2022年3月26日土曜日

猫が動物であるように、正方形は長方形である?

 「正方形は長方形だ、とか立方体は直方体だ、となぜ教えないのかと言うと、小学生には難しいという先生は、猿も人間も動物だとか、日本人はアジア人だとか色々困らないのか認識できてないだけなのか #小一時間ほど問い詰めたい。」(Twitter 月光氏 2014/10/28 11:35AM)

小学生は、猫が動物であること、きゅうりが野菜であること、カツカレーがカレーであること、はわかるのだから、「正方形が長方形である」こと、「正方形が特殊な長方形である」ことも理解できるはず。児童は一般の包摂関係がわかるので、【図形の】包摂関係も理解できるはず、である。


A)図形の包摂関係の困難さ

そのはずなのに、実際には、【図形の】包摂関係の理解は、小学生には、不可能でないとしても、とても難しいことが知られている。図形の包摂的理解とは、具体的には、「正方形が長方形である」こと、「正方形が長方形の特殊な場合である」こと、「正方形の集合が長方形の集合の部分集合である」こと、の理解である。

現代化算数の時代(1970年代)には、図形の包摂関係がヴェン図を使って積極的に教えられたが、理解できた子も少数いたものの、ほとんどの児童が理解できなかった。当時の小学校のあるクラスでは、長方形は平行四辺形かの論争が勃発、平行四辺形だと主張した1人が、クラスの他の全員から集中砲火を浴びた(注1)。


当時の調査では(注2)、現代化当時の小6は、その学習を終えているはずだが、包摂関係の理解を試す問いに正しく答えられた児童の割合はとても低かった。学年が上がるほど、正答率は高くなっていくが、中3になっても、正答率は39%に留まっていた、という(p.59)。小中学生の思考の発達を無視して無理に教えようとしても、うまくいかないのである。このため、現在の日本では、図形の包摂関係は、中2数学の証明の単元で教えられていて、算数では教えられていない。

小学生の、図形の包摂関係の理解に問題があることは、日本だけでなく、外国でも知られている。次の引用で、「四角形の階層的分類 (a hierarchical classification of quadrilaterals)」というのは、長方形や正方形を包摂的に定義することを意味する。

「多くの国際的な研究が示してきたのは、「多数の学習者が、四角形の階層的分類やそれと関係する図形の定義の問題に納得しない」ことである。とくに明白なのは、「学習者がしばしば、図形の形式的な定義に手こずっていること、さらには、彼らの幾何学的な推論は、しばしば、彼らの心的な図形イメージにかなり影響されていること」である。たとえば、モナガン(2000)の報告によると、イギリスの11歳の児童は、正方形が長方形であることを認めようとしない。」(注3)

歴史的にも心理学的にも示されてきたこうした困難にもかかわらず、一部の人たちは、「小学生は図形の包摂関係を難なく理解できるので、小学校から包摂関係を教えるべきだ」と主張する。彼らは、今の小学校では、包摂関係は教えられていないにもかかわらず、「正方形は長方形ではない」と教えられていると言い、因果関係の調査もせずに、中高数学における包摂関係指導上の困難の原因を、小学校の教育の仕方に帰している。

彼らは、指導・学習ですべてが決まる、と考え、発達ということを無視している。だが、国によって、図形の教え方は違うのに、世界中の児童や生徒が、包摂的定義の理解に困難を抱えているというのだから、図形の包摂性の理解の困難さは、むしろ、論理的思考の発達の段階に起因する、かなり普遍的なものだ、と考えるべきなのである。

たしかに、先に言及した現代化時代の調査によると、包摂関係の理解は、中1と証明を学ぶ中2とのあいだに、相対的に著しい差がある、ということだが、これは、学習が図形の包摂理解に役立つ、ということを示唆する。証明の学習がなかったら、包摂関係の理解はほとんど進まないであろう。学習が包摂関係の理解をより容易にするのである。包摂関係の理解が発達段階から一方的に決まるのではなく、学習と発達は互いに他を制約し促進するのである。


B)定義に基づく論理的思考

図形の包摂関係が児童に難しいのは、それを理解するには、猫やきゅうりやカツカレーのような具体物と違い、定義から論理的に推論する思考力が必要だからである。ところが、児童にはまだ、その力が十分でない。証明では、定義や公理公準から演繹的に推論する論理的思考力を使う。中2での証明の学習が、図形の包摂的な関係の理解を促すのだとしたら、それは、証明の学習が論理的思考力を高めるからにほかならない。

現代では、算数教科書も含め、長方形は包摂的に定義されている。すなわち、簡潔に表現すれば、長方形は等角四角形、正方形は等辺等角四角形なのである。一般に、概念の内包が多いほど、その外延は狭い。この2つの図形に共通する属性は、等角性と四辺性である。正方形の定義には、これらに加えて、等辺性が加わっている。正方形は、長方形より1つだけ性質が多く、その分、長方形より範囲が狭い。


集合で言い換えると、次のようになる。長方形の集合は、1)四角形の集合と、2)等角なものの集合と、の交わりである。正方形の集合は、1)四角形の集合と、2)等角形の集合と3)等辺形(ひし形や正方形など)の交わりである。1)と2)の重複部分(長方形)のうち、さらに3)が重複する部分が、正方形の集合である。だから、正方形の集合は長方形の集合の部分集合である。

そのかぎりでは、「猫が動物である」というのと同じ意味で、「正方形は長方形である」と言える。長方形の集合の要素はすべて長方形であり、正方形がその部分集合なら、正方形の集合の要素もすべて、長方形であると言える。正方形は特殊な長方形、等辺であるような長方形なのである。これは、猫の集合の要素が、この集合が動物の集合の部分集合であるなら、すべて動物であるのと同じである。

しかし、これは長方形を包摂的に定義した場合に言えることであり、ユークリッド風に「非等辺な等角四角形」と排反的に定義したら、正方形は長方形ではない。次の引用はルジャンドルのものからだが、ここでは、長方形は「角は直角だが、辺は等しくない」と定義されている。正方形の集合と長方形の集合は、どちらも四角形の集合の部分集合だが、両者の交わり(論理積)は空である。四角形の集合のなかで、長方形と正方形は、重複分がない集合として表される。

長方形と正方形の関係は、長方形を包摂的に定義すれば包摂的、排反的に定義すれば排反的である。つまり、正方形と長方形の関係が包摂的であるかどうか、正方形は長方形であるのかそうでないのか、という問題は、定義次第なのである。だから、「正方形は長方形である」は、けっして自明な数学的真理ではない。それは、包摂的な定義が現代では支配的であること、いわば定義の政治学、を前提としてはじめて成り立つ命題なのである。


C)前論理的な理解

だが、図形を学習する者が、その定義から推論する論理的な能力を、まだもたないとしたら、どうであろうか。当然、包摂的な定義から正方形と長方形の包摂関係を引き出すことも、排反的な定義から両者の排反的な関係を引き出すことも、できない。では、両者の関係について、小学生は何も考えていないかというと、そういうわけではない。というのも、人は論理的な思考を始まるまえに、いつもすでに、前論理的で素朴な生活世界に生きているからである。

児童は、論理的な思考力が未発達なので、図形を定義や概念からではなく、視覚的なイメージで把握しようとする。視覚イメージで考える児童にとって、長方形は、縦横の長さが異なる典型的な長方形(prototype)なので、正方形との関係は排反的(exclusive)である。子どもが生きる前論理的で素朴な直感的な世界では、正方形は長方形とともに四角形の仲間であり、しかも、角が直角なので、長方形の兄弟のようである。

ただし、この排反関係は素朴なもので、まだ論理的ではない。「インスタの写真は正方形にする、それとも長方形?」のような、大人も日常使うような自然言語の用法でも、正方形は長方形ではない。自然言語のこの用法は、生来的なイメージにもとづくものであろうが、視覚イメージにおける素朴な排反関係を強化する。

児童は、算数で正方形と長方形を学ぶ前に、素朴な理解のなかに生きている。この素朴な排反的理解を修正するのは中学数学で、算数ではない。

長方形であるものを図から記号で選ぶ設問で、正方形の記号を模範解答に含まされていない(または、解答欄が正方形ではない長方形の分しか用意されていない)のは、このような素朴な理解を前提としているから。この設問は、素朴な排反関係を追認し、利用して、児童が図形の名称を正しく覚えているか、正方形と長方形を逆にして覚えていないか、をチェックするもの。長方形と正方形の関係が包摂的か排反的か、のような難しいことを教えようとしているのではない。この設問の存在をもって、算数で「正方形は長方形ではない」と教えられている、とするのは、無理筋であろう。

縦も横も2cmで高さが6cmの直方体の面は、長方形がいくつ(4つ)、正方形がいくつ(2つ)?という設問も、同様である。模範解答は、「長方形が4つ、正方形が2つ」であり、「長方形が6つ、そのうち2つが正方形」なのではない。


「正方形の折り紙を2回折って、正方形と長方形どちらも2つずつを作るには、どのように折り紙を折ればよいか」という問題では、両対辺の中点どうしを結ぶ折り方だと、正方形が4つできてしまうので、中点からずれたところで折らないといけない。

小学校教員は、このような設問によって、排反的な関係を教え【込】もうとしているわけでは、けっしてない。ただ、図形の名称や直方体の特徴を教えようとしているのであり、その際、視覚イメージと日常言語の用法を容認し、使っているだけである。もし、教え【込】もうとしているなら、教科書にはっきりと「正方形は長方形ではない」と書けばよいし、定義も排反的な定義にすればよい。「次の2つのヴェン図のうち、正しいのはどちら?」という設問を作って、2つの集合が重なり合わない関係(排反的関係)を表したものを、正解とすればよい。


D)具体物の包摂関係

図形の包摂的理解が難しいのに、猫やきゅうりやカレーの包摂関係が比較的容易なのは、なぜなのか。それは、図形とは違い、猫が動物であることは、猫と動物の定義を知らなくても、猫の形や動作・しぐさ、出産などの生態などから、動物(けもの)であることが、児童にもわかるから、である。それは、外見の類似性に基づくかなり素朴で皮相で直感的な包摂性の理解なので、クジラを魚類だと誤認することも招いてしまう。エラがなく肺があるといった解剖学的知識や、出産して子どもを乳で育てるとかの生殖について知識を学ぶことで、この素朴な分類は、より学術的な分類に修正される。

猫やきゅうり、カレーは、無数のさまざまな性質をもつ自然物や人為物である。これらは決定的な仕方で定義するのが、不可能でないとしても、難しい。それがもっている多数の属性のうちどの属性に注目するか(重視するか)により、さまざまな定義と分類が可能になる。

これに対して、図形は、目に見える形をもっているという点では具体的であるが、定義的には、2~3の性質から構成された、かなり抽象的な存在である。児童は、定義のようなものが教科書に書かれていても、それをほとんど無視して、視覚的に把握される形だけに注目し、正方形と長方形を排反的に分類するのである。

しかし、前論理的な理解は、何層にも積み上げられた包摂関係の階層を抱擁する能力はないかもしれないが、何でも排反的とするではなく、一定限度で包摂関係も容認できる。長方形と四角形の関係は、論理的にだけではなく、前論理的にも、包摂的である。視覚的イメージとしては、未就学児の目にも、正方形や長方形、台形などは、二等辺三角形や正三角形などとは区別された、同じ四角形の仲間に見える。

だが、それは素朴で前論理的な関係であるゆえに、論理的な包摂関係のように、上位概念と下位概念は明確に区別されて整理されていない。長方形の集合が四角形の集合の部分集合としてとらえられているというよりは、「長方形は四角形の仲間である」という表現のほうが、よく事態を表している。


このような理由から、「児童は、猫が動物であることを容易に理解できるのだから、正方形が長方形であることも容易に理解できるはず」というのは、間違っている。


注1 読売新聞発言小町「小学校 正方形が長方形でないのはなぜ?(駄) 」 redbear 2014/11/15 20:31


注2 小林敢治郎「図形の包摂関係の指導――包摂関係を適用する能力の実態把握を中心にして――」『日本数学教育学会誌』

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsme/59/4/59_10/_pdf/-char/en

「この包摂関係を理解するのはなかなか大変なようで,例えばある調査では,中学校二年,三年生の約半数の生徒が,平行四辺形と長方形を別のものだと認識しているようです」(国宗進「図形の豊かなイメージを育てよう」blogs.yahoo.co.jp/taroinuk/38047565.html リンク切れ)


注3 T.Fujita and K. Jones, ,”Leaner’s Understanding of the Difinitions and Hierarchical Classification of Quadrilaterals: Towords a Theoretical Framing, in: Research Mathematics Education, 9 (1&2), pp. 3-20. 2007; p.4.


(Twitter @flute23432 2022/03/11 00:42AM, 0:59AM などに基づく)