2019年3月19日火曜日

算数教科書における複数の考え方・解き方(不都合な真実)

同じ事柄には複数の見方があり、同じ問題には複数の考え方や解き方がある。




算数の同じ問題でも、考え方の違いにより複数の解決方法があり、それに従って式の立て方がある。同じ式でも、計算の工夫の仕方は複数あり、また、同じ数値でも、考えたの違いで異なる表現がある。たとえば、1 1/3Lと4/3Lは同じ量を表すが、しかし、前者の帯分数表現は、1Lには収まりきれずに、1/3だけ余計にあることを表すが、後者の仮分数表現は、1/3が4つあることを意味する。

日本の算数の教科書は、複数の人物を登場させて、吹き出しで異なる意見を言わせる、というスタイルで、問題の解決方法が1つではないことを、児童に教えている。複数の登場人物をつかった複数の考え方や式の提示は、外国の教科書にはあまり見られない、日本の教科書の特徴の1つだという。

もちろん、解き方や式が1つしか提示されないことも多いが、以下にみるように、複数の考え方や解き方、式が紹介されていることもまた、珍しくないのである。日本の算数教育では、そうしたやり方で、児童が様々な見方を養えるようになっている。

複数と言っても、もちろん、それは2つとか3つとか数が限定され、その学年の知識にふさわしいものが選ばれているのである。小学生に方程式や図形の包摂関係、微積分を教え込むといったような、無謀なことが行われているわけではない。

算数教育をツイッター上で「超算数」と呼んで非難し続ける黒木氏や定数氏は、何としても、日本の学校算数教育が、無思考的・機械的なパターンマッチングか、あるいは、単なる暗記主義に陥っている、と叙述したいらしい。彼らにとって、日本の算数教科書のこのようなスタイルは、不都合な真実だと言える。


例を挙げていこう。1)最初は2年上巻から。「こどもが10人遊んでいたが、そこに2人来て、また6人来た。子どもは何人?」という問題。



だいち君は、後から来て加わった子どもの数をそのつど足している。これに対して、ひなたさんは、加わった人数の合計を出してから、それを最初の10人に加えている。

2)考え方と式のこの違いは、4年教科書の、括弧の使い方に関する章へと発展していくものである。「1000円をもって行き、600円の本と360円のお菓子を買ったときの残額は?」という問題では、さくらさんは買い物をするごとに千円から引き、しょうた君は買ったものを合計してから、それを千円から引いている。



この段階までは、児童は括弧の使い方や、かけ算と引き算の混合式をまだ習っていない。しかし、まさにこの章で、それを学ぶので、1つの式にすることが可能になるのである。

1000-600-360 =40 40円
1000-(600+360) =40 40円

3)◯が、単純な長方形ではない形状で並んでいるとき、かけ算を使って、そのすべての◯を求める問題で、かけ算が適用できる長方形状の配列をどこに、いくつ見るかは、さまざまな可能性がある。◯を1つ1つ数えることは不可能ではないが、ここでは、かけ算を習った直後なので、あくまでかけ算を利用する。



ゆみさんは、一番上の横列の3個を、2列目の3個分空いている部分に移動させて、1つの長方形(縦4個横6個)を作って、1つのかけ算の式で全部の数を求めた。6×4=24 24個
たくみ君は、大きい単純な長方形から、その一部を占める小さな長方形を除去して求めた。

5×6 =30, 2×3=6, 30-6=24 24個
足して求める方法もあるに違いない。これは4年生のときにやる、変則的な長方形の面積の単元に役立つことになる。

3×3=9, 5×3=15, 9+15=24 24個
6×3=18, 3×2=6, 18+6=24 24個

4)九九は通常は、被乗数または乗数が1から9までであるが、被乗数を12にまで拡張したい。まず、九九は乗数が1つ増えると答えは被乗数分増えるという規則性を使って、4の段を×12まで拡張する。

4×9 =36
4×10 =36+4 =40
4×11 =40+4 =44
4×12 =44+4 =48


次に、12の段を作るが、しゅん君は、12×4は4×12と答えが同じというという性質(交換法則)を使って、48という答えを出す。ひなたさんは、被乗数分増えるという同じ規則を使って、

12×1=12
12×2=12+12=24
12×3=24+12=36…

と、1つ1つ計算していき、12の段を構成している。

5)校舎脇の木は、2mの雲梯の3倍の高さ、校舎は木の2倍の高さのとき、校舎の高さは?という問題では、基準数×倍の図式に従い、まず、2m×3=6mと木の高さを求め、次に、木の高さを2倍する。6×2=12m 答え12m。もし1つの式に書くなら、(2×3)×2 =6×2 =12 12mとなる。



だが、だいち君は、あるものを3倍してから2倍する、というのは、結局、6倍するということなので、雲梯の高さ2mを6倍して(2m×6)、12mと求めている。この方法は、結合法則や括弧を習うと、次の様に正当化できる。

(2×3)×2
=2×(3×2) ←結合法則
=2×6 括弧内を最初に計算する
つまり、あるものをa倍してからb倍することは、それをa×b倍するのと同じことなのである。

6)三角形の面積はどのようにして求められるのか。既習の、四角形や平行四辺形の面積の求め方を利用して、三角形の面積を求めるさまざまな考え方が提示されている。



ゆみさんは、三角形と高さを同じくし、三角形の底辺ともう一つの辺を共有する平行四辺形を考える。そのとき、三角形の面積は平行四辺形の半分である。言い換えれば、平行四辺形は1つの対角線で、2つの合同な三角形に分解できる。平行四辺形の面積は、底辺×高さで求められるので、三角形の面積は底辺×高さ÷2で求められることがわかる。

たくみ君は、頂点Aから底辺に下ろした垂線で三角形を2つの直角三角形に分割する。2つの直角三角形のそれぞれにおいて、直角で挟まれた2つの辺を縦と横の辺とする長方形を考える。この直角三角形は長方形を対角線で分割してできる2つの面積が等しい直角三角形の1つである。だから、この長方形の面積は、含まれる直角三角形の2倍である。したがって、2つの長方形の面積の和は、2つの直角三角形の面積の和の2倍である。だから、三角形の面積は、底辺×高さ÷2で、求められる。

みほさんは、縦の長さが高さの半分で、底辺を共有する横長の長方形を考える。もとの三角形と比較した場合、この横長の長方形と重ならない部分は、同じ面積である。この横長の長方形は横の長さが底辺と同じだが、縦は三角形の高さが半分である。ここから、高さの半分×底辺で、三角形の面積が得られる。最終的には、ゆみさんの考えが採用されて、三角形の面積を求める公式は、底辺×高さ÷2と定められる。

7)1mの値段が80円のリボンを2.3m購入したときの代金は何円? 基準量×倍の公式に従い、80×2.3という式が立てられるが、これはどう計算したらよいのか。小数×整数は理解しやすいが、80×2.3のように、乗数が小数の掛け算は、どう考えるべきなのか。



たくみ君はまず、被乗数を10で割り、0.1mあたりの値段を求めた。0.1mは1mの1/10なので、8円である。2.3は0.1mの23倍なので、8×23で求められる。被乗数にaを掛け、乗数をaで割っても、答えは変わらないという性質を使ったとも言える。

これに対して、みきさんは、乗数を10倍して、23m分の代金を求める。2.3mは23の1/10なので、出た答えを10で割る。こうした説明のあと、最終的には、小数を含む掛け算の筆算では、小数点の処理が後で必要になることを除いて、整数の場合と同じように行えることが、明らかにされる。

8)200÷5というわり算は、どう工夫して計算したらよいであろうか。あおいさんは、割られる数200と割る数25をともに5で割って、40÷5という簡単なわり算に還元して考え、しょうた君は両者をともに4倍して、800÷100にして、わり算をした。



あおいさんはもしょうた君も、わり算では、割られる数と割る数に同じ数を掛けても(割っても)、わり算の答えは同じである、という性質を使っている。

9)割合の問題。かずお君は8回シュートして、そのうち5回入ったが、ひろし君は10回やって6回入った。かずお君とひろし君でどちらがシュートがうまいかというとき、入った回数の絶対数では比較できない。



このことは、もっと極端な場合を考えてみれば、明瞭になる。4回シュートして4回とも入ったA君と、50回やって5回しか入らないB君では、A君のほうが、入った絶対回数は少ないが、シュートがうまいと言える。

かずお君とひろし君を公平に比較するには、シュート回数を揃(そろ)える必要がある。ななみさんは、シュート回数を最小公倍数で揃えようとした。だいき君は、同じ長さだが分割の仕方が異なる棒で図的に表現して較べようとした。ひろと君は、1回のシュートで入る回数で比較した。

最終的には、ひろと君のやり方が採用される。シュートの成功率は、入った回数をシュートの回数で割って求められるが、これは、シュート1回のときの入る回数を求めることと同じことである。ここから、割合=当該量÷基準量という公式が得られる(日本の算数教育は公式暗記主義だとする批判は誤り)。

10)最後は、速さの表し方について。だいち君のソーラーカーは3分間で60m走り、ひなさんのは2分間で48m走った。どちらのソーラーカーが速いか(速さ)についてこの2つを比較するときは、シュートの例の場合と同じく、距離か時間をそろえる必要がある。



だいち君は、距離でそろえた。すなわち、1mに走るのにかかる時間を考えて、かかる時間が短いひなさんのソーラーカーが自分のものより速い、という結論を得た。これは式では、3÷60, 2÷48となる。3分を60mで割ることで、1mあたりの時間を求められる。

ひなさんは、1分に走る距離で比較した。つまり、分速で比較したのである。これは時間をそろえたということである。式は、だいち君の式とは、割られる数と割る数の数値が逆になっている。割る数に時間(分)をもってくることで、1分に走る距離を求められる。

計算の結果、だいち君のソーラーカーは分速20m、ひなさんは分速24mであった。したがって、ひなさんのソーラーカーのほうが速い。当然のことながら、結論は同じである。通常、速さといえば、単位あたりの時間に走る距離で表すが、だいち君の方法でも、まったく問題なく比較できる。

(2019/03/17のツイート「複数の考え方・解き方1~4」に基づく。)






2019年3月18日月曜日

交換法則の学習

かけ算文章題のテストで式が逆でバツになっている答案がツイッターなどにアップされているのを見て、小学校ではまだ、かけ算の交換法則を教わっていないのか、と反応する人が多い。

しかし、これは間違っている。教科書を調べると、小学生は2年の秋頃に、かけ算の学習を開始する。そして、かけ算の学習を始めてほどなく、2年生のうちに、かけ算の可換性(交換法則)を学ぶのである。かけ算の章の数は教科書により違うが、2~3章あり、その最後の章で、かけ算の可換性が明らかにされる。

小2はまず、かけ算の仕組みを学び、九九を五の段、二の段、三の段……と覚えていき、九の段、一の段で九九の学習が終わる。九九表を完成させた後、九九表に見られる規則性(「決まり」と呼ばれている)を探す。その決まりの1つが、かけ算の可換性である。



「交換法則」という用語はまだ使われていないが、そこでは、「かけられる数とかける数を入れ替えて計算しても、答えは同じになります。7×8=8×7」と書かれている。7つキャンディーが入った袋が8つあるのと、8つずつで7袋では意味は違うが、キャンディの総数は同じである。かけ算では、被乗数と乗数の数値を交換しても計算結果は同じなのである。これが、小2で習う、かけ算の交換法則である。

九九表完成以前にも、実は、4×3と答えが同じ三の段の九九は何?といった問いがあって、交換法則に気づくように、教科書は設計されている。九九の学習は単なる九九の暗記・暗唱ではないのである。1)可換性以外にも、2)各段は乗数が1つ増えると答えは被乗数毎に増えるとか、3)七の段の答えは三の段と四の段の答えの合計、という「決まり」も学ぶ。




六の段のところでも、「6×4の答えは、4×6の答えと同じになっています。6×4=4×6」と書かれている。このように、交換法則の学習は、すでに九九学習中に、伏線として敷かれているのである。可換性の学習は、この意味では、かけ算の学習とともに始まると言ってよい。



2年の単元テストには、次のような、かけ算の可換性が分かっているかどうかを試す設問がある。





だが、2年生の段階では、可換性は、九九表という、被乗数も乗数も1~9のかけ算がもつ性質に留まっている。

3年生の初めには、2年の復習として、あらためて、交換法則を学ぶ。そして、3年では、かけ算は、ゼロとのかけ算や、2位数以上の整数(ゼロと正の数)にも拡張される。それに伴い、交換法則の範囲も拡張される。



かけ算文章題では意味が重要になるが、計算では、意味は重要ではないので、式を一つ分×いくつ分の順で書くことを求められることはない。それどころか、計算の工夫という題で、小学生は交換法則などを用いて、計算を楽にする方法を学ぶ。



4年生には、分配法則や結合法則とともに、○や△、□を用いた式で、交換法則を学ぶ。同時に4年では、交換法則は小数に拡張される。



分数のかけ算は6年で学ぶが、その際に、かけ算の交換法則が分数にも成り立つことを確認する。



中学に入ってからも、交換法則は学ぶ。ここで初めて、「交換法則」という名称が使われる。また、この段階で、交換法則は負の数にも拡張されるのである。



このように、小学校の算数では、かけ算の交換法則が、少しずつ対象範囲となる数の集合を広げながらであるが、ほぼかけ算の学び始めの時点から、繰り返し教えられている。〈かけ算の順序〉教育にもかかわらず、かけ算の交換法則は、ちゃんと教えられているのである。このことは、かけ算の式が一つ分×いくつ分の順序で書くことを求められていることと、どう両立するというのであろうか。

小学校で、かけ算の可換性を教えないから、あるいは、かけ算は可換でないと教わるから、かけ算が可換であることを知らないまま大人になってしまう、と主張する人たちがいる。〈かけ算の順序〉教育の弊害だ、というのである。そのような人が根拠として挙げるのが、読売オンラインの発言小町の次のトピである。

ドリル「算数の掛け算」(読売オンライン発言小町 2004/06/07 14:38)
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm?o=0&p=0
これは、トピ主のドリル氏が会社で、取引先から来た請求書に書かれた掛け算の式が、数量×単価の順で記載されていたのを見て、「…式間違ってます」と上司に言ったところ、上司は「どっちだっていいでしょう! 出る答えは同じなんだから」と切れた、というトピである。

ドリル氏によれば、正しくは、単価×数量だというのである。その根拠に挙げているのが、ドリル氏が受けた小学校での授業である。だが、これはドリル氏が小学校での順序教育のために、掛け算の交換法則を知らなかった、ということなのだろうか。

だが、ドリル氏は、「どっちだっていい」という、上司の発言に対して、ドリル氏は「そういう問題ではない」と反応している点に注意すべきである。ドリル氏は、掛け算は逆順しても答えは同じ、という交換法則はわかっているのである。だが、「そういう問題ではない」と反応しているので、問題はそこではない。掛け算が可換なのか可換でないのかが問題なのではない、というわけである。

では、何が問題かと言えば、それは、式の立て方、請求書における式の書式や単位の付け方として、どれが正しいか、なのである。たぶん、ドリル氏が勤める会社では、算数で教わったのとあまり違わない書式を使っているのであろう。ところが、その会社が取引しているが、別の書式を使っているその別の会社の請求書を、ある日、経験が乏しいドリル氏が見て、「計算式間違っています」と、上司に言ったのである。

だが、小学校の算数では、さまざまな業界で使われているいろいろな書式を教えてくれるわけではない。

次の画像は、画像は、2015年に実施された国際的なテストであるTIMSSの資料からの抜粋である。足し算とかけ算の可換性、引き算とわり算の非可換性に関する設問の正答率の国別順位を示している。





nを整数としたとき、どんなnについても、次のことは成り立つか?
n+4 = 4+n   true false
n-5 = 5-n   true false
n×6 = 6×n true false
n÷7 = 7÷n true false

日本の中2は、平均の55より、18ポイント高い73で、7位だった。〈かけ算の順序教育〉がなされているからと言って、日本の中学生が、かけ算の可換性を理解していない、とは言えない。他の多くの国々より、かけ算の可換性のことがよく分かっているのである。かけ算の可換性を小2から繰り返し教わってきたのだから、そのくらいはできても、おかしくはない。かけ算の可換性がわからない小中学生をたくさん生む〈かけ算の順序教育〉の弊害、というのは、実際には、起きていない。







店内ルールとしての掛け算の順序

仙台市内の大学近くに1990年代末まであった、ゲームセンターの話である。このゲーセンでは、小銭を切らした客の依頼で店員が、紙幣を硬貨に両替するサービスを行っていた。両替機は店長が座る席のそばにあり、古くで操作に特別なコツが必要な年代物だったため、店長しか操作できない。客から両替を依頼された店員は、店長のところに行き両替を依頼すると、店長は、自分がいつも座る席の傍らにある古びた両替機で両替をするのであった。ときたま、動かなくなると、店長は両替機を開けて、貨幣を取り出している。

店員が店長に両替を依頼するときに書くメモで、50×100とただ書いたのでは、50円玉が100枚なのか、100円玉が50枚なのかわからない。たびたび、誤解が生じるので、店長があるとき、「店内両替メモでは、硬貨額面×枚数と書くこととする」という店内ルールを定めて、店内の掲示板に、このように掲示したとする。


 掛け算に表記上の順序を設定することで、誤解を防ごうとしたのである。順序は硬貨枚数×額面でもよかったが、店内ではどちかに統一しておくのが重要である。掲示されたルールが守られていれば、50×100は50円玉が100枚で、100×50のときは100円玉が50枚であることがわかる。もちろん、枚とか円とか単位・助数詞をつけても、誤解を避けることができるので、順序は解決法の1つにすぎないが、ともかく、店長は順序ルールを店内に敷いた。

これは、店長と店員のあいだの円滑な意思疎通(コミュニケーション)のために店内に設けられた、メモ表記上のルールである。だが、掛け算に表記上の順序を設定したからと言って、店長は、掛け算という演算に順序があるとか、かけ算は非可換であるとか、主張しようとしたわけではない。

あるとき、ゲーセンを利用した学生たちから噂を聞きつけた、近くの大学の世間知らずの数学者が、掛け算は可換であるのを理由に、「かけ算に順序などない、順序はどーでもいい!」「嘘を書くな! 数学的真理を否定するな!」と抗議しに乗り込んできた。これに対して、店長は、「あなたは、表記レベルの社会的ルールを、可換性のような原理的なレベルとごっちゃにしている」と反論すべきであろう。「ここはゲーセンであって、数学教室ではないのだ。」

「あんたは専門馬鹿で、世の中は数学だけで動いているのではない」と。50円玉100枚でも、100円玉50枚でも、合計は同じ5000円である。掛け算では被乗数と乗数を入れ替えても計算しても、答え(計算結果)は同じである。つまり、掛け算には交換法則が成り立つ。

店長も店員も、小学校のときに掛け算の交換法則は習っている。店長も店員も、合計が同じ5000円になることは当然わかっていて、可換性を否定するつもりは、毛頭ないのだ。掛け算の可換性は当たり前のこととして、そのうえで、店内での掛け算に表記上の順序を設定したのである。かけ算の順序は、かけ算の可換性と矛盾するものでは、もともと、ない。

もし、昨日から働き始めた学生アルバイト店員のK君が、100円玉×50枚のつもりで、50×100と書いたとしよう。店内ルールに反して、逆順式を書いてしまったのである。それを知らない店長は、ルールに従ってその式を解釈し、50円玉10枚を出した。新米のK君は自身も、意図した両替がなされたことにも気づかないまま、それを客のところに持っていき、客の怒りを呼ぶことになる。客の抗議を受けた店長は、アルバイトのK君を呼びつけ、掲示を指さして「この店では掛け算には順序がある」と言って、アルバイトに、書き直しを指示することになる。

日本の算数教育で、掛け算の順序を〈一つ分×いくつ分〉に設定しているのも、これと事情が似ている。足し算では、足されるものと足すものでは、同じく事物の個数で、同じ平面にあるが、掛け算では、かけられる数(被乗数)とかける数(乗数)は別の平面にある。

一つ分は、複数の同数グループがあったとき、各グループの構成員数であり、いくつ分はグループの数である。一つ分といくつ分、貨幣額面と枚数、は意味が違うので、その違いを位置の違いで表しているのである。
日本の算数では、いちいち注釈せずとも児童がわかるように、教科書や板書において掛け算の式を、一つ分×いくつ分の順で統一してある。一つ分×いくつ分の発展・派生形態である、単価×数量、基にする量×倍(割合)、速さ×時間、比例定数×xなどの式も、これに準じている。

それだけではない。児童がノートやテストで掛け算の式を書くときにも、この順序で書くことを求めている。教師は、児童がこのルールに従って式を書けているかで、一つ分×いくつ分の仕組みを押さえて、式を書いているかどうかを、チェックしているのである。

教育では、教えっぱなしではなく、教えたことができているかのチェック、つまりフィードバック、が必要になる。このため教育では、教師と児童のあいだで、絶えず、コミュニケーションが起きている。順序のルールは、一つ分といくつ分の理解という教育的な目的のために、教師と児童のあいだで設定された意思疎通のルールである。

児童がこの順序で式を書けていないと、答えは合っていても、式がバツになり、学生アルバイト同様、テスト直しで直してくるように指示される。ところが、バツにされた採点答案を、多くの人が誤解して、日本の算数では掛け算が非可換であると教えられている、と勘違いするのである。

この勘違いに基づいて、「日本の算数教育はトンデモ化している」「小学校の教師は、児童より数学ができない」と、算数教育批判を始めてしまう。その激しさは、在日特権を守る会のヘイトスピーチのレベルに達している。自分が言っていることが、TIMSSやPISAで日本人の小中学生が最上位クラスの成績を収めている事実と相いれないことが、わからないのであろうか。中には、にせ科学批判に掛け算の順序を持ちこんだり、文科大臣に順序教育を止めるように訴えたりする者まで、現れている。

異常というほかはない。

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注 ゲーセンのこの例は、ツイッターで日本の算数教育を「超算数」と呼んで非難している黒木氏が挙げていた例から拝借した。
「#超算数 例えば、ゲーセンの店長がバイトの子に
50×100
と書いたメモと5千円札を渡して両替を頼んだとしましょう。チョー算数スタイルの信者は「50円玉100個への両替」のことだと信じて疑わないかもしれない。しかし常識的にはそれと「50個の100円玉への両替」の両方の可能性を疑う必要がある。 続く」
「#超算数 これはまさに国語の問題であり、誤解されずにすむ意思伝達を実現するためには、チョー算数独自の非常識な掛算順序に頼るスタイルを廃して
50個の100円玉
とか
50円×100
のような誤解の恐れがない表現を使うべきなのです。」(黒木氏 2018/05/02 14:31)