2020年3月29日日曜日

かけ算の順序は指示であり命題ではない


1.解答書式

たとえば、「3と4の公倍数を【小さいほうから順に3つ】書きなさい」という算数の問題に、「12, 36, 24」と解答したら、バツにされてもしかたない。というのも、その解答は、【小さいほうから順に】という指示に従っていないから。【下の解答欄に記入しなさい】とあるのに、上の解答欄に書いたらバツになるのと同じである。そのバツは、指示違反に基づくもので、12と36と24が、3と4の公倍数であることを否定するものではない。「12, 24, 36, 48」と4つ書いてしまった場合も、【3つ】という指示に反するのでバツか減点(サンカク)になるであろう。そのバツは、なにも、48が3と4の公倍数であることを否定しているわけではない。


【小さいほうから順に3つ】という指示は、【下の選択肢群から選んでその記号を解答欄に書きなさい】といった指示に類する、解答書式上の指示である。【小さいほうから順に3つ】はけっして、3と4の公倍数の性質として言われたものではない。【小さいほうから順に】というのは、解答の書き方を指示しているだけなのであって、公倍数の性質に及ぶものではない。3と4の公倍数は、たしかに、小さい順に書かれることが多いが、それは、昇順性(小さい順)が公倍数の性質に属している、ということではない。


【3つ】という指示も、3と4の公倍数が3つしかない、ということを言おうとしているのではない。間違って4つ書いてしまった者も、3と4の公倍数4つしかないと思っているわけではない。4つ書く自由を奪われた(3つ書くように強制された)、と騒ぐ問題では、当然、ない。

公倍数の性質と、公倍数を表記したり解答したりする際の書式とを混同すべできない(この公倍数の問題の場合、実際には、混同する人はいないであろうが)。

【下の解答欄に書きなさい】とか【分数の横棒は定規で引きましょう】とかいった指示は、解答書式上指示であって、問われていることの数学的性質が問題となっているのではないことが、公倍数の場合よりいっそう明白である。指示があるにもかかわらず、定規で引かなかったらバツになるが、そのバツは計算上の正しさをただちに否定するものではない。

このことは、〈かけ算の順序〉も、本当は、同様なのである。〈かけ算の順序〉というのは、第1に、かけ算の式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書くという、明治期以来の日本の算数教育内の慣習である。教科書や板書はこの慣習に従って書かれる。第2に、それは、この慣習に従って書くようにという解答書式上の指示である。日本の学校算数では、かけ算の文章題では、式は〈1つ分×いくつ分〉の順に書くように求められていて、それに従えていないと、しばしば、式がバツになる。


ところが、この採点が、かけ算の可換性という、数体系の公理ともなるような数学的な原理に対する挑戦だと誤解され、激しい反発を呼び起こすのだが、順序が指示であることがわかっていれば、そのような誤解は起きないはずである。

なぜそのような指示がなされるかと言えば、一つ分といくつ分がそれぞれわかっているかを同時に見るためである。算数では、かけ算は、複数の同数グループがあったとき、一つ分(被乗数)といくつ分(乗数)から全部の数を求める演算として習う。だから、文章題が行われるとき、一つ分といくつ分を区別して、それぞれを把握しているかどうか、が理解の1つの指標となる。

一つ分といくつ分の区別が理解できていなかったり、曖昧であったりすれば、その指示にいつも従うことはできない。「いつも」というのは、式は〈1つ分×いくつ分〉かその逆の2通りしかないので、たまたま指示通りになることは、普通に起きることだからである。指示通りの順でないと、式がバツになるが、そのバツは、一般に、かけ算の式が逆に〈いくつ分×1つ分〉と書かれることがある、ということを否定しているのではない。アメリカやブラジルなど、〈いくつ分×1つ分〉という逆の順で書く習慣がある国は多い。日本でも、会計伝票書類は、数量×@単価の順に書かれているものが多い。


〈かけ算の順序〉は、〈1つ分×いくつ分〉という一方の順序が、かけ算そのものに属している、かけ算の性質である、と主張しているわけではない。だから、順序派の主張を「かけ算には順序がある」のような、かけ算の性質について述べる命題で表すのは、適切ではない。かけ算の順序は、表記や書式のレベルで、日本の算数教育の慣習として通用しているもの、そしてまた、どの数が一つ分でどの数がいくつ分かを正しく把握できているかを確認するための教育的な工夫として、児童にも求められているものである。


この、表記や書式のレベルと、かけ算の基本的な性質としての可換性のレベルとを、ごっちゃにしてはならない。


2.指示と命題

以上のような、表記と性質のレベルの混同と連動して、順序派に対する誤った批判に、働いているのは、指示(命令)と命題のすり替えである。

【小さい順に3つ】とか【一つ分×いくつ分の順で】とかいった、解答書式上の指示に限らず、一般に、指示や命令について、真偽は問題にできない。「窓が開いている」は、現実についてのある判断を表す平叙文なので、実際の窓の状態を基準に、真偽を問題にできる。しかし、「窓を閉めなさい」という命令文は、それが実行されるかどうか、その指示がその状況で適切か、などは問えるが、実際の状態(数学なら、たとえば、図形の性質)に照らして、それに合致しているかどうか、つまり真偽を、問題にすることはできない。

「窓を閉めなさい」と指示したからと言って、そしてまた、指示に従わないという理由で否定的な評点を付けたからと言って、窓が物理的に開閉できることを否定しているのではない。むしろ、逆で、開閉できるからこそ、「閉めなさい」と指示することができるのである。同様にして、かけ算は可換なので、一方の順序で書くことを指定できる。

ところが、かけ算の性質と書式、命題と指示(命令)を区別できずに、〈かけ算の順序〉指導について、嘘を教えていると批判する者が絶えない。それは真実でも嘘でもないので、嘘と知りつつ方便で教えている、ということもない。

「掛け算の順序は有害無益な嘘出鱈目、1+1=7 と教えるようなもの。」(定数氏 2020/02/29 07:47 AM)
「我々は、掛け算順序は嘘出鱈目だから教えるのはやめろ、と主張しています。」(定数氏 2019/12/07 08:04 PM)

「「掛け算に順番がある」は嘘なのだから、わざわざ嘘を教えてる順序派がそのメリットを証明する必要があります。」(大根氏 2020/02/11 10:50 PM)

「自然数の掛け算順序固定…嘘を教えることとある範囲で正しいことを教えることは全然違うので反省して欲しい」(御幸氏 2020/03/05 05:52 PM)

「子供に嘘を教えるのはやめましょう。」(日輪氏 2019/12/10 00:46 PM)
「実数の掛け算に順序があると教えることは誤りだから、それは嘘を教えていることになるわけですね。」(大石氏 2019/12/05 07:17 AM)

自由派は、しばしば、順序派の立場を「かけ算に順序がある」と表現するが、それは藁人形論法である。「式は〈1つ分×いくつ分〉の順に書きましょう」という指示を、「かけ算には(特定の)順序がある」という命題にすり替えて、批判しているのである。


3.「掛け算には順序がある」という命題の曖昧さ

「掛け算には順序がある」という表現は、たまに、順序派が使うこともあるものの、自由派がしばしば、順序派の主張を表すのに用いる表現である。それはかけ算についての命題であり、かけ算そのものの性質として、特定の順序があることを示している。

上で述べたように、〈かけ算の順序〉は指示であり、「掛け算には順序がある」という命題で表現される主張ではないのだが、順序派の主張を表さないこの命題を単独で取り上げて、その真偽を問題にすることは可能である。ただし、命題に含まれている「順序」という言葉がとても曖昧なために、その真偽は一通りには決まらない。

もしその命題が、かけ算は、〈割り算・引き算のように、演算記号の前後の数を交換すると、答えは一般に違ってくる〉(計算結果同一性の否定)という意味なら、順序派は、「かけ算には順序はない」と主張するであろう。算数教育では、実際には、「被乗数と乗数を交換して計算しても、答えは同じ」ことは、繰り返し、教えられている。「かけ算には(答えに影響を与える)順序がある」と教えられているというのは、事実ではない。

「順序」をその意味で理解するなら、「掛け算には順序がある」というのは偽であり、また、それは順序派の主張でもない。

だが、算数で教えられるべきかけ算は、乗号の前後が非対称な〈1つ分×いくつ分〉のかけ算である。小学生には難しい〈因数×因数〉タイプのかけ算は、中学以上の数学で習う。もし、算数で習うかけ算の非対称性そのものを順序と呼ぶなら、たしかに、算数教育では、「かけ算に順序がある」と言える。かけ算の性質として、順序性があるのである。ただし、1)その場合の順序性は、あくまで、〈1つ分×いくつ分〉であってその逆ではない、という特定の順序のことではなく、非対称性のことであること、そしてまた、2)かけ算一般ではなく、小学校で教えるような非対称なかけ算がもつ性質であること、を忘れてはならない。。

このとき、別の観点では、順序はあるともないとも言える。かけ算を〈1つ分×いくつ分〉などの非対称な図式で考える場合、〈1つ分×いくつ分〉と〈いくつ分×1つ分〉の2つの順序が考えられるが、この意味では、「かけ算には順序がある」と言える。だが、〈1つ分×いくつ分〉と書くことも、〈いくつ分×1つ分〉と書くことも可能、この2つの順序のうち一方に決められているということはない、という意味では、かけ算に順序はない。

もしその命題が、日本の算数教育では、〈かけ算は〈1つ分×いくつ分〉の順に統一・固定して教えられている〉、〈児童も、それに倣ってその順序で書くことを求められている〉、という事実を指すなら、日本の算数教育では、かけ算に順序はある、と言える。しかし、もしそのような日本の算数教育の特徴を表したいのであれば、「かけ算には順序がある」ではなく、「日本では、かけ算の式は、〈1つ分×いくつ分〉の順に固定して教えられている」、あるいは、「日本の算数教育では、かけ算の式は、〈1つ分×いくつ分〉の順に書くように求められている」と言うべきである。


ただし、算数でかけ算の式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書くように求められるのは、教科書の例題の文章題や、ドリルや単元テストのかけ算文章題の立式など、意味が重要なところに限られる。計算問題や立式後の計算過程では、意味が重要ではないので、式の順序は固定されない。この意味では、「かけ算に順序はない」と言える。

(2020/01/13 07:51PM, 2020/03/97 02:01PM, 02:09PMのツイートなどに基づく。)