます。そのような状況では、教師が式を、〈基準量×割合〉の順に書かせて数の意味を意識させようとするのは、自然です。



Q26 外国にも、〈かけ算の順序〉指導はあるでしょうか?

A26 日本に比べると少ないかもしれませんが、あります。このような採点の是非をめぐって、大人たちの論争がいつまでも続く点も、日本と同じです。

下の画像はドイツ圏の例です。標準となる順序は日本とは逆の、〈乗数×被乗数〉です。


次は台湾の例。台湾は日本と同じ〈被乗数×乗数〉の順が標準です。




Q27 かけ算の順序を逆に書いた子は、ただ、英語圏などで標準としている〈乗数×被乗数〉の順序に従って、書いただけでは?

A27 外国で算数で学び始めて、そのあと、日本に移住した子どもたちは、最初、かけ算の式を〈いくつ分×1つ分〉の順に書いてしまうでしょう。外国で当たり前のことでも、日本では当たり前でないことは、多くあります。たとえば、車は左側通行、学校では児童が掃除する、お化粧して学校に来たらいけない、など、日本に特有な慣習や習慣があります。それらに次第になれていくことが大切です。かけ算の順序も同様です。

しかし、そのような、帰国子女や外国人子女の例は一部にありますが、式を逆に書いてバツになった児童のほとんどは、文章題の題意を正しく読み取れず、文章題に出てきた数を、その意味を把握しないまま、できた順に式を立てているだけなのです。




Q28 かけ算で順序が問題になるのに、たし算では、順序が問題とならないのはなぜでしょうか? 小学校の単元テストなどで、式が逆でバツになっているのは、かけ算の文章題でよく見かけますが、たし算では見かけません。

A28 小1のたし算文章題では、順序が逆でバツになることはあり、ネットにアップされたことはもありますが、かけ算に比べると、取り上げられることは、ずっと少ないです。理由はよくわかりません。小1のテストの採点は、とても優しく甘くなっているので、バツになることが少ないからかもしれません。

たし算が適用できる状況の類型のうち、小1にも馴染みで小1が学ぶのは、合併と増加の2つです。「Aさんが金魚を4匹、Bさんが3匹、新しい水槽に入れました。全部で何匹?」は合併、「金魚が4匹いる水槽に、3匹加えました。今は全部で何匹?」は増加です。

とくに、増加タイプの足し算の文章題は、「1)はじめにいくつかのものがあり、2)次に、追加されて多くなり、3)今は全部でいくつ?」というパターンになっています。その場合は、式は文章と出来事の時間的な流れに従って、〈最初の数+増えた分の数=全部の数〉の順に書かれます。逆にすると、バツにされることがあります。

もちろん、たし算の交換法則は、小1ではなく小2においてですが、教えられています。イチゴが箱に14個、ざるに9個あり、ざるのイチゴを箱に入れると、〈初期量+増加分〉、〈足される数+足す数〉の順に従い式は14+9、箱のイチゴをざるに空けると、9+14です。どちらも答え(和、計算結果)は23個で、たし算には交換法則が成り立ちます。しかし、意味は違うので、箱のなかのイチゴをざるに空けたときは9+14=23と書くことが求められています。




Q29 児童が文章題の式を3×4と書く確率と4×3と書く確率は同じくらいなので、児童の半分は、理解していない場合も、正しいとされてしまうのでは?

A29 3×4の解答と4×3の解答が、同じくらいの割合になるという予想は、2つのことを見落としています。1つは、低学年の児童は、文章題に数が登場する順序に強く誘導される傾向があること、2つ目は、順序派の教師は、かけ算の式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書くように言っていること、です。児童が書いた式を順序が逆という理由でバツにすることがない自由派の教師も、板書では、教科書と同じ〈1つ分×いくつ分〉の順に書いています。ですから、3×4と4×3は、同じくらいの割合になりません。



Q30 1つ分といくつ分を尋ねたいなら、そのための独立した設問を作ればよく、順序で判断すべきではないのでは?

A30 そのような設問はすでにあります。


しかし、順序でも、もちろん、同じことが確認できます。というのも、順序を設定して式を答えさせるということは、次のような、空欄がある式の空欄を埋めて、式を完成させることと、実質同じことだからです。

□(1つ分)×□(いくつ分)=□(全部の数)

1つ分の数といくつ分がわからない児童は、この式を完成させることができません。順序を設定するとは、このように、乗号の前を1つ分の数のための、後をいくつ分のための席として用意しておく、ということです。




Q31 〈かけ算の順序〉のような高度なことは、あとで学習すればよいのではないでしょうか。小学生の段階で厳密さや正確さを追求しても意味がないのではないでしょうか。

A31 〈かけ算の順序〉は、とくに高度ではありません。〈1つ分×いくつ分〉は、小2が学ぶべきかけ算の基本で、とても重要です。児童はどうしても、文章の演算構造を見ずに、数の意味を把握しようとしないまま、式を立てがちですが、そのレベルから、意味を把握できるレベルに高める必要があります。

このかけ算の仕組みを学ばないでよいなら、ただ計算さえできればよい、ということになりますが、計算しかできない児童は、式を与えられれば計算できますが、文章題ができなくなります。文章題では、文章が表す事態から、演算が適用できる特有の構造を読み取る必要があります。文章題は、数学を現実に橋渡しするもの、生活のなかで数学を使う方法を学ぶ手段です。かけ算を使って解決できる状況に直面したときに、式を立ててことができません。




Q32 小学校の算数で〈かけ算の順序〉のようなトンデモが教えられているようになったので、日本の経済と科学技術は停滞し、そして凋落したのではないでしょうか?

A32 〈かけ算の順序〉指導は戦前から行われていますので、最近の、日本の経済や科学技術の停滞・凋落の原因である、ということはありえません。

大阪の小学校のある保護者が、子どもが持ち帰った、式が逆でバツになった答案について、教員委員会や文部省に、問い合わせをしたことをきっかけに〈かけ算の順序〉論争が起きたのも、戦後1970年代の初頭でした。日本の高度成長期です。



Q33 なぜ、〈被乗数×乗数〉であって、〈乗数×被乗数〉ではないのでしょうか。

A33 これは道路の左側通行・右側通行と同じで、〈1つ分×いくつ分〉の順でなければならない必然的な理由はありません。しかし、だからといって、日本で左側通行を守らなくてよいと言えるでしょうか。守らないのは法規違反ですし、それ以前に、逆走は危険です。ルールを作って、左側通行か右側通行のどちらかで統一しないと、交通が混乱してしまいます。

かけ算の指導も似ています。かけ算は、一つ分といくつ分から全部の数を求める演算として定義され導入されます。一般的に言って、〈1つ分×いくつ分〉か〈いくつ分×1つ分〉のどちらか一方が正しい、ということはありません。しかし、学習上も指導上も、教育的の環境設定としては、一方に統一するほうがよいのです。そのように順序を固定することには、初学者に一つ分の数(被乗数)がどれで、いくつ分(乗数)がどれかが、一目でわかる、という利点があります。逆に、この状況で、順序を不規則に入れ替えながら教えるのは、学習者を混乱させるだけです。

日本の算数教育で、〈いくつ分×1つ分〉ではなく、〈1つ分×いくつ分〉で統一されているのは、日本が明治期に近代的な学制・カリキュラムを確立する際に参照した19世紀の欧米の算術書が、〈被乗数×乗数〉の順を採用していたからです。欧米など多くの国では、20世紀に標準の順序が逆転しました。ここからまた、〈被乗数×乗数〉と〈乗数×被乗数〉のどちらを標準とするかは、使う言語の文法や系統、語順から一意に決まるものではない、ということがわかります。



Q34 「3個入りの袋が3つ、キャンディーは全部で何個?」という問題で、かけ算の順序はどうなるのでしょうか?

A34 式は3×3ですが、1つ分の数といくつ分の数が同じ数3なので、児童が〈1つ分×いくつ分〉の順を意図して書いているとしても、本当にそうなのかは教師にはわかりません。

〈かけ算の順序〉指導は、理解をチェックするための手段です。一定の順序で式を書くように指示しておくことで、文章のなかのどの数が1つ分の数で、他のどの数がいくつ分かということを理解できているのかを判断します。1つ分の数といくつ分の数が同じときは、〈かけ算の順序〉での判定はできません。

手段が使えないときは、使わなければよいのです。もし、順序で判定したいなら、1つ分の数といくつ分の数が違う文章題を出せばよいことです。




Q35 日本と外国でかけ算の順序が逆なのは、言語の構造の違いによるものでは? 日本では〈被乗数×乗数〉の順が、アメリカやドイツ、ブラジルなどでは〈乗数×被乗数〉の順でかけ算の式で書かれるのは、式を読んだときの、言語的なすわりのよさによるものではないでしょうか?

A34 19世紀の欧米の算術書は、日本の算数と同じ〈被乗数×乗数〉の順に式を書いていました。日本が明治期に、西洋の算術を受容した際に、いっしょに、この順序も受容したのです。ところが、欧米の多くの国では、20世紀に、かけ算の標準的な順序が、〈乗数×被乗数〉に変わったのです。

つまり、日本の学校算数で使われている〈被乗数×乗数〉の順序は輸入物であり、欧米では、20世紀に、標準的順序が逆転しています。これは、言語とかけ算の順序が、単純に対応するものではないことを意味しています。

では、言語と無関係かと言えば、そうではないでしょう。というのも、欧米の算術で順序が逆転したのは、子どもも話す日常的自然言語で式を読ませることを重視する傾向が高まったせいです。"three times four"や"3 groups of 4 candies"のような表現で式を読めるように、順序を〈乗数×被乗数〉に変更したのです。

日本語では"three times four"のような表現をしないので、式を逆にする理由がありませんでした。また、〈被乗数×乗数〉の順序は、輸入物でしたが、結果的に、日本語にフィットしたのかもしれません。たしかに、日本語では、「キャンディーの袋を3つ下さい」とは言いますが、「3つのキャンディーの袋をください」とは言いません。







注1
寝巻猫氏作問
「「3日間開催のイベントに5人のスタッフを雇いました。各開催日の解散時間は深夜になるため、各人にタクシーチケットを支給します。タクシーチケットは全部で何まい必要ですか?」
どう立式するのか早く教えてください。」(@nemakineko48 2018/12/02 08:26AM)

注2
@temmusu_n氏ツイート(2018/10/19 01:15PM)。

(2021/02/13 20:00 手直し・増補)