2019年5月2日木曜日

倍数はゼロを含む?

日本の算数では、倍数には、ゼロ倍のゼロを含めていないで定義されている。「整数をかけてできる」と書かれているが、算数では整数とは、ゼロと正の整数のことで、負の数を含まないが、ゼロを含んでいる。3でも4でも、ゼロ倍すればゼロになるはずだが、ゼロ倍は除外されている。また、ゼロについても、その倍数を考えることはない。


「0は、倍数には入れないことにします」という、ゼロを除外する但し書きが入っている点で、定義としてはすっきりしないが、しかし、これは、「正の整数(自然数)を掛けてできる数」と定義すれば、但し書きは必要がなかったのである。ところが、算数では、負の数を扱わないために、「正の整数」という言い方もできない。また、自然数という概念は中学になってはじめて学ぶ。

これに対して、偶数はゼロを含んでいる。



黒木氏は、ツイッターで、算数に見られるこうした定義を非常識で不合理であると言い、さらに、どのようにしてそのような「不合理」がまかり通っているのかが理解できないために、算数教育の権威たちが、闇の勢力として、教師たちをそそのかして、子どもたちにそのように教えさせているのだと、ネットにありがちな陰謀論を唱えている。

「保護者の人達は子供に「0は偶数?」とか「0は2の倍数?」と聞いてみて下さい。……「0は偶数」「0は2の倍数」と答えることができなかったらチョー算数に害されている。」(2017/08/08 10:39)

「 算数の教科書では本当に、倍数から0を除くという非常識で不合理なことをやっている」(Twitter 黒木氏 2019/03/20 06:59)

「現実のこの日本において「0は偶数だが、2の倍数ではない」と教わっている子供達が存在するという事実は驚きではないだろうか?これが現実の算数教育の姿。この件は氷山の一角に過ぎません。」(Twitter 黒木氏 2015/07/17 19:32)

「0がすべての整数の倍数であることを当然と思えないような低学力の人物が小学生に算数を教える仕事をするのは問題があると思う。そういう塾講師がいる塾については保護者のあいだでの情報交換で悪評が広まると思う。」(Twitter 黒木氏 2017/01/26 23:37)

「山本良和氏のような人達が教師に「偶数と2の倍数は違う」と子供達に教え込むことをすすめていたりするのです。教科書の内容もひどいし。日本の算数教育はチョー算数に支配されているのです。」(Twitter 黒木氏 2017/08/08 10:42)

黒木氏のツイートを読んでいると、あたかも、日本の初等数学教育においてだけ、おかしな倍数概念が教えられているかのように錯覚してしまう。しかし、外国の初等数学教育でも、倍数(multiples)は、ゼロを含まないものとして教えられているのは、珍しくないのである。

次の画像は、ドイツ語圏で使われている算数教科書 Einfach besser in Mathematik (2008)からのもの。7の倍数(Vielfaches)は7からから始まっている。




次は、Saxon Mathから。これは、米国で用いられている自習用算数のテキストである。3の最初の6つの倍数が列挙されているが、その倍数のリストはゼロではなく3から始まっている。



3つ目は、ニューヨーク州のコモンコア算数教科書Eureka Mathから。


4つ目は、Math Challengeという本から。


今度は、ネットで見つかるさまざまな数学学習サイト等を見てみよう。学習サイトには、小学生を対象としたもの以外にも、教師や一般の数学ファンを含めて対象としたものもあり、前者は、倍数にゼロを含めていないようだ。。

まず、Splash Mathでは、ゼロは含まれていない。



次は、math comから。ここでは、ゼロを含めているが、負の数は含めていない。最小公倍数は、最小の公倍数(ただし、ゼロを含めない)とされている。ゼロを含めれば、倍数の定義に但し書きは不要になるかもしれないが、最小公倍数の定義で、但し書きが必要になってしまう。


ゼロを含めていないのは、サイトの想定読者(対象)を小学生に限定していないからであろう。"Math.com is dedicated to providing revolutionary ways for students, parents, teachers, and everyone to learn math."

最小公倍数は、最小の公倍数(ただし、ゼロを含めない)とされている。ゼロを含めれば、倍数の定義に但し書きは不要になるかもしれないが、最小公倍数の定義で、但し書き(not zero)が必要になってしまう。

3つ目は、Tutorvista com。ここでは含めていない。


4つ目は、mathgoodiesというサイト。ここは含めていない。



5つ目は、Khan Academy。ここは含めていない。


6つ目は、Math Funである。ここは、ゼロを含めているページとそうでないページがある。これは、たぶん、幼稚園児から高校生までを対象としているためだと思われる。"The site aims to cover the full Kindergarten to Year 12 curriculum. "(about, mathisfun)

まずは、含めているページから。注に、負の因数や倍数もある、と書かれている。
"There are negative factors and multiples as well."


次は、含めていないページ。


7つ目は、BBC Schoolである。ここは含めていない。



8つ目は、Smartick Methodというサイト。ここは含めていない。



9つの目は、Illustrative Mathematicsというサイト。ここは含めていない。


外国でも倍数はゼロを含めずに定義されているからと言って、そのような定義が間違っていることには変わりない、ひどい定義が外国にもあることを示しているだけと、黒木氏は言うかもしれない。だが、少なくとも、「日本の算数教育の権威たちの仕業だ」という陰謀論は、嘘であることがわかるであろう。それとも、日本のその「闇の勢力」とやらは、海外にまでその勢力を伸ばしているとでも言うのであろうか。

そもそも、ゼロを含めない倍数の定義は、間違っているわけではない。ゼロを含める新しい定義を自明視・絶対視してしまうために、それが不合理で非常識で低学力に見えるのである。その凝り固まった高等数学的な先入見を放棄すれば、その非常識・非合理の外観は消滅し、自然と問題は解決する。

素数とか倍数・約数だとかいった概念は数論に属しているが、数論はゼロや負の数を知らなかった古代ギリシア数学で発達したせいで、それらの概念は、正の整数の範囲で考えれていることが多い。素数についてはゼロや1や負の数は考えないし、倍数も、とくに何の断りもなしに、正の整数の範囲で考えられていることが多い。

偶数・奇数も、倍数と同じ数論的な概念であるが、上記に見たように、算数では偶数にゼロが含まれる。これは、偶数と奇数は、整数全体を2つのグループに分ける、という役割を与えられていることが算数では重視されるせいであろう。ゼロをどちらかに分類しないと、偶数でも奇数でもない整数が存在することになってしまう。

中学では負の数を習うが、倍数がどうなるかについては、とくに何も言われていないようである。高校の教科書では、最近は、倍数にゼロや負の数も含めるようになってきている。これは、新しい定義である。

数研出版『数学A』(2019年)には、次のように書かれている。

「2つの整数a,bについて、ある整数kを用いて、a=bkと表されるとき、bはaの約数、bはaの倍数であるという。……2の倍数を偶数…という」(p.118)。


東京書籍も同様の定義で、「-6も2の倍数… 0はすべての整数の倍数である」(数学A 2015 p.58)と書かれている(注1)。大学の初等整数論でも、そのように定義されている。ゼロ除算を避けるためにb≠0という条件を付ける場合と、そうでない場合がある。つけない場合は、ゼロについても、倍数を考えることになる。ゼロの倍数はゼロ1つだけである。約数と一緒に定義しようとするとこの問題が生ずるので、ある整数(負の数、ゼロ、正の数)の整数(負の数、ゼロ、正の数)倍として、かけ算だけで倍数を定義してやればよい。

倍数のこの新しい定義では、偶数は2の倍数の別名にすぎない。偶数は倍数概念のうちに解消されるのである。
偶数   …-2,0,2,4,6…
2の倍数 …-2,0,2,4,6…

ただし、東京書籍の教科書に、次のようにも書かれていることは、興味深い。「この節では、とくに断りがない場合、約数には正の約数だけを考え、倍数は正の倍数だけを考えるものとする。」とある。ゼロや負の倍数は形式的には考えられても、使い様も使い出もないもの、ということなのだろう。

分数の足し算などでの通分や、長方形タイルで正方形で作る問題の解決、3日毎に来るアイス屋と4日毎に来るクレープ屋が次に、同じ日に来る日の予想など、倍数を利用して問題を解決できる実際的な状況を考えると、正の整数に限定した倍数概念は十分に実用的である。

自然数にゼロを含めない定義と、含める定義があるのと同様に、倍数にも、ゼロを含めない古い定義と、含める新しい定義がある。どちらが間違っているということはない。日本や外国の初等算数教育では、古い定義が採用されている。理科で小中学生がニュートン物理から学び始めるのと同様に、初等数学でも、より直観的で理解しやすい、絶対値の古い定義やユークリッド幾何など、古い時代の数学からまず学ぶのである。

ThinkMathという、数学教師向けサイトでは、ゼロを含めている(負の数は含めない)が、次のような注記があった。
http://thinkmath.edc.org/resource/multiple

「ある数の倍数を挙げるとき、子供は(そして大人も)その数そのものを挙げるのをしばしば忘れてしまう。そしてまた、ゼロを含めるべきかどうか確信が持てなくなることも、よく起きる。3の倍数は、3×0や3×1を含めた、3×整数、である。だから、3は3の倍数であり、5は5の倍数である。ゼロは、恐ろしく情報量がない倍数ということはあるとしても、すべての数の倍数である。しかし、ゼロはどんな数にとっても倍数であるので、それを列挙することはしばしば、役に立たない。そして、"最小"の倍数(たとえば、最小公倍数)が何かと問うとき、正の倍数しか含めていない。」

数論的な概念は、なぜか、ゼロ(倍数、偶数)や1(素数、約数)を含むのか、それ自身(約数)を含むのか、ということが、曖昧になりがちである。



注1
第一学習社や実教出版も同様の定義になっている(2019年、新版、高校数学、Standardなどがつかない版)。啓林館は、まず自然数の範囲で倍数・約数を定義して(数学A2016 p.62)、少しあとで、整数全体に倍数・約数を拡張している(数学A2016 p.71)。



補遺

補遺1
ユークリッドでは、倍数は「大きい数が小さい数によって割り切られるとき、大きな数は小さな数の倍数」(VII D5)と、定義されている。新しい定義でも、倍数は約数との関係で定義されている。だが、新しい定義との大きな違いは、負の数(-2,-4…)やゼロは、含まれないことである。

現代の日本の算数教科書とも違っているところがある。それは、2の倍数に2自身が含まれないことである。たしかに2は2で割り切れるが、ユークリッドが「大きな数が小さな数によって」と書いていることに注意すべきであろう。2と2は等しく、大小の関係にないので、2は2の倍数ではない。倍数は、その数より大きくなければならない。つまり、2の倍数は、その2倍の4から始まるのである。

1倍は倍のうちに入らない、ということになる。日常でも、1倍は同語反復の効果しかないから、1倍が倍として話題になることはないであろう。4や6なら、それより小さな2で割りきれるので、2の倍数である。同様にして、3の倍数は6から、4の倍数は8から、始まる。

一方、偶数・奇数は次のように定義されている。「偶数とは、二等分される数である。」(VII D6)。「奇数とは、二等分されない数、または、偶数と単位だけ異なる数である。」(VII D7) (池田訳)

2で割り切れるかどうか、等しく2つに分けられるかどうかで、偶数か奇数かが決まる。余りなしに分けられる数が偶数、1つ余ってしまう数が奇数である。奇数は「偶数と単位だけ異なる」とも言われる。「単位」と呼ばれるのは1のことである。奇数は偶数±単位(1)なのである。。

数とは「単位からなる多」なので、ユークリッドでは、1は数ではない、ということになる。1は等しく2つのグループに分けられないから、奇数ではないかと思いたくなるが、ユークリッドでは、そもそも数でないので、奇「数」でもない。

ゼロはどうかと言えば、西欧は長い間ゼロを知らなかったので、ユークリッドも、当然、知らなかった。だから、ゼロが偶数か奇数かは、ここでは、問題になりえない。ゼロの概念がアラビアから受容されても、当初は、ゼロは数ではなく、記号の扱いだった。数でないなら、偶「数」でもありえない。

ユークリッドでは、すでに書いたように、1は単位であり数ではないので、奇「数」でもない。2は数であり、二等分できるので、偶数である。3が最初の奇数である。
まとめると、ユークリッドでは

偶数   2,4,6,8……
2の倍数 4,6,8,10……

であったのである。このように、ユークリッドでは、偶数と2の倍数は一致しない。偶数と倍数は別の概念なので、日本の算数で、偶数であるゼロが倍数には含まれないということに、どんな問題もない。


だいぶ時代が下って、1835年のノエルの『算術初歩』(J. N. Noël, Arithmétique élémentaire)では、どうなっているのか。

倍数については、「108 ある整数を他の整数回掛けてできた積を、倍数と呼ぶ。だから、4回掛けた5、つまり20は、5の倍数である。ある整数は、正確に複数回そこに含まれているとき、もう1つの整数の従倍数(約数 sous-multiple)である。」(p. 41)  ここで、整数と呼ばれているのは、正の整数であろう。




ある数の倍数に、その数自身(1倍)が含まれるかどうかは、例が挙げられていないので、この箇所の記述からはわからない。しかし、p.16に九九表があり、それを見ると、2倍(回 fois)から始まっていて、1の段がなく、つまり、1倍がないので、たぶん、最初の倍数は2倍の数だと考えられる。
ゼロはどうかと言うと、最小公倍数(le moindre multiple)について述べたところで(p.46)、とくにゼロを除くというような但し書きはないので、倍数にはそれ自身(1倍)だけでなく、ゼロも含まれない、と考えられる。

フランスのリセ算術教科書の古典とも言えるBriotの『算術書の基礎』(英訳 1865年)では、7は7の最初の倍数だと明白に言われているので、ある数の倍数は、その数そのものから、つまり、1倍から始まる。

(仏語原書  Éléments d'arithmétique, Paris, Dezobry, E.Magdeleine et Cie Libr. -Éditeurs, 1855.)

偶数についてはどうか。

「116 2で割れる数は、常に、2つの完全(=整数)で等しい部分に分けられ、この理由で、偶数(nombres pairs)と呼ばれる。… 対して、2で割れない数は、2つの完全で等しい部分に分けられないので、奇数(nombres impairs)と呼ばれる。1,3,5…などは奇数である。」(p.42)




偶数は2,4,6……、奇数は1,3,5…と、例が挙げられている。ユークリッドの時代と違い、1が奇数の例として挙げられていることから、1が数として認められたことがわかる。

偶数として挙げられたものには、ゼロは含まれていなかったが、しかし、そのすぐ後の箇所で、「0は偶数に数え入れられる」とある。ゼロについては、数(nombre)ではなく、記号(chiffre)という語が同時に使われていて、ゼロの扱いにまだ迷いが残っているようだ。

Briotの『算術書の基礎』では、偶数・奇数を説明した段落では、偶数にゼロは含まれてない。


以上のことから、19世紀初頭・中葉のフランス語圏では、偶数と2の倍数は次のようだった、と考えられる。
偶数   (0),2,4,6,8……
2の倍数 (2),4,6,8,10……
ここでも、偶数と2の倍数は一致しない。

補遺2
偶数にゼロを含めるかどうかについては、現代でも、分かれるようである。日本の算数や、Shirley Tuckerの幼児向きの本、上記に例を挙げたSaxon Mathでは、偶数にゼロを含めるが、AAA Mathという数学学習サイトや、New York州のCommon CoreカリキュラムであるEureka Mathでは、含まれてない。このCommon Coreカリキュラムでは、日本の小学生が小5で習う偶数・奇数を小2で学ぶのだが、小2はまだ、ゼロを2で割る割り算を学んでいないせいもあろう。








補遺3
「小5の教科書で、0は偶数だが、0は倍数から除くと説明してあるのもひどい。数学の常識的には0はあらゆる数の倍数です。例えば4の倍数であることと下二桁が4の倍数であることは同値なのですが、0を倍数から除くと100で破綻します。子供の論理的読解力が算数教科書のせいで破壊されそう。」(Twitter 黒木氏 2018/05/13 08:05)

もし4の倍数にゼロを含めないと下2桁が00となったときに、4の倍数の判定法が破綻する、と黒木氏は言うが、下2桁が4の倍数か「または」ゼロのとき、と言えば済むことで、破綻は起きない。偶数にゼロを含めないBriotの『算術基礎』では、偶数は1の位がゼロか「または」、偶数の数字かで判定できるとしている。

(flute23432 2018/08/17 01:40などのツイートに基づく)
(2020/03/29 改定)