2018年1月29日月曜日

掛け算の順序の狙い

小学校の算数で、毎年冬になると、子どもが、かけ算の文章題で、式の順序が違うという理由でバツになり、やり直しをさせられた採点済み単元テストを持ち帰る。保護者は、かけ算には順序は関係がないから式は正しいのではと思い、その写真をネットにアップする。すると、かけ算に順序はあるかのどうかを巡って論争が起きる。

 (光文書院2011 単元テストより)

かけ算は可換なのに、なぜ、算数では、かけ算に順序があるかのように指導するのであろうか。教科書を見ると、かけ算は2年生で習うが、習い始めてまもなく、児童は交換法則を学習する。かけ算の順序と交換法則、この2つのことは、両立できないように感じられる。

(東京書籍教科書2下2015 p. 41より)

教科書には、交換法則について、画像のように、被乗数(一つ分)と乗数(いくつ分)を交換しても計算しても答え(全部の数)は同じ、と書かれている。つまり、かけ算には交換法則が妥当する。しかし、意味まで同じだとは言っていないことに注意すべきである。

計算問題のように、式や数値を数量的にのみ扱うときは、6×7と7×6はまったく等しいと見なしてよい。しかし、テストで逆順式がバツになるのは、いつも文章題である。文章題は、さまざまな設問形式の1つ以上のもので、現実に起こりうるケースを想定して、数学を現実に橋渡しする(応用する)訓練、一種のシミュレーションである。ほとんどの児童は、将来、数学者や数学教師になるのではなく、ただ、生活や仕事で数学を使うだけの社会人になるのだから、こうした訓練は数学教育で重視されてしかるべきであろう。

文章題が描く事態は、現実そのものではないが、現実に近い具体性をもつ。現実や文章題が描く事態の中では、被乗数と乗数の数値が入れ替わると、意味が大きく違うことが、しばしば起こる。6000円の高級折り紙140セットを買うのと、140円の低級折り紙を6000セット買うのでは、意味が違う。1日3錠の薬を2週間分処方されたとき、かけ算は交換法則が成り立つという理由で、1日14錠3日で飲み干したら、健康に関わる。

長いすが7脚あり、各長いすに6人の子どもが座わるとき、座れる子どもの人数を問う文章題(冒頭画像参照)では、答えを求める式としては、次のようなものが考えられる。

a)6人(一つ分)×7脚(いくつ分)=42
b)7人(一つ分)×6脚(いくつ分)=42
c)7脚(いくつ分)×6人(一つ分)=42
d)7×6=42

a)は、一つ分といくつ分を正しく捉えている式である。b)は1つ分を7と解しており、文章題で与えられた事態には対応しておらず、誤りである(注1参照)。c)はどうかと言えば、a)と同じく1つ分を6と捉えているので、これも正しいと言える。

d)は、(一つ分)(いくつ分)が書き込まれていないが、これは文章を読まずに、かけ算の単元の問題だからという理由で、文章中の数値を、現れる順に拾って掛けた式だからである。九九を覚えてしまうと、低学年向けの単純なかけ算文章題は、このやり方で、簡単に解けてしまう。

このように解く児童は、一つ分もいくつ分も意識していない。当然、数値の意味も、付く単位も考えていない。文章解析力が未だ弱い低学年には、このようにかけ算の文章題を安直に解く児童が多く、これは、教師が演算を教えるうえで直面する主な問題点の1つとなっている。

この問題点は、他の国の児童にも見られる。放置しておくと、高学年になって、掛けることも割ることもある割合の文章題で、躓いてしまう。外国の質疑サイトで、「掛けるのか割るのか分からないから教えてくれ」と投稿者が質問しているスレッドが発見できる。文章題は、小学生にとって、国際的に見ても、鬼門なのである。

割合の文章題なら、a:b=c:1のような数的関係を把握した上で、未知の数値を求めるにはどうしたらよいかを考えるべきである。割る場合でも、割られる数と割る数を間違える例が、高学年で多発している。というのも、高学年で小数や分数のかけ算・割り算を習うと、それまでは使えていた「割られる数は割る数より大きい」というヒントが使えないからである。

かけ算の文章題でも、同様に、複数の同数グループという数的関係を、文章から抽出したうえで、かけ算が適用できると判断し、適用すべきなのである。言い換えれば、文章をよく読んで、文章中の数値の意味、つまり、どれが各グループの構成員数(一つ分)で、どれがグループの数(いくつ分)なのかを把握することが、児童には求められている。

昔と違い、算数では式には単位を付けないので、教師から見たとき、b)c)d)は、実際には、判別がつかない。かけ算の順序を設定していない場合は、どれを一つ分どれをいくつ分ととらえているかの情報が式にはなく、a)のように6×7でも、b)~d)のように7×6でも、間違いとすることはできない。確かにb)は誤りだが、解答欄には7×6としか書いておらず、b)かどうかはわからない。

a)6人(一つ分)×7脚(いくつ分)=42
b)7人(一つ分)×6脚(いくつ分)=42
c)7脚(いくつ分)×6人(一つ分)=42
d)7×6=42

外国では、児童が書く式について、一部の例外を除くと、順序はどちらでも構わないと考えて採点していることが多いようだ。英語圏の学習サイトやプリントサイトの模範解答では、何と、グループ数×各グループの構成員数という書式を無視して、文章中に現れる順で式が立てられている。


 (k5learning, multiplication, wordproblem, a1)

ところで、日本の算数教育では、教科書を見ると分かるが、昔から、一つ分×いくつ分、基準量×倍、単価×数量の順で式を表記する慣習がある。外国にも、このような表記慣習はあるが、英語圏では、日本とは逆に、いくつ分×一つ分の順の式が、多く見られる。



 ("Multiplication Strategies Anchor Chart", by HoppyTimes)

日本が外国と違うのは、順序が逆ということだけではない。日本では、上記の文章題問題に対する対策として、児童が文章題に答えるときも、一つ分×いくつ分の順序で式を書くことを求めている。

かけ算の式を、算数の表記慣習で書く約束にしておくと、正しい式はa)だけになる。というのも、正しく6を一つ分、7をいくつ分ととらえていて、かつ、一つ分×いくつ分の順で書かれた式は、a)だけからである。c)は一つ分といくつ分の把握では問題はないが、約束に反している、順序が違うから、バツになる。

a)6人(一つ分)×7脚(いくつ分)=42
b)7人(一つ分)×6脚(いくつ分)=42
c)7脚(いくつ分)×6人(一つ分)=42
d)7×6=42

b)1つ分を取り違えている児童、1つ分の数といくつ分の数をそれぞれいくつ分、一つ分と逆に理解している児童は、理論的には考えられても、実際には、いない(注1参照)。c)いくつ分×一つ分の逆順で書いている児童は、もしかしたら帰国子女のなかにいるかもしれないが、これも非常に少ない。いるのは、d)の、数字の意味を考えずに、文章中の数字を出てくる順に掛けている児童である。これが、まさに、先述の文章題問題なのである。

なぜd)の児童が多いと分かるのか。1枚の宿題プリントに、かけ算の文章題ばかりが5問載っているとする。そのなかの4問は、文章中に数値が現れる順序で、一つ分が先いくつ分が後の正順の文章題で、残りの1問だけは、文章でいくつ分が先に現れる逆順の文章題とする。この一問は、いわゆる引っ掛け文章題である。

すると、c)の児童は、式をいくつ分×一つ分の順で書くと思っているので、すべての設問で、いくつ分の数×一つ分の数の順に書いて、バツになるはずである。b)の児童は、もしトランプ配りでお菓子をもらう児童だとすると、同様に、すべての設問で、逆順でバツになる。この児童は一つ分×いくつ分の順序で式を書くが、一つ分の数といくつ分の数が、普通と逆だからである。だが、5問全滅のようなことは、滅多に起こらない。d)の児童だけは、文章中に現れる数値の順に式を書くので、1問だけ、つまり、逆順文章題だけがバツになる。ネットにアップされるのは、ほとんどが、このケースである。

いくつ分が先に現れる逆順文章題では、一つ分といくつ分を意識していないと、この現れる順序に誘導されて、式を7×6と書いてしまいがちなのである。それで、答え欄の答えは合っているのに、式がバツになる。この、現れる順序というのは、低学年の児童にとって、かなり大きな誘因になるようで、引き算でも、引く数が先に現れる文章題では、式が、引く数-引かれる数と、逆順になってしまう。一つ分といくつ分を意識しない児童は、一つ分が先に現れる正順文章題では、式に現れる順にやはり誘導されるが、結果として、式を一つ分×いくつ分の順序で書くので、式はバツにならないのである。

6と7をそれぞれ、一つ分といくつ分、各グループの構成員数とグループの数として意識している児童のみが、文章に現れる順に抗して、6×7と立式できる。このように、文章題問題に対する対策として、つまり、教育的な環境設定として、かけ算の順序という表記ルールを設定しているのである。このルールによって、かけ算が適用できる数的関係を意識しないでかけ算の問題を解こうとする児童を発見できる。式をバツにして書き直させることで、ひとつ分といくつ分を正しく把握させることが可能になるのである。これがかけ算の順序を設定する狙いである。

これは表記上のルールに過ぎないので、かけ算の可換性のような原理とレベルを異にし、したがって、可換性とは矛盾するようなものではない。この点を誤解している人は多い。中学で習う文字式で、3abのように、項の内部では、数字を前に、文字は後、文字どうしではabc順に書く表記上の慣習がある。中学の期末試験で、この順序を間違えると減点される。だが、もし、かけ算の順序の設定がかけ算の可換性に矛盾するとすれば、文字式の表記ルールも矛盾してしまうことになるが、自由派も他の人も、そうは考えない。なぜなのか。これは、文字式のルールが、まったく表記上のもの、形式的な規則にすぎないことが明白で、かつ、国際的なルールだからである。これに対して、かけ算の順序は、日本の算数教育固有のローカルルールで、保護者やネット民には共有されていない。これが誤解されやすい原因である。

誤解を誤解と認識できても、毎年のように、かけ算の順序をめぐって、ネットで大騒ぎになる。一つ分といくつ分を正しく把握しているかどうかのチェックに、かけ算の順序という表記慣用を使う、というのが間違っているのであろうか。逆順式にバツは、可換性の否定と受け取られやすく、日本の小学校では嘘でたらめが教えられているといった、間違った発言がなされる。毎年のように繰り返される誤解を回避するために、一つ分といくつ分を把握しているかのチェックの方法として、かけ算の順序を使わずに、文章題の立式では、一つ分に下線を引く、という新しいルールを導入してもよいかもしれない。児童が一つ分といくつ分の把握に問題がなくなったら、下線を引くのは辞めればよい。これは私の提案である。



※注1
実は、b)は、各長いすに座る6人の子どもたちに、A~Fの記号が書かれた札6枚を一枚ずつ渡せば、Aをもっている子どもは7人、それはB~Fについても言えて、札の種類はA~Fの6つある。同じ記号の札を持っている子どもどうしで、グループを考えるのである。こうすると、7×6という逆順式で、(一つ分)×(いくつ分)の順に従うことは、可能と言えば可能だと言える。数学が好きな人が好む解釈である。

トランプ配りと呼ばれる順番の座り方をした場合も、同様の解釈が可能になる。つまり、長いすに座るときに、まず、1人目は一番前の長いすの左端に1人が座り、次に、2人目は前から2番目の長いすの左端に座り、7人目が一番後ろの長いすの左端に座ったあと、今度はふたたび一番前に戻り、8人目が、左から2番目に座り、次に、9人目が前から2番目の長いすの左から2番目に座る。このような仕方で子どもが順次座っていく場合は、1巡で7人の児童が座る。子どもはみな、長いすの左端に座っている。2巡目でも7人。この子どもたちはみな左端から2番目に座っている。これを6巡目まで続ければ、全員が座れる。この場合は、1つ分が1巡の7人となり、6巡あるので、7(一つ分)×6(いくつ分)の式が成り立つ。

このように解することは、完全に可能であり、間違っていない。だが、しかし、低学年生にはまず思い浮かばない解釈だし、説明しても低学年生は理解できないであろう。空間的な近さやまとまりを無視して、ある観点で物事を分類し直すような、抽象的思考力は、低学年児童はまだもっていない。というより、小中での学校の勉強を通して、こういった能力を身に付けて行くのである。こういった解釈は、大人でも、言われないと気づかない。かけ算の順序論争でしか聞かない、かなり曲芸的な解釈である。

1971年に、大阪府の小学校で、子どもが逆順バツになった保護者が、トランプ配りの例を挙げて、バツの採点は誤りだと主張した。しかし、学校は「Kさんのような考え方は認めるが、現実に授業のなかでそういう考え方をするこどもはいなかった。6×4と式をたてた子に聞いてみると、文章題のなかで6という数字が先に出ているから、というにすぎなかった。」と述べている(朝日新聞 1972.1.26)。6という数字が先に出ているからそう式を書いたというのだから、これは、d)の児童である。現実問題として、逆順文章題で逆順式を書くのは、d)の児童に限られるのである。だから、2年生の教室では、上記の曲芸的な解釈は無視してよいと思われる。

ただし、教室に机が縦に6つ、横に7つ、縦にも横にも等間隔で整然と配列されているようなとき、つまり、アレイ図状に配置されているとき、机は全部でいくつあるのか、という問題では、児童にとって、縦列にも横列にも、一つ分をとることが容易である。グループの取り方は2つ(以上)あり、どちらも同程度に可能なので、次のどちらの式も可能である。

  6個/列(一つ分)×7列(いくつ分)=42
  7個/列(一つ分)×6列(いくつ分)=42

この場合は、式の順序を理由に、バツにすることはできない。同様に、7袋あって、どの袋にも梨、林檎、蜜柑、柿、バナナ、キウイ6種類の果物がそれぞれ1つずつ詰めてあるとき、全部の果物の数を求める問題でも、同じ袋に詰めてあることで作られているグループだけでなく、果物ごとにグループを作ることも、比較的容易で、高学年生だったらできるであろう。

また、各長いすに6人、そして長いすの数も6脚だとすると、式に単位・助数詞を付けない今のスタイルでは、式は6×6となるが、これでは、どちらが一つ分かが判断できないので、この場合も、逆順でバツは起こらない。


※注2
a)6人(一つ分)×7脚(いくつ分)=42
b)7人(一つ分)×6脚(いくつ分)=42
c)7脚(いくつ分)×6人(一つ分)=42
d)7×6=42
e)7(因数)×6(因数)=42

冒頭文章題に対する5番目の可能な式として、e)7(因数)×6(因数)という式が考えられる。数学がよくできる人たちは、このように理解していることが多いと思われる。因数×因数=積で定義されるかけ算は、中高で習うもので、因数分解の逆演算である。かけ算をこう理解する人たちにとって、7と6が対等の資格で集まって、42という積を構成している。×記号の前後は完全に対称的で、どちらが一つ分だとかいくつ分だとかはありえず、したがって、順序もありえない。

答え欄の答えには単位・助数詞を付ける、漢数字ではなく算用数字を使う、数字は10進法で表記する、分数の計算では答えは既約分数にする、といった表記上のルールは多数あるにもかかわらず、数学系の人たちがかけ算の表記ルールだけに「虐待だ」とか「強制だ」とか激しく反発し抵抗するのは、かけ算をこのように因数×因数で、つまり、直積的な意味で理解しているからであろう。一つ分×いくつ分で理解している人にとって、かけ算の順序は、形式を整える、自然な傾向に従うものである。

掛け算を直積の意味で理解する人たちは、文章を読んで、かけ算が適用できる状況だと直観すると、文章中に現れる順に、掛け合わせるべき数字を拾って掛け合わせ、その積42を求める。しかし、気づいたと思うが、これはd)ととてもよく似ている。

だから、自由派数学者は、一つ分といくつ分を意識せずに式を書いてバツをもらったd)の児童は、むしろ、「かけ算の本質を分かっているのだ」、「かけ算の可換性を知っているのだから、むしろ褒めてやるべきだ」と、主張する。「もし式にバツをつけたら、子どもが数学が嫌いになってしまう」と言うのである。しかし、これはd)をe)と勘違いしているために起きた誤解である。掛け算の意味を十分に理解していない児童が、掛け算ができると見なされる、という倒錯的な事態が生じてしまう。

掛け算の単元テストで、低学年生がe)の意味で式を書いていることは、想定されていないし、想定する必要はない。それは、低学年生がまだ学習していないものだし、低学年生にはまだ抽象的すぎる。数学系自由派は、自己自身の直積的な掛け算概念を、低学年の児童の脳に投影して、もし自分自身だったら掛け算の順序は思考の自由の著しい制限だ、と言っているにすぎない。一つ分×いくつ分で掛け算を学び始めた児童にとっては、それは、立式のためのよきガイドであっても、虐待や強制ではない。その問題は、小学生が解くために与えられているのであり、彼らに向けられた設問ではない。