2020年8月26日水曜日

フランスの掛け順論争

ここでは、J・ボロン「3かける2と2かける3は同じなのか ― 誤解の歴史」(1994年)の論文を、批評を加えつつ、紹介することとしたい。

Jeanne Bolon, "Deux fois trois et trois fois deux sont-tils égaux?", in: Grand N (Institut de recherche sur l'enseignement des mathématiques de Grenoble), 54, 1994, 21-25.

この論文で、ボロンは日本には言及していないが、日本で行われているのと内容的にかなり重複する掛け順論争が、フランスでも起きていることを示している。たしかに、量の理論とか助数詞とか、「逆順で式バツ」だとかいった、日本固有の問題もある。だが、それは論争が、元をたどれば、かけ算というものの固有な性格に行き着くのではないか、ということを示唆する。


1.3×2と2×3のどちらなのか

ボロンは、教師たちの集まりなどで、「3かける2と2かける3は同じなのか」という議論をふっかける。「3かける2」は、2個のものの束が3つ(2が3回)、「2かける3」は3個のものの束が2つ(3が2回)だから、違うという意見が出る。

ボロンはそれに一応は同意する。だが、乗数と被乗数が逆で、2×3 (deux fois trois)は、3×2と書き、"trois multiplié par deux"と読ませている教師もいる。フランスでは、地域や教師によって、乗数と被乗数が逆に固定されている。

日本の算数教育では、基になる数量(一つ分)を先に倍数(いくつ分)を後に書く、という点で一貫しているが、フランスでは、かなりバラツキがある。外国の初等数学教育は、日本とかけ算の順序が逆だとは、単純に言えないのである。

2×3と3×2は、数として同じなので、区別するのは無意味だ、という反対意見が出る。数やその性質に関心をもつ数学者はそう主張する。どちらを信じたらよいのか。これを決める権威は誰か。

小学校では、式に単位を付けて、6F×3=18Fと書かせるという(Fはフラン)。物理学者は6F/kg×3kg = 18Fと書くであろう。この場合は順序は重要ではない。しかし、小学生は高学年まではまだ、分数を計算できない。

日本では、現在では、式に単位を付けない。付けるべきだという論者は多いが、問題点はフランスと同じで、単位の分数表記が、小学生には難しい。約分が既習でも、数ではなく単位の約分を理解させるには、中学で単項式のわり算を学んである必要があるのではないか。。

中学生になると、代数学の初歩を学ぶ。2xはxが2つ(2回)ということなので、回foisが前に来る。ボロンは、左に書くか右に書くかは慣習の問題にすぎないので、小中接続を考えて、回(乗数)を左に書くことを提案する。

すると、なぜ中学校のためにそんなことをしなくてはいけないのか、という声が挙がる。フランスにも、小中対立があるようだ。これに対して、ボロンは、小学校でも、数字の原理では、2034 = 2×1000 + 3×10 + 4×1と、回を前に表記しているではないか、と言う。

2千のことは、フランス語で"deux mille"と、2(deux)を最初に言う。黒元氏もどこかで言っていたように、乗数と被乗数の順序は、日本語とかフランス語とかいった言語に拠るというよりは、それをどう読む習慣があるか、ということに依存する。

ボロンは、代数学では2xはxが2つ(2回)となるので、乗数が左に来るという。そうも言えるが、中学では、内容的な区別よりも、「積では、数字を先に、文字は後でアルファベット順とする」という形式的な順序が支配的になる、とも言える。

私の理解では、代数学では、具体的な量を表す数字の代わりに、記号(文字)が使われ、式の言い換えが中心に来ることで、記号が何を表しているか、ということが副次的な問題になり、意味や現実とのつながりが希薄になる。

つまり、中等数学教育で数学の抽象性が一段と高まり、数学が現実から一層遊離する。すると、かけ算の因数が基準量なのか倍数なのかということが、基本的に、不明になるとともに重要性を失って、小学校で学んだかけ算の順序が効力を失う。


2.3×2と2×3は同じなのか

次にボロンが議論するのは、順序をどちらにするかではなく、3×2と2×3は同じかどうかである。数(nombre)としては同じだが、物語(histoire)としては異なる、とボロンは言う。数と物語の違いは、ベリー(Brett Berry)では、equalとequivalentの違いである(注1)。結果と過程の違い、数量的同一性と意味の相違との違い、と言ってもよい。

histoireは歴史だが、物語の意味もある。histoireはhistoryとstoryの2つの意味がある。物語と言えば、日本の算数では、お話し作りがとても重視される。

文章題からそれに対応する式を立てる練習とともに、式から文章題というお話しを作ることを、日本の児童はやらされる。ツイッターの「#掛算」タグでは、4×3が場面を表わすのか数を表すのか、ということが論争となった。

3×2と2×3の同一性を主張する者は、計算の結果を重視する。これに対して、非同一性を主張する者は、状況と式との不一致を主張する。かりに式としては同一だとしても、具体的な状況としては違っている。状況と式との不一致というのは、たぶん、状況が具体的で式が抽象的ということであろう。

ボロン自身は、式を立てる(方程式を立てる mise in équotion)、または、モデル化する(modélisation)という表現で、この2つの立場を仲介しようとする。

立式するとき状況は区別されるが、しかし、一度立ててしまえば、計算は数に中心に行われる。その結果は状況に応じて異なって解釈される。立式→数の計算→解釈。

日本の算数教育では、一つ分といくつ分の違いを意識して立式するが、立式後の計算は数の単なる処理と見なされ、答えでは単位・助数詞を付けて、ふたたび量として扱う。ボロンのこの考えは、これに近いように見える。

だが、同一性と非同一性を行き来すればよいという、このような、はぐらかすような提案では、ボロン自身認めるように、教育上の問題の解決にはならない。小学校では、児童は、立式と計算と結果の解釈を区別せずに、各ステップで、同時に行う。

小学校では、同じものの集まりがいくつも繰り返されているという状況は、子どもにとって意味があり、かけ算は同数累加で導入しやすい。同数物の反復が、かけ算のための最初の準拠状況なのである。

デカルト積や代数学的表現に結びついた、別の準拠状況もある。人形に着せる2つのチョッキと3つのスカートのコンビネーションがいくつあるかを考えるときのかけ算は、3×2と2×3のどちらが特権的ということはない。

3行4列の碁盤目の数を求めるとき、乗数(回 fois)といった概念は、意味がない。碁盤を回転させれば、行と列は容易に入れ替わる。

また、1m当たり3フランスの紐7,25mの価格を求めるときのように、乗数に小数を導入したとたんに、回数(fois)という表現は奇妙なものになってしまう。何回という表現は、教育上の障害となりかねない。

日本の初等数学教育は、かけ算を足し算から独立した演算、単なる同数累加以上の演算として扱うことで、この問題を解決した。つまり、乗数に単なる倍数ではなく、量的な意味(いくつ分)を加えることで、解決した。

ボロンによると、統計学者はかけ算の別の意味を用いる。Z村の住民5万人の3人に2人が朝カフェで過ごし、そのうちの4人に3人がカフェRを利用するという。カフェRを毎朝使う住民は何人?という問題では、樹形図が役立つ。

このように、ボロンによれば、かけ算は多様な状況に適用されるので、小学校で学ぶかけ算が他の状況にも拡張できる、と信じるのは幻想である。このことは賛成である。しかし、このことは、裏返せば、他のタイプのかけ算の基準を安易に、小学校で学ぶかけ算にこっそりと持ちこむべきではない、ということでもある。

かけ算の意味には、一つ分×いくつ分だけでなく、基準量×倍数、因数×因数もある。中学になると、因数分解や素因数分解で、乗号(×)の前後が対称的な直積タイプのかけ算を学ぶ。

takehikom氏訳のヴェルニョー(Vergnaud)からの次の引用を読んでいたので、私は、フランスでは、小学生のころから直積でかけ算を学ぶと思っていたが、違うのであろうか。「非常によく使われてきた」だけなのであろう。

「デカルト積は,(積の考え方として)非常にいいので,フランスではとにかく,小学校の第2~3学年でかけ算を導入する際に非常によく使われてきた.しかしこの方法で導入すると,多くの児童が,かけ算の理解に失敗している.」

ボロンによれば、フランスでは、かけ算の導入は、乗号(×)の前後が非対称的なかけ算によって行われる。だが、ボロンは、かけ算のすべての性質を一度に教えることは不可能だし無駄である、と言う。まず、3×2と2×3が異なる段階(小学)があり、相違が意味を失う段階(中学以降)がそれに続くのである。

一貫性のなかで両者を結びつける教育が必要だというのが、ボロンの結論であるが、では「一貫性のなかで両者を結びつける教育」とはどんなものであるべきかについては、具体的な提案はない。

かけ算の異なる意味を、同じ子どもが異なる段階で学ぶのであるから、それらの違いを尊重しつつ、同時に、小中高の接続がうまくいくような、概念や教え方を考えるべきなのである。これについては、賛成である。

定数氏ら自由派は、中学以降で学ぶかけ算の意味を絶対唯一のものと見なし、それによって、小学校で学ぶかけ算の意味を蹂躙しようとしている。これでは、かけ算の導入教育も小中接続も、うまくいかない。ボロンもこのような暴力的なやり方には反対するであろう。


注1

"Why Was 5 x 3 = 5 + 5 + 5 Marked Wrong?"

https://medium.com/i-math/why-5-x-3-5-5-5-was-marked-wrong-b34607a5b74c

(flute23432 2018/08/02 03:17PM, 08/05 03:01AMのツイートに基づく。)