2021年2月14日日曜日
〈かけ算の順序〉は、割り算や割合の学習にどう有益なのか?
かけ算の2つの交換法則とわり算
Ⅰ.わり算との対比において
わり算の式は
割られる数÷割る数=答え(商)
のように、通常、割られる数(被除数)を除算記号÷の前に、割る数(除数)を後に置く。
しかし、演算記号との関係で被除数と除数をどの位置に書くか、という問題は、規約・取り決めの問題であって、そこに数学的な必然性があるわけではない。ポーランド記号法のように、演算記号を数字の前に置くスタイルもある。
19世紀のドイツの計算学者ディースターベーク(F.Q.W. Diesterweg)は、ドイツを含めた今日の標準の割り算の順序とは逆の、〈除数:被除数=商〉というスタイルを提案している。今日のドイツであったら6:2と書くところを、左右逆に、2:6と書いているのである(画像参照 注1)。
ところで、わり算は、かけ算と違い、不可換で、被除数と除数を交換したら、商が違ってきてしまう。6÷2と2÷6では、商が違う。
6(被除数)÷2(除数)=3
↓
2(被除数)÷6(除数)=1/3
ここで、注意しなければならないのは、被除数と乗数の位置は変わっていない、ということである。もし、数字だけでなく、被除数と乗数の位置を交換して、つまり、単位もろとも交換して、ディースターベックのスタイルに従ったとすると、
6(被除数)÷2(除数)=3
↓
2(除数)÷6(被除数)=3
と、今度は、商に変化は起こらない。スタイル・書式が変更されただけで、計算は同じである。これでは、割り算の非可換性を示したことにならない。
だから、「割り算では被除数と除数を交換すると計算結果に影響が受ける」と言うとき、被除数と除数の位置を交換する、ということではなく、被除数前・除数後の順序は変えずに、数字だけを交換することを意味する。
割り算は、このように非可換だが、これに対して、かけ算は可換なので、小2ですでに学ぶように、被乗数(かけられる数)と乗数(掛ける数)を交換しても答えは同じである。
だが、この場合も割り算と似て、交換は、被乗数と乗数の位置を交換する、ということではなく、〈被乗数×乗数〉の位置を保持しながら、数字だけを交換することを意味する。ただし、割り算と違う点は、掛け算は可換なので、どちらの交換法則でも、答え(積)は同じということである。
つまり、交換法則とは、
3(被乗数)×4(乗数)=12
4(被乗数)×3(乗数)=12
(解釈的交換法則)
ということであり、
3(被乗数)×4(乗数)=12
4(乗数)×3(被乗数)=12
(位置的交換法則)
のことではない。
私は前者を解釈的交換法則、後者を位置的交換法則と呼んでいる。後者の位置的交換法則では、3個からなるまとまりを4つ(3+3+3+3)、という意味は変わらず、ただ、被乗数を乗号の前に置く日本の算数教育で採用されているスタイルを、アメリカやブラジルなどで見られる、後におくスタイルに変えただけである。
「被乗数(かけられる数)と乗数(掛ける数)を交換して計算しても」という、算数教科書の交換法則の表現は、誤解されやすく、交換法則を位置的に理解している者も多い。〈かけ算の順序〉について著書がある高橋誠氏も、かつてはそうであったという。しかし、よく読んでみると、通常、交換法則として提示されているのは、前者である。
高橋誠氏は、世の中では〈数量×単価〉の順も使われているのだから、交換法則として、解釈的交換法則に加えて、位置的交換法則も教科書に一緒に言及されるべきだと主張している。だが、この交換法則は、スタイル、書式の変更にすぎず、交換法則として取り上げるだけの価値はないように思われる。
もし、取り上げるとしても、文化コラムのように、補足的にということにとどまるであろう。同じ筆算でも国によって数字を書く位置が違うことを紹介したコラムがあるが、あれに類するものとして。
Ⅱ.教科書等における交換法則
その高橋氏は、ツイッターで、教科書等で説明されている交換法則を位置的に理解する台風氏に対して、それはあくまで解釈的である、と反論している。台風氏によると、交換法則が解釈的であれば、つねに同時に位置的でもある、という。
「教科書の交換法則は、【甲】(かけられる数3×かける数4)=(かけられる数4×かける数3)なのです。【乙】(かけられる数3×かける数4)=(かける数4×かけられる数3)ではないのです。」(Twitter 高橋誠氏 2021/01/10 10:49PM)
「4行3列のアレイで【甲】が成り立つと
・長辺4は(かけられる数)かつ(かける数)
・短辺3は(かける数)かつ(かけられる数)
なので
(かけられる数4×かける数3)=(かける数4×かけられる数3)
より【乙】が成り立ちます。」(Twitter 台風氏 2021/01/11 09:46AM)
「それは教科書の読み間違いで、交換法則に対する誤解です。教科書は必ず「被乗数×乗数」の順です。と言いいつつ私自身40年以上、小学校で教わった交換法則を誤解していた口です。それで実生活には何の支障もない。なのに、算数教育は、明治時代に西洋から数学を教わったことに律義に従っている。」(Twitter 高橋誠氏 2021/01/11 03:58PM)
「『かけられる数とかける数を入れかえても、答えは同じ』
の記述から
(かけられる数3×かける数4)=(かける数4×かけられる数3)
と解釈するのは読み間違いだというのが理解できません。
普通に掛け算の交換法則の説明になっていますよ?」(Twitter 台風氏 2021/01/11 09:31PM)
「上の式は、
(かけられる数3×かける数4)
下の式は、
(かけられる数4×かける数3)
3と4を入れかえるが、かけられる数とかける数の順はそのまま。
上の式は、3+3+3+3
下の式は、4+4+4
交換法則は、3+3+3+3を3×4と書いても4×3と書いても良いということではない、のです。」(Twitter 高橋誠氏 2021/01/11 09:48PM)
この点は、高橋氏が正しいことは、上に書いた、割り算の非可換性との対比からも、わかる。教科書に立ち返ることによって、以下、このことを確認してみよう。算術や算数教科書に載っているかけ算の交換法則は、被乗数と乗数の位置を交換する位置的な交換法則ではなく、被乗数か乗数かの意味と単位を置き去りにして、数だけ入れ替える解釈的交換法則である。
小2の算数教科書は、交換法則を、九九表が完成したあとに正式に説明しているが、それに先立ち、九九の学習の途中から、その伏線を張っている。東京書籍算数教科書では四の段のところに、「4×3と答えが同じになる3の段の九九を見つけましょう」という設問がある。1つ前の三の段をふり返ると、答えが同じ12の九九が見つかる。それが3×4である。
4(被乗数)×3(乗数)【四の段】
=3(被乗数)×4(乗数)【三の段】
二の段から始まる九九のすべての段が終わると、今度は、完成した九九表にいくつかの規則性を探す。その規則性の1つが交換法則である。答え(積)が同じ句に注目して九九表を見ると、左上から右下に下る対角線を対称軸とした、対称性が見られることがわかる。これは、たとえば、九九表の7×8と8×7の答えが同じであることを意味する。乗号の前後の数が入れ替わった関係の句は、すべて、答えが同じなのである。
そして、九九では、すべて乗号の前の数が被乗数である。九九はどの句も、〈1つ分×いくつ分〉〈被乗数×乗数〉の順なので、そのあいだに見いだせる、答えの等しさを等号で表せば、次のようになる(x,yは9までの自然数)。
x(被乗数)×y(乗数)【xの段】
=y(被乗数)×x(乗数)【yの段】
この規則性は解釈的交換法則にほからない。
交換法則は、アレイ図で説明されていることもあるが、この説明でも、交換法則は解釈的である。東京書籍教科書の問4の脇に描かれているアレイ図では、◯4個から成る縦の列を、線で囲っているのは、1つ分が4個ということ。それが3列分あるので、式は〈1つ分×いくつ分〉、〈被乗数×乗数〉の図式に従えば、四の段の4×3である。
次に、3個から成る横列を線で囲む。そうすると、構成員数が3のグループが4つできる。1つ分は3個なので、3×4は三の段の九九である3(1つ分)×4を表している。ここでも、1つ分(被乗数)は乗号の前である。
今度の画像は、教育出版の教科書の、交換法則を説明した箇所である。縦2個横6個のアレイ図で、交換法則が説明されている。式2×6のアレイ図では、縦1列の2個の◯が線で囲まれている。これが1つ分である。6×2の式では、同じアレイ図が、横1列を構成する6個の◯が線で囲まれている。6が1つ分なのである。アレイ図でも、乗号の前後の数が入れ替わった関係にある、答えが等しい2つの式において、乗号の前が1つ分なのである。つまり、この交換法則は解釈的である。
アレイ図は、どのようにグループ(まとまり)を見るか、ということついて、このように2つの解釈が可能である。算数は、この2つの解釈の共存にとどまり、同じ2(または6)が、1つ分にもいくつ分にもなる、という理由で、1つ分/いくつ分、被乗数/乗数の区別そのものを無意味として解消してしまうところまでは、つまり、〈因数×因数〉のかけ算にまでは、進まない。
注
注1
Adolph Diesterweg & Johann P. Heuser, Praktisches Rechenbuch für Elementar- und höhere Bürger-Schulen. 1. Übungsbuch, Elberfeld, Büchler, 12. Auflage, 1839; S. 26
(Twitter flute23432 2021/01/12 10:52AM, 11:24PMに基づく。)
2020年5月9日土曜日
交換法則の2つの意味 ― 計算結果同一性と自由可換性・順序任意性
ポーランド記法、逆ポーランド記法のように、演算記号を演算の対象となる数よりも前ないし後に置くスタイルもあるが、数学教育で普通に使われているのは、+-×÷のような演算記号を、最初に与えられる2つの数字のあいだに置くものである。べき算のように、演算記号を使わない場合もある。
演算のなかには、最初に与えられる、演算記号を挟む2つの数字について、演算子の前後でその位置を交換しても、つまり、演算する順序を換えても、結果が変わらないものと、結果に影響を与えるものがある。前者の演算は可換(commutative)と呼ばれ、交換法則(commutative law)が成り立つと言われる。たし算やかけ算は可換な演算の例である。だが、後者は非可換と呼ばれる。引き算、わり算、べき算は非可換である。
可換
たし算 3+4=7, 4+3=7
かけ算 3×4=12, 4×3=12
非可換
ひき算 3-4=? (-1), 4-3=1
わり算 12÷3=4, 3÷12=1/4
べき算 4^3=64, 3^4=81
たとえば、わり算は非可換で、12を4で割ると3になるが、4を12で割ると、1/3となる。割られる数と割る数を取り違えると、答えが違ってきてしまう。演算の結果として出てくる3つ目の数、つまり商、が違ってきてしまう。これに対して、かけ算は可換であり、順序は結果に影響しない。同数累加でかけ算を定義した場合、4×3は4が3つで12、3×4は3が4つで12で、結果(和、積)は変わらない。ただし、かけ算でも、行列のかけ算は、不可換である。順序を換えると、結果が違ってくる。
このような例外はあるが、高校までに習うような、自然数や有理数、実数のあいだでのかけ算やたし算では、順序を換えても、結果は変わらない。つまり、足し算と掛け算は可換である。しかし、詳しく見ると、その可換性の内容は、あくまで、計算した結果が同じである、ということである。これを「計算結果同一性」と呼ぶことにすれば、可換性の基本的な意味は、①計算結果同一性のことなのである。
日本の算数では、かけ算の式が順序が逆を理由にバツにされる、ということから、「かけ算は不可換だと教えられている」と、勘違いしている人が多い。しかし、実際には、算数教育でも、かけ算の①計算結果同一性は、繰り返し教えられている。かけ算は小2ではじめて習うが、小2の段階ですでに、九九表に見られる規則性の1つとして、「被乗数と乗数を交換して計算しても、答えは同じ」と習うのである。これは、交換して計算した結果が同じ、つまり、①計算結果同一性である。かけ算の順序指導を行列やベクトル外積の不可換性を理由に正当化しようとする試みがあるが、それは、行列のかけ算や外積では成り立たない計算結果可能性(①)が、算数では成り立つとされている事実を、見落としている。
flute23432「交換法則の学習」(本ブログ)
しかし、あくまで、算数教科書の引用した箇所で言われているのは、①計算結果可能性だけである。この引用で注目すべきは、「いつでも自由に交換してもよい」とか、「順序はどうでもよい」、とは言われていないことである。だが、計算結果が同じならば、いつでも自由に交換してもいいし、順序はどうでもいい、と言えるのではないか。自由に交換してもよいというのを「自由可換性」、「順序はどうでもよい」というのを「順序任意性」と呼ぶならば、②自由可換性・順序任意性は、計算結果同一性の当然の帰結であり、わざわざ帰結を引き出して見せる必要がないほど自明な、計算結果同一性に必然的に付随する帰結なのではないのか。
しかし、日本の算数教育では、かけ算の可換性は、①計算結果同一性としては間違いなく教えられているが、文章題の立式においては、その付随的な意味である②自由可換性・順序任意性が制限される。たとえば、「3つの袋のどれにも4つ詰めるとき、キャンディは全部で何個必要?」という文章題では、日本の算数教育では、かけ算は〈1つ分×いくつ分〉の順に書く習慣なので、式は4×3であり、3×4と書くとバツにされる。算数において②の意味でかけ算が可換なら、4×3でも3×4でもどちらでもよいはずである。しかし、算数で習う交換法則は、②自由可換性・順序任意性を意味しないので、そのような採点方法は、小学校で習う交換法則に違反しない。だから、小学校のかけ算の問題を論ずるときに、交換法則の意味範囲の違い、つまり、①だけなのか、①②両方なのか、に注意しなければならない。
①「計算結果同一性」は、可換性の基本的な、核となる意味であるが、それに付随するもう1つの意味が、②自由可換性・順序任意性である。自由可換性・順序任意性は、計算結果同一性の当然の帰結であり、とくに言及に値しないと思う人もいるかもしれない。自由派の多くは、可換性ということで、この付随的な意味(②)を含めて、かけ算を可換だと考えている。現実との関係が捨象される抽象的なレベルで式が扱われる高等数学では、それでよいであろう。中学以降の数学では、数や式の抽象化が進んで、ただ数量的にのみ考察されるようになるので、意味の違いは無視される。だから、交換法則の意味には①に加えて、②の自由可換性・順序任意性を自然に含意する。3×4とあるところは、4×3と値が同じ12なので、いつでも自由に言い換えてよいのである。だから、かけ算もそれに応じて、対称的で、順序性がない〈因数×因数〉で定義される。
しかし、これは算数にはあてはまらない。たしかに、算数でも、計算問題や文章題の立式後の計算など、意味が重要ではなく、結果だけが重要なところは、自由に乗号の前後で数の位置を交換してよい。というより、交換法則やその他を使って、楽に計算する方法が、算数では、教えられている。つまり、計算では、②の自由可換性が通用する。
だが、文章題などの、意味が重要なところでは、この自由可換性が制限される。算数では、かけ算が、〈1つ分×いくつ分〉で学ばれている。一つ分は、同数グループが複数あったときの、各グループの構成員数で、いくつ分はグループの数である。算数では、3×4と4×3で意味が違うと言われるのだが、それは、対応する事物の配列の仕方が異なるからである。小学生は、ピアジェが言う具体的な操作期の時期におり、具体物や半具体物の変化や配置などから、演算を学んでいて、しかも、そこからしか演算を理解できない。小学生の頭のなかでは、式はまだ、事物の配列から独立していない。〈1つ分×いくつ分〉のかけ算は、このような事物のグループ分けのような具体的なものに依存しているので、3個のものが4つあるか、4個のものが3つあるかの違いが重要になってくる。このため、文章題の立式では、文章に描かれている事物の配列等によって、つまり、意味によって、②の自由可換性・順序任意性が制限されるのである。
この定義では、一つ分といくつ分では機能や意味が違うので、その意味の違いを、児童がそのつど注記せずともわかるように、位置の違いでも表している。つまり、かけ算の式は、いつも、〈1つ分×いくつ分〉の順で、教科書も板書も統一されている。
どちらが一つ分で、どちらがいくつ分であるかわかっていれば順序はどうでもよいではないか、というのは理屈であって、小学生が演算を教わり、そして学ぶような教育的な状況では、教育的に順序を固定することは、理にかなっている。2つの数のそれぞれの役割と両者の違いを学習する状況で、不規則・不埒に順序を変えたら、それは学習妨害とさえ言える。算数では、単に、教える側がかけ算の式の順序を統一するだけではない。児童が単元テストなどで文章題を解くときにも、教科書にあるような〈1つ分×いくつ分〉の順序で式を書くように求めるのである。教え方に対応した教わり方が求められている。この求めを満たせないときは、式がバツになるのである。
実は、数学でも、②自由可換性は、ある意味で、制限されている。ただし、算数のように、教育的な理由で制限されるのではなく、文字式の表記慣行のために、制限される。というのも、文字式では、「積は数字を前に、文字を後に書く」という表記ルールがあるからである。文字が表す内容ではなく、文字か数字かといった文字の種類を基準として、順序を決めている。もし、かけ算の順序がどうでもよい(②)なら、4aと書こうとa4と書こうと自由なはずであるが、実際には、デカルトが確立した文字式の表記ルールに基づき、4aと書く。②の自由交換性・順序任意性は、数学でも制限されているのである。自由派もこのような順序に従って文字式を書いているはずである。
算数でかけ算の式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書くように求めること、そして、数学で文字式の積を数字・文字の順に書くことは、②の自由可換性・順序任意性を制限するものなのだが、しかし、それは書式や表記のレベルでの制限にすぎないし、①の計算結果同一性という交換法則の基本的意味は全然否定していないので、かけ算の可換性の根幹を揺るがすものではない。ところが、自由派は、自分たちで使う文字式の表記ルールがそのような制限があることに気づかず、なぜか、算数における書式上の順序固定にのみ、異を唱えるのである。
自由派は、算数では①の計算結果同一性は何ら否定されていないこと、ただ②の自由可換性・順序任意性だけが制限されていることに気づかず、そして、②の自由可換性・順序任意性を含めて理解された交換法則を、算数の確認テストの式に、そのまま持ち込んで適用する。その結果、②に対する教育的で書式上の制限を、かけ算の非可換性の主張、つまり、①計算結果同一の否定だと誤認する。彼らは、書式上の制限にすぎないかけ算の順序を原理レベルで理解してしまうのである。そうして、彼らは、「日本の算数教育では嘘が教えられている」と大騒ぎし、算数教育を非難する。
「算数教育の専門家が「掛け算に順序がある」という嘘出鱈目を言っていて、学校でもその嘘出鱈目が教えられているのです…」(定数氏 2020/04/23 22:19)
「掛け算の順序についてどう思いますか — 小学校で行われている掛け算順序に関するトンデモ教育の話ですか?「小学生に嘘を教えるな」以外に答えようがないですよね。」(鴨氏 2017/04/20 03:40PM)
「もちろん、掛算の順序は救いようの無い大嘘であり、業界が 100% 悪いですけどね。」(ゴルゴ氏 2018/11/19 11:14PM)
算数では、②は制限されるが、①という、可換性の基本的な意味は肯定され、教えられているのである。だから、かけ算を順序を固定して教える指導法に、とくに問題はない。小学校ではかけ算が不可換だと教えられているというのは、デマである。
まとめ
たし算、かけ算では①が成り立つので可換、わり算、ひき算は成り立たず不可換。かけ算でも、行列のかけ算やベクトル外積では、①は成り立たない。しかし、かけ算を順序固定して教える算数教育は①を肯定し、②を、計算では許容しつつ、文章から式への立ち上げに関わる、文章題の【立式】で制限する。
可換性の核は①にあり、算数教育はこれを否定しないので、かけ算の可換性を否定している、とは言えない。②を制限するので、可換性を否定しているように見えるだけである。また、①を肯定する順序教育を、否定する行列を理由に正当化しようとするのは、不適切。
2019年8月29日木曜日
何の段の九九
2018年9月、2019年7月にも、今度は、それぞれ別の人物が、同じタイプの設問について、子どもが学校から持ち帰ったバツ採点の答案をツイッターにアップして、疑問を呈している(七氏 2018/09/08 20:50、遠藤氏 2019/07/15 08:47)。そのうち後者には、「子供がショックを受けて隠していた教育同人社の算数のテストを発見。どうみても算数教育がおかしい。」と書いている。厳しい母親から叱られるのを恐れて、100点未満の返却テスト答案を隠していたのではなく、その子自身がその設問の理不尽さにショックを受けて、答案を母親に隠していた、というのであるが、本当なのか。
3人とも、自分の子どもの解答は正解なのにバツされていると見なして、自分の子どもの答案をアップしている。つまり、子どもが「おかしな」採点をされて、トンデモ算数教育の被害を受けた、と訴えているのである。もう信頼して子どもを学校に預けられない、と言うのだ。だが、実際には、彼女らは、自分の子どもの誤解答をネットに晒してしまっているだけなのではないのか。
1.小3の割り算学習の文脈
21÷7の割り算を解くのに使う九九と言えば、3×7か7×3だが、3×7は三の段、7×3は七の段なので、三の段でも間違っていないように見えるかもしれない。この設問をそれだけで見ると、たしかに、そうであろう。だが、この設問が作られ解かれている文脈(コンテキスト)を知れば、三の段という解答が間違いであることがわかる。
割り算は小学校では3年ではじめて習う。割り算が、お菓子を子どもたちに平等に配るときに、配る人数や1人分の個数を求めるものであることが説明されたあと、割られる数が1~2桁の整数、割る数が1桁の整数の簡単な割り算を、覚えたての九九を使って、簡単に解ける方法が説明されている。
それによると、「わり算の答えは、わる数のだん九九をつかってもとめられ」るのである。21÷7 を例として使うならば、割る数の段(七の段)を、7×1=7, 7×2=14…と走査して、答えが割られる数21のところ(7×3=21)で止まり、そのときのかける数3が答えである。それに続いて、実際に、割り算を割る数の段を走査して求める練習問題がそのあとに続いている。表現は少しずつ異なるものの、どの教科書も、同様の説明・構成になっている。
注意しなければならないのは、「何の段の九九を使って求められるか」というこの設問は、わり算の答えを求めるのではなく、答えを求めるときに使う九九の段を尋ねるものだ、ということである。いわば、割り算の答えという目的そのものではなく、目的にいたるための手段を尋ねているのである。その点で、ちょっと変わった設問ではある。単元テストの他の設問が、軒並み、割り算の答えを求めるものなのに、ここだけは、割り算の答えを書いたらバツなのである。そのために、授業やドリルでやったことを忘れて、割り算の答えである3を使い、「三の段」と答えてしまう児童が少なからずいる。バツになったのなら、もう一度、教科書を読んで復習すべきであろう。
教科書には、割り算の答えは【割る数】の段で求めるとあるのだから、それがわかっているかを試す単元テストで、21÷7の例で【割る数】は7なので、七の段と答えればよいのである。同様にして、56÷8は八の段で、21÷3は三の段で、40÷5は五の段で答えを求める。
その設問の趣旨やそれが置かれた文脈からすれば、これは「割る数の段」を答える問題なのである。設問には「何の段の九九を使って求めればよいですか」とあるが、それは、言い換えれば、「授業やドリルでは、次の割り算の答えは九九の何の段を使って解くと習いましたか」という意味なのである。教科書に書かれていることををほぼ再現するだけのそのような設問は、出す価値がないように思えるが、単元テストは授業でやったことの確認なので、原則、平易で基本的な設問ばかりである。それは基礎の基礎の確認なのである。それでも、〈何の段の九九〉の設問は、目的ではなく手段を尋ねる変わった設問なので、バツになることは多い。
そのような趣旨は書かれておらず、文面だけからは、そのようなことは引き出せない、と言われるかもしれない。だが、それは授業を受けていない保護者やネットユーザーたちにとって、そうなのである。しかし実際には、この単元テストの対象者は、そのような人たちではなく、学校の授業で割り算を学習し始めた小学生である。児童は、よく授業に参加していれば、授業やドリルで同じ問題を解き、その設問の趣旨もわかっている。児童は、教師の意図や教科書の執筆者の意図を忖度する必要はない。
砂女氏は、2016年3月には、同じ画像を再掲して、次のように述べる。
「「21÷7」の答えを出すために「3×7と7×3のどちらを想起するかは自由」なのに、「7×3でもとめられる、と授業でやったからそれ以外は認めない」という採点と指導が“問題”です。」
割り算を解く方法は1つではない。割られる数から割る数を何回引けるのかと考えても、4年に習う筆算でも、電卓でも、もちろん、三の段の九九3×7を使っても、解くことはできる。わり算に限らない。2年で習うかけ算(2×3)の問題は、1年で習う足し算(2+2+2)でも解ける。他の方法があることは、わかっている。だが、すべての解法、すべての考え方を教えることはできないし、したとしても、消化不良となる。そのうち一部は、難しすぎる。だから、そのうち、その学年のその段階にふさわしい適切な解法を選んで教えるのである。
そして、その選ばれた方法を宿題や単元テストで繰り返し練習したうえで、最後に単元テストで、それが定着し、習得されているかのチェックを行うのである。答えの段を答えてしまってバツになったなら、そのバツは、他の解法の存在を否定しているのではなく、単に、「授業でやったことができていないね、復習しよう」という意味である。
2.瞬時因数分解する子どもたち
この設問について、21÷7で、三の段(3×7)でも求められる、三の段という答えは間違っていないと主張して、教師の採点を批判する者たちは、教科書を丁寧に読めば理解できる設問の趣旨を捉え損なっているだけなのではない。彼らの多くが、割り算をしているというより、瞬時に因数分解をしているらしいのである(注1)。
そのように主張する人たちは、どうも、逆引き九九が児童の頭に入っていて、児童が21を瞬間的に、3と7に因数分解するのは普通だと見なしているのである。割られる数21を因数分解すると、3×7または7×3となるが、これらが九九のどの段に属しているかと言えば、前者が三の段、後者が七の段である。もし、3×7を使ったなら、三の段でも正しいはずだ、というのである。
「数21を見ただけで数3と7が勝手に心の中に思い浮かんでしまい、続けて÷7と書かれているのを見た瞬間に答えが3だとわかってしまうような人達の存在を認識できているかどうか」(黒木氏 2014/05/20 17:20)
「総当りでもなく偶然でもなくドタマの中に「21のほうから引けるindex」が付いてるちゅうねん。除数*1から線形探索してる場合やないやろ。」(A犯氏 2017/01/14 17:51)
三の段でもよいと主張するこれらの人たちのなかには、かけ算の順序論争では自由派と呼ばれる人たちがいる。自由派の多くにとって、3×7と7×3は意味も計算結果も同じ、同一物の別の表現にすぎない。3と7が対等に同じ因数の資格で、21という積を構成しているのである。だから、21÷7という割り算を解くのに、7×3(七の段)が正しいのなら、3×7(三の段)も同じように正しいはずなのである。
だが、そうだとしたら、設問は、「その割り算の答えを求めるのに、九九のどの【句(1×1=1, 3×8=24などの、九九の1つ1つ)】を使いましたか」ときけばよいのである。ところが、「何の【段】の九九を用いましたか」と、【句】ではなく【段】を答えさせるのはなぜかといえば、7×1=7, 7×2=14, 7×3=21と, 九九のある段を走査(線形探索)することを想定しているからである。
2年生は九九を【段】ごとに習い、基本的に、掛けられる数と掛ける数から、答えを出す一方通行でのみ習う。暗唱する際に、7×1=7, 7×2=14...のように、掛ける数の小さい順に唱えるのが基本であるが、大きい順でも唱える。ときにはアトランダムでも、練習する。
たしかに、答えが18になる九九を探しましょうといった、答えから掛けられる数と掛ける数を答えさせる設問がないわけではないが、逆引きが瞬間的に出てくるまで、練習するわけではない。九九の逆引きがとくに必要となるのは、中学で多項式の因数分解のときである。だが、上記の単元テストを受けると想定されている対象者は、中3の生徒ではなく、小3になったばかりで、その前の年度にかけ算の最初の学習をはじめた小学生なのである。
たしかに、馴れてくれば、32÷4は、割る数四の段を、4×1=4, 4×2=8, 4×3=12...と、段の先頭(×1)から順に走査しなくても、あたりをつけて、4×5=20から始める児童も出てくるであろう。あるいは、段の末尾(×9)から遡及して(つまり、掛ける数の大きい順に)走査してもよい。さらに練習を積めば、最終的には、4×8に瞬時に到達するレベルに達するであろう。だが、3年の前半は、児童の大半はまだ、九九の瞬時逆引きができるレベルではない。それどころか、3年生後半になると、九九を忘れ始める児童が出るために、2年の復習が必要なのである(注2)。
小3前半というこの学習段階の児童にふさわしい割り算の方法として、割り算の筆算に先立って教えられるのが、簡単な割り算の答えを、学びたての九九を使って出すこの方法、九九の、割る数の段を走査して、答えを見つける方法、なのである。この方法に習熟することによって、児童はともかくも割り算ができる、という感覚をもつことができる。この方法は、たしかに、直接的には、桁数が少ない割り算にしか使えないものだが、同じ3年で学ぶ、あまりの出る割り算にもそのまま使える。4年で学習する割り算の筆算においても、数字の桁数が増えて複雑にはなるが、この方法と同じ発想が使われており、その意味で、この方法は割り算筆算の基礎となっている。
3.目的と手段、既知と未知
割り算をするとき、割られる数(条件1)をa、割る数(条件2)をb、割る数の段の走査(答えを得るための手段、方法)をc、答え(解、目的)をdとすると、条件と手段と目的の関係は、次のように、表現できる。
a, b ―(c)→d
割る数の段の走査に必要な条件は、割る数b、それから、2年で暗記した九九の知識である。割られる数aも最後には必要になる。割る数bは走査すべきの九九の段を与える。21÷7の例では、割る数は7なので、七の段を走査して、答えが割られる数aとなる7×3=21にまでいたる。aとbと九九の知識から、答えdが得られたのである。
もし、三の段でもいい、ということになると、その3はどこから得られたのであろうか。3はこのわり算の答えdなのである。であるから、三の段と答えた時点で、すでに、答えが出てしまっている、ということになる。三の段でもいいとする人は、ある種の「論点先取の誤謬」のようなことを犯してしまっている。答えを得るための手段として答えそのものを使ってしまう誤謬を犯している。答えが出てしまっているのなら、答えdを獲得するための手段cとしての段の走査は、そもそも不要ではないか。
三の段と答えたのでは、与えられた条件(既知)が何で、何がで問われているか(未知)、ということの理解がまったくできていないのである。この設問は、21と3という2つの数字を見たときに「想起」(砂女氏)する九九の句(7×3=2のような、九九の1つ1つ)を問うているのではない。未知の答えdを得るための手段cとしての走査する段を尋ねているのである。「割り算の答えをその答えの段を使って求める」という驚異的な不合理を何とも感じない鈍感な人だけが、三の段でも正解だと主張できるのである。
三の段でも正しいという人は、すでに述べたように、段の走査などはしておらず、1)まず3×7=21または7×3=21を思いついて、2)次に、それがどの段に属すのかを考えている。三の段でもいいと主張する人は、1)の段階で、すでに、手段の7も目的(答え)の3も得てしまっている、とも言える。つまり、手段と目的、条件と解を同時に、一体的にまず獲得してしまっている。
でも、設問は、あくまで、目的を達成するための手段、それ自身では目的ではない手段、を尋ねているのである。そこで、三の段でも正しいと主張する人は、もし3×7を思いついたのであれば、目的と手段が一体化した3と7のうち、3を目的(答え)とし、7を手段(割る数の段の走査)に、あとから割り振って、答えているのである。つまり、手段と目的を分離して、再構成しているのである。
「三の段」という誤った解答を正解に仕立て上げるために、かなり無理な事後的合理化・再構成が行われていることに注意すべきである。しかし、設問は、もともと、そのような手の込んだ解釈を、児童には要求していない。教科書に「割り算の答えは割る数の段を使って求められます」とあるので、「何の段の九九」の設問は、それに正確に対応する設問で、ただ、割る数の段(三の段)を答えればよいのである。瞬時に因数分解する方法は、大人が思いつく方法としては正当だが、やはり、小3向けのこの設問の趣旨にまったく対応していないのである。
4.あまりがある割り算
あまりがある割り算を見る前に、因数分解の仕方がもっと多い場合を考えてみよう。
瞬時因数分解する人は、たとえば、18÷3という割り算はどうするのであろうか。というのも、21を因数分解する方法は、九九の範囲では、三の段3×7と七の段7×3の2通り(または、数え方によっては1通り)しかないが、18だと、次の4通りあるからである。
1) 2×9=18 二の段
2) 3×6=18 三の段
3) 6×3=18 六の段
4) 9×2=18 九の段
だが、この場合は、1)二の段や4)九の段という答えは、不適切である。それらでは、答えの6を得ることができない。6を得るためには、3が因数に含まれている2)または3)に絞り込まれなければならない。何の段かときかれたなら、三の段ないし六の段と答えればよいことになる。だが、この絞り込みにおいて、割る数3を使っているのである。割られる数が21のときは、意識しなくてもよかったことだが、ここで、瞬時因数分解する人も、割り算の答え6を出すためには、3という割る数を使わざるをえないのである。あるいは、瞬時因数分解する同じ瞬間に、割る数3を算入しているのである。そして、答えは、割る数でないほうの因数6である。積が18で、因数が3であるときのもう1つの因数が何かを求めているのである。
だが、因数分解する人たちは、割る数3を使っているとしても、三の段を走査しているとは、依然として、言えない。そもそも、「何の段の九九を使って」と段数をきかれているのだから、何かおかしいと思わなければならない。だいたい、かけ算を被乗数×乗数ではなく、因数×因数で考える人には、段という概念がないはずなのである。
3年のうちに、小学生はあまりがある割り算も学ぶ。あまりがある割り算の答えは、どのように得るのか。これも、あまりがない割り算と同じ手法で得られるのである。
たとえば、27÷4の割り算の答えは、割る数は4なので四の段を走査する。
4×1=4, 4×2=8, 4×3=12, 4×4=16, 4×5=20, 4×6=24◯, 4×7=28×...
×7まで行ってしまうと、答えが割られる数27を超えてしまうので、1つ手前の 4×6=24まで戻る。これが停止句となる。答えが割られる数になるところで走査を停止するのではなく、答えが割られる数を超えないギリギリのところを狙うのである。このときの停止句の掛ける数8が答えであり、あまりは、割られる数27から、停止句3×8=24の答え24を引いて得られた3である。
このとき、九九の1つの段を走査しながら、いわば行きつ戻りつする。4年になって、割り算の筆算の学習が始まると、割られる数や割る数の桁数が増える。大きな数で、掛けてギリギリで超えない積を見積もる能力が求められる。あまりがある割り算での「行きつ戻りつ」の規模を拡張した形で、行きつ戻りつが必要となる。これが、足し算・引き算・かけ算になかった、割り算固有の難しさである。
では、瞬間因数分解する人は、27÷4のような、あまりがある割り算をどのように解決するのであろうか。27は3×9または9×3に因数分解できる。では、三の段ないし九の段を使うのであろうか。だが、三の段でも九の段でも、ただしい答えにたどりつけない。答えは6であり、「三の段→答え9」でも、「九の段→答え3」でもない。瞬時因数分解ではなく、4を因数の1つとする積27のもう1つの因数を求めるのだと考えたとしても、正しい答えを得られない。
正しい答えに到達するには、aが割る整数で、bがあまり(整数)、cが割られる整数であるとき、ax+b=c (b<a)となるようなxを求めることだ、と考えなければならないであろう。その場合、27÷4では、4x+b=27 (b<4)となるxとbを求める。bがゼロのとき、27は4の倍数ではないので、そのままでは、27にならない。そこで、bを1すづ増やしていく、つまり、27を1つずつ減らしていく。段の走査ではないが、ある種の走査を行うのである。26も25も4の倍数ではない(4で割り切れない)が、24ならば、4の倍数なので、因数に4を含めて因数分解できる。
24で止まり、これを4×6ないし6×4に因数分解する。4×6は四の段、6×4は六の段なので、四の段または六の段を使うということになるが、この場合も、段の走査は行っているわけではないので、「走査する段はどれか」を答えることは無意味である。4x+b=27 (b<4)を満たすxは6で、bは3である。
このように瞬時因数分解は、そのままでは、あまりがある割り算の問題を正しく解けない。ax+b=c (b<a)となるようなxを求めることだと考えても、これを瞬時にできるのであろうか。少なくとも、あまりがない割り算よりも少し時間がかかりそうだし、何と言っても、小学生にそのような方程式を解くことを期待すべきではない。小学生にふさわしいのは、やはり、割る数の段を走査する方法である。
歴史的補遺
簡単な割り算は九九を使って答える方法について、昔から教えられてきた。19世紀のリットの『新算術』(1887年)という算術書には、設問ではないが、同様の考え方が書かれている。
Nouvelle arithmétique des écoles primaires, par G. Ritt, Paris, 1887.
それによると、割る数が1位数、割られる数が2位数の簡単な割り算の商は、九九表で、簡単に求められる、という。つまり、九九表の割る数の段を水平に走査して、割られる数を見つけたら、そこから上方に遡及すると、商が発見できる。
42÷7の例では、割られる数42と割る数7か与えられ、商6を求めるのである。割る数の7の段を水平に右へと移動し、割られる数42にぶつかったところで、垂直上方に移動し、ぶつかった端にある6が商である。つまり、七の段を走査して答える。
掛け算では、被乗数と乗数が与えられ、積を求める。被乗数の7から水平に右に移動し、乗数の6から垂直に下降して、交点にあるのが積(答え)である。割り算は、掛け算との関係で言えば、被乗数と積がわかっているときに、乗数を求める演算である。
1900年の樺正董『算術教科書上』(p.45)には、次のように書かれている。この時代は、国定教科書では九九は半九九だったので、九九の段を走査するということはできなかったはずである。しかし、38÷7は、大きい順ではあるが、7に9から大きい順に掛けて、積が割られる数を割った(切った)直後で止まり、その際のもう1つの因数7が、答えとなる。段の走査ではないが、ある種の走査を行っている。
9×7=63, 8×7=56, 7×7=49, 6×7=42, 5×7=35
「1位数にてその10倍未満の数を割る場合 37. この場合は、別に法則と言うべきものはなく、ただ、乗法九九を用いてこれを被乗数に比較するまでのことである。たとえば、38を7で割るには、九九を用いて、9, 8, 7, 6, 5と7との積を38と比較すれば、38は5と7を掛けたものに3を加えたものに等しい。すなわち、商5、あまり3を得る。」
昭和初期の緑表紙教科書(1937年)にも、冒頭に掲げた「何の段の九九」型の設問が載っている(2下 p.9)。この時代には、総九九が採用されていたが、「段」という言葉は使われていない。「12÷2を計算するときには、二六12という九九を使いましょう。12÷4には、どんな九九を使いますか。※四三12」
次は、1956年の例である。ここではじめて、「段」が使われている。50÷6の答えは、六の段を走査する。「宏くんは50人を6つの班に分けるには、50÷6の計算をすればよいと考えて、六の段の九九を使って答えを探してみました。答えを7とすれば、六七42で、8あまります。」 もちろん、宏君は次の六八48まで行かなければならない。
次は1969年の教科書から。「30÷6の計算は、6×⬜=30 か ⬜×6=30の⬜に当てはまる数を見つけることです。六の段の九九を使います。」(学校図書3上 1969 p.23)
次は、1985年の例である。「割り算の答えは、割る数の段の九九を使って見つけます。」
以上のように、簡単な割り算の答えを九九を使って求める方法は、外国も含めて、古くから算数で教えられてきた。この設問を批判する砂女氏や定数氏、黒木氏、A犯氏も、割り算をこのようにして、習い始めたのである。
注
注1
「因数分解」と言えば、多項式の因数分解がまず思い浮かぶが、数の因数分解というのも存在する。自然数をこれより小さな自然数の積の形に変形することも、因数分解なのである。素因数分解はその特殊な場合と言える。英語では、とくに素数にこだわらない数の因数分解は、Wikipediaによると、"Integer factorization"と呼ばれている。この因数分解の因数を素因数(素数)に限定すると、"prime factorization"(素因数分解)となる。
注2
1939年に出版された清水甚吾『尋常小学校算術心指導書3下』には次のように書かれている。
「割り算で一番困難なところは、商の発見である。商を一挙に決定させようとすると、学級の優等児だけならそれでよいが、能力の低い児童には困難で、このため、割り算の劣等児を作ることになる。それで、最初のあいだは、割る数の段の九九を、割る数を先に呼び、小さい方から順に唱えていき、被乗数を超えたときにやめ、ひとつ少ない数を商とする。こうして経験を積むあいだに、一挙に商を発見し、あるいは、九九を大きいほうから逆に唱えた方が便利なことや、商を5として見るほうが便利なことなどを適用させるようにする。」(現代風に改めて引用した)
この引用によれば、割る数の段を走査せずとも、商を一挙に発見できる優秀な児童はいるにはいるが、並みの能力のその他大勢の児童には、それができない。だから、割る数の段を乗数が小さい方から順にたどって、対応する九九の句を発見させるのである。
練習を重ねているうちに、児童たちは、段の最初からではなく、途中から始めたり、あるいは、乗数が大きな方から段を遡ったりできるようになっていく。最終的に、あまりがない割り算で、当該の九九が瞬時に発見できるようになれば、この設問をやるようなレベルは卒業となる。
優秀な児童の能力を前提とした授業を強行するなら、割り算がわからない児童がたくさん出てしまう。これでは、義務教育終了までに、国民の算術的な能力を一定以上まで高めるという公教育の目的が果たせない。
(flute23432 2017/01/23 23:48, 2017/01/26 07:40, 2017/01/31 16:18, 2017/02/05 03:23, 2018/06/17 04:29, 2018/09/09 00:57, 2019/07/15 09:03, 2019/07/26 18:33, などのツイートに基づく)
2018年10月27日土曜日
「超算数」批判に対する反駁
かけ算の構造としての一つ分×いくつ分(被乗数×乗数)
文章題立式時のかけ算の式の順序
ゼロを含まない倍数概念
足し算での合併・増加
引き算での求残・求差
わり算での等分除・包含除
文章題の式欄・答欄
公式を使った説明や公式に従った立式
さくらんぼ計算
二重数直線図の使用
場面の翻訳としての式
など
〈かけ算の順序〉教育はその中核であるが、これは、彼らによると、超算数と彼らが呼ぶ問題群の全体から見ると、氷山の一角にすぎない。
さらに昂ずると、彼らの批判は「馬鹿」「クズ」という罵詈雑言が飛び交う非難とヘイトツイートに転化し、「小学校がトンデモ化している」、「数学ができない小学校教師が、算数教育の権威たちに植え込まれた嘘を、子どもたちに教えている」、「子どもたちを避難させないと危ない」といった、あらぬ方向に議論が暴走してしまう。ネットではこのようなことが起こりやすいが、すでにネットでのこうした議論を保護者が信じてしまい、学校と教師への信頼を失い、子どもが基本的な事柄を学び損ない、学年が進んで算数が分からなくなって不登校になる、などの弊害が起き始めている。
だが、騙されてはならない。こういった批判に根拠らしい根拠はない。彼らの批判は、多くは、高等数学で学ぶような概念や定義を、初等中等の数学教育にそのまま無思慮に持ちこむことで起きる誤解に発している。だが、初等中等の数学教育は、単に低レベルの数学なのではなく、同時に教育でもある。彼らにはこのことが理解できない。自分たちが知らない、算数教育固有の概念、古い数学の概念に出会うと、ただそれだけで、彼らはいかがわしいと思うらしいのである。
1) かけ算の説明に出てくる一つ分といくつ分だが、アレイ図を使えば(使わなくても、各皿のリンゴにa, b, c, d..と記号が書かれたラベルを貼れば)、一つ分はいくつ分と、いくつ分は一つ分といつでも解釈できるので、そのような概念や区別は無意味である。
― そのとらえ方を進めていくと、直積(Cartesian product)としてかけ算に行き着くが、直積は小学生には理解が難しい。これに対して、複数の同数グループ(equal groups)は、教室での配布物配布や班編成を例に使えるなど、小学生には一番分かり易いかけ算モデルである。同数グループタイプの文章題は正答率がとても高いが、直積タイプの文章題はとても低い。
各皿に4つずつとあれば、物理的近接性に基づいて1まとまりを4つとするのが自然な解釈で、トランプ配りやラベルを貼って、いくつ分を一つ分、いくつ分を一つ分とすることは、掛け順論争に参加してでもいない限り、大人でも思いつかない、かなりうがった解釈である。かけ算を学ぶ小2が自発的に思いつくものではない。
たしかに、教科書でも交換法則の説明に使われるアレイ図は、コマが縦横等間隔に並んでいるので、縦にも横にも列をとることができる。しかし、その場合でも、一つ分×いくつ分の枠組みは保持されるのである。つまり、縦の列でグループを作ると、それが横に4列あるので3×4,横に列を作ると、1列が4つで、列は3列あるので、4×3である。直積主義のように、グループを作らずに、縦と横の個数から直接、総数を求める、というところまでは行かない。
2) かけ算文章題の式を一定の順序(一つ分×いくつ分)で書くことを求め、もし逆順で書くとバツにして、掛け算の交換法則(可換性)を否定している。これは嘘を教えることで、悪い影響を残す。
― 1つ分といくつ分をそれぞれ押さえているかどうかチェックのために、書式として順序を固定しているだけで、この固定はかけ算の可換性を否定するものではない。
数量欄左、単価欄右の見積書を採用する会社で、新入社員が数量欄に単価を、単価欄に数量を入れたミスを上司が訂正させても、かけ算の可換性という数学的な原理を否定しているとか、かけ算は非可換であると社員に嘘を教えている、とは言えないが、それと同じである。
また、かけ算の順序に従って式を書くことは、基本的に、文章題の立式でのみ求められ、計算問題や、文章題の立式の語の計算(筆算など)は、求められない。
かけ算の可換性は、小学校では、繰り返し(小2,小3,小4で)教えられている。国際的なテストTIMSSで、加乗の可換性、減除の非可換性の理解を問う設問では、日本の中学生は比較上位で、かけ算の順序教育が、かけ算の可換性の理解を妨げる、とするのは、間違い。
3) 文章題では、与えられた数値だけを用いて立式することが求められ、文章中にない数値を用いると式がバツにされる。与えられた文章には25%とあるのに、式で÷4と書けば、バツになってしまう。むしろ、そのように言い換えられる児童のほうが、割合を理解できている。
― 小学生はまさに立式の仕方を学んでいるのであり、文章題からどのように、答えを求める式をどう立てたのかを、教師に診てもらう必要がある。そのためにも、文章題の数値を使って、文章題文章と式とのつながりを示すことが求められるのである。
ただ、これは原則であり、1ダース→鉛筆12本、テントウ虫の足→6本、5割→0.5などは、単位や生物、割合表現についての基本的知識から、計算に必要な数字を引き出す必要がある。
25%を÷4とするとバツになるのは、その文章題が、授業で習った、基にする量×割合=比べられる量の公式を使って答える設問であった、そしてまた、同時に、百分率を正しく小数に変換できるか、ということが問われていた可能性が高い。
4) 足し算には合併と増加があるとして両者をブロックの操作で区別させているが、同じ足し算であり、区別は無意味。区別するのは数学の抽象性を否定するもの。
― 足し算の意味は、足し算が適用できる体験可能な、具体的な状況や操作からはじめて理解される。数字や演算などの理解には、その生活世界的な意味基盤として、体験的な状況や行為への関係づけが不可欠である。このことの理解が、超算数批判論者には欠けている。
その状況や操作の基本的な類型が合併と増加である。合併は金魚がいない水槽に、左から2匹、右から3匹の金魚を同時に入れること、増加は、すでに2匹いる水槽に、金魚3匹を追加することである。
もちろん、小学生はこの2つの状況に、どちらも足し算が適用できることを学ぶ。もし、合併しか習わないなら、3年生になって、手持ちの530円に、今月のお小遣い800円もらったという、増加の状況で、足し算が使えるのかどうかがわからない。
引き算の求残と求差も同様である。ただし、合併と増加に比べて、求残と求差では意味の隔たりが大きく、求残で引き算を学び始めた児童は、どうして求差に引き算が適用できるのか、わからない。こういった困難はあるが、多くの児童はこの困難を乗り越えて、どちらの状況・操作タイプにも引き算が適用できることを理解するようになる。
5) 同じわり算なのに、等分除と包含除の2種のわり算があるかのように言っている。
― 超算数批判論者は、一つ分/いくつ分の区別を認めないので、一つ分を求めるわり算(等分除)といくつ分を求めるわり算(包含除)の区別も、理解できない。1)を参照のこと。
6) 算数教科書ではでは、倍数からゼロを除外しているが、これは「ゼロはすべての数の倍数」という常識に反する。
― 「ゼロはすべての数の倍数」は確かに高校で学ぶが、常識とは言えない。倍数や約数、自然数、素数など、ゼロや負の数を知らなかった古代ギリシアの数論の伝統に由来する諸概念には、多くの場合、ゼロや含める定義と、正の整数内で考えてゼロを含めない伝統的な定義があり、算数は含めない定義を採用している。定義が違うだけ。含めない定義でも、十分に実用的である。
7) 正方形を、特殊な長方形ではなく、長方形とは別の図形として教えている。
― 両者の包摂関係は、現代化算数の時代に教えられたが、多くの小学生がこれを理解できず、教育現場に大混乱を来した。だから、現在では、その関係はあえて教えられていない。
描かれた図形から長方形を選ぶ設問は、その名称の図形の(教科書に例示されているような)典型的な形を選ぶもので、包摂関係を前提としていない。したがって、包摂関係を否定してもいない。
算数では、正方形の面積の公式を、長方形の面積の公式とは別に学ぶが、これも、長方形の特殊な場合である正方形専用の公式を学んでいると見なせば、包摂関係を否定している、とは言えない。布は汎用のハサミでも切れるが、布バサミのほうが切りやすい、というのと同じ。
8) 繰り上がりがある1位数どうしの足し算は、さくらんぼ計算なくても答えは出せる。
― さくらんぼ計算を行った答案は、式の周辺に数字や線が書かれているので、確かに、大人には、異様に、そして複雑怪奇に見え、もっと簡単にできないものかと感じられるが、これは、大人が足し算九九をマスターしていて、すぐに答えが出せるからである。公文や珠算に通っている児童は、答えがすぐに出せるので、さくらんぼの描き方を覚える動機がない。
だが、さくらんぼ計算で、10のまとまりができると1つ上の位が1つ増える10進法の位取記数法の仕組みを理解することができる。足し算九九をマスターしている子も、今一度、原則に立ち戻る価値がある。
8+5 =8+(2+3) =(8+2)+3 =10+3 =13
9) 文章題の解答欄に式欄が答欄とは別に設けられ、教えられた方法に従う式でないとバツにされる。数学では、同じ問題にも解き方が複数ある。教えられた以外の解法を使った解答にバツをするのは、新しい解法を発見するという数学の醍醐味を否定するもの。
― 小学生はまさに、はじめて四則演算の立式の仕方を学んでいる最中で、同じ問題をさまざまな仕方で解決できる方法を提案したり発想したりする段階にはまだない。だから、教わった立式の仕方が習得できているかどうか、教師が診る必要があるので、式は答えとは独立に、採点・評価の対象となっている。文章題での式欄と答欄の用意は、フランス語圏やドイツ語圏でも見られる。それに、式を書くことで、答えが間違った理由が、単なる計算ミスなのか、それとも、割る数と割られる数を取り違えているためなのかがわかり、いわば診断結果を治療に生かすことができる。
単元テストのように、授業の一環として実施される確認・達成度テストでは、しばしば、教えた解法が習得できているかどうかをチェックするのが目的である。だから、教えたのとは別の方法で書いてバツになったり減点されたりする、ということが起きる。
だが、これは、けっして、他の解法が存在しない、ということではない。かけ算を学ぶ小2は、それが足し算でも電卓でもできることを知っているが、かけ算の文章題で、足し算の式を書けば、やはり、バツにされて、式の書き直しとなる。
10) 学校の算数は、割合や速さなどを公式を使って説明しており、公式暗記主義に陥っている。
― 教科書を見れば分かるように、なぜそのような公式になるのか(なぜ三角形の求積では2で割るのか、など)の理由・背景も、小学生は学んでいる。単なる公式暗記主義では公式は使いこなせない。このことを留意の上、学習事項のエッセンスを表す公式の暗記は肯定されるべき。
11) 割合や速さがくもわ図やみはじ図を用いて教えられている。くもわ図やみはじ図の使用は、思考せずに、機械的に正しい答えを出せる安直な方法である。
― これは事実誤認である。たしかに、使う小学校教師もいるようだが、メインにはなっていない。小学校の算数教科書や、ネットで見つかるPDFの指導案には、そのようなものは載っていない。メインは二重数直線図である。
それに、くもわ図やみはじ図で機械的に解決できる、割合や速さの文章題は、かなり単純なパターンのものに限られるのではないか。
12) 割合の問題に、児童は、理解を阻害する二重数直線図の描き方のようなつまらないこともまで学習し、それができるかどうかで評価される。
― 割合の文章題に含まれた、a:b=c:1という、2つの比とその対応関係を線の長さの割合などで視覚化する点で、二重数直線図はとても優れている。教師が二重数直線図を黒板に描くだけでなく、児童も書くように指導するのであれば、その描き方も学ぶことになる。確認テストでは、それが教えられたように描けるかどうかがチェックされる、ということは出てくる。もちろん、慣れてくれば描かなくて済むようになるが。
13) 21÷7の答えを求めるときに使う九九の段を尋ねる、単元テストの設問では、答えは割る数である7の段だというのだが、7×3を思い浮かべようが3×7を想起しようが、自由だ。
― 小3になるとわり算を習いはじめる。わり算の単元の最初のほうで、簡単なわり算の答えは、九九の割る数の段を使って(走査して)答えを見つける、と習う。21÷7は、7×1=7, 7×2=14, .. と、割る数7の段を走査して、答えが割られる数の21になったところで止まる(7×3=21)。その際の乗数3が答え。使った九九の段は、三の段である。
ドリルや単元テストには、次のわり算はどの段を使って答えを求めますか、という設問がある。この設問は、教科書・授業のこの教え方を前提とし、それを習得できているかどうかチェックするものである。
どの単独の九九を「想起」するのか、などとは尋ねていない。
14) 等号は両辺の式や数の大きさの等しさを表す記号なのに、算数では、計算結果を導く記号として用いている。
― 低学年生は、等号を、結果を導く記号と理解する傾向があるが、これは教え方に依存しないようで、外国でも見られ、そのような等号理解は、操作的(operational)と呼ばれる。両辺の同時的等量性の理解、つまり、関係的(relatinal)な理解は、大人が思うほど児童には簡単ではなく、一気にたどりつけるものではない。代数学を学びはじめる中学においてはじめて完成する。実際、等式の性質とそれを活用した方程式の学習は、中1で学ぶ事項である。
15) 式を、場面の翻訳するものと考えるのは、数式の抽象性を誤るものである。4×3と書いただけでは、4個ずつが3つなのか、3個ずつが4つなのかは、わからない。
― 文章題で式を立てることは、自然言語から数式を抽出することである。翻訳は、自然言語どうしで行うものなので、「翻訳」の比喩は、確かに、不適切である。
計算ができるのに文章題ができない児童は多い。文章題ができないということは、学んだ数学を生活や仕事に活用できない、ということである。そこで、算数では、文章題と式との対応関係が重視される。小学生は、文章題の文章から、どのように、複数の同数グループのような数的関係を引き出して、それに基づいて式を立てるのかを学ぶとともに、逆に、想像力を使って、式から文章題を作る、ということもやらされる。
文章題と式の対応を学んでているというこの状況では、初学者がつまずかないように、文章の表現を限定したり、式のヴァリエーションを制限したり、かけ算の順序を固定したりするなど、単純化やパターン化、制限などが必要となる。これが、抽象的な式が文章と1対1に対応すると見なされている、と誤解されやすい背景である。
16) 児童たちは、AIがなかった時代のロボットのように、思考せずに機械的なパターンマッチングで問題を解かされている。
― 授業参観を一度でもすれば、授業・学習が、整然粛々とした機械的な作業の連続ではなく、児童のトンデモ発言や、試行錯誤、混迷、気晴らし、うまく解決できた喜び、消しゴムの落下、などに満ちていることが分かる。
17) 3.9+5.1=9.0の筆算で、9.0のゼロを斜線を引いて抹消させるのは、有効数字を否定するもの
― 算数数学で使われる数値は、多くは、測定値ではなく厳密値であり、もともと有効数字が適用できるようなものではない。それに、小数の足し算の筆算は3年生で学ぶが、数値の精度を桁で表す有効数字の学習は中1になってからはじめて学ぶ。
抹消していないとバツにされた採点答案は、小学校で9と9.0が等しくないと教えられていることを示しているように見える。だが、事態はむしろ逆で、小数9.0が既習の整数9と等しいことが分かる子だけが、.0を抹消できるのである。
ここには、単に小数の足し算の筆算だけでなく、小数点以下が0しかない小数は整数と見なせるという、小数と整数の関係の学習も、含まれていると考えるべき。分数の計算で、答えを既約分数にしなければならない、というのも、単に分数の計算だけでなく、約分の練習を含んでいるからである。
18) 超算数は、日本の算数教育の権威が、教師たちに布教しているトンデモ理論である。
― 「超算数」には、日本独自のもの(かけ算の順序)もあるが、ゼロなし倍数、合併・増加、図形の包摂関係の省略、みはじ図・くもわ図、一つ分/いくつ分、等分除/包含除、答えを導く等号、文章題との式欄/解答欄など、日本の専門家の権威が及ぶと考えにくい外国の数学教育でも、見られるのである。
次の2つの画像にうち、上は、みはじ図の英語版である。みはじ図と違い、形が円ではなく2等辺三角形になっている点は異なる。下の図は、アメリカの算数自習書SaxonMathからの引用である。偶数はゼロを含むが、倍数はゼロを含まない(ある数の倍数は、一倍であるその数そのものから始まる)。
(twitterに2018/10/17に投稿したツイートに基づく。)


































