2021年2月15日月曜日

文章題の式には、問題文に出てくる数字しか使えないのか?

 算数の文章題では、児童は、式欄に最初に書く式を、【原則】、問題文に現れる数字を使って書くことが求められる。

もちろん、それは、【原則】なので、例外はある。たとえば、2ダースの鉛筆は何本かというとき、式は12×2であるが、12という数字は文章には出てこない。てんとう虫4匹の足の総数は?、太郎と次郎と花子に4本ずつ鉛筆を配るとき、全部で何本必要?というときも。

また、この原則は、立式にしか適用されない。4×3のような単純で短い式では、1つ目の等号=のあと、すぐに結果が出てしまうが、長い式では、立式後の計算の過程において、たとえば、分数の通分・約分をしたり、まず括弧( )の中を計算したりするなど、1度に答えが出ず、=を複数回繰り返す。その際に、文章題に与えられていない数が、部分式の計算結果として途中に、当然、出てくるであろう。

つまり、この原則は、例外があるし、立式にしか適用されない。そうだとしても、算数で、文章中にある数字を使って式を立てることが求められるのはなぜかと言えば、それは、第1に、教わった式の立て方ができているかどうかを確認するため、である。

ただ、その問題が与えられ、解けばよいのであれば、どんな解き方をしてもよいし、どんな式を書いてもよい。800円の5割は800÷2=400円でも構わない。式を書く必要さえない。だが、これは、同じ問題をさまざまな仕方で解く能力を獲得している人を前提としている。

しかし、「問題文にある数字しか立式に使えない」といったようなルールが問題となるのは、学校である。そのルールは教育的なルールであり、数学的なルールではない。とくに、小学生は、加減乗除の1つ1つを段階的に、式の立て方を含めて、学んでいる発展途上の段階にいる。計算のアルゴリズムだけでなく、問題状況や文章題が与えられたときに、それを解決するためにどう式を立てたらよらいのかも、つまり、式の立て方も、学んでいるのである。

入試や検定、学力テストのような、授業者と採点者が違う不特定多数が受けるテストは別として、授業中に実施され授業者が採点もする確認テスト(単元テスト)では、教わったことが定着しているかどうかをチェックすることが、テストの目的である。授業で、式の立て方も学んだのなら、式の立て方についてもまた、習ったことができているかどうか、が試される。そのために、答え欄とは別に、式欄が設けられているのである。

第2に、答えが間違ったときに、間違った理由を、【ある程度】、教員が推察でき、それによってその後の「治療」に役立たせることができるからである。文章題の文章を正しく読んでいないからなのか、式を正しく立てられていないからなのか(たとえば、割られる数と割る数を逆にしてしまったのか、割るところを掛けてしまっていないか)、それとも、計算ミスなのか。計算ミスであるにしても、九九の記憶違いや分数の約分のミスなのか。

式が書いてあれば、式から【ある程度】、間違った原因を「診断」できる。児童はその診断に基づいて、今後注意し、また不足を勉強して、対策をとることができる。単なる計算ミスであれば、そのつど計算をもう一度見直すクセを付けるなどの対策が必要になるが、割合の問題で、割るところを掛けたり、割られる数と割る数を取り違えている場合は、割合の概念から学び直す必要がある。

だから、児童が、採点する教師が見て、文章題から、文章題のなかに与えられた数から出発して、どのようにその式を立てるにいたったのか、がわかるように、式を書く必要がある。そのためにこそ、文章題では、児童は、原則、文章中に現れる数を使って立式することが、求められるのである。

(Twitter flute23432 2021/01/28 09:57AM に基づく。)






2021年2月14日日曜日

〈かけ算の順序〉は、割り算や割合の学習にどう有益なのか?

〈かけ算の順序〉をめぐる論争で、順序指導の意義を問われた小学校の教師が、かけ算の順序を守らないとわり算で躓く、割られる数と割る数を逆に書いてしまう、といった答え方をすることがある。実際、小学校算数の学習課程において、かけ算の学習とわり算の学習とは、どう関係するのであろうか。〈かけ算の順序〉はわり算や割合の理解に有益なのか?

小学生は2年で、同数グループが複数あるとき、各グループの構成員数(一つ分)とグループの数(いくつ分)から、全部の数を求める演算として、かけ算を習う。「3つの袋のどれにも4個入っているとき、キャンディは全部で何個?」という文章題では、1つ分は各袋に入るキャンディの個数4であり、いくつ分は袋の数3で、求めるべき全部の個数は12である。


この定義では、1つ分といくつ分とでは意味・機能が違う。どちらもものの個数であるが、一方はキャンディの個数、他方は袋の個数で、しかも、キャンディと袋はまったく別のものではなく、袋にはキャンディが入っている。だから、両者をそれぞれ正しく把握できているかが、学習のポイントの1つとなる。そこで、両者の意味の違いがいつも児童に明瞭になるように、〈1つ分×いくつ分〉で順序を固定して、かけ算の式を書く。キャンディの例では、4×3である。

4(1つ分)×3(いくつ分)=12(全部の数)

これが、かけ算の順序だ。

順序はかけ算の性質として主張されているものではなく、教育上のルールとして設定されたもの。ナイフとフォークは機能が別なので、トレーの別の仕切りに入れて収納するのと同じで、整理の仕方を示している。

教科書や板書で、その順に書くだけでない。日本の学校算数では、児童が文章題で立てる式にも、その順に書くことが求められる(立式【後】の計算には、求められない)。

式の書式と順序の固定は、あきらかに初学者向けのものであり、次のような空欄がある式を埋めて式を完成させる、ということと同じ。塗り絵に似ているが、こんなものでも、1つ分といくつ分が把握できていない児童は、正しく式を完成させることができない。

□(1つ分)×□(いくつ分)=□(全部の数)

このような、順序を固定したかけ算の学習が、割り算や割合の学習に役に立つとすれば、2つの点においである。


第1に、これは間接的な効果であるが、文章題の文章に出てくる数の意味に、意識的になることである。

というのも、低学年児童は、〈船長の年齢〉の問題に見られるように、文章の解析力が不十分で、意味もわからないまま、文章中の数字を引いたり掛けたりしようとするからである。〈船長の年齢〉の問題というのは、「船にヒツジが26匹、ヤギが10匹積まれています。船長は何歳でしょう?」と低学年の児童に訊くと、かなりの子が、36歳だと答えてしまう現象である。

わり算では、かけ算と違い、〈わられる数〉と〈わる数〉を取り違えると、答えが違ってきてしまうので、数字の意味を正しく把握することは、かけ算以上に重要である。ただし、整数しか使わない文章題では、より大きな数を除算記号の前に配置すればよいので、問題は小さい。

高学年で学ぶ割合の問題は、掛けることも割ることもあり、使われている数も小数や分数である。大きい方の数を小さい数で割る、掛ければ大きく割れば小さくなる、といったことは、もはやヒントにならない。どれが基準量で、どれが比較量なのかなど、文章題の文章をよく読んで、数の意味や数と数との関係をしっかり把握することが、一層重要となる。

かけ算の順序を守れば、割合の問題が簡単に解けるようになる、というほど事態は単純なはずはないが、少なくとも、それはそのための準備体操となる。


第2に、学校算数では、割り算がかけ算と緊密な関係に置かれている。割り算は、かけ算との関係では、全部の数と1つ分、またはいくつ分、とがわかっているきに、わかっていないもう1つの数を求める演算だから。

全部の数といくつ分がわかっているとき、1つ分を求める割り算は等分除、全部の数と1つ分がわかっているときに、いくつ分を求める割り算は包含除と呼ばれる。12個のリンゴを3人で分けたとき1人分のリンゴ個数を求めるのが等分除。これは、かけ算の式では、乗号の前の空欄(1つ分)に入れる数を求める割り算である。

□(1つ分)×3(いくつ分)=12(全部の数)

これに対して、12個のリンゴを3個ずつ分けるのとき何人に分けられるかが包含除。これは、かけ算の式では、乗号の後の数(いくつ分)を求める割り算である。

3(1つ分)×□(いくつ分)=12(全部の数)

ここでは、かけ算学習における順序と、等分除的状況と包含除的状況による割り算の導入とが、緊密に対応させられている。教科書におけるわり算の説明は、かけ算の説明に合わされ、順序を含んだかけ算の説明を活用している。

かけ算とわり算の導入がこのような形でなされているかぎりでは、〈かけ算の順序〉がわからないと、割り算がわからない、ということが起きるであろう。正確に言えば、割り算そのものではなく、順序指導を前提とした割り算の授業がわからなくなる。


かけ算を学習する段階から、順序を排除することは、可能と言えば可能であろう。アレイ図(グループを作らないアレイ図)を使えばよいのである。

まず、かけ算を、長方形状のアレイ図(rectangular array)で、縦の個数と横の個数から、コマの総数を求める演算として導入する。縦と横の違いが依然としてあるのではないかと言われるかもしれないが、長方形と同じで、アレイ図も90度回転すれば、縦と横は入れ替わるので、縦と横の違いは重要ではない。

そして、割り算は、アレイ図のコマ総数と、縦ないし横の個数がわかっているときに、わかっていないもう1つの辺の個数を求める演算である。このような説明の仕方では、同数グループという数的関係を使わないので、1つ分もいくつぶんも出てこないし、1つ分を求める等分除も、いくつ分を求める包含除も現れない。

両者は、コマの総個数を構成する2つの因数として対等であり、したがって、乗号の前後は対称的なものになる。かけ算はいまや〈1つ分×いくつ分〉ではなく、〈因数×因数〉の掛け算である。


ただ、このようにしか学ばなかった児童は、碁盤目だとか下駄箱だとか、アレイ状に配列されているものであれば、かけ算やわり算が適用できることがわかるが、他の配列のときに、何算で問題が解けるのかがわからない。アレイ図だけによる導入は、狭すぎるのである。

小学生が馴染みの状況で、かけ算やわり算が適用できる場面としては、たとえば、水が260mL入りボトルが7本のとき、水が全部で何Lかを求めるとか(かけ算)、水が1.82Lを容量260mLのボトルに分けて入れるときに必要なボトルの本数を求めるとか(包含除)、が考えられる。これらには、アレイ状の配列はないので、260mLを1mLごとに分割するなどして、複数の同量物の配置をアレイ的配列へと変換できなければ、かけ算やわり算が使えないことになる。

(Twitter flute23432 2021/01/10 11:09PM に基づく。)

かけ算の2つの交換法則とわり算

Ⅰ.わり算との対比において

わり算の式は

割られる数÷割る数=答え(商)

のように、通常、割られる数(被除数)を除算記号÷の前に、割る数(除数)を後に置く。

しかし、演算記号との関係で被除数と除数をどの位置に書くか、という問題は、規約・取り決めの問題であって、そこに数学的な必然性があるわけではない。ポーランド記号法のように、演算記号を数字の前に置くスタイルもある。

19世紀のドイツの計算学者ディースターベーク(F.Q.W. Diesterweg)は、ドイツを含めた今日の標準の割り算の順序とは逆の、〈除数:被除数=商〉というスタイルを提案している。今日のドイツであったら6:2と書くところを、左右逆に、2:6と書いているのである(画像参照 注1)。


2:6は2in6と読ませている。inという前置詞を用いていることに注目すると、この割り算は、6のなかに2がいくつあるか(包含除)、を意味する。それは、6÷2を意味している。ちなみに、除算記号は、ドイツでは、今日でも、コロン:を用いる。

ところで、わり算は、かけ算と違い、不可換で、被除数と除数を交換したら、商が違ってきてしまう。6÷2と2÷6では、商が違う。

6(被除数)÷2(除数)=3
 ↓
2(被除数)÷6(除数)=1/3

ここで、注意しなければならないのは、被除数と乗数の位置は変わっていない、ということである。もし、数字だけでなく、被除数と乗数の位置を交換して、つまり、単位もろとも交換して、ディースターベックのスタイルに従ったとすると、

6(被除数)÷2(除数)=3
 ↓
2(除数)÷6(被除数)=3

と、今度は、商に変化は起こらない。スタイル・書式が変更されただけで、計算は同じである。これでは、割り算の非可換性を示したことにならない。

だから、「割り算では被除数と除数を交換すると計算結果に影響が受ける」と言うとき、被除数と除数の位置を交換する、ということではなく、被除数前・除数後の順序は変えずに、数字だけを交換することを意味する。

割り算は、このように非可換だが、これに対して、かけ算は可換なので、小2ですでに学ぶように、被乗数(かけられる数)と乗数(掛ける数)を交換しても答えは同じである。

交換法則

だが、この場合も割り算と似て、交換は、被乗数と乗数の位置を交換する、ということではなく、〈被乗数×乗数〉の位置を保持しながら、数字だけを交換することを意味する。ただし、割り算と違う点は、掛け算は可換なので、どちらの交換法則でも、答え(積)は同じということである。

つまり、交換法則とは、

3(被乗数)×4(乗数)=12
4(被乗数)×3(乗数)=12
(解釈的交換法則)

ということであり、

3(被乗数)×4(乗数)=12
4(乗数)×3(被乗数)=12
(位置的交換法則)

のことではない。

私は前者を解釈的交換法則、後者を位置的交換法則と呼んでいる。後者の位置的交換法則では、3個からなるまとまりを4つ(3+3+3+3)、という意味は変わらず、ただ、被乗数を乗号の前に置く日本の算数教育で採用されているスタイルを、アメリカやブラジルなどで見られる、後におくスタイルに変えただけである。

「被乗数(かけられる数)と乗数(掛ける数)を交換して計算しても」という、算数教科書の交換法則の表現は、誤解されやすく、交換法則を位置的に理解している者も多い。〈かけ算の順序〉について著書がある高橋誠氏も、かつてはそうであったという。しかし、よく読んでみると、通常、交換法則として提示されているのは、前者である。

高橋誠氏は、世の中では〈数量×単価〉の順も使われているのだから、交換法則として、解釈的交換法則に加えて、位置的交換法則も教科書に一緒に言及されるべきだと主張している。だが、この交換法則は、スタイル、書式の変更にすぎず、交換法則として取り上げるだけの価値はないように思われる。

もし、取り上げるとしても、文化コラムのように、補足的にということにとどまるであろう。同じ筆算でも国によって数字を書く位置が違うことを紹介したコラムがあるが、あれに類するものとして。


Ⅱ.教科書等における交換法則

その高橋氏は、ツイッターで、教科書等で説明されている交換法則を位置的に理解する台風氏に対して、それはあくまで解釈的である、と反論している。台風氏によると、交換法則が解釈的であれば、つねに同時に位置的でもある、という。

「教科書の交換法則は、【甲】(かけられる数3×かける数4)=(かけられる数4×かける数3)なのです。【乙】(かけられる数3×かける数4)=(かける数4×かけられる数3)ではないのです。」(Twitter 高橋誠氏 2021/01/10 10:49PM)

「4行3列のアレイで【甲】が成り立つと
・長辺4は(かけられる数)かつ(かける数)
・短辺3は(かける数)かつ(かけられる数)
なので

(かけられる数4×かける数3)=(かける数4×かけられる数3)

より【乙】が成り立ちます。」(Twitter 台風氏 2021/01/11 09:46AM)

「それは教科書の読み間違いで、交換法則に対する誤解です。教科書は必ず「被乗数×乗数」の順です。と言いいつつ私自身40年以上、小学校で教わった交換法則を誤解していた口です。それで実生活には何の支障もない。なのに、算数教育は、明治時代に西洋から数学を教わったことに律義に従っている。」(Twitter 高橋誠氏 2021/01/11 03:58PM)

「『かけられる数とかける数を入れかえても、答えは同じ』
の記述から

(かけられる数3×かける数4)=(かける数4×かけられる数3)

と解釈するのは読み間違いだというのが理解できません。
普通に掛け算の交換法則の説明になっていますよ?」(Twitter 台風氏 2021/01/11 09:31PM)

「上の式は、
(かけられる数3×かける数4)
下の式は、
(かけられる数4×かける数3)

3と4を入れかえるが、かけられる数とかける数の順はそのまま。

上の式は、3+3+3+3
下の式は、4+4+4

交換法則は、3+3+3+3を3×4と書いても4×3と書いても良いということではない、のです。」(Twitter 高橋誠氏 2021/01/11 09:48PM)

この点は、高橋氏が正しいことは、上に書いた、割り算の非可換性との対比からも、わかる。教科書に立ち返ることによって、以下、このことを確認してみよう。算術や算数教科書に載っているかけ算の交換法則は、被乗数と乗数の位置を交換する位置的な交換法則ではなく、被乗数か乗数かの意味と単位を置き去りにして、数だけ入れ替える解釈的交換法則である。

小2の算数教科書は、交換法則を、九九表が完成したあとに正式に説明しているが、それに先立ち、九九の学習の途中から、その伏線を張っている。東京書籍算数教科書では四の段のところに、「4×3と答えが同じになる3の段の九九を見つけましょう」という設問がある。1つ前の三の段をふり返ると、答えが同じ12の九九が見つかる。それが3×4である。



3×4は、4×3の数字を逆にして作ったものというより、三の段に戻って発見するものである。学校で学ぶ九九では、いつも、nの段はnが1つ分(被乗数)である。三の段は3連プリンが1パックで3×1,2パックで3×2、3つで3×3、4つで3×4=12……、四の段は4個差しの串団子が1本で4×1=4本、2本で4×2=8本、3本で4×3=12本、というように。

3×4では3が1つ分、4×3では4が1つ分なのである。この2つの九九の句が比較されているのである。両者は、〈被乗数×乗数〉という順序を維持しながら、3と4の数値だけを交換しているのである。これは、解釈的な交換法則にほかならない。

4(被乗数)×3(乗数)【四の段】
=3(被乗数)×4(乗数)【三の段】

二の段から始まる九九のすべての段が終わると、今度は、完成した九九表にいくつかの規則性を探す。その規則性の1つが交換法則である。答え(積)が同じ句に注目して九九表を見ると、左上から右下に下る対角線を対称軸とした、対称性が見られることがわかる。これは、たとえば、九九表の7×8と8×7の答えが同じであることを意味する。乗号の前後の数が入れ替わった関係の句は、すべて、答えが同じなのである。

そして、九九では、すべて乗号の前の数が被乗数である。九九はどの句も、〈1つ分×いくつ分〉〈被乗数×乗数〉の順なので、そのあいだに見いだせる、答えの等しさを等号で表せば、次のようになる(x,yは9までの自然数)。

x(被乗数)×y(乗数)【xの段】
=y(被乗数)×x(乗数)【yの段】

この規則性は解釈的交換法則にほからない。

交換法則は、アレイ図で説明されていることもあるが、この説明でも、交換法則は解釈的である。東京書籍教科書の問4の脇に描かれているアレイ図では、◯4個から成る縦の列を、線で囲っているのは、1つ分が4個ということ。それが3列分あるので、式は〈1つ分×いくつ分〉、〈被乗数×乗数〉の図式に従えば、四の段の4×3である。


次に、3個から成る横列を線で囲む。そうすると、構成員数が3のグループが4つできる。1つ分は3個なので、3×4は三の段の九九である3(1つ分)×4を表している。ここでも、1つ分(被乗数)は乗号の前である。

今度の画像は、教育出版の教科書の、交換法則を説明した箇所である。縦2個横6個のアレイ図で、交換法則が説明されている。式2×6のアレイ図では、縦1列の2個の◯が線で囲まれている。これが1つ分である。6×2の式では、同じアレイ図が、横1列を構成する6個の◯が線で囲まれている。6が1つ分なのである。アレイ図でも、乗号の前後の数が入れ替わった関係にある、答えが等しい2つの式において、乗号の前が1つ分なのである。つまり、この交換法則は解釈的である。

アレイ図は、どのようにグループ(まとまり)を見るか、ということついて、このように2つの解釈が可能である。算数は、この2つの解釈の共存にとどまり、同じ2(または6)が、1つ分にもいくつ分にもなる、という理由で、1つ分/いくつ分、被乗数/乗数の区別そのものを無意味として解消してしまうところまでは、つまり、〈因数×因数〉のかけ算にまでは、進まない。


注1
Adolph Diesterweg & Johann P. Heuser, Praktisches Rechenbuch für Elementar- und höhere Bürger-Schulen. 1. Übungsbuch, Elberfeld, Büchler, 12. Auflage, 1839; S. 26


(Twitter flute23432 2021/01/12 10:52AM, 11:24PMに基づく。)