2020年3月29日日曜日

かけ算で求める問題だとわかれば


下は、志村五郎(1930-2019)氏の『数学をいかに教えるか』(2014年)のなかの「3.掛け算の順序」からの引用である(p.45)。その章で、志村氏は〈かけ算の順序〉教育を批判しているのだが、そこには、いくつも、問題点がある。



引用箇所には、「その問題を示されたならば、これは掛け算の問題であるとすぐに認識する」と書かれている。その問題というのは、「3トンの砂を積んだトラックが5台ある.砂は全部で何トンか」である。

最初の問題点は、「すぐに認識する」という箇所。どのようにして、それがかけ算で解ける問題だとわかったのであろうか。たしかに、高学年小学生以上ならば、そのことは瞬間的にわかるが、しかし、それは訓練の結果であって、小学校低学年は、はじめて、それがどうして掛け算で解けるのかを習うのである。

それがかけ算で解けることを認識できるためには、文章から次の2つのことを読み取らなければならない。a)かけ算の文章題の文章中に、同量のものが複数あるという数的関係、b)、全体の砂の量(重量)を求めることが要求されていることである。

a)の複数の同量物だが、これは、3人班が5つのように、複数の同数グループでもよい。a)は2つに分けられる。

a1)その同量(同数グループ)というのが、どのくらいの量なのかということである。トラックの例で言えば、それはトラック1台あたりが積んでいる砂の重量3トン、班の例では各班の構成員数3人である。この3は、算数では「一つ分の数」ないしは「かけられる数」と呼ばれている。

a2)もう1つは、「複数の同量物」の「複数」がどのくらか(グループの数)ということである。これは、トラックの文章題ではトラックの台数5、班の文章題では班の数5である。これは算数では「いくつ分」または「かける数」(乗数)と呼ばれている。

「掛け算の問題であるとすぐに認識する」と志村氏は言うことで、かけ算の仕組み・構造を、さっと通りすぎてしまっている。大人はそれでよいのだが、しかし、かけ算というのがどんな演算なのかを学んでいる小2には、通りすぎるこはできないし、通りすぎるべきではない。

ところが、志村氏は、「「乗数」「被乗数」という愚劣なこと」と言って、乗数/被除数(かけられる数/かける数)という概念を最初から否定してしまっている。だが、それでは小学生はかけ算を学べなくなってしまう。

なお、志村氏らは「1950年代に一部の教育家が「乗数」「被乗数」という愚劣なことを言い出したのが(〈かけ算の順序〉教育の)始まりらしい」と推測を述べているが、この推測は誤っている。



順序教育は日本では戦前からあるし、「被乗数」と「乗数」は、"multiplicand", "multiplier"(英語の場合)からの翻訳語で、西欧の算術書では、この概念は、何世紀も前から使われている伝統的な概念で、たとえば、ニュートンも使っている。



志村氏自身はかけ算をどう考えるかというと、冒頭の引用のなかに、そのヒントがある。「そして,ふたつの数がある.だからそのふたつの数を掛け合わせればよいので,頭の中にあるのは「ふたつの数の積」という概念だけであって,その順序は問題にならない.」

これは、〈被乗数×乗数〉のかけ算ではなく、中学以降の数学で学ぶ、因数×因数のかけ算である。〈1つ分×いくつ分〉や〈被乗数×乗数〉のかけ算と違い、ここでは、乗号の前後が同じ因数で、対称的なために、順序をそもそも設定できない。

3に4をかけるのでも、4に3をかけるのでもなく、3と4という2つの因数を掛け合わせて、12という積を構成する。算数では、3に4をかけて、その演算の遂行(計算)の結果としてはじめて12が出てくるが、〈因数×因数〉のかけ算では、3×4がそれ自身、12を表している。

因数分解というと、人は多項式の因数分解をまず連想するが、数の因数分解というのもあって、たとえば、12=3×4は12を3と4という2つの因数に分解している。そのどちらが被乗数で、どちらが乗数、ということはない。素因数分解は数の因数分解の特殊な場合である。

志村氏は、次の頁で、長方形の求積の例を出しているが、隣り合う2つの辺の長さから、長方形の面積という新しい次元の数を作り出すときに使われる掛け算は、本来は、〈因数×因数〉の掛け算である(注1)。

数学者や数学教師、高度な数学を使うエンジニアなどは、〈因数×因数〉でかけ算を考えるであろうが、このかけ算は、小学生低学年には、抽象的すぎる。もしこれでかけ算を導入するなら、かなりの小学生がかけ算の最初の理解に失敗してしまうでろう。

これに対して、〈被乗数×乗数〉や〈1つ分×いくつ分〉の非対称なかけ算は、3トントラック5台とか、6個入り卵4パックとか、いった日常的で具体的なもので例示でき、低学年でも理解できる。同数グループは低学年にも、アレイや直積に比べてとっつきやすい。



〈1つ分×いくつ分〉のような非対称なかけ算であっても、〈1つ分×いくつ分〉とも〈いくつ分×1つ分〉とも書けるという点では、順序はない。しかし、その非対称性ゆえに、順序と結びつきやすい。

一つ分といくつ分の概念を習っているときに、この2つの順序を混在させて提示するのは、子どもたちに混乱をもたらすだけなので、通常は、どちらかの順序で統一するであろう。日本の算数教育では、日本が明治期に近代教育制度を確立する際に参考にした19世紀の欧米の算術書に従って、〈被乗数×乗数〉の順序を採用した。〈基準量×倍〉〈1つ分×いくつ分〉はその後継である。

志村氏の批判の問題点は、志村氏に限られないが、対称的なかけ算を絶対視し、非対称なかけ算の教育的意義を無視していることにある。


補足

定数氏「掛け算を求めればいいと言うことが分かれば、問題文に出ている数をただ書けるのは極めて合理的…1つ分だのいくつ分だの、順序だの考えることこそ無駄で無意味」(2017/08/15 01:04 PM)

ここにも、同じ、見落としの構造が見られる。

「掛け算を求めればいいと言うことが分かれば」と、定数氏はさらりと書いているのだが、その文章題がかけ算で解ける問題であることは、どこから分かったのであろうか。文章題なのだから、文章を読まなくては、それが何算の問題かはわからないはず。

たしかに、かけ算の単元にある文章題なら、かけ算で解くのだとわかるが、〈かけ算の単元ならかけ算を、わり算の単元ならわり算を使う〉といったような、単純で浅薄な方略では、かけ算の文章題もわり算の文章題も混じっているような、少しでも応用的なプリントにさえ対応できない。算数では、文章題がどの演算で解く文章題なのかを、文章から読み取れるようにならなければならないが、小学生には大きな課題である。だから、教科書には、これを訓練するための「何算かな?」という単元もある。使う演算を特定できる能力がつかないと、高学年で学ぶ割合の文章題に対処できない。というのも、割合の問題は掛けることも割ることもあるから。

大人はその問題が掛け算の問題だと瞬間的にわかるが、低学年児童は文章解析力がまだ十分ではないので、すぐにはわからない。「ずつ」などの表現を手がかりとして、最終的には、そこに同数グループという、かけ算が適用できる数的関係を、直感的に見てとることができるようになるのである。

同数グループの各グループの構成員数が一つ分(被乗数)、グループの数がいくつ分(乗数)なのであるから、その文章題がかけ算で求まる問題だという認識には、一つ分といくつ分が使われているのである。非対称のかけ算を学ぶ小2のために作られた文章題を、小2が解くときは、文章中に一つ分の数といくつ分の数を認識することが求められている。「1つ分だのいくつ分だの、順序だの考えることこそ無駄で無意味」とする定数氏の言葉は、だから、教育的に、誤っている。




注1
算数で習うかけ算は、非対称なかけ算に限定されているのに、小学生が小4のときに学ぶ、長方形の面積の求める公式〈たて×よこ〉に使われるかけ算は、対称的である。これは一見、不整合であるが、この「不整合」は、ある工夫によって解消されている。つまり、長方形の面積は、1辺が1cmの単位正方形(1つ分=1cm^2)を考えて、それがいくつあるか(いくつ分)ということで、長方形の面積を求めているのである。だから、ここに使われているかけ算は、因数×因数ではなく、単位あたり量×いくつ分という非対称なかけ算なのである。

そして、その「いくつあるのか」(単位正方形の総個数)ということもまた、一つ分×いくつ分で求める。つまり、長方形の縦の個数だけ単位正方形を縦に積んでできた棒を、横の個数分だけそろえる。総個数は、同じ高さの単位正方形の棒が何本並んでいるか、で求めるのである。つまり、縦の個数×横の個数で総個数が求まるのであるが、これは、因数×因数ではなく、ふたたび、一つ分×いくつ分である。

(2020/03/26のflute23432ツイートに基づく。)