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2022年3月24日木曜日

トランプ配りと〈かけ算の順序〉論争

 A)トランプ配り

「1972年1月26日の朝日新聞の記事」(メタメタの日 2009/01/23)https://ameblo.jp/metameta7/entry-10196970407.html


〈かけ算の順序〉論争でしばしば言及される、朝日新聞のこの記事によると、1971年に大阪の小学校で、かけ算の式が逆でバツになった答案を子どもが持ち帰った保護者のKさんが、学校や教育委員会、文部省に抗議した。

この記事は数学者などにも取り上げられ、さらに議論を呼んだ。

式がバツになった設問は、かけ算の文章題で、「6人のこどもに、1人4個ずつみかんをあたえたい。みかんはいくつあればよいでしょうか」というものだった。

Kさんが根拠としたのは、トランプ配りである。トランプ配り(カード配り)とは、トランプをポーカーなどの参加者に配るときの配り方。トランプは1人1枚ずつを、参加者全員に順に配りながら、54枚全部がなくなるまで、何巡もする。6人なら9巡である。

①通常の理解では、配った結果に注目する。子どもが6人いて各人の前に、配られた4個のみかんが置かれている。みかん4個の山が6つある。1人分のみんかの数4個の4が1つ分の数で、人数6がいくつ分なので、式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書くとき、式は4×6だ。

逆に、②4人に1人6個ずつだったら6×4となる。しかし、③トランプ配りをして、配る過程に注目すると、全員に1人1個ずつ配る1巡(1周)で、6人分6個配れる。これを4回繰り返すと(4巡すると)、最終的には、1人4個ずつ受け取ることになる。

ここでは、1巡で配る個数6(1人1個ずつで6人分の6個)を1まとまりとして見ることかが可能で、これが1つ分の数に、4巡(周、回)の4がいくつ分となる。日本の算数では、かけ算の式は〈1つ分×いくつ分〉の順に書く習慣なので、式は6×4である。

①②③の3つとも、かけ算の式は〈1つ分×いくつ分〉の順に書かれている。③は式自体は②と同じだが、状況は①と一致する。状況は同じなのに、トランプ配りをすると、一つ分の数といくつ分が入れ変わる。

一つ分の数4といくつ分6が、一つ分の数6といくつ分4となる。1つ分の数であった4がいくつ分に、いくつ分であった6が1つ分の数になる。①と③では状況は同じで、配るミカンの総数も同じ24個である。

ここから、のように言える。

4(1つ分)×6(いくつ分)=6(1つ分)×4(いくつ分)

👧👦👧👦👧👦

🍊🍊🍊🍊🍊🍊 1巡目
🍊🍊🍊🍊🍊🍊 2巡目
🍊🍊🍊🍊🍊🍊 3巡目
🍊🍊🍊🍊🍊🍊 4巡目

これが交換法則である。かけ算の交換法則は、算数の教科書では、アレイ図などで示されている。アレイ図でも、グループを縦1列ごとに作るか横一列に作るかで、1つ分の数といくつ分の数が入れ替わることが、示せる。


トランプ配りによる解釈は、可能と言えば可能だし、間違っているわけではない。児童がもしこのような解釈をして、〈1つ分×いくつ分〉の順に書くという「約束ごと」に従えば、式は6×4である。

ここまで見るかぎり、6×4でバツにされる理由はない、と言えそうだ。


B)非現実性

だが実は、トランプ配りによる解釈は、現実性に関して大きな問題がある。児童はそもそも、そのように解釈しないのである。トランプ配りの解釈は、むしろ、自由派が順序派を批判しようとしてひねくりだし、持ち出すものである。

新聞記事の小学校は、Kさんの抗議を受けて、逆に書いた児童に聞き取り調査をしたところ、トランプ配りで考えた児童は1人もおらず、どの児童も、問題文に数が現れる順に式を書いただけだった、ということがわかった、という。文章題は「6人のこどもに、1人4個ずつみかんを…」となっていて、たしかに、問題文中で1人分の数よりも、人数が先に登場する。

児童がトランプ配りによる解釈に基づいて立式することは、まずない。1人に配る個数が4個とわかっているのに、1個ずつ配るというのは、かなり効率が悪い配り方であり、大人でもしないであろう。最初から、各人に4個まとめて配るであろう。

トランプをトランプ配りするのには、特殊な事情がある。ポーカーなどはいいカードを集めるので、前のゲームの影響が残ると不公平になる。不公平が起こらないように、ゲーム前に十分にシャッフルし、また、配るときも、トランプ配りをする。

キャンディーが多数あって、全部の個数は不明、人数だけ決まっているときに、平等にキャンディーを配る方法としては、トランプ配りは1つの方法となる。しかし、かけ算の問題では、1人に配る個数が最初からわかっている。

小学生くらいの子どもは、現前する具体物に基づいて思考する。子どもの各人に4個のみかんの場合は、子どももみかんも具体的なものだが、それに比べると、一巡で6個の「巡」は事物ではなく、動作の単位なので、より抽象的である。だから、小学生は、配られた結果としてできる、各人の前にできたみかんの山を、考える。

トランプ配りによる解釈は、1個、2個……のように数えることができる分離量では、比較的容易だが、連続量だと、ぐっと難しくなる。クラスの38名全員に、1人に20cmのリボンを配るとき、全部で何mのリボンが必要? リボンは運動会の遊戯で、腕に付ける。

リボンを1cmごとに細かく切って、1巡目で1人に1cmのリボンを渡し、38人全員が受け取ったら、2巡目で1人に1cmのリボンを渡し……ということを20回繰り返せば、1人に全部で20cm分のリボンの【破片】が集まる。

1巡ごとに、38人分の38cm必要で、この細かな38cmの配布を、20回繰り返す必要がある。このとき、38が1つ分の大きさ、20がいくつ分となる。しかし、そのように細かく刻まれたのでは、運動会では使用できないであろう。

1個54円の消しゴムを38個購入するとき、1円ずつの分割払をすれば、1回につき38個分の38円を払い、それを54回繰り返せば、完済できるはずだ。しかし、1円ずつの分割払いは、小学校の近くの小さな文具店ではもちろん、大手の文具専門店でも、取り扱いがないであろう。

だから、大人にさえ、トランプ配りの解釈は、思い浮かばない。ましてや子どもは思いつかない。もし児童にトランプ配りの解釈をさせたいなら、そのための十分な誘導が必要である。まず、文章題を次のように、トランプ配りで配ったことがわかるように、改める。

「6人の子どもに、1人1個ずつみかんを配り、全員が1個受け取ったら、同じことを最初の子どもに戻って繰り返す。4回繰り返すとき、みかんは全部で何個必要?」

また、挿絵としては、トランプ配りをした過程がわかるようにコマ絵を描いて、「巡」というまとまりを、線で囲って示すなどする。そうすれば、さすがに児童にも、巡ごとのまとまりがわかる。そのとき、かけ算の式は6×4であり、4×6ではない。


(参考)

自由派が、ふだんからトランプ配りでお菓子などを親から受け取る習慣の子どもが、トランプ配りで考えて逆順式を書いた実例として挙げるのが、読売発言小町のこの例。

2011年12月10日 小2の母「小学2年生、掛け算の文章題で悩んでいます。」

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/1210/467390.htm?o=0&p=1

ところが、この例は、実はトランプ配りによるものではないことが、次のブログで、明らかにされた。同時に明らかにされたのは、小2の母に対する自由派定数氏の激しく生々しい裏工作であった。

「小町小2の母の娘は、本当に、トランプ配りで考える2年生の例か?」http://makitae.cocolog-nifty.com/tsurezure/2015/12/2-a5c3.html


(Twitter @flute23432 2022/02/19 06:08PM, 06:19PM などに基づく)

2018年12月28日金曜日

アレイ図の2つの理解

「かけ算の順序」論争にもしばしば登場し、かけ算の交換法則の説明に使われるアレイ図。🌑や✕のような印やアイコンの、縦横の列がそろった、長方形状の配列である。

 
かけ算には、〈一つ分×いくつ分〉と〈因数×因数〉、小学校で習う非対称的なかけ算と、中学以降の数学で習う対称的な掛け算、という2種類のかけ算があるが、それに応じて、アレイ図にも、2つの理解の仕方がある。


A.グループを作るアレイ図理解

1つ目の解釈は、算数の教科書に見られる理解の仕方である。小学校では、かけ算は、複数の同数グループがあるとき、各グループの構成員数(一つ分)とグループの数(いくつ分)から、全部の数を求める演算として習う。



かけ算の交換法則は、小2のときに、一つ分の数といくつ分の数を取り替えても、答えは同じだと学ぶ。このことは、アレイ図で説明できる。縦列を1まとまりと見ると1つ分が3で、そのまとまりが4列あるので、式は3(一つ分)×4(いくつ分)となる。🌑の数は全部で12個である。

今度は、横列を1まとまりと見て、それが縦に何列あるかと考えると、4(一つ分)×3(いくつ分)となる。3×4と比較すると、一つ分の数といくつ分の数が入れ替わった関係にある。しかし、同じアレイ図であり、外部との🌑の出入りはなく、全部の数は同じ12個である。

4(一つ分)×3(いくつ分)=12(全部の数)
3(一つ分)×4(いくつ分)=12(全部の数)

ここで注目すべきは、どちらの式でも、かけ算の順序は、一つ分-いくつ分だということである。だから、小学校で教えられている交換法則はかけ算の順序と矛盾しない。

この2つのものは同じアレイ図の異なる解釈にすぎない、1つ分の数は見方を変えればいくつ分の数に、いくつ分は一つ分とも容易に解釈できる、という理由から、「一つ分といくつ分の区別は無意味」という帰結を引き出すならば、非対称なかけ算は、対称的なかけ算へと高められる。

しかし、小学校では、非対称なかけ算に留まり、単価×数量とか、基準量×倍(割合)とか、速さ×時間とかいった、非対称なかけ算のさまざまなヴァリエーションを学習することに専念する(注1)。位取記数法や分数もまた、この考え方の応用である(例、9億は1億の9個分、2/3は1/3の2つ分)。


B.直積としてのアレイ図理解

アレイ図のもう1つの理解は、因数×因数の対称的な掛け算に対応するものである。ここでは、一つ分という、まとまりないしグループ、を作らない。アレイ図の縦と横の個数から、グループ化を経ずに、直接、全部の数を引き出す。


ここでは、3と4の2つの数が、同じ因数の資格で対等に掛け合わされて、12を構成する。書くときは2つの数字のうちのどちらかを先に書かなければならないが、どちらを先に書くかはまったく、非本質的な問題である。

かけ算の順序の「どうでもよさ」の感覚は、中高で学ぶこの対称的なかけ算の学習において、養われる。だが、小学校で学ぶのは非対称なかけ算なので、小学校のかけ算の問題を議論するときには、その感覚を不用意に持ちこんでしまうことについて、十分に慎重でなければならない。

「かけ算の順序」に関する論争で、自由派が、順序を固定してかけ算を教える教授法を理不尽だと感じるのは、この感覚を持ちこんでいるからで、その感覚をまだ持たない小学生には、実は、理不尽でもなんでもないのである。だから、かけ算の順序で大騒ぎしているのは、大人であり、子どもではない。

この12を3と4に分解する逆の過程が、因数分解である。素数に分解することは素因数分解と呼ばれる。この考え方で、割り算も教えられる。割り算は一種の因数分解である。つまり、割り算は、元の数と因数のうちの1つが知られているとき、もう一つの因数を求める演算である。つまり、割られる数12個の🌑は、縦(横)4個(割る数)のアレイ図にしたときの横(縦)の個数が、割り算の答え(商)である。

対称的な掛け算に対応するこのようなアレイ図理解では、等分除と包含除の区別は生じない。というのも、等分除と包含除の区別は、一つ分×いくつ分を前提とした考えかだからである。小学校では、学ぶかけ算が、一つ分×いくつ分の非対称なかけ算であることに対応して、割り算は等分除と包含除で導入される。

等分除は、全部の数といくつ分が知られているときに1つ分を求める割り算、包含除は、全部の数と一つ分の数が知られているときにいくつ分を求める割り算である。たとえば、12÷4は、等分除では、12個の菓子を4人で平等に分けたときに1人何個菓子がが与えられるか、包含除では、12個の菓子を1人4個ずつにしたとき何人に分けられるかを表す。

グループを作らずに縦と横の個数から直接総数を引き出すアレイ図が前提としているのが、直積である。集合Aと集合Bからそれぞれ1つずつ要素をとってできる組み合わせ(順序対)の集合は、直積集合と呼ばれ、A×Bと表現される。かけ算は、Aの要素の個数とBの個数からA×Bの個数を求める演算である。集合Pの要素数をn(P)と表現すると、かけ算は、

n(A)×n(B)=n(A×B)

と定義される。集合による説明はわかりづらいが、たとえば、ズボン3着と上着4着の組み合わせの総数を求める、ということを考えればよい。


しかし、こうした組合せを考えることは、小学生には難題である。ズボンと上着の組合せのような文章題は、高学年でも、正答率が低い。オーストラリアで、かけ算や割り算の文章題をいくつものタイプに分類して、正答率がどうななるかについて調査がなされた。それによると、直積(Cartesian product = CP)タイプの文章題は、3年生になっても正答率は15%である。これに対して、同数グループ(equal group =EG)タイプの文章題は、2年生ですでに52%に達している(注2)。


直積タイプのかけ算文章題(組合せの問題)の正答率が低い理由は、同じものを何度もカウントしなければならない、ズボンaと上着Aを組み合わせたとき、他の組合せは、潜在化している、つまり、簞笥にしまわれている、からであろう。

潜在化している分をすべて視覚化したものが、アレイ図だと言える。〈因数×因数〉で理解されたアレイ図の根底には、実は、直積が隠れている。🌑の1つ1つは、4つの欄と3つの列の順序対を表しているのである。



すべての組合せが現前して、目に見えているので、組合せの文章題に比べると、「校庭に児童が列を揃えて縦7人横8人で整列しているとき児童は全部で何人?」といった文章題の正答率は、たしかに、低くない。しかし、これにはトリックがある。正答率が低くないのは、アレイ図には、縦列ないし横列をまとまりと見ることで、一つ分×いくつ分の非対称なかけ算が容易に適用できてしまうからである。

しかし、これは裏を返せば、純粋に直積的に理解されたアレイ図は、小学生には難しいのである。算数でのアレイ図の多用には慎重でなければならない。ましてや、かけ算の順序教育に反発するあまり、同数グループではなく、アレイ図でのみかけ算を導入しよう、などとは考えるべきではない。




注1
小4で学ぶ長方形の面積を求める式〈縦×横〉に使われる掛け算は、本当は、因数(長さ)×因数(長さ)の対称的な掛け算であるが、小学校では、求積で使われるかけ算は、長さという次元からかけ算で新しい次元を作り出すものではない。小学校では面積は、1cm^2の単位正方形のいくつ分で、つまり、一つ分×いくつ分で、考えられている。

単位正方形がいくつあるかを数えるのにも、一つ分×いくつ分が使われる。すなわち、単位正方形3つを縦に積んで、幅1cmの棒を作る。これがもう一つの一つ分となる。そして、この棒が横に3本くっついて並んでいるので、単位正方形の数は、3×4で求められることがわかる。だから、小学校では、長方形を求める公式は、本当は、次のようになる。ここでは、一つ分×いくつ分が2回使われている。

1cm^2×(縦個数×横列数)

ところで、アメリカなどの算数の授業で、教師が作成して壁などに掲示する、かけ算のポスターには、同数グループ(equal groups)や同数累加(repeated addtition)、数直線(number line)とともに、アレイ図(array)が載っている。

(Teachertrap, multiplication strategies)

しかし、このアレイ図は、同数グループと実質上、変わらないのではないか。図では、"3 rows of 5"とあり、多くの場合、横列(row)だけが1まとまりにされている。同数グループとの違いは、🌑が横一列に配列されていることだけである。つまり、ここで言われているアレイ図は、一つ分×いくつ分に対応するアレイ図理解である。

注2
出典は
Lynne Outhred, "Representations of multiplicative word problems", in: Proceedings of the Eighteenth Annual Conference of the Mathematics Education Research Group of Australasia (Darwin, Jyly 7-10, 1995), ed. by Bill Atweh & Ateve Flavel, Galtha, 1995; pp.434-439.
この論文は、シドニーの1~4年の小学生115人を対象としたOuthredの調査を報告している。この論文では、掛け算文章題のタイプは、同数グループ(EG)、アレイ(AR)、直積(CP)の3つである。

同様の調査はほかにもある。

Mulliganは、シドニーの8つのカトリック系スクールの2年生女子児童70名に対して面接調査を行った。面接は2年間にわたって、4回、行われた。4回目の前に、児童は掛け算を学校で学習している。
Joanne Mulligan, "Childrens' Solutions to Multiplication and Division Word Problems: A Longitudinal Study", in: Mathematics Education Research Journal, Vol. 4 (1992), No. 1, pp. 24-41; p. 30.

調査の目的は、児童が掛け算や割り算の文章題を理解する際に、学習前にもっていたインフォーマルな直観がいかに働くかである。しかし、本ブログでは、文章題のタイプ別の正答率に注目したい。直積タイプの文章題は、正答率が著しく低いという結果が出た。

かけ算文章題のタイプは、この論文では、1.同数累加、2.値段、3.因数、4.アレイ、5.デカルト積(直積)に分類されている。著者は、のちに(1997年)、同じ実験を分析し直しているが、そこでは、次のようにタイプの名称が変更されている。文章題そのものは同じである。

Joanne T. Mulligan & Michael C. Mitchelmore, "Young Childrens' Intuitive Models of Multiplication and Division", in: Journal for Research in Matheamtics Education, Vol. 28 (1997), No. 3, pp. 309-330.

1.同数グループ(Equivalent groups)「教室にある2つのテープルに4人ずつ子どもが座っているとき、子どもは全部で何人?」(a)
2.値段(Rate)「糊1個5セントなら、糊2つ買うときいくら必要?」
3.比較(Comparison)「ジョンは3冊本をもっているが、スーはその4倍の数の本をもっている。スーは何冊もっている?」
4.アレイ(Array)「子どもたちが4列になって並んでいる。各列は3人いるとき、全部で何人?」
5.直積(Cartesian product)「ポテトチップにはチキン味とプレーンがあり、箱のサイズには大中小3つある。選び方は全部で何通り?」
(以上は、文章題に現れる数字が小さい数字の場合)

正答率は、問題のタイプによって大きく異なる。同数グループと値段とアレイは、一番易しく、正答率は面接の回数を重ねるにつれて、45%から86%に上がって行った。比較タイプは中程度で、直積タイプはとても難しく、面接1~3では1%、4回目でようやく14%であった。

次の論文はブラジルの『教育と現実』43巻第1号に掲載されたものである。
「小学生によって解かれたデカルト積の諸問題」[Problems of Cartesian Product Solved by Elementary School Students] 『教育と現実』43巻第1号
Sandra Maria Pinto Magina & Alina Galvão Spinillo. Lianny Milenna de Sá MeloII, "A Resolução de Problemas de Produto Cartesiano por Alunos do Ensino Fundamental" , in: Educação & Realidade, 43-1
http://www.scielo.br/scielo.php?pid=S2175-62362018000100293&script=sci_arttext

ポルトガルは読めないが、その英文要旨によると、直積の文章題をサンパウロの3年生と5年生の269人に解いてもらったという。問題は掛け算と、逆向きの直積である割り算の問題である。具体的には、入口2つ出口4つの遊園地に、入って出る方法は何通りか、という組合せの問題である。このかけ算で解く組合せの問題に対応する割り算の問題は、「入口2つで、入って出る方法が12通りあるとき、出口の数はいくつ?」というもの。こちらは正答率がゼロかそれに近かった。割り算ではなく、掛け算を使って、12×2=24 24通り、と解答する答案もあったという。

結論では、掛け算の問題の解決では進歩があったが、直積の割り算は小学生には異常に難しく、進展はなかった、ということである。つまり、小学生は直積を掛け算ではある程度理解できるが、直積の割り算をまったく理解できない。



(flute23432 twitter  2018/12/27 18:31に基づく)
 

2018年11月3日土曜日

被乗数と乗数

「掛け算で、例えば3×2 どちらを「乗数」「被乗数」にするかは任意。順番も「乗数」×「被乗数」でも、逆順でもかまわない。…順番を変えても答えも、「式の意味」も変わらない。」(中二氏 Twitter 2018/10/23 23:19)

日本の算数教育では、かけ算は、明治以来、同数累加の簡略算として教えられ、緑表紙時代に基準量×倍で教えられた。生活単元学習時代に一度、同数累加に戻ったものの、系統学習時代と現代化算数時代は、ふたたび、基準量×倍で教えられた。だが、1980年代以降は、どの教科書もかけ算は、現在にいたるまで、一つ分×いくつ分、で教えられている。

どの時期にも、「かけられる数」(被乗数)と「かける数」(乗数)という語は使われている。そして、それぞれの時期で、かけ算を定義する際の中心的な概念によって、被乗数と乗数は、その意味内容を変えてきたのである。



しかし、かけ算は元来、同数累加で教えられていたから、「かけられる数」(被乗数)とはもともと、ある数をある数だけ繰り返し足すときの、繰り返しの対象となる数のことであり、「かける数」(乗数)とは、繰り返しの数である(注1)。たとえば、3×5は、3+3+3+3+3の簡略表記であり、3を5回足している(寄せている)ので、3が被乗数、5が乗数である。

A)文脈が与えられないとき

文脈なしに、単に3×2という式が与えられても、どちらが被乗数か乗数は決められない。決められるといえば勝手に決めることはできるが、まったく勝手に決めることになる。

勝手に3を乗数2を被乗数と決めるなら、2つのものが3つ分あるという意味であり、3を被乗数2を乗数と決めるなら、3つのものが2つ分という意味になる。両者では答え(総数、計算結果)は同じで、だから、かけ算は可換であると言えるが、しかし、意味は違っている。

ところが、中二氏は「「式の意味」も変わらない」と述べている。これは、かけ算を、被乗数と乗数ではもはや考えないということである。中二氏は定数氏と同様に、被乗数×乗数や一つ分×いくつ分ではなく、因数×因数=積でかけ算を理解し、それを自明視・絶対視している、と思われる。

因数×因数のかけ算では、3と2が同じ因数の資格で掛け合わされて、6という積を構成する。逆に6を3と2に分解することは、因数分解である。書くときは3と2のどちらかを先に書かなければならないが、それはまったく瑣末で表面的なことである。順序は「どーでもいい」(定数氏)のである。

この意味でのかけ算は、中高の数学で習うことになる。しかし、小学校で学ぶかけ算は、被乗数×乗数という、×記号の前後で非対称なかけ算である。被乗数と乗数とでは意味が違うので、位置も固定するのが普通である。日本の算数の教科書では、式は被乗数×乗数の順序で統一されている。

被乗数×乗数には、一つ分×いくつ分、基準量×倍(割合)、単価×数量、速さ×時間、比例定数×xなどの、さまざまなヴァリエーションがある。これらはどれも小学校で学ぶべき重要な学習内容である。被乗数×乗数のかけ算が学ばれている算数教育を、因数×因数を基準に評価すべきではない。

1960年代のアメリカで、New Math運動が起こり、集合や位相、公理主義のような現代数学の概念が、初等数学教育に導入された。その結果、基本的な計算もできない数学嫌いの生徒がたくさん出て、運動は潰えた。当時のSMSG教科書では、かけ算は因数×因数で(直積で)教えられた。

「数に対する演算とは、2つの数について考え、ただ1つの数を得る方法である。4と5を考えて、20を得るとき、われわれはかけ算をしている。/かけ算を理解するのに役立つので、アレイ図を使おう。/ここに、4つ要素からなる集合と、5つの要素から成る集合との、すべての要素の組合せのを可能にするアレイがある。組合せは20ある。」

「われわれが、2つの因数に演算を施して、1つの積を得るとき、われわれはかけ算をしているのである。」

中学・高校・大学の数学で学ぶ正しく論理的な知識だからといって、数学のより高度で抽象的な概念を初等数学教育に持ちこむのは、無思慮の極みである。算数教育は数学であるとともに教育でもある。定数氏や中二氏は歴史に学ぶことなく、ふたたび、初等数学教育を混乱の渦の中に引き入れようとしている。


B)文脈が与えられたとき

3×2に文脈が与えられると、どちらが被乗数であるかは、任意には決められなくなる。文脈には、1)その地域・分野での表記慣習と、2)現実や文章題文章が描く事態がある。

1)乗数×被乗数の順で書く慣習がある文化圏でならば、3×2の3が乗数である。日本の算数教育のように、被乗数×乗数で書くことになっている領域では、3は被乗数である。かけ算の可換性は自明の前提として、文化圏や分野により、書式として順序が定まっていることが多い。

2)もう一つの文脈は、現実や文章題である。プリンが3つ連なったパックを2つ購入するとき、あるいは、「購入したとき全部でいくつ?」という文章題を解くときは、3が被乗数で、2が乗数である。3が一つ分の数で、2がいくつ分である。

他社製2個入りパックを3つ買う場合は、総数は同じ6個でも、式の意味が違う、というだけではない。他社製のパック単価は2/3というわけではないので、合計金額や味も違ってくる。この場合は、3が乗数で2が被乗数である。

既述のように、3個入りパックを2つ購入する場合は、3が被乗数で、2が乗数である。だが、こう言っただけでは、まだ、3(被乗数)×2(乗数)なのか2(乗数)×3(被乗数)なのか決まらない。しかし、もし1)で言われた、表記慣習があれば、どうであろうか。

乗数×被乗数の順にかけ算の式を書くのが習慣である文化圏や分野では、「3個入りパックを2つ」の文章題が与えられたとき、2(乗数)×3(被乗数)という式になる。1)と2)の両方があって、順序が定まるのである。

日本の算数教育では、被乗数×乗数の順序とする慣習が明治期以来あり、式は3(被乗数)×2(乗数)と書かれる。小学校では、この表記慣習に従って、式を立てられているかどうかで、被乗数と乗数の違いを意識しているかがチェックされる。九九の暗唱だけで満足し、この違いを意識しない児童は多い。

だから、「プリンのパックで2つあり、1パックには3つずつプリンが入っています。全部でプリンは何個?」という、文章中に乗数が先に現れる文章題で、少なからぬ児童が、この順序に誘導されて、九九を機械的に適用し、2×3と書いて、バツにされる。

だが、バツを付けてそれて終わりではなく、児童はマルになるまでやり直しする。つまり、テスト直しで、式を一つ分×いくつ分の基本図式の意味に従って立てることにより、一つ分といくつ分の意味の違いを改めて意識するのである。

かけ算の順序が違ってバツになるのは、基本的に、文章題の立式に限られる。文章題という文脈が与えられているとき、一つ分といくつ分が定まるが、文章題の立式では、一つ分を先にするように、児童は期待される。これに対して、計算問題や文章題立式後の計算(筆算など)など、計算では、意味はあまり重要ではないから、実際、交換法則などを適用して、計算を簡単にする方法が、「計算の工夫」という題目で、教えられている。

それゆえ、日本の学校算数では、「かけ算は可換でない」というトンデモが教えられている、というのはデマである。黒木氏や定数氏、中二氏、鶴氏らの「超算数」批判は、このデマの流布に大いに加担している。



注1

同数累加によるかけ算の定義は、ユークリッドの『幾何学原論』にすでに見られる。当時、「被乗数」「乗数」という用語が確立していたかどうかは、わからないが、同数累加の定義が含んでいる概念としては、あった。

「数に数を掛けるといわれるのは、後者の中にある単位の数と同じ回数だけ前者、すなわち【掛けられる数】が加え合わされてなんらかの数が生ずるときである。」(原論第7巻定義16 中央公論新社、ギリシアの科学 p.331)

19世紀前半に出版されたノエルの『算術初歩』(1835年)には、「被乗数(multiplicande)」と「乗数(multiplicateur)」という言葉が使われている。「被乗数」、「乗数」は、日本の教育家が1950年代に発明したもの、という志村五郎氏の推測は完全に誤っている(『数学をいかに教えるか』p.45)。


かけ算(multiplication)は被乗数(multiplicande)と呼ばれる数を、乗数(multiplicateur)と呼ばれるもう一つの数に含まれた単位の数だけの回数、選ぶ(prendre)、または繰り返す演算だとされている(p. 14)。ここでは、かけ算は同数累加と見なされているのである。

J.N. Noël, Arithmétique élémentaire raisonnée et appliquée, Luxembourg, J.Lamort, 1835. Google Books



(Twitter 2018/10/29のツイートなどに基づく)