2022年2月14日月曜日

船長症候群と〈かけ算の順序〉

 A)事象

1)船長症候群――解答不可能な文章題に解答してしまう児童たち

「船にヒツジが26匹、ヤギが10匹積まれています。船長は何歳?」

と尋ねられると、低学年の児童は、かなりの子が、36歳だと答えてしまう。船に積まれているヒツジとヤギの数が与えられても、そこから船長の年齢はわからないはずなのに、児童は、ヒツジとヤギの数を足して、船長の年齢を、答えてしまう。大人は、子どもたちが、解答できない問題に平然と答えてしまうことにショックを受ける。この年齢の子どもたちに見られるこの傾向は、船長症候群(Kapitänssyndrom)と呼ばれる。

この「船長の年齢」の問題(Kapitänsaufgabe)の原型は、『ボヴァリー夫人』で知られるフランスの小説家G・フロベール(Gustave Flaubert)が、1841年に、つまり、19歳のとき、3歳年下の妹カロリーヌ(Caroline)に宛てた手紙に見られる(注1)。「お前は幾何学と三角法を勉強しているので、問題を出してやろう」と言って、フロベールは、ボストンから木綿を積んでルアーブルに向かう船の、船員・乗客の数やら船の重さや風の向きなど、さまざまな情報を条件として並べ立てたあと、最後に「船長の年齢は?」と尋ねている。妹がどう反応したかは知らないが、冗談だと思って気にも留めなかったのではないか。

1980年代初頭に、グルノーブルの数学教育研究所が、この船長の問題を「船にヒツジが26匹、ヤギが10匹積まれています。船長は何歳でしょう?」と短くして、小2と小3の子どもに出したところ、97人中76人が、ヒツジの数とヤギの数を足して、36歳だと答えたという。

今度は、ドルトムント工科大学の研究者が1990年代に、「27歳の羊飼いが、25匹のヒツジと10匹のヤギを飼っています。羊飼いは何歳?」という、さらにみがきをかけた意地悪問題を子どもたちにぶつけたところ、正解は27歳であることは明白なのに、子どもたちは27+25+10と問題文中の3つの数を足して62歳だとか、あるいは、27+25-10と計算して、42歳と答えた、という(注2)。

ところで、日本の2021年度の全国学力テストで、全国の小6児童の20.0%が、辺の長さが3cmと4cmと5cmと与えられた直角三角形の面積を求める問題を、3×4×5ないしは3×4×5÷2という式を立てて解こうとした。解けない文章題ではなく、解ける求積問題だが、5cmという、答えを求めるのに必要がないダミーの情報を算入してしまっている。三角形の面積がなぜ〈底辺×高さ÷2〉で求められるかということの理解がまるで欠けているというだけではない。公式に従って立式しようとしていたなら、3つの数を掛け合わせていることに疑問をもつはずで、公式でさえ満足に覚えていないのではないか、と思わせる誤解答である。

答えを求めるのに必要がない数も含めた、与えられた数をすべて使おうとする点で、船長の年齢の問題と共通性する。そう式を書いた児童は、足せるのかどうか、なぜ足すのか、という基本的なことがわからないまま、文章題に含まれる数字を、足している。


2)それが式となるような文章題の作問

算数では、その式が式になるお話し、ないしは問題(文章題)を作るように、求められることがある。文章題から式を立てるのではなく、式から文章題を作るのである。ひき算の式が与えられているときは、ひき算の演算構造を含んだ文章題を作らなければならない。これは低学年児童にはかなり難しい課題である。だから、作問の材料として絵が描かれていたり、穴埋めになっていたりすることも多い。



佐伯(他)『すぐれた授業とは何か』(1989年)によると、横浜市内の3~6年生に、式が4×8=32となるような文章題を作る課題を出したところ、意味のある文章題が作れたのは、3年で44%、6年で48%だった(注3)。6年でも、半分くらいしか作れないのである。

そこで今度は、佐伯らは、児童がその際に作った、解くことができないはずのナンセンスな問題を別のクラス(5年)でやらせてみた。

問X「4個のボールと8個のボールがあります。これをかけると何個になりますか」
問Z「4個入りのガムを8個買いました。全部で何円でしょう」

問Xについて、解けないと答えた人はゼロ、97%は「4×8=32 32個」と【平然と】答えた。どんな場合にかけ算が使えるのか、ということを、ほとんどの児童がわかっていない、ということである。問Zについては、解けないと指摘したのは16%、78%は4×8で答えを出している。船長の年齢の問題と同様に、解けない問題を【平然と】解いてしまっている。

イギリスでも同様の調査が行われた。9~11歳の子どもたちが、9×3と一致するストーリーを作るように言われて作ったストーリーは、そのほとんどがかけ算の文章題として通用するものではなかったが(注4)、それの例を見ると、さらにハチャメチャである。

「A 9君と3君が店の中に立っていて、もし、9君が「乗号があれば私たちは楽しいだろう」と言いました。3君は「そうだね」と言い、乗号をあいだに入れて、歩いた。」
「D その男の子はペンを9本もっています。先生が彼に、9×3は何になるかを尋ねました。彼は27になると答え、教師は「正解です」と答えた。」
「E 学校に1人の男の子がいました。彼はいくつかの計算問題を宿題として課されましたが、彼が5の答えを得られたとき、彼はその計算問題ができませんでした。計算問題は9×3だったのです。」

ここからわかることは、子どもたちは、かけ算の文章題には、同数グループ(equal groups)のような、かけ算が適用できる固有な数的構造をまるで読み取れていない、ということである。かけ算の文章題を作るには、そのような数的構造を用意してやらないといけない、ということをまったく理解していない。


3)ありそうな答えになる演算

児童たちは、文章題の文章から、数的構造を抽出して、その構造に適用できる演算をつかって計算しているのではない。ひき算の単元を学習中ならひき算を適用し、かけ算の単元を学習中なら、かけ算を適用する。学習中の単元の手がかりがないときは、児童は、足したり引いたりして、ありそうな数になる演算を選ぶ。「船にヒツジが26匹、ヤギが10匹積まれています。船長は何歳?」という船長の年齢の問題なら、26-10=16歳(ひき算)は若すぎ、26×10=210歳(かけ算)は人間ではない、26÷10(わり算)は割り切れない。26+10=36歳(足し算)はありそうだ。だから、足し算するのが正解だ、というわけである。

吉田甫によると、割合を公式で教える授業を4週間かけて行い、児童に割合の文章題(割合3用法)がどう問題を解くかを見たところ、授業で教わったように公式を当てはめて解いたのは、7%にすぎなかった(注5)。

著者が提案する「前もって答えを見積もる」方略は、授業では教えなかったが、それを使った者も7%いた。しかし、ここで注目したいのは、掛けたり割ったりして、ありそうな数値になったのを選ぶ、割ったら割り切れた(整除できた)のでわり算を選ぶ、とした者が、合わせて51%もいたこと。

授業は熱心に行われたというが、「与えられているのが比較量と割合だから、求められるべきは基準量だ」という理由で、基準量を求める公式〈基準量=比較量÷割合〉に従い、比較量を割合で割って答えを求めた児童はほとんどいかなった。a:b=c:1のような比の関係を表す数直線図などを描いて、そこから適切な演算を導出したりした児童も、ほとんどいなかった。多くの児童は、公式を使うより以前のレベルに留まっている。

アメリカの教育学者が、船長の年齢の問題を小5のわが子に出してみたところ、迷わず36と答えた、という。その子は、「こういう問題のときは、数字を足すか引くか掛けるんだよ。この問題の場合、足すと一番うまくいく」と解説して見せた、という(注6)。何算で解くのかの手がかりが文脈に与えられていないとき、文章題の演算構造を読み取ることができずに、掛けたり引いたりして、ありそうな答えが出る演算を選ぶ児童が少なくない。この点は、日本もアメリカも同じようである。


B)考察

与えられたかけ算の式が立式となる問題を作ることを求められて、児童たちの多くが、そもそもかけ算でも、また、他の演算でも解けないような文章題を作り、さらには、そのように作られた、解けない問題を平然と解いたりしてしまう。

このように児童たちが多数いるのは、教え方が悪いせいであろうか。算数で使われる文章題がステレオタイプ化し、日常生活への関連性が失われているためであろうか。この問題について『シュピーゲル』に記事を書いた記者は、教師教育を充実すれば事態は改善する、と考えていた(注7)。たしかに、日常生活でその演算をどう活用できるかという点を重視して算数を教え、文章題の演算構造や数の意味に注意するようにしむける教え方をすれば、この点は改善するであろう。

文章題は、多くの設問形式のうちの1つにすぎないものではなく、数学と現実を橋渡しするもの。買い物の文章題は実際に買い物のための予行演習である。四則演算の学習に際して、演算を単なる計算としてしか教えず、文章題を章末に行う応用問題としてしか考えていなかったり、文字でふやかされた計算問題としてしか見なさなかったりすれば、たしかに、児童たちは文章題ができなくなり、文章題を読み解く訓練がおろそかになって、船長症候群は顕著になるであろう。

しかし、船長症候群は単なる教え方の問題ではないと思われる。それは、とくに低学年の児童に、普遍的に見られる傾向でもあるのだ。M・シュネーベルガーによると、解けない問題を「解い」てしまうこの傾向は、フランスだけでなく、他の国々の同年齢の子どもたちにも見られることが、研究者たちによって確認されている、という(注8)。

国によって教え方はさまさまであるが、多くの国で、同じことが確認されているということは、この現象は教え方に依存しない部分、児童の思考の発達による部分がある、ということであろう。数の意味や文章に表された数的関係に対するこのような無理解と無頓着さは、学年が上がって子どもたちが大きくなり思考を深め、意味や構造を理解する力を獲得し、また、世の中のことが少しずつ分かってくると、克服されるのではないか。ヒツジとヤギの数を足しても、船長の年齢にはならない、ということが、わかってくるのではないか。

そのレベルに達する前の、小2小3くらいの年齢の子どもたちは、文章を解析し意味・構造を把握する力がおそろしくなく、足し算の単元を学習中だという皮相な理由で、文章中に現れる2つの数を、その数の意味合いを把握しないまま、足して答えを出そうとする。かけ算の単元なら、文章中の2つの数を取り出して、両者を暗記した九九を使って掛け合わせて、答えを出している。単元の情報がないと、掛けたり引いたりして、ありそうな答えになる演算を選ぶ。

かけ算が適用できる数的関係(演算構造)のうち、かけ算の導入に使われるのは、同数グループである。もちろん、かけ算が適用できる数的関係は、同数グループに限られない。たとえば、「男の子4人と女の子3人の、考えられるペアは全部で何通り?」のような、別の数的構造をもつ文章題にも、かけ算は適用できる。しかし、これは低学年生には難しすぎる。同数グループは、かけ算の導入にふさわしい。小学校算数では、同数グループでかけ算を導入し、そしてそれを、基準量の倍(整数倍とは限らない)へと発展させる。

かけ算は、算数では、1つ分の数といくつ分から、全部の数を求める演算として習う。1つ分とは、同数グループがあったときの、各グループの構成員数のことで、いくつ分とはグループの数のことである。かけ算の式は、〈1つ分×いくつ分=全部の数〉である。理想的には、「1)同じ数ずつのグループがいくつかあって、かつ、2)全部の数が問われているので、かけ算が使えるのだ」と理解したうえで、かけ算を選ぶべきである。その文章題がかけ算が適用できることを理解したうえで、かけ算の式を立て、その式で示された計算を遂行すべきである。

啓林館の算数教科書は、児童が文章題から演算構造を読み取れるようになるように、とくに力を入れているようで、「どんな計算になるのかな」のような単元が随所に見られる。単に特徴的な言語的表現に注目させるのではなく、それによって意味されている構造に注意を向けさせている。「違い」というひき算言葉があるからひき算を使うのではなく、「違いを求めるから」ひき算を用いるのである。

足し算(増加)「はるなさんたちは、6にんであそんでいました。そこへともだちが7にんきました。みんなでなんにんになりましたか。……6+7になるわけは、はじめに6にんいて、あとから7にんやってきて、ふえるからです。」(1 p.116 2016年度)
かけ算(同数グループ)「1はこ6こ入りのあめが4はこあります。あめはぜんぶで何こありますか。…6×4のしきになるわけは、1つ分の数は6で、その4つ分だからです。」(2下 p.80)
かけ算(基準量の倍)「かるたあそびをしています。たいきさんは5まいとりました。みさきさんはたいきさんの3倍とりました。みさきさんは何まいとりましたか。……4×3になるわけは、4まいの3ばいだからです。」(2下 p.81)

すでに述べたように、児童は文章題を、数の意味や演算構造を理解しないまま、文章中の2つの数を取り出して、今はかけ算を学習中なので掛けるのだろうと思って、ともかくも掛けて、答えを出そうとする傾向がある。かけ算の文章題の場合は、それでも答えは出てしまう。順序を問わなければ式も正しい、ということになる。わり算の文章題なら、割られる数と割る数を逆に書いてしまい、答えが違ってしまうおそれがあるが、かけ算の文章題の場合は、それさえない。

そこで、小学校の教師は、かけ算の文章題の式を、授業のときから、〈1つ分の数×いくつ分〉の順に書くように、児童に言っておくである。かけ算の式は、〈1つ分×いくつ分=全部の数〉という言葉の式に合わせて書くように、普段から、指導しておく。同数グループ構造を読み取れていない児童は、一つ分の数といくつ分がそれぞれ何なのかきかれても、答えられないはずで、当然、〈1つ分×いくつ分〉の順に書くという指示に従うことができない。どちらの数が1つ分で、他のどちらがいくつ分なのかを把握できない児童は、その指示に従って式を立てられない。指示された順序で書くためには、同数グループ構造の1つ分の数といくつ分とを識別できるようにならなければならない。



注1 Gustave Flaubert, Copprespondance, première Série (1830-1950), Paris, Charpentier, 1887; p. 36.

http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6533968v/f97.image.r=Flaubert%20correspondance

注2 Holger Dambeck, "Schulmathematik absurd: 26 Schafe + 10 Ziegen = 36 Jahre", in: Spiegel, 17.01.2012, 11.09 Uhr
http://spiegel.de/schulspiegel/wissen/schulmathematik-absurd-26-schafe-10-ziegen-36-jahre-a-806981.html

"Kapitänsaufgaben" (Universität Regensburg, Didaktik der Mathematik, Wintersemester 2014/15, 51753 Sachbezogene Mathematik (FGSem) Monika Pfaller Lisa Hacker, Marcella Specht, Anna-Lena Brückner 27.11.2014)

注3 佐伯胖・大村彰道・藤岡信勝・汐見稔幸著『すぐれた授業とは何か』(東京大学出版会 1989年)pp.52-53。この文献はツイッターで、モナ氏から紹介があった。

注4 Dereck Haylock & Anne Cockburn, Understanding Mathematics in the Lower Primary Years: A Guide for Teachers of Children 3-8, 2nd ed., London, Paul Chapman, 2003; pp. 65-66.

「C こどもたちが9人で、1つの作文を書いています。そこに、3人の子どもが加わりました。全部で、子どもたちは27人になりました。」

これは足し算の文章題になってしまっている例である。ツイッターでの事例だが、やはり足し算で作ってしまっている例があった。学習塾で教えるita_math氏が、子どもたちに、4×5=20の式になるような問題を作るように言うと、「まりちゃんはおはじきを4こもっています。えりちゃんは5こもっています。ぜんぶでなんこですか。」のような問題を作ってしまったという(Twitter, @ita_math, 2018/08/28 10:26PM)。

注5 吉田甫『学力低下をどう個服するか――子どもの目線から考える』(新曜社 2003年) pp.121-122

注6 森田真生「読み、書き、数学」(プロムナード)『日本経済新聞(電子版)』2017/11/9 14:00

Lieven Verschaffel, Brian Greer, & Drik De Corte, Making Sense of Word Problems, (Contexts of Learing), Lisse, Swets & Zeitlinger, 2000.

注7 H. Dambeck, "Schulmathematik absurd", in: Spiegel, 17.01.2012 11.09

注8 Martin Schneeberger, Verstehen und Lösen von mathematischen Textaufgaben im Dialog, Münster, Waxmann, 2009; S. 132.


(Twitter flute23432 2016/06/27 09:26PM, 2016/06/28 09:30AM, 2016/06/29 11:51PM, 2017/11/12 01:02AM, 2022/01/04 09:48PMなどに基づく。)