2020年3月29日日曜日
かけ算の順序は指示であり命題ではない
1.解答書式
たとえば、「3と4の公倍数を【小さいほうから順に3つ】書きなさい」という算数の問題に、「12, 36, 24」と解答したら、バツにされてもしかたない。というのも、その解答は、【小さいほうから順に】という指示に従っていないから。【下の解答欄に記入しなさい】とあるのに、上の解答欄に書いたらバツになるのと同じである。そのバツは、指示違反に基づくもので、12と36と24が、3と4の公倍数であることを否定するものではない。「12, 24, 36, 48」と4つ書いてしまった場合も、【3つ】という指示に反するのでバツか減点(サンカク)になるであろう。そのバツは、なにも、48が3と4の公倍数であることを否定しているわけではない。
【小さいほうから順に3つ】という指示は、【下の選択肢群から選んでその記号を解答欄に書きなさい】といった指示に類する、解答書式上の指示である。【小さいほうから順に3つ】はけっして、3と4の公倍数の性質として言われたものではない。【小さいほうから順に】というのは、解答の書き方を指示しているだけなのであって、公倍数の性質に及ぶものではない。3と4の公倍数は、たしかに、小さい順に書かれることが多いが、それは、昇順性(小さい順)が公倍数の性質に属している、ということではない。
【3つ】という指示も、3と4の公倍数が3つしかない、ということを言おうとしているのではない。間違って4つ書いてしまった者も、3と4の公倍数4つしかないと思っているわけではない。4つ書く自由を奪われた(3つ書くように強制された)、と騒ぐ問題では、当然、ない。
公倍数の性質と、公倍数を表記したり解答したりする際の書式とを混同すべできない(この公倍数の問題の場合、実際には、混同する人はいないであろうが)。
【下の解答欄に書きなさい】とか【分数の横棒は定規で引きましょう】とかいった指示は、解答書式上指示であって、問われていることの数学的性質が問題となっているのではないことが、公倍数の場合よりいっそう明白である。指示があるにもかかわらず、定規で引かなかったらバツになるが、そのバツは計算上の正しさをただちに否定するものではない。
このことは、〈かけ算の順序〉も、本当は、同様なのである。〈かけ算の順序〉というのは、第1に、かけ算の式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書くという、明治期以来の日本の算数教育内の慣習である。教科書や板書はこの慣習に従って書かれる。第2に、それは、この慣習に従って書くようにという解答書式上の指示である。日本の学校算数では、かけ算の文章題では、式は〈1つ分×いくつ分〉の順に書くように求められていて、それに従えていないと、しばしば、式がバツになる。
ところが、この採点が、かけ算の可換性という、数体系の公理ともなるような数学的な原理に対する挑戦だと誤解され、激しい反発を呼び起こすのだが、順序が指示であることがわかっていれば、そのような誤解は起きないはずである。
なぜそのような指示がなされるかと言えば、一つ分といくつ分がそれぞれわかっているかを同時に見るためである。算数では、かけ算は、複数の同数グループがあったとき、一つ分(被乗数)といくつ分(乗数)から全部の数を求める演算として習う。だから、文章題が行われるとき、一つ分といくつ分を区別して、それぞれを把握しているかどうか、が理解の1つの指標となる。
一つ分といくつ分の区別が理解できていなかったり、曖昧であったりすれば、その指示にいつも従うことはできない。「いつも」というのは、式は〈1つ分×いくつ分〉かその逆の2通りしかないので、たまたま指示通りになることは、普通に起きることだからである。指示通りの順でないと、式がバツになるが、そのバツは、一般に、かけ算の式が逆に〈いくつ分×1つ分〉と書かれることがある、ということを否定しているのではない。アメリカやブラジルなど、〈いくつ分×1つ分〉という逆の順で書く習慣がある国は多い。日本でも、会計伝票書類は、数量×@単価の順に書かれているものが多い。
〈かけ算の順序〉は、〈1つ分×いくつ分〉という一方の順序が、かけ算そのものに属している、かけ算の性質である、と主張しているわけではない。だから、順序派の主張を「かけ算には順序がある」のような、かけ算の性質について述べる命題で表すのは、適切ではない。かけ算の順序は、表記や書式のレベルで、日本の算数教育の慣習として通用しているもの、そしてまた、どの数が一つ分でどの数がいくつ分かを正しく把握できているかを確認するための教育的な工夫として、児童にも求められているものである。
この、表記や書式のレベルと、かけ算の基本的な性質としての可換性のレベルとを、ごっちゃにしてはならない。
2.指示と命題
以上のような、表記と性質のレベルの混同と連動して、順序派に対する誤った批判に、働いているのは、指示(命令)と命題のすり替えである。
【小さい順に3つ】とか【一つ分×いくつ分の順で】とかいった、解答書式上の指示に限らず、一般に、指示や命令について、真偽は問題にできない。「窓が開いている」は、現実についてのある判断を表す平叙文なので、実際の窓の状態を基準に、真偽を問題にできる。しかし、「窓を閉めなさい」という命令文は、それが実行されるかどうか、その指示がその状況で適切か、などは問えるが、実際の状態(数学なら、たとえば、図形の性質)に照らして、それに合致しているかどうか、つまり真偽を、問題にすることはできない。
「窓を閉めなさい」と指示したからと言って、そしてまた、指示に従わないという理由で否定的な評点を付けたからと言って、窓が物理的に開閉できることを否定しているのではない。むしろ、逆で、開閉できるからこそ、「閉めなさい」と指示することができるのである。同様にして、かけ算は可換なので、一方の順序で書くことを指定できる。
ところが、かけ算の性質と書式、命題と指示(命令)を区別できずに、〈かけ算の順序〉指導について、嘘を教えていると批判する者が絶えない。それは真実でも嘘でもないので、嘘と知りつつ方便で教えている、ということもない。
「掛け算の順序は有害無益な嘘出鱈目、1+1=7 と教えるようなもの。」(定数氏 2020/02/29 07:47 AM)
「我々は、掛け算順序は嘘出鱈目だから教えるのはやめろ、と主張しています。」(定数氏 2019/12/07 08:04 PM)
「「掛け算に順番がある」は嘘なのだから、わざわざ嘘を教えてる順序派がそのメリットを証明する必要があります。」(大根氏 2020/02/11 10:50 PM)
「自然数の掛け算順序固定…嘘を教えることとある範囲で正しいことを教えることは全然違うので反省して欲しい」(御幸氏 2020/03/05 05:52 PM)
「子供に嘘を教えるのはやめましょう。」(日輪氏 2019/12/10 00:46 PM)
「実数の掛け算に順序があると教えることは誤りだから、それは嘘を教えていることになるわけですね。」(大石氏 2019/12/05 07:17 AM)
自由派は、しばしば、順序派の立場を「かけ算に順序がある」と表現するが、それは藁人形論法である。「式は〈1つ分×いくつ分〉の順に書きましょう」という指示を、「かけ算には(特定の)順序がある」という命題にすり替えて、批判しているのである。
3.「掛け算には順序がある」という命題の曖昧さ
「掛け算には順序がある」という表現は、たまに、順序派が使うこともあるものの、自由派がしばしば、順序派の主張を表すのに用いる表現である。それはかけ算についての命題であり、かけ算そのものの性質として、特定の順序があることを示している。
上で述べたように、〈かけ算の順序〉は指示であり、「掛け算には順序がある」という命題で表現される主張ではないのだが、順序派の主張を表さないこの命題を単独で取り上げて、その真偽を問題にすることは可能である。ただし、命題に含まれている「順序」という言葉がとても曖昧なために、その真偽は一通りには決まらない。
もしその命題が、かけ算は、〈割り算・引き算のように、演算記号の前後の数を交換すると、答えは一般に違ってくる〉(計算結果同一性の否定)という意味なら、順序派は、「かけ算には順序はない」と主張するであろう。算数教育では、実際には、「被乗数と乗数を交換して計算しても、答えは同じ」ことは、繰り返し、教えられている。「かけ算には(答えに影響を与える)順序がある」と教えられているというのは、事実ではない。
「順序」をその意味で理解するなら、「掛け算には順序がある」というのは偽であり、また、それは順序派の主張でもない。
だが、算数で教えられるべきかけ算は、乗号の前後が非対称な〈1つ分×いくつ分〉のかけ算である。小学生には難しい〈因数×因数〉タイプのかけ算は、中学以上の数学で習う。もし、算数で習うかけ算の非対称性そのものを順序と呼ぶなら、たしかに、算数教育では、「かけ算に順序がある」と言える。かけ算の性質として、順序性があるのである。ただし、1)その場合の順序性は、あくまで、〈1つ分×いくつ分〉であってその逆ではない、という特定の順序のことではなく、非対称性のことであること、そしてまた、2)かけ算一般ではなく、小学校で教えるような非対称なかけ算がもつ性質であること、を忘れてはならない。。
このとき、別の観点では、順序はあるともないとも言える。かけ算を〈1つ分×いくつ分〉などの非対称な図式で考える場合、〈1つ分×いくつ分〉と〈いくつ分×1つ分〉の2つの順序が考えられるが、この意味では、「かけ算には順序がある」と言える。だが、〈1つ分×いくつ分〉と書くことも、〈いくつ分×1つ分〉と書くことも可能、この2つの順序のうち一方に決められているということはない、という意味では、かけ算に順序はない。
もしその命題が、日本の算数教育では、〈かけ算は〈1つ分×いくつ分〉の順に統一・固定して教えられている〉、〈児童も、それに倣ってその順序で書くことを求められている〉、という事実を指すなら、日本の算数教育では、かけ算に順序はある、と言える。しかし、もしそのような日本の算数教育の特徴を表したいのであれば、「かけ算には順序がある」ではなく、「日本では、かけ算の式は、〈1つ分×いくつ分〉の順に固定して教えられている」、あるいは、「日本の算数教育では、かけ算の式は、〈1つ分×いくつ分〉の順に書くように求められている」と言うべきである。
ただし、算数でかけ算の式を〈1つ分×いくつ分〉の順に書くように求められるのは、教科書の例題の文章題や、ドリルや単元テストのかけ算文章題の立式など、意味が重要なところに限られる。計算問題や立式後の計算過程では、意味が重要ではないので、式の順序は固定されない。この意味では、「かけ算に順序はない」と言える。
(2020/01/13 07:51PM, 2020/03/97 02:01PM, 02:09PMのツイートなどに基づく。)
2019年4月30日火曜日
見えざる書式と教育的なバツ
見積書・請求書類は、単価欄が先、数量欄が後のものも一部あるようだが、多くは、数量欄が先、単価欄が後である。これは、海外の経理書類の影響なのであろう。
どちらのスタイルの請求書であろうと、「掛け算に交換法則が成り立ち、順序がどうでもよいという理由で、実際には124円のものを7冊購入したのに、次の画像のように、単価を数量欄に、数量を単価欄に記入するようなことをすれば、合計金額は同じ868円でも、在庫や利益にとんでもない影響が出かねない。
元いた職場と数量欄と単価欄の位置が逆でも、今の職場の書式に合わせて、単価を単価欄に、数量を数量欄に入れるようにしよう。もし、新入りの社員が上の画像のように間違えて入力してしまっていたら、言って直させよう。上司は、直させても、掛け算の可換性を否定したとして数学者から訴えられることはないであろう。
というのも、書式の上で順序を指定し固定しているだけで、直させた上司としては、乗法の交換法則のような基本的な数学的原理を否定する、などという大それたことを企てるつもりは毛頭ないのだから。社内の意思伝達や経理的な正確さのために、書式を統一しているだけの話である。7円のものを124個売る場合も、同じ868円になること、つまり、掛け算には交換法則が成り立つことは、もちろん、上司もわかっている。
ところで、小学校の算数では、掛け算を、同数グループがあったとき、各グループの構成員数(一つ分)とグループの数(いくつ分)から全部の数を求める演算として習う。式は、一つ分×いくつ分=全部の数、という範型に従って立てることを習う。
「袋が3つあり、各袋に4個ずつキャンディを詰めるとき、キャンディは全部で何個要る?」という文章題では、一つ分が各袋の個数4で、いくつ分が袋の数3である。式は、〈一つ分×いくつ分=全部の数〉の図式に従い、4×3=12のように書くことを習う。単価×数量はこの一つ分×いくつ分の1つ応用で、「124円の漢字練習帳を7冊購入したとき支払うのは何円?」という文章題では、124×7=868と式を書く。教科書は、経理書類の主流とは逆のこの順序で統一して書かれており、小学校の教師もこの順序で式を板書している。
学校では、掛け算の文章題の立式において、この同数グループの数的関係が、そして、一つ分といくつ分がそれぞれ正しく把握されているかどうかを確認できるように、児童にも、乗号の前に一つ分の数を、後にいくつ分の数を置くように、言っている。つまり、一つ分×いくつ分、単価×数量の図式に従って式を書くように、言い換えれば、教科書に載っている順に書くように、言われている。
この指示は、原則、学校算数の文章題の立式においてのみ、適用される。意味が重要ではない計算問題や、文章題でも立式後の計算(筆算やとでの言い換えなど)では、一つ分×いくつ分の順に書くことを求められることはない。また、これは学校算数内において、教育的な意味で設定されているルールなので、学校外の入学試験や検定試験などでは、無効である。
4×3=12や124×7=868は式なので、見積書のような欄はないが、このルールでは、乗号の前に1つ分欄、後にいくつ分欄があるようなものである。児童は、掛け算の立式の習得を目指して、いわば、この見えざる書式に書き込むように、式を立てる。中高生になれば、さまざまな考えに基づいて、同じ答えが出せる式のヴァリエーションを多数考えることができるようになるが、小学生は式の立て方を学んでいる最中で、まずは、範型をお手本として、1つの、ないしは限られた数の、式の立て方を習得することに集中・専心するのである。
「袋が3つあり、各袋に…」のように、文章題文章にいくつ分の数が先に出てくると、小学生はそれに誘導されて、式でも、いくつ分を先に書きがちである。ドリルや単元テストなどで、そのような文章題が出ると、3×4と式を書いて、答えは合っていても、式がバツになる。
バツにしても、教師は掛け算の可換性という数学上の原理を否定しているわけではない。嘘も方便だと思って、掛け算を非可換なものとして教えているわけでもない。それどころか、掛け算では、被乗数と乗数の数値を入れ替えて計算しても、答えは同じになる、という交換法則を、児童は繰り返し学んでいる。
参照 flute23432 「交換法則の学習」
バツになった答案が保護者によってネットにアップされると、ネットにたむろする数学屋たちが、これぞと言わんばかりに、「嘘を教えるな」と、非難の大合唱を始める。だが、その非難は、数学的内容と書式という2つのレベルを混同するもので、教師は気にする必要はない。解答欄を取り違えて解答すれば、バツになるであろう。それと同様に、教育的に設定されたルールに従って数値を正しく配置していないから、バツにしたのであり、掛け算の可換性を知らないからバツにしたのではない。それは数学的なバツではなく、教育的なバツなのである。
他にも、学校では、答え欄の答えに助数詞(「個」「枚」「匹」…)を書き忘れたり、アラビア数字ではなく漢数字で答えたり、分数の計算問題で答えを帯分数にしなかったりすれば、答えが合っていても、バツになることはある。これらは、数学的には問題がなくても、書かれざる指示(ルール)に従わなっていないという理由でバツになる。
算数では、バツを付けて終わりではなく、バツは理解に向けた踏み台である。小学校では、ドリルやテストでバツになった箇所の直しが宿題に出されることが多い。児童は、間違ったところを青鉛筆で直す際に、なぜバツになったかを考える機会を与えられる。その際に、掛け算に固有な、同数グループという数的関係を、改めて意識するように、児童は求められるのである。
(敦賀市商店街会計調査 昭和15年 p.40 NDL-DC)
どちらのスタイルの請求書であろうと、「掛け算に交換法則が成り立ち、順序がどうでもよいという理由で、実際には124円のものを7冊購入したのに、次の画像のように、単価を数量欄に、数量を単価欄に記入するようなことをすれば、合計金額は同じ868円でも、在庫や利益にとんでもない影響が出かねない。
元いた職場と数量欄と単価欄の位置が逆でも、今の職場の書式に合わせて、単価を単価欄に、数量を数量欄に入れるようにしよう。もし、新入りの社員が上の画像のように間違えて入力してしまっていたら、言って直させよう。上司は、直させても、掛け算の可換性を否定したとして数学者から訴えられることはないであろう。
というのも、書式の上で順序を指定し固定しているだけで、直させた上司としては、乗法の交換法則のような基本的な数学的原理を否定する、などという大それたことを企てるつもりは毛頭ないのだから。社内の意思伝達や経理的な正確さのために、書式を統一しているだけの話である。7円のものを124個売る場合も、同じ868円になること、つまり、掛け算には交換法則が成り立つことは、もちろん、上司もわかっている。
ところで、小学校の算数では、掛け算を、同数グループがあったとき、各グループの構成員数(一つ分)とグループの数(いくつ分)から全部の数を求める演算として習う。式は、一つ分×いくつ分=全部の数、という範型に従って立てることを習う。
「袋が3つあり、各袋に4個ずつキャンディを詰めるとき、キャンディは全部で何個要る?」という文章題では、一つ分が各袋の個数4で、いくつ分が袋の数3である。式は、〈一つ分×いくつ分=全部の数〉の図式に従い、4×3=12のように書くことを習う。単価×数量はこの一つ分×いくつ分の1つ応用で、「124円の漢字練習帳を7冊購入したとき支払うのは何円?」という文章題では、124×7=868と式を書く。教科書は、経理書類の主流とは逆のこの順序で統一して書かれており、小学校の教師もこの順序で式を板書している。
学校では、掛け算の文章題の立式において、この同数グループの数的関係が、そして、一つ分といくつ分がそれぞれ正しく把握されているかどうかを確認できるように、児童にも、乗号の前に一つ分の数を、後にいくつ分の数を置くように、言っている。つまり、一つ分×いくつ分、単価×数量の図式に従って式を書くように、言い換えれば、教科書に載っている順に書くように、言われている。
この指示は、原則、学校算数の文章題の立式においてのみ、適用される。意味が重要ではない計算問題や、文章題でも立式後の計算(筆算やとでの言い換えなど)では、一つ分×いくつ分の順に書くことを求められることはない。また、これは学校算数内において、教育的な意味で設定されているルールなので、学校外の入学試験や検定試験などでは、無効である。
4×3=12や124×7=868は式なので、見積書のような欄はないが、このルールでは、乗号の前に1つ分欄、後にいくつ分欄があるようなものである。児童は、掛け算の立式の習得を目指して、いわば、この見えざる書式に書き込むように、式を立てる。中高生になれば、さまざまな考えに基づいて、同じ答えが出せる式のヴァリエーションを多数考えることができるようになるが、小学生は式の立て方を学んでいる最中で、まずは、範型をお手本として、1つの、ないしは限られた数の、式の立て方を習得することに集中・専心するのである。
「袋が3つあり、各袋に…」のように、文章題文章にいくつ分の数が先に出てくると、小学生はそれに誘導されて、式でも、いくつ分を先に書きがちである。ドリルや単元テストなどで、そのような文章題が出ると、3×4と式を書いて、答えは合っていても、式がバツになる。
バツにしても、教師は掛け算の可換性という数学上の原理を否定しているわけではない。嘘も方便だと思って、掛け算を非可換なものとして教えているわけでもない。それどころか、掛け算では、被乗数と乗数の数値を入れ替えて計算しても、答えは同じになる、という交換法則を、児童は繰り返し学んでいる。
参照 flute23432 「交換法則の学習」
バツになった答案が保護者によってネットにアップされると、ネットにたむろする数学屋たちが、これぞと言わんばかりに、「嘘を教えるな」と、非難の大合唱を始める。だが、その非難は、数学的内容と書式という2つのレベルを混同するもので、教師は気にする必要はない。解答欄を取り違えて解答すれば、バツになるであろう。それと同様に、教育的に設定されたルールに従って数値を正しく配置していないから、バツにしたのであり、掛け算の可換性を知らないからバツにしたのではない。それは数学的なバツではなく、教育的なバツなのである。
他にも、学校では、答え欄の答えに助数詞(「個」「枚」「匹」…)を書き忘れたり、アラビア数字ではなく漢数字で答えたり、分数の計算問題で答えを帯分数にしなかったりすれば、答えが合っていても、バツになることはある。これらは、数学的には問題がなくても、書かれざる指示(ルール)に従わなっていないという理由でバツになる。
算数では、バツを付けて終わりではなく、バツは理解に向けた踏み台である。小学校では、ドリルやテストでバツになった箇所の直しが宿題に出されることが多い。児童は、間違ったところを青鉛筆で直す際に、なぜバツになったかを考える機会を与えられる。その際に、掛け算に固有な、同数グループという数的関係を、改めて意識するように、児童は求められるのである。
2018年3月1日木曜日
表記ルールとしての掛け算順序
小学校と中学での「順序違いでバツ」
算数の掛け算文章題では、順番が違っている、という理由で式がバツになる。だが、掛け算には交換法則が成り立つので、順序は関係がないのではないか。疑問に思った保護者が、答案を写真に撮って、ネットにアップする。カメラ機能をもつスマホが普及した現在、SNSを使って、疑問を発信することは容易である。
(光文書院 2011単元テスト 最初5×3と書いてバツになり、訂正して青丸が付いた。バツにして終わりにすべきではないという批判が的外れであることを示している。)
だが、これが、ネットにたむろする塾講師や数学屋の、学校算数教育に対する批判に燃料を提供することになり、「日本の小学校では、掛け算の可換性も知らない、レベルの低い教師が、嘘デタラメを子どもたちに教えている」、「日本の学校教育が酷いことになっている」、「子どもたちが虐待されていて、かわいそうだ」、といった現実を無視した議論が起きる。ときには、それは、エセ科学やオカルトの一種として取り上げられることさえある。だが、もし日本の算数教育が、彼らが言うほど酷くデタラメなら、PISAやTIMSSのような国際的な数学テストで日本が上位を維持している理由が説明できない。
「掛け算の順序が逆でバツにするのは嘘でたらめを教えることだ」というのは、誤解であって、実は、式は一つ分×いくつ分で書くという、表記上・教育上のルールに反するのでバツになっただけであり、掛け算の可換性が否定されているわけではない。そのバツは表記レベルに留まるもので、原理レベルにまでは及んでいない。表記と原理、しばしば混同されるこの2つのレベルを区別して考えるべきである。
掛け算の可換性が否定されているどころか、小学生は掛け算を学び始めると間もなく、掛け算の可換性についても学ぶのである(画像参照)。「交換法則」「可換性」という用語は出てこないし、九九表に見られる規則性として、つまり被乗数・乗数が1~9までの自然数という限定された範囲の内で妥当する規則として、ということはあるが、「掛け算では、被乗数と乗数を入れ替えて計算しても、答えは同じだ」と学ぶ。
(画像は学校図書2下(2016) p.41)
文章題の立式において要求される掛け算の順序が、掛け算の可換性という原理と矛盾しないことは、中学校の文字式の採点を見ると、よく分かるかもしれない。文字式で答える設問でも、式の順序が違っていたという理由で、減点されたり、バツになったりすることがある。画像は公立中学1年数学の期末試験から。
というのも、文字式では、積は数字、文字の順で、文字の間ではアルファベット順に書くルールになっているからである。この表記ルールに反して、テストで、7(a+b)と書くべきところを、(a+b)7と逆に書けば、減点される。次の画像は、定数氏(ツイッター 2017/12/03 16:47)が近隣の中学から入手した、期末試験の答案の一部である。5(x+60)となるべきところが(x+60)5となって、(減点ではなく)バツにされた。
逆順式でバツや減点にしたからと言って、中学の数学教師が、掛け算の可換性を否定しているとか、知らないとか、ということではない。可換性は、掛け算という演算が足し算、論理学の連言・選言、集合の和・積などと共通してもつ、基本的な性格である。あまりに基本的なので、原理と言ってよいであろう。(算数では、行列だとかベクトルだとか、高校や大学で学ぶ非可換なかけ算のことをとりあえず、考慮の外に置いてかまわないであろう。)
ab=ba
a+b=b+a (算術・代数学)
(p∨q)≡(q∨p) (命題論理)
P∩Q=Q∩P (集合算)
細かく見ると、そのルールはしばしば侵犯されている。たとえば、交換法則を式で表現するとab=baであるが、その右辺のbaは、アルファベット順ではない。文字式の計算の途中では、文字式の順序ルールは守られないことも、よく起こる。守らないと、コミュニケーションのレベルで障害が生ずるかもしれないが、数学的に深刻な事態は生じない。7(a+b)と書くべきところを(a+b)7と書いてしまっても、aとbに具体的な数値を代入して、計算して得られる結果は同じである。純粋に数学的な観点からは、順序の違いなどの表記ルールの問題は副次的な問題ではある。
しかし、中学1年生は、初めて文字式を学ぶが、そのとき、文字式の書き方も学習事項の1つであることには変わりない。だから、もし、これができていなければ、ワークブックでも小テストでも中間試験でも、バツや減点になる。授業で学んだことが、実際に、習得されているかどうかという観点から、減点されたのである。だが、繰り返しになるが、このバツや減点は、表記レベルのルールに反しているという理由で付けられたものであり、けっして、掛け算の可換性を問題としているのではない。
(東京書籍中1教科書 2016 pp.56-59)
小学校の算数でも同様である。「掛け算の文章題では、一つ分×いくつ分の順序で式を書きましょう」というルールがある。言い換えれば、一つ分×いくつ分=全部の数、という言葉の式(公式)に従って立式するように、児童は求められている。それに従って式を書いていないとバツになるが、このバツは、表記に関わるその指示に従っていないことに対するバツなのであり、掛け算の可換性のような原理的なレベルに及ぶものではない。掛け算の可換性は当然なものとして、その上で、表記上、一つ分、いくつ分の順序で書きましょう、ということなのである。だが、かりにそうだとしても、なぜ、そんな「勝手な」ルールを設定し、意味がない指示を守らせようとするのか、という疑問を抱く人もいるであろう。
文字式のルールと掛け算の順序の違い
文章題の立式が逆順でバツになっている算数のテスト答案がネットに公開されると、冒頭で述べたように、表記ルール違反のバツが可換性否定だと誤解されて、小学校の教師や教科書が激しく叩かれる。ところが、中学の試験答案では、不思議と、文字式の順序が違って減点やバツになっても、中学の数学教師は非難されないのである。なぜであろうか。算数の掛け算の順序も、文字式の順序も、ともに表記上のルールなのではあるのだが、いくつかの点で違っている。
第1の相違は、文字式のルールが純粋に形式的であるのに対して、算数の掛け算の順序が、内容にも関わっていることである。文字式では、先に書くか後に書くかは、数字や記号が何を表しているかではなく、数字か記号かの文字の種類というまったく形式的な違いに基づいている。だから、純粋に形式的なものによる順序であることが、文字式では明白である。この形式性のせいで、それが表現のレベルにしか関わらないことが、誰にでも分かるのである。ところが、一つ分×いくつ分の順序で書くという算数ルールでは、一つ分もいくつ分も、その数値が表している内容であるので、文字式の場合のように、その間の順序が表記ルールであることが、分かりづらくなっている。
第2に、中学の文字式の表記ルールが国際的で普遍的であるのに対して、算数のルールは日本の学校算数教育に固有である。文字式のルールは、国際的なので、数学そのものに属しているように見える。日本でもブラジルでも、平成でも江戸時代でも、3+4=7と言える点で、数学は内容的には普遍的で国際的、超時間的である。文字式の表記ルールは同じく国際的なために、数学の普遍的な内容に溶け込んでしまうことで、それが慣習として際立たされることがなく、表記ルールの慣習性が見えなくなっている。だから、文字式ルールが勝手なルールだと批判されることはない。しかも、中学・高校で学ぶので、保護者やネット上の数学屋も含めた大人は、このルールを知っている。
これに対して、小学校の掛け算の順序は、日本の学校算数に固有なローカルルールである。数学なのに、ローカルであことは、疑わしいことであろうか。たしかに、数学の内容がローカルであったら困る。3+4の答えが地域や文化圏によって違うというのは、とてもまずい。しかし、それが数式表記上の慣行であれぱ、ローカルであっても、それほど問題はないであろう。実際、国によって、÷の代わりにコロンを使ったり、乗法記号として×の代わりに・を使ったりすることはある。割り算の筆算の書き方にしても、原理的には皆同じでも、数字を書く位置や線などが、国によって違っている。もしそれが教え方・教授法であれば、人によって違うことさえある。
掛け算の順序は、小学校の算数教育のローカルルールであるために、小学生の保護者やネット民には共有されていない。そのルールは、教科書に書く順序としては、明治時代から続いているのだが、保護者たちも、小学校では習っているものの、使わなくなって久しいために、すっかり忘れてしまっている。さらに、ネットのデマゴーグたちの影響を受けて、「いつのまに算数はこんなにおかしくなってしまったのか」という間違った感想を持ちさえする。
ともかく、ルールを忘れた保護者は、子どもが持ち帰った逆順バツの答案を、そのようなルールない空間で目の当たりにする。ネットにアップされると、順序ルールが妥当している教室から式が完全に遊離してしまう。文脈から切り離されることで、そうした順序を「初めて」知ったネット民などから、「掛け算の可換性に反するように見える、そのような勝手なローカルルールを作って、それを児童に押しつけているのはけしからん」と非難される。
中には、「もしその順序で書かせたいなら、問題文に書くべきだ、そうでないと、児童は教師の言われざる意図を、悩んで推測しなければならない」と主張する人も出てくる。マルをもらうために、「空気を読んだり忖度したりすることを児童が強いられている」というわけである。しかし、授業を受けている児童は、むしろ、式はその順序で書くことを、すでに繰り返し教わっているのである。
たとえば、下記のような、教科書の例題で、3個ずつケーキが載った皿が4つある絵と、(4×3ではなく)3×4という式とを線で結ぶ練習をしている。単元テストを受ける前に、授業中に黒板やノートに書いた解答で直され、ドリルや宿題プリントで、順序を間違えれば訂正されている。単元テストはその延長と反復にすぎない。文章題の文章中に現れる数値の順序に惑わされて、逆順になってしまいがち、ということはあるにしても、児童たちは、単元テストの答え合わせになって初めて、掛け算の順序のことを知る、というわけではないのである。
(東京書籍2下 2015 p.12)
掛け算の順序は、日本の算数教育のローカルルールだと述べたが、実は、教科書などに式を揃えて書く順序としては、元来は、欧米のものである。日本が明治時代に欧米から数学教育を受容しようとしていた時期に、お手本とした欧米の算術教科書が、基準量×倍(回)の順序を採用していた。ところが、そのうちに、欧米で、倍×基準量という逆順式が支配的になってしまったために、結果として、日本の算数教育が式の順序で孤立しているような状況になってしまったのである。
日本は車が左側通行であるが、イギリスの影響のような歴史的な要因はあるにしても、左側通行であることに合理的な根拠はない。右側通行でもよかったのである。掛け算の順序も同様で、一つ分×いくつ分の順序で書くというのは、欧米の教育のシステムを受容する過程で、一緒に受け入れた慣行である。逆の順序でもよかったのである。車は左側通行といった交通規則と同じで、どちらかの順序で統一しておくのことが重要である。円滑な意思疎通の必要から、この会社とか算数教育とかいった限定的な範囲では、統一する意味はあるであろう。(注1)
第3の違いは、文字式のルールが単なる表記ルールであるのに対して、一つ分×いくつ分の順序ルールは、教育的な意味が与えられていることである。それは表記上のというだけでなく、教育上のルールでもある。
たとえば、文章題の答え欄では、数値に単位(L,km)ないし助数詞(人、本、匹……)を付けて書く、というのは教育上のルールである。このルールには、その答えが文章題が提示する問題状況に対する答えであることを児童に意識させる、という教育的な意味がある。4年生までは、分数や筆算の線は定規を使って描く、というルールを学校単位や教師単位が決めているのもまた、教育的である。というのも、低学年生では、まっすぐな線を書くのが難しく、そうでないと、数字が乱れて計算ミスが起こりやすく、また、児童が書いた字が教師に判別できない、という問題点があるから。
掛け算の順序には、どのような教育的な意味があるのだろうか。それは1つには、教科書や黒板に、いつも、一つ分×いくつ分の順序でそろえて書いておければ、児童は、教師がいちいち数字の意味を注釈しなくても、×記号の前の数字は一つ分を表している、と理解できることである。逆に、不規則に一つ分×いくつ分で書いたりいくつ分×一つ分で書いたりするのは、教育的には、嫌がらせ以外のものではない。
掛け算の順序の一層積極的な教育的意味は、文章題問題にある。掛け算の順序が違ってバツになるのは、文章題問題においてこそ、起きる。だから、掛け算の順序の問題は文章題と切り離せない関係にある。掛け算の順序の設定は、どのようにして、文章題問題を解決するのに役立つというのだろうか。文章題問題とは、文章解析力が劣るため、計算はできても文章題が不得意な児童が、多いことである。これは日本だけでなく、グローバルな問題なのである。
文章解析力がまだついていない低学年児童は、文章をよく読まずに、授業の文脈から想定される演算を、文章題が含む数値に適用して問題を解こうとしがちである。2年生・3年生の掛け算文章題は単純で、九九を覚えていれば、文章を読まなくとも、文章題の文章中の数値をともかく掛ければ、答えが出てしまう。それが足し算でも引き算でもなく掛け算の文章題であることは、その文章題が掛け算の単元にあることから、予測できる。だから、文章題問題は、低学年ではそれほど目立たない。
しかし、高学年になり、もっと複雑な文章題や割合の問題が出てきたときに、このようなやり方をしている児童は、立ち往生してしまう。割り算を使う文章題も、低学年では、大きな数を小さな数で割ればよかったのだが、分数・小数を習うと、それも通用しなくなる。だから、文章題の文章をよく読んで、割られる数と割る数を把握しなければならいない。
高学年で出てくる割合の文章題は、掛けることも割ることもある。文章を分析的に読解できない児童は、掛けたらよいのか、割ったらよいのか、分からない。これは日本だけでなく、外国語の質疑応答サイトにも、どこから割り算を使うとわかるのかとか、使うべき演算の種類はどれかとか、いった生徒の相談が掲載されている。
割り算の文章題では、文章を解析して数値の意味を把握し、そこから a:b = c:dのような数的関係を抽出しなければならない。200gの544円の牛肉を350g購入するときの代金を求める問題では、重量比 200 : 350 = 金額比 544 : □のような数的関係を読み取り、そこから、答えである□を求める式を構成しなければならない。
掛け算の文章題もまた、文章をよく読んで、そこに、〈同数グループが複数ある〉という数的構造を見て取るべきである。そのような数的構造が発見され、全部の数を求めべきことが知れれば、掛け算を使うことがわかる。「クラスに7つの班があり、各班の人数が4名のとき、児童の数は全部で何名か」という文章題では、構成員数が4のグループが7つあるという数的構造が発見できる。何算を使うかは単元からではなく、文章そのものから決められるべきである(もし、児童の全員の数と班数が決まっていて、各班の人数が不明なら、割り算を使う)。そして、どの数値が各グループの構成員数(一つ分)で、別のどの数値がグループの数(いくつ分)であるかを理解する。
その上で、今度は、一つ分×いくつ分という掛け算の順序に従って、式を立てるのである。とくに、掛け算の習いたてでは、□(一つ分)×□(いくつ分)=□(全部の数)という言葉の式の□に適切な数値を入れて埋めるような仕方で、立式するように指導される。だから、順序を伴う立式は、「一つ分の数は何ですか」「いくつ分の数は何ですか」という問いに対して答えることを含んでいる。もし、ここで順序を設定せずに、一つ分×いくつ分でも、いくつ分×一つ分でもいいとすれば、現在の算数ように式に単位を付けないスタイルでは、児童が、一つ分といくつ分をそれぞれ正しく捉えているのかどうかが、教師には分からない。
(公立小学校2年のプリント。かけ算の習い初めに、まず絵から式を立てる練習をする。この段階では、全部の数は、九九ではなく、まだ、おにぎりの絵を数えて出す。のちに学ぶ文章題では、問1と問2が問3(式)に統合される。これが立式である。)
欧米にも、掛け算の順序の表記ルールはあるが、しかし、教科書や黒板に教師が書くときに従う慣行に留まっていて、文章題を児童が解くときに書く式にまで、そのルールは適用されない。次の画像は、K5-Learningという、算数学習サイトのプリントの模範解答であるが、1つ分やいくつ分お構いなしに、文章に現れた順に式が書かれている。
(K5 Learning, multiplication wordproblem, a1)
しかし、日本では、一つ分×いくつ分の順で書くという表記ルールの遵守を、児童にも求めている。日本の算数教育が掛け算の順序に「こだわる」と言われるのが正しいとすれば、この意味においてである。しかし、こだわるのは、それなりの理由がある。一つ分、いくつ分として把握した数値を、それぞれ×記号の前と後に配置させることで、児童は一つ分といくつ分を意識せざるをえないし、教師は児童が書いた式を見て、それぞれを正しく把握しているどうかをチェックできるのである。掛け算を1つ分×いくつ分で教えたのであるから、それができているかどうかを、授業中に書くノートやドリル、単元テストの採点でチェックすることは、教えたことの効果を確かめるフィードバックととして当然、行うべきことであろう。
注
注1 実は、掛け算の表記順序は日本と外国と逆、というほど単純ではなく、外国でも、日本と同じ表記上の順番を採用しているところもある。たとえば、フランスでは、下記のバロンの論文にあるように、小学校では教師によって、倍(回)×基準量と書く場合も、基準量×倍(回)と書く場合もあるが、バロン自身は、中学の数学との接続を考えて、倍(回)×基準量のほうが適切だ、としている。takehikom氏の指摘で挙げられた資料によれば、ブラジルでは、倍(回)×基準量である。イギリスでは、黒木氏がしばしばツイッターで、BBCの算数サイトで例を挙げているが、基準量×倍(回)の順が使われることもある。日本でも、学校算数の外部では、請求書やレシードなどで、数量×単価の順番を見ることができる。こうした多様性と不統一は、そのルールが表記上の慣習だからこそ、起こりうることなのである。
Jeanne Balon, "Deux fois trois et trois fois deux sont-ils égaux?", in: Grand N, 54, 1994, 21-25.
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0ahUKEwjvnaHf8f7XAhXHfLwKHYVYB3EQFggqMAA&url=http%3A%2F%2Fwww-irem.ujf-grenoble.fr%2Fspip%2Fsquelettes%2Ffic_N.php%3Fnum%3D54%26rang%3D3&usg=AOvVaw2lmhrCwlj8KPWjyeCv7jD5
(2017/11/29 0325, 2017/12/02 09:10, 2017/12/22 06:46, 2018/01/21 21:44などのツイートに基づく。)
ツイッターでのtakehikom氏の指摘に基づき、数値を訂正する、掛け順の慣習について例を追加する、などした(2018/03/01)。
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