2019年4月30日火曜日

見えざる書式と教育的なバツ

見積書・請求書類は、単価欄が先、数量欄が後のものも一部あるようだが、多くは、数量欄が先、単価欄が後である。これは、海外の経理書類の影響なのであろう。

 (敦賀市商店街会計調査 昭和15年 p.40 NDL-DC)



どちらのスタイルの請求書であろうと、「掛け算に交換法則が成り立ち、順序がどうでもよいという理由で、実際には124円のものを7冊購入したのに、次の画像のように、単価を数量欄に、数量を単価欄に記入するようなことをすれば、合計金額は同じ868円でも、在庫や利益にとんでもない影響が出かねない。



元いた職場と数量欄と単価欄の位置が逆でも、今の職場の書式に合わせて、単価を単価欄に、数量を数量欄に入れるようにしよう。もし、新入りの社員が上の画像のように間違えて入力してしまっていたら、言って直させよう。上司は、直させても、掛け算の可換性を否定したとして数学者から訴えられることはないであろう。

というのも、書式の上で順序を指定し固定しているだけで、直させた上司としては、乗法の交換法則のような基本的な数学的原理を否定する、などという大それたことを企てるつもりは毛頭ないのだから。社内の意思伝達や経理的な正確さのために、書式を統一しているだけの話である。7円のものを124個売る場合も、同じ868円になること、つまり、掛け算には交換法則が成り立つことは、もちろん、上司もわかっている。

ところで、小学校の算数では、掛け算を、同数グループがあったとき、各グループの構成員数(一つ分)とグループの数(いくつ分)から全部の数を求める演算として習う。式は、一つ分×いくつ分=全部の数、という範型に従って立てることを習う。



「袋が3つあり、各袋に4個ずつキャンディを詰めるとき、キャンディは全部で何個要る?」という文章題では、一つ分が各袋の個数4で、いくつ分が袋の数3である。式は、〈一つ分×いくつ分=全部の数〉の図式に従い、4×3=12のように書くことを習う。単価×数量はこの一つ分×いくつ分の1つ応用で、「124円の漢字練習帳を7冊購入したとき支払うのは何円?」という文章題では、124×7=868と式を書く。教科書は、経理書類の主流とは逆のこの順序で統一して書かれており、小学校の教師もこの順序で式を板書している。



学校では、掛け算の文章題の立式において、この同数グループの数的関係が、そして、一つ分といくつ分がそれぞれ正しく把握されているかどうかを確認できるように、児童にも、乗号の前に一つ分の数を、後にいくつ分の数を置くように、言っている。つまり、一つ分×いくつ分、単価×数量の図式に従って式を書くように、言い換えれば、教科書に載っている順に書くように、言われている。

この指示は、原則、学校算数の文章題の立式においてのみ、適用される。意味が重要ではない計算問題や、文章題でも立式後の計算(筆算やとでの言い換えなど)では、一つ分×いくつ分の順に書くことを求められることはない。また、これは学校算数内において、教育的な意味で設定されているルールなので、学校外の入学試験や検定試験などでは、無効である。

4×3=12や124×7=868は式なので、見積書のような欄はないが、このルールでは、乗号の前に1つ分欄、後にいくつ分欄があるようなものである。児童は、掛け算の立式の習得を目指して、いわば、この見えざる書式に書き込むように、式を立てる。中高生になれば、さまざまな考えに基づいて、同じ答えが出せる式のヴァリエーションを多数考えることができるようになるが、小学生は式の立て方を学んでいる最中で、まずは、範型をお手本として、1つの、ないしは限られた数の、式の立て方を習得することに集中・専心するのである。

「袋が3つあり、各袋に…」のように、文章題文章にいくつ分の数が先に出てくると、小学生はそれに誘導されて、式でも、いくつ分を先に書きがちである。ドリルや単元テストなどで、そのような文章題が出ると、3×4と式を書いて、答えは合っていても、式がバツになる。

バツにしても、教師は掛け算の可換性という数学上の原理を否定しているわけではない。嘘も方便だと思って、掛け算を非可換なものとして教えているわけでもない。それどころか、掛け算では、被乗数と乗数の数値を入れ替えて計算しても、答えは同じになる、という交換法則を、児童は繰り返し学んでいる。
参照 flute23432 「交換法則の学習」

バツになった答案が保護者によってネットにアップされると、ネットにたむろする数学屋たちが、これぞと言わんばかりに、「嘘を教えるな」と、非難の大合唱を始める。だが、その非難は、数学的内容と書式という2つのレベルを混同するもので、教師は気にする必要はない。解答欄を取り違えて解答すれば、バツになるであろう。それと同様に、教育的に設定されたルールに従って数値を正しく配置していないから、バツにしたのであり、掛け算の可換性を知らないからバツにしたのではない。それは数学的なバツではなく、教育的なバツなのである。

他にも、学校では、答え欄の答えに助数詞(「個」「枚」「匹」…)を書き忘れたり、アラビア数字ではなく漢数字で答えたり、分数の計算問題で答えを帯分数にしなかったりすれば、答えが合っていても、バツになることはある。これらは、数学的には問題がなくても、書かれざる指示(ルール)に従わなっていないという理由でバツになる。

算数では、バツを付けて終わりではなく、バツは理解に向けた踏み台である。小学校では、ドリルやテストでバツになった箇所の直しが宿題に出されることが多い。児童は、間違ったところを青鉛筆で直す際に、なぜバツになったかを考える機会を与えられる。その際に、掛け算に固有な、同数グループという数的関係を、改めて意識するように、児童は求められるのである。