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2019年5月11日土曜日

計算の工夫とかけ算の順序

算数の教科書には、「計算の工夫」とか「暗算」という見出しで、結合法則等を使って計算を楽にする方法が載っている。結合法則などの法則と、100や1などの切りがいい数値を作る方法とが、組み合わされていることが多い。もちろん、計算の工夫としては、初歩的なものばかりなのだろうが。

1)結合法則の利用
82+43から順番に計算するのではなく、足し算の結合法則を使って、43+57=100など、切りがよい数値を作る組合せを見つけて、それを先に計算する。


今度は、足し算ではなく、かけ算の結合法則と、25×4=100、125×8=1000などを併用する方法。12を4×3に分解して、結合法則により、25×4を作る。100ができると、計算が楽になり、暗算も可能になる。


0が末尾に並ぶ数とのかけ算では、その数を10や100とのかけ算に分解して、それ以外の項を掛けてから、その結果に、10や100を掛ける(0や00を追加する)とよい。筆算でも使える方法である。これは結合法則を使っていると見なすことができる。



掛けられる数・掛ける数ともに、0や00で終わっている場合にも、この方法は使える。また、小数の掛け算の筆算は、1.92を192×0.01に分解して、整数部だけをまず計算し、後から0.01を掛けている(小数点を左にずらしている)と言える。「工夫」と言うほどのものではなく、当たり前にやっている。



2)分配法則の利用
分配法則と、35+65=100といった切りがよい数値を作る計算を併用する。7.2×の共通部分を括弧の外にくくり出して、35+65=100を作ることで、計算を簡単にする。実際の計算では、35+65のような幸運な組合せが発見できるとは限らないが、発見できればこの方法が使える、ということである。教科書の「計算の工夫」の節にあるような練習問題は、もちろん、その練習ができるように、数値が作為的に設定されているのだが。


105=100+5と分解して、100×6のような、計算が楽な部分式ができるように、分配法則を適用する。



99=100-1と言い換えて、100を作ることで、計算を楽にしている。+の分配法則ではなく、-の分配法則の適用を含む。


分数の計算での、分配法則の利用。1/4+3/4=1という、切りがいい数値を作る数の組み合わせが併用されている。分配法則の使い方としては、共通部分を括弧の外に括り出すのが通例だが、(1/3+1/4)×12のように、括弧の中に分配したほうがよい例もある。



3)その他
割り算では、割られる数と割る数を同じ数で割っても(掛けても)答えは同じ、という性質の利用して、割り算を簡単にすることができる。




割られる数も割る数も、0や00で終わっているなら、10や100でともに割っておく。小数の割り算の筆算で10や100を掛けて小数点をずらすのも、同じ性質を使っている。「工夫」ほどのものではなく、筆算の手法の一部だと言える。



足される数から引いたのと同じ数だけ、足す数に足しても、答えは同じという性質を用いて、足し算を暗算で行う。引き算では、引かれる数と引く数から同じ数を引いても(足しても)答えは同じである。
94-48 =(94+2)-(38+2) =96-40 =56



大日本教科書の、「もっと算数玉手箱」という、チャレンジしたい人のためのページには、小学生のガウスが使ったとされる計算の工夫が紹介されている。


これは、交換法則と結合法則を利用している、とも言える
1+2+3+4 =(1+4)+(2+3) =5+5 =5×2 =10

数列の昇順と降順の対応項どうしを足して、その合計を2で割る、という方法も、その続きの部分に、紹介されている。


4)交換法則の利用
かけ算を巡るネット上の議論では、事柄を極度に一面化するデマゴーグたちの扇動もあって、日本の学校算数ではかけ算は可換でないと教えられていると誤解され、非難されている。だが実際には、計算問題では、意味があまり重要ではないので、交換法則は、必要に応じて適用すべきことが、教えられているのである。



上の画像は、筆算に際して、交換法則を使うことで、筆算の行数を減らすものである。計算の工夫とは言えないが、8×7の九九の答えを忘れてしまったときでも、被乗数と乗数の数を逆にした九九を覚えていれば問題なし、というのも、交換法則の活用である。

実は、意味が重要となる文章題でも、立式後の計算では、順序遵守は求められず、交換法則を自由に適用して構わないとされる。次の例は、文章題立式後の筆算で交換法則を適用して、行数を減らす方法。



上の画像における、問4と問6は無関係ではなく、問4は計算問題、問6は文章題だが、問4で用いた、筆算での交換法則の適用を、今度は文章題でやってみようというもの。
このことをあえて式に組み込んで書けば、

3×38 ←一つ分×いくつ分の公式に従って式を立てる【立式部】
=38×3 ←交換法則の適用【計算部】
=114 ←筆算の結果を書く【計算部】

となる。

みかんは1人3個ずつで、組の人数は38人なので、1つ分×いくつ分の公式に従い、3に38を掛ければ必要なみかんの総数を求められると認識する。そして、筆算では、交換法則を使う。1つ分×いくつ分、単価×数量、速さ×時間などの公式に従った立式と、交換法則の適用とは両立可能なのである。つまり、掛け算の順序は交換法則と両立可能である。

次の例は、文章題で、立式後の=で言い換えて行く計算部分で、交換法則と25×4=100を併用している。



すど氏が2017年8月にツイートして、それに対する生天目(なばため)氏の反応が炎上騒ぎとなった問題も(注1)、同じように解いてみよう。これは、教科書の「計算の工夫」の節にうってつけの例題である。

「1本85円の鉛筆を144本と,1冊144円のノートを15冊買います。合計はいくらでしょう?」

まず、単価×数量の公式を2度繰り返して、立式する。このことで、児童が85円の85を単価として、144本の144を数量と捉え、単価に数量を掛ければ合計が求まるがゆえにかけ算を使った、ということが、教師は確認できる。

85円(単価)×144本(数量)+144円(単価)×15冊(数量)

次に、鉛筆の本数とノートの値段の数値が同じで、85+15=100と切りがいい数字になる組み合わせになるところに注目して、交換法則を適用し、乗号の前に114が来る形にそろえる。さらに、分配法則を使って、144×をくくり出すことで、85+15をつくる。最後に、144にその合計の100をかける、つまり、144にゼロを2つ追加する。

85×144+144×15 ←単価×数量のことばの式に基づき立式
=144×85+144×15 ←交換法則
=144×(85+15) ←分配律
=144×100
=14400

答え 14400円



注1
「「1本85円の鉛筆を144本と,1冊144円のノートを15冊買います。合計はいくらでしょう」という数値設定の問題,かけ算の順序的にすごく面白そうじゃありません?」(すど氏 2017/08/02 20:31)
「例えば「あなたが小学校の先生だとして,この数値設定の特徴に気づき,暗算で144×100=14400円と計算できる子を育てたいですか,育てたくないですか」的な問いを初等科数学科教育法の授業で教員志望の大学生に投げてみたらどうかしら。」(20:42)

「これに関しては明確に答えられます。「NO」です。
理想は頭の中で最適化された計算を「確かめ算(検算)」として行い、表記上はそれぞれ別の掛け算から合算する方式を記入する。
そして「144×100のようなずるをした?」という問いに「いいえ」と答えられるようになるまでが「教育」です。」(生天目氏 2017/08/04 08:54)

すど氏の問題点は、彼が、算数を十分に研究しておらず、そのために、自分が作った設問が、計算の工夫という題で算数で教えられている設問の類題にすぎないということを認識できずに、あたかも、算数では計算の工夫が教えられていないかのように、そしてまた、それがかけ算の順序と相いれない例であるかのように提示しているところである。

「暗算で144×100=14400円と計算できる子を育てたいですか,育てたくないですか」と問うすど氏の問いに対して、生天目(なばため)氏は、「これに関しては明確に答えられます。「NO」です。」と答えているのであるが、「育てたいですか」にNOなのか、「育てたくないですか」にNOなのかが、不「明確」であり、生天目氏はまったく、明確に答えているとは言えない。たぶん、「育てたいですか」にNOと言いたいのだろうが。

生天目氏が理想とするのは、144×100で検算するが、式は単価×数量の公式に従って書ける児童の育成である。そのあと、「「144×100のようなずるをした?」という問いに「いいえ」と答えられるようになるまでが「教育」です。」と述べているのだが、この箇所が理解しにくい。

教師が「家に帰るまでが遠足です」と言ったなら、それは、学校で解散したら、もう教師の責任はないというのではなく、家に無事帰ったことを確認できて、はじめて教師の管理責任は完了する、ということであろう。それからすれば、生天目氏のこの部分は、児童が「ずるをした?」という教師の問いに「いいえ」と答えられるようになってはじめて教育は完成する、という意味になる。教育がそんなに簡単に完成してよいかどうか問題だが、ここは、買い物の合計を計算する文章題の指導が一応終わる、ということであろう。

だが、「いいえ」と答えられるようになる段階というのがどんなものなのか、ということが、生天目氏の文章からはよくわからない。「「いいえ」と答える」というのは、144×100で計算することが「ずる」でなく「検算」であることが理解できる理想的な段階のことなのか。それ以前の発展途上の児童たちは、計算の工夫を「ずる」だと捉えている、ということなのか。しかし、上で見たように、計算の工夫は算数で繰り返し教えられている。文章題でも、計算の工夫をしてよいのである。

生天目氏には、かなり特異な教育観があり、この反応は、そこから出てきたもののようだ。生天目氏にとって、学校は、わざと間違えてあげる、今初めて知った、今初めてわかったふりをしてあげる苦労を思い知る場なのである、と言う(2018/12/23 16:23)。

ともかく、生天目氏のこのツイートは炎上することになるのだが、その原因は、144×100で計算することを「ずる」ととらえるその発想そのものである。生天目氏は、「ずる」と言ったのは、自分自身ではなく、自分のツイート中の登場人物(教師)であると述べて、言い逃れを試みているが、その登場人物を創作して、登場人物にそのように言わせたのは、生天目氏自身である。

この炎上騒ぎに関連して、小学校の先生が交換法則の適用をズルと言ったという証言がなされた。

「25の48パーセントは48の25パーセントも答えは同じだから、48を4で割れば暗算できると言ったら、小学校の先生からそんなズルを先生が言ってはいけない、と非難された…」(数学氏 2018/11/05 11:47PM)

だが、ここでも、掛け算の順序や公式の適用と、交換法則の適用とは共存可能なので、交換法則の適用は「ずる」だという必要はない。まず、基準量×割合の言葉の式に従って、立式する。

25×0.48

立式したあとは、計算過程に入るので、どれが基準量でどれが割合がどれでということは、気にしないでよい。結合法則などを使って、計算を楽にすることもできる。

25×0.48
=25×(0.12×4)
=25×(4×0.12) ←交換法則
=(25×4)×0.12 ←結合法則
=100×0.12
=12

「48の25パーセントも答えは同じ」というは、式にすると少しややこしくなるが、次のように計算している、と考えることができる。

25×0.48
=0.48×25 ←交換法則
=(48×1/100)×25
=48×(1/100×25) ←結合法則
=48×25/100
=48×1/4
=12

計算の工夫は「ずる」でも何でもない。そして、どれが単価でどれが数量であるかという意味と関係を捉えた上で立式できることも、交換法則や分配法則などを使って計算の工夫ができるようになることも、どちらも、算数では目指されている。

(2019/01/01 21:11などのツイートに基づく)

2019年4月20日土曜日

テストにおける書かれざる指示

学校の算数では、「長いすが7つあります。1つに6人ずつすわると、みなんで何人座れますか?」という掛け算の文章題では、7×8と式を立てると式がバツになる。



これは、学校の算数では、かけ算を

一つ分×いくつ分=全部の数

という図式で習うが、その一つ分といくつ分をそれぞれ正しく把握できているかを診るために、掛け算の式は一つ分×いくつ分(被乗数×乗数)の順に書くことが求められているからである。一つ分とは、同数グループがあったときの各グループの構成員数で、いくつ分とはグループの数のことである。これがわからない児童は、一つ分×いくつ分の順序で、式を書くようにという要求に応えられない。

これに対して、「もし順序を指示するのであったら、ちゃんと問題文に書くべきだ」「書いているなら、指示に従っておらずバツもやむをえない」と言う人もいる。

だが、そのような書かれざる指示というのは、無数にあり、書き尽くすことは、もともとできない相談なのである。試験(テスト)における、そのような書かれざる指示には、たとえば、次のようなものがある。

解答用紙の氏名欄には、先生の名前や好きなタレントの名前ではなく、自分の名前を書く
万年筆やボールペン、サインペン、毛筆、赤鉛筆ではなく、黒鉛筆を使って答案を書く
少なくとも読める程度に丁寧に書く
解答は(解答用紙の)対応する解答欄に書く
マークは1列に1箇所だけ
問題が解けなくても隣の人に協力を仰いだりスマホを検索したりしない
できてもできなくても、答案は提出する
記号を書きなさいとあったら、記号だけを解答用紙に書く、記号が円で囲まれているものであったら、その円も含めて書く



こうした指示は、センター入試や検定試験のように、書いてあることもあるが、書いていないことも多い。試験の前に、口頭で指示されることもある。

試験一般ではなく、その教科固有の暗黙の指示もある。

たとえば、国語のテスト問題に「30字以内にまとめなさい」とあったら、26~30字はいいが、18字ではまったく足りないと見なされ、内容にかかわらずバツにされる。20字ではなく30字と指定したのだから、そのくらいの分量の記述が求められている、18字ではその要求に応えられていない、ということなのだろう。18字でも、30字以内には変わりないだろうとも言えるのだが、それは学校のテストや入試でも通用しない理解である。

「書き抜きなさい」とあったら、リード文の該当箇所を、句読点も含めて、変更せずにそのまま引用しなければならない。漢字をひらがなに、平仮名を漢字に勝手に変えてはならない。「なぜですか」ときかれたら、理由を書いていることを明確にするために、「~[だ]から。」と「から」を文末に付けて、答えを書かなければならない。これは理科でも当てはまる。

理科や社会などでも、国語のテストでもないのに、漢字を間違ったり、漢字で書くべきところを平仮名で書いてあったりすれば、バツになる。社会では、「第二次世界大戦」は「第2次世界大戦」とアラビア数字を使うと、減点される。

算数や数学のテストでは、たとえば、次のようなことが、暗に求められている。

数字は漢数字やローマ数字でなくアラビア数字を用いる(漢数字とアラビア数字を言い換える問題を除く)
断りがない限り、問題用紙に書かれた数字は十進法で理解し、解答も十進法で書く
計算問題では、答えは単一の数値になるようにする(4×3=4×3や、4×3-2 =12-2で計算を終わらせない)、
分数の計算では、答えは既約分数にする
途中式はかならず書く
乗号には・ではなく×を用いる
高学年になったら等号=はそろえて書く
図形はテスト用紙が鼻水で歪んでも、曲面図形を習うまでは、曲面図形ではなく平面図形と見なす



求められていることに応えられていないと、バツにされる。

小学校の算数の授業内で、授業の一環として行われる、単元テストのようなテストでは、授業でやったことが習得できているかどうかをチェックするために、その種の書かれざる指示が、一般の試験に比べて、さらに多くなる。そのようなテストでは、その学校で、その授業で採用されている考え方や方法で解答を書くことが求められている。

細かく言うと、教員によってその指示は違っている。前回のテストで、数字を汚く書いている児童がたんさんいて、6と0のどちらがどちらだかがわからずに採点に困った教師は、テスト前に、「6と0は違いがわかるように書いてね」と言い、採点に際しては、とくにその点にこだわった採点をすることになる。

ところが、児童が答案を家に持ち帰ると、そのような、学校や授業での指示が脱落する、という現象が起きる。たいていの保護者は、そのような前提やら方法やらを知らずに、答案の採点結果だけを見るからである。このために、とんでもない誤解が生ずる。とくに、答案の一部がネットにアップされると、保護者を超えて、誤解が広がることになる。「脱文脈化効果」と勝手に呼んでいる。

順番が違うという理由で式がバツになっているかけ算の文章題の答案が、ネットにアップされると、「子供たちが算数・数学が嫌いになってしまう」、「日本の小学校では、かけ算は非可換という大嘘が教えられている」、「小学校の教師は掛け算の可換性も知らないバカだ」と、小学校の教育や教師が非難される、というのがその典型的な例である。

学校の単元テストでは、答えが計算問題ではなく文章題が示す問題状況に対する解決であることを意識するために、答え欄の答えには数値に、cmやLなどの単位、あるいは、「こ」「ほん」「ひき」「まい」などの助数詞を付ける、ということが求められている。書いていないと減点かバツである。何cmですかと尋ねているなら、単位はcmと決まっているので、書く必要はないとも言えるのに、である。

その他にも、次のような、書かれざる指示がある。

式欄に書く式は、28÷4ではなく、28÷4=7と、等号や答えも含めて書く
四捨五入や切り上げなどをして出てきた概数には、概数であることを明確に意識するために、その前に「約」を付ける
円周率はとくに書かれていなくても、3や3.141592653ではなく、3.14で計算する
仮分数と帯分数を言い換える練習も兼ねて、そしてまた、帯分数のほうがどのくらいの大きさを表しているかを把握しやすいので、分数の計算問題の答えは帯分数で書く
小数の筆算では、小数点以下がゼロしかない場合は、既習の整数と同じものであること(9.0がなじみの9と等しいこと)を意識するために、ゼロを斜線で消す
まっすぐな線を引くのが身体的に難しい低学年のうちは、分数や筆算の横線は定規で引いて、列や位置がずれて計算ミスを犯すのを防ぐ
……

小学生は4年次に、演算記号の種類や括弧による計算順序のルールを学ぶ。学んでいる間は、順序を明確に意識するために、そしてまた、ルールを習得できていない子がどこで躓いているかを診断するために、試験では要求しなくても、教科書の練習問題やドリルの問題をノートに解く場合は、色付下線とマル番号を付けて、順序を明確にすることが求められる。書いていなかったり、書いていても、適切でない場合は、やり直しである。バツになる。児童たちが、計算順序を間違わずに計算できるようになれば、それは求められなくなる。



授業では、繰り上がりがある足し算の計算問題を、さんらんぼを描いてやったのなら(さくらんぼ計算)、同じことを教科書等を見ずにできるかどうかが、単元テストでも試されている。だから、さくらんぼを描かないと、減点となることがある。こうした減点答案がネットにアップされると、授業やカリキュラムの文脈から切り取られて誤解され、「さくらんぼ計算を強制するな」という非難がネットで沸き起こることになる。

だが、さくらんぼ計算は、10進法位取り記数法の原理を、小1でも学ぶことができる、アメリカにも採り入れられた優れた、足し算の学習・教授方法である(Make a ten strategy と呼ばれる)。そして、さくらんぼ計算の学習のあとでは、カードで足し算九九の練習に入るので、さくらんぼ計算を使わない、足し算九九による方法が否定されているわけではない。どちらでも行うのである。それでも、足し算九九を学習する前に行われる単元テストでは、さくらんぼを描くことが求められるであろう。

三角形の面積を求める問題では、式は習った公式に従って、底辺×高さ÷2で書く。公式通りの式を求めるのは、とても、形式主義的で柔軟性がないように見えるが、高さがどれで底辺がどれかを正しく把握できているか、そしてまた、公式を覚えているかも、チェックされているのである。高さがいつも辺の長さだと思ってる児童は、この公式に従って立式することができない。

公式はただ覚えても使えるようにならないが、しかし、覚えるためのものであるというのも、依然として、真実である。小学生には、図形の面積はその周囲の長さを測ればわかると思う傾向がある。長方形の面積を、縦+横で求めてしまわないように、三角形の面積で÷2を忘れないように、求積公式を覚えておくことが重要である。

掛け算の式を、教科書に倣って、一つ分×いくつ分、単価×数量の順に書くこともまた、掛け算の文章題を解答するとき、暗に指示されていることなのである。もししそれに従えていない式はバツにされるが、それは、掛け算が非可換だからではなく、その書かれざる指示に従えていないから、である。

だから、掛け算の文章題で式が逆だからバツというのは、掛け算の可換性という原理の否定ではない。掛け算の順序は、原理でなく、書式・表記上のレベルで求められているもので、一つ分といくつ分をそれぞれ正しく把握させるという教育的な意味で、設定されているのである。



高校数学でも、「関数f(x)の最小値を求めよ」という問いで、f(x)を最小値すとするxの値を挙げていない、もしくは挙げていても全部を上げていないとき、減点する教師がかなりいる。不等式の証明では、しばしば、問題文に書かれていなくても、等号成立条件を書くことが求められている。(2019/04/17 ツイッターでの定数氏によるアンケート結果による。)




(2019/04/17 20:07などのツイートに基づく。)

2018年10月27日土曜日

「超算数」批判に対する反駁

ツイッターで、黒木氏や定数氏らが、「超算数」と名づけて、小学校の算数教育を批判している。批判の対象となったのは、次のようなものである。

かけ算の構造としての一つ分×いくつ分(被乗数×乗数)
文章題立式時のかけ算の式の順序
ゼロを含まない倍数概念
足し算での合併・増加
引き算での求残・求差
わり算での等分除・包含除
文章題の式欄・答欄
公式を使った説明や公式に従った立式
さくらんぼ計算
二重数直線図の使用
場面の翻訳としての式
など

〈かけ算の順序〉教育はその中核であるが、これは、彼らによると、超算数と彼らが呼ぶ問題群の全体から見ると、氷山の一角にすぎない。

さらに昂ずると、彼らの批判は「馬鹿」「クズ」という罵詈雑言が飛び交う非難とヘイトツイートに転化し、「小学校がトンデモ化している」、「数学ができない小学校教師が、算数教育の権威たちに植え込まれた嘘を、子どもたちに教えている」、「子どもたちを避難させないと危ない」といった、あらぬ方向に議論が暴走してしまう。ネットではこのようなことが起こりやすいが、すでにネットでのこうした議論を保護者が信じてしまい、学校と教師への信頼を失い、子どもが基本的な事柄を学び損ない、学年が進んで算数が分からなくなって不登校になる、などの弊害が起き始めている。

だが、騙されてはならない。こういった批判に根拠らしい根拠はない。彼らの批判は、多くは、高等数学で学ぶような概念や定義を、初等中等の数学教育にそのまま無思慮に持ちこむことで起きる誤解に発している。だが、初等中等の数学教育は、単に低レベルの数学なのではなく、同時に教育でもある。彼らにはこのことが理解できない。自分たちが知らない、算数教育固有の概念、古い数学の概念に出会うと、ただそれだけで、彼らはいかがわしいと思うらしいのである。


1) かけ算の説明に出てくる一つ分といくつ分だが、アレイ図を使えば(使わなくても、各皿のリンゴにa, b, c, d..と記号が書かれたラベルを貼れば)、一つ分はいくつ分と、いくつ分は一つ分といつでも解釈できるので、そのような概念や区別は無意味である。


 ― そのとらえ方を進めていくと、直積(Cartesian product)としてかけ算に行き着くが、直積は小学生には理解が難しい。これに対して、複数の同数グループ(equal groups)は、教室での配布物配布や班編成を例に使えるなど、小学生には一番分かり易いかけ算モデルである。同数グループタイプの文章題は正答率がとても高いが、直積タイプの文章題はとても低い。

各皿に4つずつとあれば、物理的近接性に基づいて1まとまりを4つとするのが自然な解釈で、トランプ配りやラベルを貼って、いくつ分を一つ分、いくつ分を一つ分とすることは、掛け順論争に参加してでもいない限り、大人でも思いつかない、かなりうがった解釈である。かけ算を学ぶ小2が自発的に思いつくものではない。

たしかに、教科書でも交換法則の説明に使われるアレイ図は、コマが縦横等間隔に並んでいるので、縦にも横にも列をとることができる。しかし、その場合でも、一つ分×いくつ分の枠組みは保持されるのである。つまり、縦の列でグループを作ると、それが横に4列あるので3×4,横に列を作ると、1列が4つで、列は3列あるので、4×3である。直積主義のように、グループを作らずに、縦と横の個数から直接、総数を求める、というところまでは行かない。




2) かけ算文章題の式を一定の順序(一つ分×いくつ分)で書くことを求め、もし逆順で書くとバツにして、掛け算の交換法則(可換性)を否定している。これは嘘を教えることで、悪い影響を残す。

 ― 1つ分といくつ分をそれぞれ押さえているかどうかチェックのために、書式として順序を固定しているだけで、この固定はかけ算の可換性を否定するものではない。

数量欄左、単価欄右の見積書を採用する会社で、新入社員が数量欄に単価を、単価欄に数量を入れたミスを上司が訂正させても、かけ算の可換性という数学的な原理を否定しているとか、かけ算は非可換であると社員に嘘を教えている、とは言えないが、それと同じである。

また、かけ算の順序に従って式を書くことは、基本的に、文章題の立式でのみ求められ、計算問題や、文章題の立式の語の計算(筆算など)は、求められない。

かけ算の可換性は、小学校では、繰り返し(小2,小3,小4で)教えられている。国際的なテストTIMSSで、加乗の可換性、減除の非可換性の理解を問う設問では、日本の中学生は比較上位で、かけ算の順序教育が、かけ算の可換性の理解を妨げる、とするのは、間違い。



3) 文章題では、与えられた数値だけを用いて立式することが求められ、文章中にない数値を用いると式がバツにされる。与えられた文章には25%とあるのに、式で÷4と書けば、バツになってしまう。むしろ、そのように言い換えられる児童のほうが、割合を理解できている。

 ― 小学生はまさに立式の仕方を学んでいるのであり、文章題からどのように、答えを求める式をどう立てたのかを、教師に診てもらう必要がある。そのためにも、文章題の数値を使って、文章題文章と式とのつながりを示すことが求められるのである。

ただ、これは原則であり、1ダース→鉛筆12本、テントウ虫の足→6本、5割→0.5などは、単位や生物、割合表現についての基本的知識から、計算に必要な数字を引き出す必要がある。

25%を÷4とするとバツになるのは、その文章題が、授業で習った、基にする量×割合=比べられる量の公式を使って答える設問であった、そしてまた、同時に、百分率を正しく小数に変換できるか、ということが問われていた可能性が高い。


4) 足し算には合併と増加があるとして両者をブロックの操作で区別させているが、同じ足し算であり、区別は無意味。区別するのは数学の抽象性を否定するもの。

 ― 足し算の意味は、足し算が適用できる体験可能な、具体的な状況や操作からはじめて理解される。数字や演算などの理解には、その生活世界的な意味基盤として、体験的な状況や行為への関係づけが不可欠である。このことの理解が、超算数批判論者には欠けている。

その状況や操作の基本的な類型が合併と増加である。合併は金魚がいない水槽に、左から2匹、右から3匹の金魚を同時に入れること、増加は、すでに2匹いる水槽に、金魚3匹を追加することである。

もちろん、小学生はこの2つの状況に、どちらも足し算が適用できることを学ぶ。もし、合併しか習わないなら、3年生になって、手持ちの530円に、今月のお小遣い800円もらったという、増加の状況で、足し算が使えるのかどうかがわからない。

引き算の求残と求差も同様である。ただし、合併と増加に比べて、求残と求差では意味の隔たりが大きく、求残で引き算を学び始めた児童は、どうして求差に引き算が適用できるのか、わからない。こういった困難はあるが、多くの児童はこの困難を乗り越えて、どちらの状況・操作タイプにも引き算が適用できることを理解するようになる。


5) 同じわり算なのに、等分除と包含除の2種のわり算があるかのように言っている。

 ― 超算数批判論者は、一つ分/いくつ分の区別を認めないので、一つ分を求めるわり算(等分除)といくつ分を求めるわり算(包含除)の区別も、理解できない。1)を参照のこと。


6) 算数教科書ではでは、倍数からゼロを除外しているが、これは「ゼロはすべての数の倍数」という常識に反する。

 ― 「ゼロはすべての数の倍数」は確かに高校で学ぶが、常識とは言えない。倍数や約数、自然数、素数など、ゼロや負の数を知らなかった古代ギリシアの数論の伝統に由来する諸概念には、多くの場合、ゼロや含める定義と、正の整数内で考えてゼロを含めない伝統的な定義があり、算数は含めない定義を採用している。定義が違うだけ。含めない定義でも、十分に実用的である。


7) 正方形を、特殊な長方形ではなく、長方形とは別の図形として教えている。

 ― 両者の包摂関係は、現代化算数の時代に教えられたが、多くの小学生がこれを理解できず、教育現場に大混乱を来した。だから、現在では、その関係はあえて教えられていない。

描かれた図形から長方形を選ぶ設問は、その名称の図形の(教科書に例示されているような)典型的な形を選ぶもので、包摂関係を前提としていない。したがって、包摂関係を否定してもいない。

算数では、正方形の面積の公式を、長方形の面積の公式とは別に学ぶが、これも、長方形の特殊な場合である正方形専用の公式を学んでいると見なせば、包摂関係を否定している、とは言えない。布は汎用のハサミでも切れるが、布バサミのほうが切りやすい、というのと同じ。


8) 繰り上がりがある1位数どうしの足し算は、さくらんぼ計算なくても答えは出せる。

 ― さくらんぼ計算を行った答案は、式の周辺に数字や線が書かれているので、確かに、大人には、異様に、そして複雑怪奇に見え、もっと簡単にできないものかと感じられるが、これは、大人が足し算九九をマスターしていて、すぐに答えが出せるからである。公文や珠算に通っている児童は、答えがすぐに出せるので、さくらんぼの描き方を覚える動機がない。

だが、さくらんぼ計算で、10のまとまりができると1つ上の位が1つ増える10進法の位取記数法の仕組みを理解することができる。足し算九九をマスターしている子も、今一度、原則に立ち戻る価値がある。

8+5 =8+(2+3) =(8+2)+3 =10+3 =13




9) 文章題の解答欄に式欄が答欄とは別に設けられ、教えられた方法に従う式でないとバツにされる。数学では、同じ問題にも解き方が複数ある。教えられた以外の解法を使った解答にバツをするのは、新しい解法を発見するという数学の醍醐味を否定するもの。

 ― 小学生はまさに、はじめて四則演算の立式の仕方を学んでいる最中で、同じ問題をさまざまな仕方で解決できる方法を提案したり発想したりする段階にはまだない。だから、教わった立式の仕方が習得できているかどうか、教師が診る必要があるので、式は答えとは独立に、採点・評価の対象となっている。文章題での式欄と答欄の用意は、フランス語圏やドイツ語圏でも見られる。それに、式を書くことで、答えが間違った理由が、単なる計算ミスなのか、それとも、割る数と割られる数を取り違えているためなのかがわかり、いわば診断結果を治療に生かすことができる。

単元テストのように、授業の一環として実施される確認・達成度テストでは、しばしば、教えた解法が習得できているかどうかをチェックするのが目的である。だから、教えたのとは別の方法で書いてバツになったり減点されたりする、ということが起きる。

だが、これは、けっして、他の解法が存在しない、ということではない。かけ算を学ぶ小2は、それが足し算でも電卓でもできることを知っているが、かけ算の文章題で、足し算の式を書けば、やはり、バツにされて、式の書き直しとなる。


10) 学校の算数は、割合や速さなどを公式を使って説明しており、公式暗記主義に陥っている。

 ― 教科書を見れば分かるように、なぜそのような公式になるのか(なぜ三角形の求積では2で割るのか、など)の理由・背景も、小学生は学んでいる。単なる公式暗記主義では公式は使いこなせない。このことを留意の上、学習事項のエッセンスを表す公式の暗記は肯定されるべき。
(東京書籍教科書5下, 2014, p.36より)


11) 割合や速さがくもわ図やみはじ図を用いて教えられている。くもわ図やみはじ図の使用は、思考せずに、機械的に正しい答えを出せる安直な方法である。

 ― これは事実誤認である。たしかに、使う小学校教師もいるようだが、メインにはなっていない。小学校の算数教科書や、ネットで見つかるPDFの指導案には、そのようなものは載っていない。メインは二重数直線図である。

それに、くもわ図やみはじ図で機械的に解決できる、割合や速さの文章題は、かなり単純なパターンのものに限られるのではないか。


12) 割合の問題に、児童は、理解を阻害する二重数直線図の描き方のようなつまらないこともまで学習し、それができるかどうかで評価される。

 ― 割合の文章題に含まれた、a:b=c:1という、2つの比とその対応関係を線の長さの割合などで視覚化する点で、二重数直線図はとても優れている。教師が二重数直線図を黒板に描くだけでなく、児童も書くように指導するのであれば、その描き方も学ぶことになる。確認テストでは、それが教えられたように描けるかどうかがチェックされる、ということは出てくる。もちろん、慣れてくれば描かなくて済むようになるが。


13) 21÷7の答えを求めるときに使う九九の段を尋ねる、単元テストの設問では、答えは割る数である7の段だというのだが、7×3を思い浮かべようが3×7を想起しようが、自由だ。

 ― 小3になるとわり算を習いはじめる。わり算の単元の最初のほうで、簡単なわり算の答えは、九九の割る数の段を使って(走査して)答えを見つける、と習う。21÷7は、7×1=7, 7×2=14, .. と、割る数7の段を走査して、答えが割られる数の21になったところで止まる(7×3=21)。その際の乗数3が答え。使った九九の段は、三の段である。

ドリルや単元テストには、次のわり算はどの段を使って答えを求めますか、という設問がある。この設問は、教科書・授業のこの教え方を前提とし、それを習得できているかどうかチェックするものである。

どの単独の九九を「想起」するのか、などとは尋ねていない。



14) 等号は両辺の式や数の大きさの等しさを表す記号なのに、算数では、計算結果を導く記号として用いている。

 ― 低学年生は、等号を、結果を導く記号と理解する傾向があるが、これは教え方に依存しないようで、外国でも見られ、そのような等号理解は、操作的(operational)と呼ばれる。両辺の同時的等量性の理解、つまり、関係的(relatinal)な理解は、大人が思うほど児童には簡単ではなく、一気にたどりつけるものではない。代数学を学びはじめる中学においてはじめて完成する。実際、等式の性質とそれを活用した方程式の学習は、中1で学ぶ事項である。


15) 式を、場面の翻訳するものと考えるのは、数式の抽象性を誤るものである。4×3と書いただけでは、4個ずつが3つなのか、3個ずつが4つなのかは、わからない。

 ― 文章題で式を立てることは、自然言語から数式を抽出することである。翻訳は、自然言語どうしで行うものなので、「翻訳」の比喩は、確かに、不適切である。

計算ができるのに文章題ができない児童は多い。文章題ができないということは、学んだ数学を生活や仕事に活用できない、ということである。そこで、算数では、文章題と式との対応関係が重視される。小学生は、文章題の文章から、どのように、複数の同数グループのような数的関係を引き出して、それに基づいて式を立てるのかを学ぶとともに、逆に、想像力を使って、式から文章題を作る、ということもやらされる。

文章題と式の対応を学んでているというこの状況では、初学者がつまずかないように、文章の表現を限定したり、式のヴァリエーションを制限したり、かけ算の順序を固定したりするなど、単純化やパターン化、制限などが必要となる。これが、抽象的な式が文章と1対1に対応すると見なされている、と誤解されやすい背景である。


16) 児童たちは、AIがなかった時代のロボットのように、思考せずに機械的なパターンマッチングで問題を解かされている。

 ― 授業参観を一度でもすれば、授業・学習が、整然粛々とした機械的な作業の連続ではなく、児童のトンデモ発言や、試行錯誤、混迷、気晴らし、うまく解決できた喜び、消しゴムの落下、などに満ちていることが分かる。


17) 3.9+5.1=9.0の筆算で、9.0のゼロを斜線を引いて抹消させるのは、有効数字を否定するもの

 ― 算数数学で使われる数値は、多くは、測定値ではなく厳密値であり、もともと有効数字が適用できるようなものではない。それに、小数の足し算の筆算は3年生で学ぶが、数値の精度を桁で表す有効数字の学習は中1になってからはじめて学ぶ。

(単元テスト 正進3年11.小数)

抹消していないとバツにされた採点答案は、小学校で9と9.0が等しくないと教えられていることを示しているように見える。だが、事態はむしろ逆で、小数9.0が既習の整数9と等しいことが分かる子だけが、.0を抹消できるのである。

ここには、単に小数の足し算の筆算だけでなく、小数点以下が0しかない小数は整数と見なせるという、小数と整数の関係の学習も、含まれていると考えるべき。分数の計算で、答えを既約分数にしなければならない、というのも、単に分数の計算だけでなく、約分の練習を含んでいるからである。


18) 超算数は、日本の算数教育の権威が、教師たちに布教しているトンデモ理論である。

 ― 「超算数」には、日本独自のもの(かけ算の順序)もあるが、ゼロなし倍数、合併・増加、図形の包摂関係の省略、みはじ図・くもわ図、一つ分/いくつ分、等分除/包含除、答えを導く等号、文章題との式欄/解答欄など、日本の専門家の権威が及ぶと考えにくい外国の数学教育でも、見られるのである。

次の2つの画像にうち、上は、みはじ図の英語版である。みはじ図と違い、形が円ではなく2等辺三角形になっている点は異なる。下の図は、アメリカの算数自習書SaxonMathからの引用である。偶数はゼロを含むが、倍数はゼロを含まない(ある数の倍数は、一倍であるその数そのものから始まる)。

(h3maths.edublogs.org, 2013/06/27)



(twitterに2018/10/17に投稿したツイートに基づく。)

2017年10月30日月曜日

公式とかけ算の順序

「長方形の面積を「縦×横じゃないと駄目。横×縦だとバツ」という馬鹿教師は複数存在している」(ツイッター 定数氏 2017/10/28 6:14) そのように採点する教師は本当に馬鹿なのか?


公式は、算数では、言葉の式と呼ばれている。当然のことだが、言葉の式(公式)は、ただ盲目的・機械的に暗記しても、使えるようにはならない。基準量×割合=当該量、当該量÷割合=基準量という公式を覚えても、割合の文章題に出てくる、割合以外のもう1つの数値が基準量なのか当該量なのか判断できなければ、どちらの公式を使ったらよいのかわからない。

こうした事態を避けるためにも、公式の学習では、その公式がどうしてそのようになっているか、を理解しておくことが大切である。たとえば、三角形の公式では、どうして2で割るのか、ということを。同時に、その公式が何に、どういう状況に、適用できるかも知らなければならない。台形に三角形の面積の公式を当てはめてはならない。

算数の教科書は、公式を使って面積や速度、割合、金額の計算を教えているから、公式主義と言えるかもしれない。しかし、公式暗記主義ではない。というのも、たとえば、5年の算数の教科書には、三角形の面積がどう求められるのかについて、3通りの考え方が示されているからである。これが分かっていれば、たとえ公式を忘れてしまっても、公式を再構成できるであろう。黒木玄氏はツイッターで、「小学校の算数は、児童に公式を意味も分からないまま暗記させ、それを機械的に当てはめさせている」ようなことを、繰り返し言って批判しているが、この批判は見当違いである。

(画像は、東京書籍2014下36より抜粋)

3つの考え方から、三角形の面積を求める公式は3つ導き出せそうであるが、実際には「底辺×高さ÷2」の1つに固定されて教えられているのは、それらが公式だからである。公式は覚えればよいものではないが、覚えるためのものということも、依然として真実である。覚えるためには表現や順序は1つに固定しておいた方がよい。

(画像は学校図書算数教科書52016 p188より)

長方形の面積を求める公式は、縦×横と教科書に載っているのであるから、この形で覚えておけばよい。掛け算が可換であるという理由で、あるいは、掛け算の可換性を知らないと思われたくないという理由で、縦×横と横×縦の2つを書いたり覚えたりする必要はない。この意味では、多くの教科書に見られる、「横×縦でも同じだね」といった注記は不要である。


(大日本図書4 2016 p140) 

長方形の面積の公式には、ヴァリエーションが2つしかないから、その馬鹿馬鹿しさは目立たないが、直方体の体積の公式について、もしすべてのヴァリエーションを提示するなら、次のように6通りもできる。

縦×横×高さ
縦×高さ×横
横×縦×高さ
横×高さ×縦
高さ×縦×横
高さ×横×縦

でも、こうした列挙は無意味だし、滑稽である。教科書としては1つの形だけ提示しておけばよく、そして、学習者としては1つの形で覚えておけばよいのである。もし位置を交換する必要があれば、計算の過程で、交換法則や結合法則で順番を変えればよい。

大人は長方形は90度回転させれば(視点を90度変えれば)、縦の長さは横の長さに、横の長さは縦の長さになるので、計算ではなく公式そのものにおいて、縦と横はどっちでもよい、と主張するであろう。しかし、そうした図形(あるいは視点)の自由な移動・回転・反転にもかかわらず保持される図形の同一性、という抽象的な見方は、小学校や中学の学習の過程で、はじめて獲得されていくものであり、既得能力として前提としてはならない。小学生から言わせれば、縦2cmと横8cmの横長の図形と、縦8cmと横2cmの縦長の図形は、縦も横も長さが違う別の図形である。

だいたい、長方形面積や直方体体積の学習では、交換法則とか場合の数(順列・組合せ)はテーマではない。4年生にとって、交換法則や結合法則は学習済みで、ここで、交換法則を適用して公式のさまざまなヴァリエーションを考えることに、どんな意味もない。

教科書に載せ、そして児童が覚えるべき1つの形は、どれでもよいとも言えるが、教科書によってバラバラというのは避け、やはり、できれば、人口に膾炙した形が適切であろう。欧米では、三角形の面積の公式の形は、÷2が1/2として先頭にあったり、Bh/2と分数の形だったりということはあるが、底辺B(base)と高さh (height)は、いつも、Bhの順である。底辺を決めないと高さが測定できないという測量上の都合であろうか。

長方形の面積の公式は、日本の算数教育では、過去いろいろな経緯があったらく、長いほうの辺の長さを最初にもってくる様式や、横×縦の様式が採用されたこともあるらしい(注1)。現在では、世界的ではないが、長方形の面積は縦×横で、直方体の体積は縦×横×高さで、定着している。この順番に合うように、直方体の場合を例にとると、なぜその公式で体積が求められるかの説明も、まず1cm^3の単位立方体を奥行き方向(縦)に直列的に並べ、そうしてできた棒を横(幅)に並べ、そうしてできた板を積み上げる、となっている。あえて、これと異なった形で覚える必要はない。

ドリルや単元テストは授業の一環であるから、それらでは、教科書に載っていて、そして授業でも習った、定まった形の公式を適切な対象に適用できるか(正しく使えるか)を確認することが、目的となる。この過程で、公式が頭にちゃんと入っているか、の確認も当然、行われる。長方形の面積を求める公式が、もしかりに日本で、長さ(長辺)×幅(短辺)であったら、今度は、児童が、辺の長さを判断して、長辺の長さを表す数値を×記号の前に置けるかどうかが、チェックポイントとなる。

逆に言えば、授業の一環ではない実力テストや資格試験、授業とは関係なしに趣味や力試しで解く問題では、そのようなことは要求されない。このような状況では、受験者の学習背景が多様であったり(私立校出身者、帰国子女、等)、授業というコンテキストがそもそも無かったりする。単元テストでは必要になってくる、「教えたことができるようになっているか」の確認、つまり、フィードバック、がここには、不要なのである。

単元テストには、単に公式の一部を空欄にして、そこを埋めさせる、つまらない問題形式もあるが、やはり、定番は、具体的な長さの数値が入った図形を示して、その面積を求めさせる設問である。それ以外にも、池や畑、花壇などを例に使った文章題もある。(下の画像は、光文書院のVドリル5下 19より )



たとえば、三角形の形をした溜め池が図(底辺80m、高さ123m)で示されている文章題では、式はまず、学習した公式「底辺×高さ÷2」に従って、80×123÷2と立てる。これによって、教師は児童が公式を習得していることを確認できる。

同時に、教師は、児童が底辺や高さが三角形のどこを指しているのかを理解しているかどうかも、確認できる。ダミーの数値に騙されて、高さをそちらと誤解する例もある。もし、高さ×底辺で「も」よいということになると、児童が底辺と高さそれぞれを正しくとらえているかが、確認できなくなる。この意味でも、式の最初を公式通りに書くことを求めることは、有益である。

公式主義と批判されようとも、ともかく公式で三角形の面積の求め方を教えているのだから、そして、教えたのだから、公式が児童の頭に入っているかどうかを確認するのは、当然である。公式は使用し適用するためのものであるから、数値が入った具体的な三角形の図(絵)を使った問題で、公式を正しく使用できるかどうかもまた、チェックする。公式の習得があやふやで、長方形の面積を求める問題で、縦と横の長さを足してしまう児童もいる。

しかし、公式通りが求められるのは立式までである。立式後の、=記号での言い換えや筆算、暗算では、つまり、計算過程では、計算しやすいように計算すればよい。80に123を掛けてから2で割るより、80をあらかじめ2で割って40にしておいたほうが、計算が楽だ。

=(80÷2)×123 ←結合法則・交換法則(÷2を×1/2と解釈して、順序を変更)
=40×123
=123×40 ←交換法則
=4920 答 4920m^2

40×173の計算は、筆算で行うと、173×40のほうがしやすいであろう。ここで交換法則を使い順序を逆転する。次の画像は、教科書の、面積ではなく、2位数と1位数のかけ算の箇所だが、ここでも、筆算のような計算過程では、交換法則が適用され、立式での一つ分×いくつ分の順序が逆転している(画像は東京書籍20113下 p.68より)。



だから、公式に従った立式と、交換法則や結合法則の適用とは、両立可能、同居可能なのである。公式通りでない立式でバツにしたからと言って、算数で掛け算の可換性を否定した、ということにはならない。

ましてや、小学校の教師は交換法則を知らない、ということではない。ただ、バツになった答案を写真に撮ってネットに掲載されると、「嘘が教えられている」という誤った印象が生ずるので、この誤った印象に惑わされないように注意すべきである。小学校では、交換法則は2年次に学ばれ、そして、それ以降、実際に、繰り返し使われている。

掛け算の単元でも同様で、2年生は掛け算を、次の公式(言葉の式)で学ぶ。この公式のこの形・順序は日本の算数に固有で、英語圏の算数教育では、グループの数×グループの構成員数、 などと、日本と逆順になっていることが多い。

 

(画像は、啓林館算数教科書20162下 p.5より。一部カット)

("Multiplication Strategies Anchor Chart", by HoppyTimes)


  一つ分×いくつ分=全部の数

2年生はまだ、四則演算を学習し始めたばかりであり、式を書くこと自体に、まだ習熟していない。だから、引き算で、文章中の順番に惑わされて、5-7=2のような式を立てがちである。このような言葉の式(公式)は、立式の学習の際してのお手本のような役割を果たしている。習字におけるように、最初は、お手本をなぞるようにして、児童は掛け算の立式を学ぶのである。

一つ分などが特定できない計算問題では別だが、掛け算の文章題では、この言葉の式に従った立式が求められる。立式を見ることで、教師は、児童が、この言葉の式をしっかり押さえているかどうか、一つ分といくつ分をそれぞれ正しく把握しているかどうかを確認できる。

低学年で出会う掛け算の文章題は、単純で、一つ分といくつ分を把握していなくても、文章中に含まれる数値を、ともかくも九九で掛ければ、答えが出てしまうということも多い。だから、一つ分といくつ分を特定したうえで、公式通りの式が立てられるかどうかはポイントの一つになる。

たしかに、一つ分といくつ分が正しくとらえられていれば、公式通りの式を書けるが、その逆は必ずしも言えない。だが、人の知識や能力を測る完全な設問というのはない。教師が直面している現実の問題は、文章をよく読まずに、数値だけ取り出して九九を適用する安易なやり方に対する牽制である。トランプ配りで一つ分といくつ分をそれぞれいくつ分と一つ分と解釈する児童、いくつ分と一つ分をしっかりとらえた上であえて逆順で式を書く児童、は自由派の議論のなかにしか出てこない。

公式を意識しないで式を書くことでバツになった答案を、写真に撮ってネットにアップするならば、「式はまったく正しいと思われているのになぜバツなのか」、「小学校では、掛け算の可換性を否定するトンデモ教育が行われているのか」という勘違い議論が巻き起こる。


(上記採点例の画像は、日本標準の単元テスト12.かけ算(2)①からの抜粋)

勘違いが起きるのは、写真に撮ってネットにアップされると、その言葉の式で掛け算が教えられ、児童の側でもそれに対応することが期待されている、という文脈がカットされてしまうからである。一つ分といくつ分をしっかりとらえられるようにするという教育的コンテキストがカットされてしまうからである。

色板の絵を使った上記の文章題も、「……全部で何枚要りますか。式は授業で習った言葉の式に従って書きましょう。」という文言が入っていると考えると、授業という文脈が少しは補われ、どうしてバツなのかが理解できる。「習っていない(2年で習っています!)交換法則を適用したからバツ」なのではなく、習った公式に従ってないからバツなのである。


注1 東京書籍の教科書で、縦×横と横×縦が併記されているのは、この辺の葛藤の痕跡である、という。伊藤隆「長方形の面積の公式における「縦×横」の変遷と多様性について」 群馬大学教育学部紀要自然科学編第57巻5-14頁2009 参考。
https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/4713/1/02_%E4%BC%8A%E8%97%A4.pdf

他の教科書が、注(マスコットの吹き出しの中)で併記されているのは、また別の事情によるもののようだ。数学史ライターの高橋誠(メタメタ)氏によると、上野健爾氏の審議会発言が学習指導要領の記述を、そして、教科書の表記を変更した契機になった可能性が高いとのこと。
メタメタ氏「「縦×横=横×縦」と明記しても「底辺×高さ=高さ×底辺」と明記しない理由」(2011/08/31)
http://ameblo.jp/metameta7/entry-11002953474.html

(付記)天蒸氏によると、この上野発言以前から(1990年代から)、教科書の記述は、横×縦を注記したり併用したりし始めていたという(twitter 2018/12/26 15:22, 2015/11/12 06:48)。この点が実際どうなっているかは、機会があったら教科書の記述を調べて見たい。天蒸氏が正しいとすると、上野氏の発言は、すでに起きていた縦×横単記から併記への誤った動きを構成する1つの要素にすぎない、ということになりそうだ。

(twitter 2017.10.29投稿に基づく)