2022年5月9日月曜日

4×3はまだ12ではない ――等号の関係的意味の理解


 Ⅰ 文字式による式と値の同時化

文字式は、求め方とともに求めた結果を、計算のプログラムとともに計算の結果を、表す。たとえば、54円の消しゴムをx個買って、レジで1000円札を出したときのおつりを求める式は、1000-54xで、求められた結果であるお釣りそのものも、(1000-54x) 円である。これは、数だけの式と違うところである。

文字を含まない数だけの式では、単一の数になるまで、括弧や演算子の優先順位に従って、部分式の計算を積み重ねて演算を実行していく、つまり、計算という作業を行う必要がある。

その計算には、たいていは、一定の時間と労力が必要であり、等号のあとに出てくる答えは、そのような時間と労力をかけた作業のあとにはじめて、その結果として出てくるものである。作業前の式には、まだ、結果は現れていない。

このように、数だけの式では、等号の左右で、時間と労力の差があり、不均衡である。等号の前後は非対称で、左辺と右辺は同時ではない。3×4=12という式の左辺の3×4は式、つまり、計算のプログラムであり、そのプログラムを実行した結果、つまり計算結果、が右辺の12である。左辺3×4はまだ答え12ではない。

等号は小学校算数の1年のときから使われている。最初のたし算の学習では、1+2=3という式は、「1たす2【は】3」と読ませている。ここでは、等号=は日本語の「は」に相当する。「は」は「の答えは」ということである。こう読ませることで、等号を、そのあとに計算結果を書くための記号と理解させているのである。このように、小1では、等号は、足し算や引き算の計算結果をその直後に書くための記号として、つまり、答えを導くための記号として、導入される。


Ⅱ 算数における等号の関係的意味の学習

計算結果を導くという等号の機能は、等号の操作的(operational)な意味と呼ばれるが、計算しかしないかぎりでは、等号の操作的意味だけで十分である。操作的意味に対するのは、等号の関係的(relational)意味である。これは等式の両辺は等しいということである。

小学校算数では、画像のように、この関係的な意味も、教えられている。小学生はすでに小3において、等号が操作的な意味とともに、関係的な意味をもつことを、学んでいるのである。


a)電卓式

「3人乗っていたバスに、最初の停留所で4人、次の停留所で5人乗った。今は何人?」という問題は、小1の問題なので、まだ関係的な意味は学んでいないから当然だか、次のような式を書いてしまう児童がいる。

3+4=7+5=12

ここでは、最初の等号の左辺は3+4=7であるが、右辺は7+5=12で、左右が等しくない。等号の関係的意味が無視されている。

このような式を、私は電卓式と呼んでいる。というのも、関数電卓ではない普通の電卓は、このような仕方で、3つ以上の数のたし算をするからである。すなわち、電卓では2つ以下の数の計算しかできず、最初の2つの数のたし算をするとその答えが出て、その答えに、3つ目の数を足す。

等号の意味が操作的意味に尽きるならこれでもよいが、1年生の教科書において、すでに、電卓式は「おかしいね」と、注意が与えられている。等号の左右は等しくなければならないのである。だが、まだ、小1は、関係的な意味を正式に教えられていない。ここでは、3+4=7, 7+5=12のように分けて書くか、3+4+5のような、最初から3つの数字を含む式を立てて、2つずつ計算するか、するように指導される。


b)不等号の学習

関係的意味の理解には、不等号の学習が役立つであろう。等号の意味を不等号の意味との対比において学ぶことで、等号の関係的意味が際立つ。2つの大きな数、2つの小数、2つの分数、分数と小数などのあいだの空欄□に、等号ないし不等号を記入させて、大小や等しさを判断させる設問は、学年を通して、くりかえし現れる。

これは大きな数どうし。


これは分数と分数、分数と小数のあいだの比較。

ここで比較されるのが単一の数どうしで、かつ、不等号ではなく等号が選ばれるとき、等式になるが、左辺は式になっていない。左辺が式で右辺にその計算結果としての単一の数が来るという、等号の操作的な意味はここで破綻している。

片方ないし両方が式になっていることもある。下の画像は同じタイプの設問で、比較される対象が、両方とも式になっている。


c)式と式のあいだの等号

上の画像は小6教科書の練習問題であるが、実は、小2の教科書には、7×8=8×7という、式どうしを等号で結んだ等式が載っている。これは、右辺の左辺の式の計算結果を書くという、操作的な意味で理解された等号とは、用法が明らかに違っている。


小2の児童が、等号の関係的意味をまだよく理解しておらず、もっぱら操作的に理解していることを考慮するなら、

7×8 =56
8×7 =56

と書いて、答えが同じになることを示すほうが、7×8=8×7と書くよりも、小2にはわかりやすいであろう。そのように2つに分けた書き方のほうが、「かけ算では、かけられる数とかける数を入れ替えて計算しても、答えは同じ」と定式化される交換法則を、素直に表現している。

しかし、4年生の教科書になると、答えが等しい式どうしは、等号で結ぶことができる、と書かれている。A×B=C, D×E=Cならば、A×B=D×Eなのである。A×B=D×Eのような等式で使われる等号は、もはや、等号の操作的意味を超えている。ここでは、同じものの異なる2つの表現が左右に配置されている。

d)結合的意味

さて、学年が上がると、計算式で使う=は1回では済まず、=を重ねて、式を言い換えながら連ねることになる。一度に全部を計算するのではなく、最終的に単一の数になるまで、部分式の計算を積み上げていくのである。小5小6になると、分数の四則演算などで、途中式で通分約分、仮分数・帯分数の言い換えなどをする必要から、そのように=を重ねて続けるのが、普通になる。

21.3+51.5÷(24.3-3.7)÷5/31
=21.3+51.5÷20.6÷5/31
=21.3+2.5÷5/31
=21.3+2.5×31/5
=21.3+2.5÷5×31
=21.3+0.5×31
=21.3+15.5
=36.8

こうなると、等号は、右辺に答えが出てくるものというよりは、式と式を結ぶという意味をもつようになる。これを等号の結合的(connective)意味と呼ぼう。最終的には、等号のあとに答えが出てくるので、これは、操作的な意味で理解された等号が、言わば、引き延ばされている、と見ることもできる。

単に2つの式を結びつけているのではなく、あくまで、2つの式の値(計算結果)が等しいことを根拠に、結んでいくのである。関係的意味が堅持されている限りでは、式を大きさを保持しながら変形していく過程である。最初の式と次の式は、値が等しく等号で結ばれているが、形が違う2つの式である。このことは、等号の関係的な意味の理解に児童を近づかせるものである。ところが、その根拠となる関係的意味が脱落して、単に、式と式をつなげるのが役割を果たすものだと、浅薄に理解さてしまっている場合も多い。

21.3+51.5÷(24.3-3.7)÷5/31 = 21.3+51.5÷20.6÷5/31


e)左辺に計算結果

操作的な意味では、計算結果は右辺に来るが、算数では、そうとは限らない。高学年になると、〈平行四辺形の面積=底辺×高さ〉の公式のように、左辺にくる場合が出てくる。小6では、y=(決まった数)×xという、比例の式も現れる。計算結果、つまり、単一の数字となるものが、左辺に来ることも、普通になることで、操作的な意味で理解された等号の、左右のアンバランスが是正される。

計算の工夫ということで、25×32の32を4×8に因数分解することが教えられているが、これも、等号の関係的意味の理解に有益である。

25×32 =25×(4×8) =(25×4)×8 =100×8 =800

25に、そのうちの因数4をまず掛けて、100を作り、計算を簡単にするのである。単一の数32を、ここではあえて、等号のあとで4×8という式に変換している。単一の数字になるように短くすることだけが、計算なのではないのである。5=3+2, 1+4=3+2, 3×4=6×2のような言い換え練習をするのも、関係的意味の理解に役立つであろう。


f)あまり

算数の学習で、等号の関係的な意味に違反している唯一の例は、あまりがある割り算での等号の使用である。ここでは等号は、明らかに、等号の左辺と右辺が等しい、という関係的な意味を否定している。たとえば、

11÷3=3 あまり2

のような使い方である。11÷3 (=3.666...)と3とは等しくない。


Ⅲ 電卓式と中学数学

このような例外はあるが、算数では、原則、等号の関係的意味は、直接間接、くりかえし教えられている。だから、算数で、関係的な意味が教えられていない、と言うのは、事実に反する。しかし、小学生にとって、四則演算の計算をすることが学習のメインなので、関係的意味は、なかなか理解されず、小学生の意識のなかでは、依然として、操作的意味が幅をきかせている。

そのため、小1だけでなく、高学年の児童も、しばしば、すでに述べたような電卓式を書いてしまうことがある。たとえば、320円のファイルを2つ、消しゴム70円のものを1つ買ったときの代金は?という文章題で、式が、

320×2 =640+70 =710 710円

となってしまう(注1)。操作的な意味では、このような等号の用法は、不自然ではないが、小学校では直されるであろう。等号の関係的な用法を守ることは、小学校でも、原則いつでも、求められている。

中学に入学して、生徒たちは、1)文字式を習い、式が同時にその値を表すことを学び、式とその値が同時的であること、等式の左辺と右辺の同時性を、理解するようになる。左辺が式で、等号の後(右辺)がその結果ではなのでは、もはやない。左辺も右辺も、式でかつ値なのである。2つの式が等しいとは、その値どうしが等しい、ということである。この同時化は、等号の操作的な意味を排除する働きをするであろう。

中学生は、次に、この同時性の理解に基づいて、2)天秤の比喩を用いて等式の性質とその適用(方程式)を学ぶ。両辺は等しく、同じ量のものに、同じ数で割るなどの同じ演算操作を施しても、その結果は等しく、等号が成り立つ、というわけである。右辺と左辺は、鏡像関係のようなもので、いわば、同じものが異なる角度から見えているだけなので、同じ操作をしても、同じことがつねに同時に起きる。だから、1)の同時性の理解が不十分だと、等式の性質は活用できないであろう。


こうして、ようやく等号の関係的な意味が、等号の意味のなかで、中心的な役割を果たすようになるのである。


Ⅳ 等号の関係的意味の理解の困難さ

このように見てくると、「等号の左右が等しい」という、大人にはとても単純なことに見えるが、それを習得するまでにはとても時間がかかる、ということが、わかってくる。

初等数学ではまず算術(計算)を習い、代数(文字式)は中等教育になってから、というのは、外国も同様であろう。小学生に、等号を操作的な意味で理解する傾向が見られるのは、日本だけではない。英語圏の調査では、等号の中心的な意味を問われて操作的(operational)な意味を答える生徒の割合は、小6相当でGrade 6で58%、中2のGrade 8でも、45%もいる。


ところが、高校・大学の数学教師や中高生を教える塾の数学講師のなかは、「中学生が、等しくもないのに等号を用いる生徒がいるのは、小学校の算数で、等号の真正な意味である関係的な意味が、教えられていないからだ」、「馬鹿な小学校の教師が、等号の意味が間違って教えている」と、短絡的に考えて、算数教育を批判する人がいる。

だが、上で見てきたように、関係的な意味は、算数でも、くりかえし教えられているので、「両辺が等しいという等号の意味が教えられていない」と言うならば、それは事実に反する。等号の関係的は、聡明な教師が一度が児童たちに言い渡せば、その後は問題なしに等号を使えるようになる、というものではない。習得するのに時間がかかるものなのである。

等号の操作的な意味は、数学では意味がなくても、計算操作的・算術的には意味があり、別に間違っているわけではない。だから、操作的な意味で使われていても、嘘が教えられている、とは言えない。あまりがある割り算の例を除けば、等号の操作的な意味は関係的な意味と両立可能である。関係的な意味を損なわないという条件で、操作的な意味や結合的な意味は、同時に教えられてよい。


Ⅴ 等式の性質と等号の意味

中学に入学して、文字式を学んだとたんに、生徒の等号理解は完成するのではない。等しいものではないのに等号で結んでしまう生徒・学生がいると指摘されるとき、2つの場合が考えられる。1つは、すでに述べた、電卓式を書いてしまっている場合、もう1つは、等号の性質を使った等式の言い換えで、等式どうしを等号で結んでしまうもの。

「等しくないものに=を使う人がいて…何かの演算をしたら=を書く程度の認識しか持っていない……」(joseph_henri氏 2020/01/05 21:06)「鈍い高校生ですと、両辺を同じ文字で割ったのに、=の印を付けてつなげてしまいます。」(21:16)

1) A =A' =A'' =A''' 算術的・数学的
2) A=B ⇔ A'=B' ⇔ A''=B'' 論理的

小学校までは、1)のように、大きさ(値)を維持しながら、式を短くしていく(計算する)ことしか知らなかったのに、中学に入ると、1)に加えて、2)等式の性質を使って等式を次々と言い換えていくことを学ぶ。

1)には、数だけの計算以外に、中学以降の数学で学ぶ、式の計算や因数分解・展開も含む。ここでは、値(数量的な大きさ)を維持しながら、式を変形する。変形のうち、式を短くするものは「計算」と呼ばれる。

a)4.7+6×(7.4-3.8) =4.7+6×3.6 =4.7+21.6 =26.3

b)4ab²-3a+ab²-5ab+2a+2ab² =(4ab²+ab²+2ab²)-(3a-2a)-5ab =7ab²-a-5ab =7ab²-5ab-a

c)x²+2x-15 =(x+5)(x-3)

2)は、下記のように、等式の性質を使って、方程式を解くときに現れる。ここでは、等式が上下に並んでいて、上下の等式は ⇔ 記号で結ばれている。小学校では、□×3=15 □=15÷3くらいはやるが、等式の性質を駆使しているとまでは、とても言えない。

5x-4 = 2x+5 (両辺から2xを引く)
⇔ 5x-2x-4 = 2x-2x+5
⇔ 3x-4+4 = 0+5+4 (両辺に4を足す)
⇔ 3x = 9 (両辺を3で割る)
⇔ x = 3

ここでは、上下の等式どうしの関係は、「真理値が等しい」という意味での等値関係である。このことは、⇔ という記号で表現されている。それは、値(大きさ)が等しいという算術的な関係ではなく、論理的な関係である。3xとx、9と3は等しくないので、数の値は上下の等式で等しくない。3x = 9ならばx = 3であり、かつ、x = 3ならば3x = 9である、という双条件的な関係が、上下の等式のあいだにはある。等値は双条件とも呼ばれる。

4×3とか2x-1といった式は、命題ではないが、2×4=8や3x-2=5といった等式は、命題である。それは、左辺と右辺が大きさにおいて等しいと主張する命題である。ところで、命題は真理値(真、偽)をもつ。命題「2は素数である」は真だが、命題"3+4=8"は偽である。2つの命題の真理値がいつも一致するとき、その2つは等値(同値)と言う。たとえば、P⊃Qという条件命題とその対偶~Q⊃~P、ab=acとb=c(a≠0)は等値である。5x-4 = 2x+5 という等式と 3x=9という等式は、等値である。

だから、ここで、⇔記号の代わりに、等号を用いることはできない。ところが、等号を、単に式と式を結びつけるものといった浅薄な理解をしていると、つまり、等号に結合的意味しか認めていないと、次のように、等式どうしを等号を用いて結んでしまう、という失敗をしてしまう。これだと、等式の関係的意味が損なわれる。

3)誤り A=B = A'=B' = A''=B'' 

A=Bの両辺から2を引いてA'=B'となったなら、AとA'は等しくないので、これは誤りである。この等値という論理的関係は小学校ではなく、中学・高校で学ぶものなので、もし、ここでこのような等号の誤った使い方をする生徒が多数いるならば、その責任は小学校の教師ではなく、中学・高校の数学教師に帰すべきものである。

このように、中学に入学して等式の左右同時性を学び、等号をその関係的な意味で理解できるようになっても、等号の用法を誤らないとは限らない。論理的な言い換えなのに、それを等号で表してしまったり、逆に、1)のタイプの計算なのに、等式の性質を誤って適用し、0.1a+0.3=a+3などとしてしまうケースが出てくる。この論理的な関係という、等号の使用に関わる新しいことを学ぶことによって、等号が使える範囲が、一度、揺らいでしまうのである。しかし、算術的関係と論理的な関係の区別がつくようになることで、等号が論理的等値には使えないことが、わかってくる(等号を論理的等値に使う例は、あるといえばあるのだが)。生徒の等号理解は、中学で数学を学び始めた以降も、試され続ける。


Ⅵ かけ算の順序と等号の意味

最後に、等号の意味と〈かけ算の順序〉との関係について述べる。

〈かけ算の順序〉をめぐる論争で自由派の多くは、「4個入りの袋が3つのときキャンディーは全部で何個?」という文章題の式として、3×4と4×3は、計算結果が同じ12であるという理由で、意味も含めて、まったく同じもので、両者のあいだに区別はない、と主張する。それにもかかわらず、小学校算数のテストでは、そのような文章題の式としては、一方が正しいとされ、他方がバツにされる。

定数氏のように、式は2×6でも、13-1でも、24÷2でも、√144でも、よいという急進的な主張をする、要注意人物もいる。急進的なものも含めて、このような主張をする人たちは、式をその値に還元してしまっている。彼らは、「小学生ではまだ、等式の左右同時化・対称化が完成していない」という基本的なことを、理解していないのである。算数教育は、子どもの発達段階・学習段階を考慮して行われなければならない。

算数では、同時化は完成しておらず、4×3はまだ、その答え12ではない。4×3は式で左辺にあり、12は右辺にその答えとして出てくるもの。では、4×3は何を意味するかと言えば、4個のものからなるまとまりが3つあることを意味する。というのも、算数では、かけ算は〈1つ分×いくつ分〉で教えられているから。3×4は、3個のものが4つのことなので、キャンディーの文章題の文章が表すグループの分け方と違っており、つまり、意味が違っており、その文章題の式としては不適なのである。


以上の考察からわかるように、大人には自明であるように見える等号の適正な使用は、小1からかなり中学・高校にいたるまで、くりかえし訓練を積んではじめて、獲得されるものなのである。


注1

「算式で=の記号を使いまくる小学生の存在がずっと疑問だった」(matho2019)
「計算式で=の記号を使いまくる」というのは、どんな使い方ですか?」(flute23432)
「最近見かけたのは速さの変換(時速→分速など)の計算過程ですね。
例えば時速30kmを分速に直すとき
……
30×1000=30000÷60=500
のように書く場合です。」(matho2019)


(flute23432 2022/05/05 11:55AM, 2018/10/14 10:51AMなどに基づく)